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<東京怪談ノベル(シングル)>


きっと明日は幸せなはず
 人々がざわつく。
 みなもと、この国を統治している姫と、そして彼女の傍に居る宰相を囲んで。
「どうやら、民意と王家が属国か独立かを協議する余地もありそうですね」
 海原・みなも(うなばら・みなも)は躊躇いなく一歩前へと踏み出した。
 彼女と良く似た顔をした妹姫は、今や剣こそ手にしているものの、覇気無くその場に佇みみなもの後方に控えた白竜を見つめている。
「そんな……まさか……これが本当の聖竜だとしたら……そして聖竜を呼ぶ程の人物だとしたら……彼女は……」
 心ここにあらずといった様子の、彼女の口から言葉が零れる。
「統治者殿」
 顔色さえさめた妹姫へと壮年男性が声をかける。
 宰相と呼ばれた人物。
 ハッとした顔の妹姫だが、彼女の顔色は未だ紙のようだ。
「動揺しないで頂きたい。貴方の動揺は民達にも伝わってしまいます」
「わ、わかっている……!」
 気丈に振る舞う彼女だが、もはや立て直す事は厳しいだろう。何せ今まで彼女を支えていた怒りや憎しみは、その意味を失ってしまったのだから。
 ――本物の白竜の登場によって!
 宰相もそれを察したのだろう。みなもの前へとすい、と立ち塞がる。
「さて……君は聖竜……だったか? しかしながら、この国は我々の国と、もう既に同盟を組んだ。我々がこの国を守る代りに、この国は我々に属する。書類は既に交わした後なのだよ。この国の統治者である彼女の手でね」
 恐らくは同盟とは名ばかりの、従属を迫ったであろう事は想像に難くない。
 みなもは両腕を広げるようにし懸命に訴える。
「ですが、この国の民達は、それに納得していません」
「それがどうしたね?」
 宰相は涼しい顔でみなもの言葉を受け流す。小娘の戯れ言など今更何するものかとでも言いたげに。
「民達はあなたたちの支配を望んでいません!」
 きり、とした表情を少しだけ穏やかに変え、彼女は未だ蒼白のままの妹姫へと向き直る。
「姉姫様は……白竜に殺されるような、騙されるような人でしたか?」
 姉姫、という言葉に彼女はびくりと肩を震わせた。
 みなもは更に続ける。
「姉姫の事は、一番近くにいつもいたあなたが一番知っているはず……!」
「それは……それは……!」
 狼狽える彼女を余所に宰相はみなもへと距離を一歩つめる。
「先ほども言っただろう。もう決まった事だと。駄々をこねて我々の国の政へと口を挟まないで頂きたい」
 みなもと比べると宰相の体躯はかなりの大きさだ。
 前に立たれると圧迫感すら感じる。
 それでもみなもは決して圧される事なく彼をじっと睨み返す。
 その蒼く済んだ瞳で。
「……この世界の事は『ここの人達』が決めるものです。あなた1人が決めるものじゃありません!」
 懸命に眉をつり上げ、決して潰されないようにと決意を込めて。
 端で怯える妹姫を見て、みなもはふと父の言葉を思い出す。
(「お父さんも、人は信じたいものを信じる、って言ってたよね……」)
 恐らく苦しまなくて済むように、妹姫は宰相へと耳を貸した。
 何故か? その方がラクだからだ。
 しかし目前にこうして白竜が現れた以上、そして民達が声を上げている以上、それを無視する程非情な人物ではないはずだ。むしろ、非情であるならば彼女は白竜を憎み力を欲する――などという事は無かったはず。
 みなもは彼女の心を信じた。
 この数日、強く白竜を――みなもを憎んだ彼女を。
 彼女の思いの強さは情の深さにも通じるはずだと。
「全く……話にならんな」
 宰相は懸命なみなもを鼻で笑う。
「……連れていけ」
 兵へと彼が指示を出す。邪魔なみなもを排除しようという流れなのは見るからに判った。
 視界の端で雪久がカッターを構える。白竜はただ黙しその場に佇んでいるだけ……ではある。しかし彼女なりに考えがあっての事には間違い無いだろう。
(「お母さん曰く『初手が大事』っていう話だし……」)
 なら、みなもの取るべき行動は?
