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<東京怪談ノベル(シングル)>


裁きの聖女(後編)


 額に札を貼られた陰陽師たちが、次々と斬り掛かって来る。
 鬼門の鳥居からこの島に流れ込む邪気によって、凄まじい身体能力を得た者たち。
 ステロイドを打ちまくったかのような筋力で振り回される何本もの太刀を、瑞科はことごとくかわし、長剣で受け、あるいは弾いた。
 修道服をふっくらと膨らませた胸が揺れ、むっちりと形良い太股が裾を割って躍動する。
 その周囲で刃が閃き、ぶつかり合って火花を散らせ、焦げ臭さを漂わせる。
 それに、血生臭さが混ざった。
 陰陽師たちが、真紅の飛沫を噴出させながら、ことごとく倒れ伏してゆく。
 赤く汚れた細身の長剣を、瑞科は眼前に立てた。巨大なものが、襲いかかって来たのだ。
 1頭の、虎である。
 咆哮と共に牙が、爪が、陰陽師たちの剣を遥かに超える速度で瑞科を襲った。
「神の救いを……」
 祈りと共に、瑞科はゆらりと踏み込んで行った。
 美貌の眼前で、細身の長剣が電光を帯びる。
 激しく帯電する刀身が、戦闘シスターの踏み込みと同時に一閃した。瑞科の細身と猛虎の巨体が、超高速で擦れ違う。
 電撃を叩き込んだ、したたかな手応えを、瑞科はしっかりと握り締めた。
 虎が倒れた。
 いや、その姿はもはや虎ではなく、十代半ばの人間の少年だった。半ば意識を失った状態で、呻いている。
 優しく抱き起こしてやりたいところではあるが、瑞科は先へと進んだ。
 洞窟の最奥部である。岩で出来た大広間、とも言うべき空間だった。
 あちこちで篝火が焚かれ、中央には、注連縄が巻かれた岩が鎮座している。
 その岩の上に、女の子が1人、横たえられていた。小学生か中学生か判然としない、プレティーンの美少女。華奢な身体に、目に見えぬ邪気が容赦なく流れ込んでいるのを、瑞科は感じた。
「うぬっ、ここまで来おったか。毛唐の神に魂を売り渡した、売国の狂信者め」
 少女の近くに立つ、恐らくは最後の1人の陰陽師が言った。
「貴様たちの宗教が、これまでの歴史上どれほどの殺戮を行ってきたのか、知らぬとは言わせんぞ! そもそも日本人の堕落は戦国時代、貴様らの宗教が入って来た時から始まったのだ。今こそ我が国古来の呪力をもって守護神を生み出し、日本国を守らねば」
「ごめんなさいね。わたくし、こんな所まで宗教論争をするために来たわけではありませんのよ」
 針の如く鋭利な剣先を、瑞科は陰陽師に向けた。
「ただ、神の裁きを代行するのみ……」
 そこまで言って、瑞科は横に跳躍した。重さと早さを兼ね備えた斬撃が、足元を激しくかすめた。
 大型の、斧である。
 それをブンッと構え直しながら、巨漢が1人、瑞科に迫った。
 筋骨隆々たる肉体は、厳めしい甲冑に包まれている。首から上は、物騒な角を生やした猛牛だ。
 同じく甲冑姿の大男が、もう1人いた。こちらは馬の頭部を備えて鼻息荒く、槍を携えている。
 仏教における地獄の番人・牛頭と馬頭を、瑞科は思い出していた。
 馬頭の方が、槍を振るった。槍は突くもの、という固定概念を粉砕する、強烈な横殴りの一撃である。
 瑞科は後方へと跳んだ。弧を描いて眼前を通過した槍が、篝火をいくつか打ち砕いた。
 着地した瑞科を、牛頭の大斧が襲う。剛力そのものの斬撃が、落雷の如く降って来る。
 瑞科は横に転がり込んだ。戦闘シスターのしなやかな身体が、岩の上で柔らかく一転して大斧をかわす。
 かわされた大斧が、地面を穿つ。岩肌にビキビキッと亀裂が広がった。
 岩の地面に深々と埋まった大斧を、牛頭が剛力を振り絞って引き抜いている、その間。瑞科は細身の長剣を掲げ、祈りを呟いていた。
「神の御慈悲を……」
 ほっそりと鋭利な刀身が、電撃の光をまとう。
 牛頭に向かって突き込もうとしたその刃を、瑞科はとっさに斜め上方へと振るった。大量の火の粉が、弾けて飛んだ。
