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<東京怪談ノベル(シングル)>


ある冬の出会い


 橘 絵梨香は生粋のお嬢様。橘財閥の社長令嬢で、自らもその立場を理解している。高貴な女性になることを夢見て、今日も我が道を進む。
 しかしそんな彼女でも、義務教育を受けなくてはならない。だが、屋敷には優秀な家庭教師が控えており、すでに年相応の教育は習得済み。学校に通うのは、旧友とのふれあいや集団生活における基礎知識を学んでいるに過ぎない。それでも、これを庶民的な文化を勉強するチャンスと思えば、平凡な日々も苦痛にはならない。少女は前向きに、そして真面目に日々を過ごしていた。

 そんな、冬のある日。いつもの場所でお迎えの車を待っていると、紺のコートを着こなす女の子が目の前を横切った。
 彼女は絵梨香の存在に気づくと不意に立ち止まり、再び絵梨香の元へトコトコ歩き出す。そしておもむろに鮮やかな色のアイスを取り出し、「はい、どうぞ」と差し出した。この木枯らしの吹く日に、である。
「こんな寒い日にアイス? ずいぶん変わってるわね‥‥あなた、名前は?」
 甘くて美味しそうに見える氷菓はとても魅力的だ。ただ、日の傾きかけた冬の午後、それも外で見ると、つい寒さを感じてしまう。絵梨香は一瞬ブルッと震えた。
「アリア‥‥アリア・ジェラーティ」
 アリアと名乗る少女は、あまり寒さは感じていない様子。同じ色の帽子も、ファッションでかぶっている印象すらある。それが余裕の表情に見えた絵梨香は「ふん」と呟き、ポケットから財布を取り出し、アイスの代金を渡した。
「おいしいんでしょうね、これ?」
 なるべく震えず、寒さをこらえながら、まずは一口。口の中に広がる甘さは、なかなかのものだ。おやつを食べるにもいい時間で、絵梨香は「あら、おいしいじゃない」と呟く。その感想を聞いたアリアは「よかった」と安堵の表情を浮かべた。
 しかしこの時、氷菓の売り子は戸惑う。絵梨香の差し出した代金とは、なんと千円札。これとアイス1本は、さすがに釣り合わない。アリアは手を後ろに回し、冷気を操ってアイスを作り出した。
「はい、次‥‥」
 まだ食べ切ってないうちから2本目を出され、思わず呆然の絵梨香であった。
 だが、ここで取り乱してはエレガントではない。そう、これはきっと「おいしい」と褒めたからだ。いわば、サービスの1本。アリアの好意を汲まずして、何が良家のお嬢様か。
 彼女は早々に1本目を平らげ、おもむろに2本目に手を伸ばす。
「あ‥‥ありがとう、アリア」
 少し顔を覗かせた弱気な声を飲み込んだせいで、絵梨香はこの後、想像を絶する悲劇を招くことになる。

 その後もアリアは、絵梨香がアイスを食べ切る前に、新しいのを「はい、どうぞ」と差し出す。
「え、絵梨香だけここで食べてるのは、その、何かといけませんわ。アリアも1本召し上がったらいかがかしら?」
「いいの? じゃあ、いただきます」
 さすがに2本も食べると、身も心も寒さを覚えた。このままでは、エレガントな立ち振る舞いができない。そこでアリアに1本勧め、自分の不都合をうまく誤魔化したのだ。苦し紛れの一言と勘付かれず、心から溜息を漏らす絵梨香。
 ところが、また目の前にアイスが出てきた。しかしこのアイス、いったいどこから出てくるのか。お嬢様はそれが気になるが、確認するほどの余裕はない。
「な、なんでまた出すの?!」
「だって‥‥あのお代だと、もっと買えるから」
 思わず声を荒げた絵梨香に、アリアはきょとんとした表情で答える。
 ようやく相手の思考を理解した絵梨香だが、今さらどうすることもできない。ここで「お釣りは取っておきなさい」というのは、あまりにも年不相応で横柄だ。本音は「お釣りを寄こせ」と言いたいが、それはエレガントさに欠ける。できれば、口にしたくない言葉だ。
 この現状を打破するため、お嬢様は脳をフル回転させる。
『アリアがお釣りを出さないということは、アイス1本で100円か200円。あと2本出てきたら、10本ということですわね。そうなったら、もう終わりですわ!』
 絵梨香が「1本しか出てこないのよ!」と決めつけたところで、2本目を出すのはアリアの自由。だいたい、この考え方は2本目が出た時の精神的ダメージは計り知れない。この思考をしてはダメだ。とはいえ、ここから2本目を出されても、もう食べれない。それに2本目が出れば、食べなければならない本数はもっと増える。彼女は何をどうしようと、もはや詰んでいた。そう、もはや覚悟せざるを得ない。
 ひたひたと迫り来る恐怖に、絵梨香は思わずビクッと身を震わせた。それを見たアリアは、そっと彼女の手を握る。
「寒いの? じゃあ、しばらく休憩‥‥」
 その瞬間、絵梨香はアイスを持ったまま固まってしまう。そう、アリアが上得意様の体を一瞬のうちに凍らせたのだ。
「しばらくそのまま。寒さを忘れたら、また食べてね」
 アリアは頂き物のアイスを少しかじり、彼女の傍に座った。絵梨香の声はアリアには届かないが、彼女がもっとも大事にするエレガントさは保たれている。なんという皮肉だろうか。

 唐突に始まったおやつの会は、まだまだ終わりそうにない。