 みなもの姿が、人から白竜へと変わっていく。
 体表からはもふっとした白い羽毛が生え、そして翼が伸びる。
 白竜となったみなもは、大きく口を開く。途端に兵達が浮き足だった。
「逃げろ!」
「マズい! ブレスが来るぞ!!」
 敵兵達が四方八方に駆け出す。
 彼らが散った所を見計らい、みなもは地に向けて息を吐いた。
 僅かに前まで彼らが集っていた場所の空気が凍り付き、霜がぱらりと落ちた。
 この熱い場所においてなお、直ぐには溶けずいつまでも空気は凍ったままだ。
 明らかに兵達がキモを冷やしたのが判った。
 そしてタイミングを合わせ、控えていた雪久が何かを投擲する。
 ごくごく普通の、一本の、カッターナイフ。
 それが宰相の顔へと突き刺さった。
「ぐ……ぉぉぉぉぉ……」
 顔を押さえ、宰相が苦悶の叫びを上げる。だがその様子にみなもも慌てた。
(「いくらなんでも傷つけるなんて……それも顔を……!?」)
 少しだけ咎める視線を雪久へと送ったものの、彼は険しい表情。
「みなもさん、彼を良く見るんだ」
 促され、みなもは再び宰相を見やり――目を見開いた。
(「これって……!」)
 宰相の顔は「壊れていた」。
 皮膚が裂けたわけでも、血が出たわけでもなかった。
 まるで陶器の器でも壊したかのように、ぱらりと顔の破片が地へと落ちる。
 そして――崩れた顔の奥には真っ黒な何かが渦巻いていた。
 目のあった場所には赤黒く輝く光があったが、決して人間とは呼べない存在。
 ぱらぱらと、宰相の顔は崩れていく。破片をちらばし、崩壊は首など他の範囲にも及びつつある。
 あまりの事態に人々は狂乱に陥った。我先にと刑場を逃げだそうと押し合う。
 このままでは確実に怪我人が出る、とみなもが思った瞬間。
『落ち着きなさい――』
 白竜が人々へと穏やかな声で語りかけた。途端に民達がシンと静まりかえる。
 これが人々から敬われる聖竜の姿なのか、とみなも、雪久共に息を呑む程の一声。
 そして「彼女」はみなもへと穏やかな目を向ける。
『こちらは私に任せてください。あなたたちはあの人物を』
 的確に人々を落ち着かせ、そして退避させる彼女。
 一方宰相はといえば。
「やってくれたな……小娘ども……」
 肉体であったものを崩壊させながら中から現れたものには、みなもには少しだけ覚えがあった。
(「これって……」)
 それは、以前彼女が目した悪心と良く似ていた。あの黒く澱んだ心のカタマリに。
 だが、それ以上に明確な悪意を持っているのは気配で分かる。
 背筋が凍る程、誰しもが目を背けたくなる程の、不快な何か。
「国など問わず全てを滅ぼしてやろうとしていたのに……余計な邪魔をしてくれたな」
 語るその声は既に宰相のものですらなくなっていた。耳にするだけでも皮膚があわだつようなおぞましさがある。
『しかし……だ。貴様さえ取り込んでしまえば今からでもここの者達は私の支配下に戻せるだろう。私はこの世界より上位の場所よりやってきたモノなのだから』
 真っ黒な澱みの中、一対の紅く禍々しく輝くそれがみなもの方へと向けられる。
「みなもさん、危ない!!」
 雪久が叫ぶも、みなもが避ける以上の速度でぞわりと闇が広がる。
(「避けきれない――!」)
 みなもはぎゅっと目をつぶる。
 たとえ取り込まれても、決して心までは屈しない。そう力強く決意した直後。
「たぁぁぁぁぁぁッ!」
 娘の鋭い声が響く。
 声のもとは一振りの剣を持った妹姫の姿。
 鋭く輝く剣は闇の中へとしっかりと突き刺さっていた。
『バカな、何故この世界のモノが上位の存在の私を斬れる……!?』
 闇が動揺を隠せない声を響かせる。
「これは聖竜様とともに伝わった破邪の力を持つ剣! 邪悪なものなら斬れると踏んだ!」
 ぐい、と彼女は更に刃を進める。澱みの中に刃が白い軌跡を残す。
「お前は民を……姉姫様を! 聖竜様を愚弄した! 決して許せはしない!!」
『ならば私の言葉に従った貴様は何だ!?』
「私はこれから過ちを犯した罪を償う。まずはお前を滅する事によって!」
 更に繰り出される斬撃に、闇は切り裂かれ、剣の持つ光に灼かれ小さなカタマリへと姿を変えていく。
『おのれ…………人間如きがぁぁぁぁ!』
 そして断末魔を残し、悪意は消滅したのだった。

「おわった……?」
 白竜から人の姿へと戻ったみなもはぺたりとその場に座り込む。
 流石に消耗が激しかったらしい。
 そんな彼女を雪久が即座に支えた。
「ああ、終わったよ」
 いつもの笑顔で彼はみなもを迎えた。
 更にみなもの傍へと白竜がやってくる。のしのしと歩く様はあまりに人間っぽくついみなもの頬も綻んだ。
