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<東京怪談ノベル(シングル)>


聖女の十字架


 礼拝の時間が終わっても、その少女は帰らなかった。
 人々が出て行った後も1人ぽつんと礼拝堂に残り、じっと瑞科に視線を向けている。
 他人に話しかけるのが苦手な女の子なのであろう。瑞科の方から、声をかけてあげる事にした。
「貴女……わたくしの下手なお話を、随分と熱心に聞いて下さってましたわね」
 礼拝に来た人々に向かって瑞科は、聖職者らしい事を少しばかり偉そうに語ってみたのだ。聖書の一部などを、引用しながら。
 が、今一つ立派な説法にはならなかった。
(戦闘シスターとしてはともかく、まっとうな聖職者としては……わたくしも全然ですわね、まだ)
「あの……」
 おずおずと長椅子から立ち上がりつつ、その少女は声を発した。
「その節は、どうも……あたしの事、覚えて……くれて、いますか?」
「あら……」
 言われて、瑞科は思い出した。
 数日前、狂信的な陰陽師の一団から救い出した少女である。捕われていた12人のうち、救出が一番最後になってしまった女の子だ。
「本当に、ありがとうございました……」
 少女が、礼儀正しくペコリと頭を下げる。
 救出した時からこの数日間で、随分と痩せた。瑞科はまず、そう思った。
「貴女……具合でも悪いのではなくて?」
「そういうわけじゃ、ないんですけど……」
 少女が俯いた。
 栄養が足りていない。瑞科は、そう感じた。
 とりあえず彼女を長椅子に座らせ、自身も腰を下ろしながら、瑞科は言った。
「……いけませんわよ。ご飯は、きちんと食べなければ」
「……あれから、何か食欲なくて……」
 少女が、可愛らしい口元を押さえた。
 この可憐な唇から毒牙が現れ、陰陽師を噛み殺した。
 瑞科は、それを覚えている。この少女本人も、もしかしたら覚えてしまっているのではないか。
「口に、変な感触が残ってて……何食べても味、しないんです」
「それは……」
「シスター、あたし変な人たちにあの島へさらわれて、それからの事よく覚えてないんです。教えて下さい、あの島で何が起こって……あたし、どんなふうになってたんですか?」
 神に仕える者でも、嘘をつかなければならない時はある。瑞科は己に、そう言い聞かせた。
「……貴女は、邪教徒の幻術をかけられて意識をなくしていただけですわ。大丈夫、ここ何日かはおかしな夢を見る事もあるでしょうけど、すぐに」
「お願いシスター、はっきり教えて下さい」
 今にも泣き出しそうな瞳を、少女がまっすぐに向けてきた。
「あたし……人を、殺しちゃったんじゃ……ないんですか……」
 そんな事はない、と瑞科は大声を出そうとして、思いとどまった。
 他人が言葉で何を言ったところで、この少女は、己の身体で感触を覚えてしまっているのだ。
「……やっぱり、そうなんですね……」
 嘔吐をこらえるかのように、少女は口を押さえた。
「あたし……警察へ行かないと……」
「お巡りさんには、どのようなお話を?」
 瑞科は、にっこりと笑って見せた。
「人間ではないものに変わって、人を噛み殺した……そんなお話をしたら貴女、逮捕される前に、緑か黄色の救急車を呼ばれてしまいますわよ」
「ねえシスター、あたし……どうしたら、いいんでしょうか……」
 少女が、ぽろぽろと泣き出した。
「人を殺したまま……平気な顔して、生きてかなきゃ……いけないんですかぁ……っ」
「……ちょっと、お出かけしましょうか。わたくしと一緒に」
 泣き震える少女の細い肩を、瑞科は優しく叩いた。
「人を殺して、平気な顔をする……そのお手本くらいは、見せられると思いますわ」


「あっ、シスター! シスターみずか!」
「わーい、瑞科お姉ちゃんが来たぁー!」
 子供たちが、ぱたぱたと走り寄って来た。
 教会が出資をしている、児童養護施設である。身寄りのない子供たちが50人近く、ここで生活をしている。
 少女が、いささか面食らっていた。
「あの、シスター……ここは?」
「見ての通り、子供たちの園ですわ」
 嬉しげに集まって来る子供たちを、抱き止めたり頭を撫でたりしながら、瑞科は言った。
「この子たちはね、わたくしが人殺しである事を知りながら、こんなふうに懐いてくれますのよ……ふふっ、皆さんお元気で嬉しいですわ」
「ねえねえシスター、あたしたち、お絵描きでシスターのこと描いたんだよぉ。ほら!」
「あらまあ……わたくし、こんなに太ってはおりませんわよ?」
「そうだよ、瑞科ねえちゃんが太ってるのはオッパイだけだもんなー!」
「うふふ。こら、あまり調子に乗ると電気ビリビリの刑ですわよ」
 胸にしがみついて来ようとする男の子を、瑞科は少し乱暴に抱き上げた。
「シスター、おれも抱っこー!」
「おれが先だー! シスターみずかは、おれのお嫁さんになるんだからな!」
「ふざけんな、瑞科ねえと結婚すんのはおれだあ!」
 喧嘩を始めそうな男の子たちを、少女がおたおたと仲裁してくれている。
「ほらほら、やめなさいってば……まったく、シスターって魔性の女なんですね」
「騒いで下さるのは子供たちだけ、ですけれどね……大人の殿方は、さっぱりですわ」
 瑞科は微笑み、そして子供たちから送られた太り気味の似顔絵に見入った。
 子供たちの目には、もしかしたら若干太めに見えているのか。20歳を過ぎて酒を飲むようにもなった。少し気をつけた方がいいかも知れない。
 少女が、じっと睨むように瑞科を見つめる。
「それでシスター……あたしは、何のためにここに? 子供たちにモテモテなとこ、見せつけるためですか」
「この子たちをこの施設に入れたのは、わたくしですわ」
 瑞科は言った。何を言っているのか、少女は今ひとつ理解していないようだ。
「そこで喧嘩をしている男の子たち……彼らの御両親は、とある組織の工作員としてテロ行為に加担し、命を落としました。わたくしの手によって、ね」
「え……」
 少女は絶句した。瑞科は、説明を続けた。
「その子の御両親は、名も無き邪神を崇める宗教団体に所属しておりましたわ。その邪教団に対する殲滅任務を実行したのは、このわたくし……皆殺し、でしたわね」
「シスター……」
「その子の御両親は、虚無の境界に拉致されて、生ける兵器に変えられてしまいました。故に、わたくしの手で……楽に死なせて差し上げられた、とは思いますけれども」
 少女は、何も言わなくなった。ただ、じっと瑞科を見つめている。
 ようやく歩けるようになったばかりの子供を1人、抱き上げながら、瑞科はにっこりと見つめ返した。
「貴女は、人を殺してなどいませんわ。あの陰陽師は貴女でなくとも、わたくしに殺されていたでしょうから」
 この少女は、被害者なのだ。被害者が加害者の死に苛まれる事など、あってはならない。
「貴女が背負う必要はなくてよ。わたくしに、押し付けてしまいなさいな」
 とてつもなく数多くの死を、瑞科はすでに背負っている。
 今更1つ2つ増えたところで、どうという事はなかった。