 いくつもの火の玉が、流星の如く飛翔している。その1つを、斬り払ったのだ。
「鬼門より招き入れたる力によって、最強の守護神・十二神将を作り出す! そしてこの国を守る! 邪魔はさせん!」
 陰陽師が、1枚の札をかざして叫んでいる。大量の火球は、その札に描かれた紋様からボン、ボンッ、ボンッ! と発射されていた。
 そして炎の流星となり、瑞科1人に向かって降り注ぐ。
 聖なる雷をまとう刃を、瑞科は縦横無尽に閃かせた。
 魅惑的に膨らみ引き締まった肢体が軽やかに舞い、禁欲的な修道服では隠しきれない色香がこぼれ出す。
 それと同時に、電光の刃がいくつもの弧を描いた。斬撃と電撃の弧。それに触れた火球が、片っ端から砕けて弱々しく火の粉と化した。
 舞い散る火の粉を蹴散らすように、牛頭と馬頭が猛然と向かって来る。大斧が、槍が、豪快に唸って瑞科を襲う。細身の剣ではとても防げない、重量級の攻撃。
 2方向から襲い来るそれらを、かわさず、防ごうともせずに、瑞科は声を放った。
「神の……裁きを!」
 豊麗に鍛え上げられた戦闘シスターの身体が、勢い良く屈み込み、雷の長剣を思いきり地面に突き刺した。
 聖なる電撃光が、細身の刀身から地中へと流し込まれ、激しく噴出し、牛頭と馬頭を足元から襲う。
 地から天へ向けての落雷、とも言うべき光景だった。
 そんな雷撃に打たれた2つの巨体が、白煙をまといながら倒れてゆく。倒れながら、巨体ではなくなってゆく。その姿はもはや牛頭でも馬頭でもなく、2人の少年だった。
 高校生と小学生、であろうか。2人とも目を回し、気を失っている。
「ひっ……き、貴様……」
 火の玉の出なくなった札をぴらぴらと揺らしながら、陰陽師が慌てふためく。
 瑞科は歩み迫った。
「弾切れ、のようなものかしら?」
「く、くくくく来るな! 動くな!」
 陰陽師が太刀を抜き、岩の上の少女に突き付けた。人質、のつもりであろう。
 愚かな、と瑞科が思った時にはすでに遅く、少女は岩の上で跳ね起きていた。その細い手が毒蛇の如くしなって、太刀を払いのける。
 払いのけられた刀身が、折れて飛んだ。
 陰陽師の悲鳴が詰まった。その首筋に、少女は食らいついていた。
 自分たちが怪物を作り上げていた、という事を失念していたらしい愚かな陰陽師が、屍となって放り捨てられる。
 そんなものを一瞥もせずに少女は、次なる獲物である瑞科に襲いかかる。
 可愛らしい唇がめくれ上がリ、鋭い毒牙が剥き出しとなり、先端の割れた舌が禍々しく躍る。
 凶暴に食らいついて来た少女を、瑞科は左右の細腕で、豊かな胸で、抱き止めた。
 白く美しい首筋に、少女の毒牙が突き刺さる……寸前、瑞科は祈りの言葉を発していた。
「神の、御加護を……」
 聖なる電光が、瑞科と少女をもろともに包み込んだ。
 バリバリッ! と全身を襲う衝撃に、瑞科は耐えた。少女は耐えられず、ぐったりと気を失った。
 その愛らしい寝顔を、瑞科はじっと確認した。おぞましい毒牙は、最初からなかったかのように消え失せている。
 右腕で少女を抱き支えたまま、瑞科は左手で携帯通信機を取り出し、報告をした。
「任務完了……邪悪なる魂は全て、神の御下へと召されましたわ」
『彼らに永遠の安らぎがあらん事を……アーメン』
 通信機の向こうで、神父が祈りを捧げている。
『……救護班からも報告が来ている。よくやってくれた、御苦労だったねシスター瑞科』
「苦労するほどの仕事では、ありませんでしたわ」
『そう言うと思ったよ……君には、これからも手を汚してもらわなければならない。御苦労、としか私には言えないのだが』
「ふふっ……いくらでも汚れて御覧に入れますわ」
 すやすやと寝息を立てている少女を、瑞科はそっと抱き締めた。
 綺麗事で、人を守る事は出来ない。
 守られるべき人々に、神の守りをもたらすためには、誰かが手を汚さなければならないのだ。