『辛い思いをさせてしまいましたね』
「彼女」がみなもへと告げる。
「いえ……あたしより、妹姫さんが……」
 その時ようやくみなもは「彼女」が何かを大切そうに手で包んでいるという事に気付いた。おそらくこの為戦う事は出来なかったのだろう。
 同時にみなもの中にピンと来るものがある。
「もしかして……」
 呟いたみなもに、妙に人間くさい動作で白竜が頷く。その手を開くとそこには――。
「お姉様……!」
 鎧を纏った美少女の喉から、年齢相応の、少女の声が漏れる。
 妹姫の目から、ぽろり、と一粒の涙がこぼれた。
 白竜の手の中には、1人の姫君が居た。
 みなもと良く似た、しかしみなもより少しだけ年上の少女。
 彼女はしがみつく妹姫の背を軽く撫でながらに、みなもの方へと小さく笑み、そして礼を告げる。
「妹を、この国を救って下さって、ありがとうございます」

 ――その後。
 みなもと雪久は国の人々と語り合い、そして未来を約束しこの場所を離れる事となった。
 別れ際に妹姫はみなもへとこう告げた。
「……これから私は民の意志に従い裁かれようと思う」
「そんな! あなたは騙されてただけじゃ……」
 慌てるみなもに彼女は落ち着いて首を振った。
「まかりなりにも国の長であった以上、感情で動き、騙され、そして人々を振り回したという事実は変わりない。それは私の罪だと思う」
 今すぐ出来る事は少ないかも知れない。それでも、民意に従う事で自分のやった事から国を立て直していけたらいい。彼女はそう語った。
 みなもとしては少しだけ釈然としない。
 しかし彼女の肩をポン、と憲兵らしき人物が叩いた。
「大丈夫だよ。姫様は国を守ろうとしてくれたんだから。みんな判ってくれるよ」
 俺だって妹姫様が懸命だった事は知っているからな、と彼は言う。
 きっと信じていいはず。
 みなもは内心そう思い、そして改めて妹姫へと向き直り、手を差し伸べる。
「これからも頑張ってこの国を、良い国にしていってください。あたし、信じてますから!」
「もちろん、これからも可能な限り姉姫様のサポートをさせてもらうつもりだ」
 ぐっと力強い手がそれを握り返す。みなもと比べると少しごつごつとした手。今まで懸命に戦おうとしてきた手の感触。
「じゃあ、あたしと1つ約束をしてくれませんか?」
「……国を救った貴方の言葉とあらば」
 妹姫は少しだけ表情をこわばらせる。一体どんな難題だろうと身構えるかのように。
 しかしみなもはそんな彼女に対しいたずらっぽい笑顔。
「あたしの友達になってくれませんか?」

 ぱたり、と本を閉じる音でみなもは我に返った。
 周囲を見渡せばそこは見慣れた古書店。
 みなもの手元には古びた皮表紙の本がある。
「仁科さん、これからみんな上手くやっていくでしょうか?」
 少しだけ心配そうにみなもは告げるも。
「彼女達が望めば、きっと大丈夫だよ。みなもさんも彼らの言葉を聞いただろう?」
 雪久の言葉にみなもは妹姫の顔を思い浮かべる。
 友達になって欲しいと告げたみなもに、彼女は最初は驚いた顔をした。
 しかし、直ぐにそれは年頃の娘の表情へと変わった。
 とても嬉しそうな笑顔で彼女はこう述べたのだ。
「よろこんで」と。
 彼女には今まで同じくらいの年頃の人物と友達になる機会が無かったらしい。
 はじめての友達。それがみなも。
 彼女はこれから色んな事を経験していくだろう。
 今まで自身を押し殺してきた彼女がはじめて掴みとったものが、みなもという友達。
 そう考えると、頬が緩む。
 ふと、みなもは考える。これから彼女の人生はどんな事が待ち受けているのだろう。
「ロマンスとかもあるのかな……」
 ぽつりと呟いたみなもに雪久が答える。
「そうだね。素敵な人を見つけて幸せな家庭を作れたらいい。きっとあの修羅場をくぐった彼女達だ、これからは幸せが待ってるはずだよ」
 そこまで言って彼はこう続けた。
「みなもさんも素敵な人を見つけてロマンスをするんだよね?」
 ニヤリと笑った彼の言葉に、みなもの頬がかっと熱くなった。
 見るまでもなく恐らく頬は真っ赤に染まっているだろう。もしかしたら耳まで赤いかもしれない。
「仁科さん! そ、そ、それって……!」
 さて、お茶にしようか、等と話の方向をかえる雪久に、みなもは懸命に抗議を続ける。
 騒がしい、しかしある意味いつも通りの平和で幸せな古書肆淡雪。
 みなもはちょっとだけ思う。あの国も今頃同じような幸せを味わっているんだろうか、と。
 同時にこうも思う。彼女達が願う限り、明日はもっと幸せになっていくに違い無い、と。