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Episode.19 ■ 本当の気持ち
◇◇草間 武彦◇◇
口を突いて出てしまった本心に、理性が小さく舌打ちした。
今は伝えるべき時じゃなかったはずだ。なのに、こうして目の前にして問われて、誤魔化す事が出来る程、どうやら俺は器用ではないらしい。
クルーザーに乗って百合を連れて帰って来た時もそうだった。
俺は冥月の感情に、想いに気付きながら、それでも伝えずに気付かぬフリを続けて来たのに、冥月は俺の頬に口付けをした。
「避けているのは、俺の方かもしれないな」
そんな事を嘯いてみたものの、その実は真実だった。
思えば、まだ会ったばかりの頃から、冥月と俺は不思議な関係にあった。
傷付いた野良猫、とでも言うべきか。
殺す事を厭わず、いや、それしか知らない少女。
そんな印象だったな。
奇妙な関係が続いて、色々な依頼をしていく内にずいぶんと人間らしくなってきた。感情を顕にして怒ってみたり、顔を赤くして俯いてみたり。
感情が欠落しているのかと思ったが、どうやら根っこの部分では感情が生きていたのだと気付かされたのはその頃だ。
そうして、今回の百合の騒動で、どんな生き方をしてきたのかを知る事になった。
冥月はそんな自分の事を悲劇ぶる事も被害者ぶる事もしない。
だからこそ、か。俺は帰りのクルーザーで頬に口付けされた時に、冥月をパートナーとしてじゃなく、一人の女として見始めたのは。
それまでも兆候はあったが、俺は俺自身の感情を押し殺して、こいつと一緒にいた。
とは言っても、もう気持ちを伝えちまった以上、腹を括るしかねぇ、よな。
◆◆黒 冥月◆◆
武彦と一番最初に会ったのは、あの少女の依頼が始まりだった。
クライアントが私を裏切ったという情報を私に告げ、私に忠告してきた男。自分の生命がかかっているその場面で、そんな事をする必要があるのかと考えれば、普通はないだろう。
自分が生きる為に私を嵌めようとしている。そんな浅はかな計略にも思えたが、武彦の目は嘘に染まっていなかった。
まっすぐ、ただ純粋に教えてくれようとしていた。
思えば武彦は、いつでも私に色々な事を伝えたがる。
私の能力を知って、「それを使って人を殺せ」と言ってくる奴らは何人もいた。けど、「殺す為に使うな」と言ってくれたのは、あの人と武彦だけだ。
最初に私にそう言ってくれた人は、既にこの世界にはいない。
絶望と悲しみ。
怒りではないそれらに身を任せ、私は組織を潰した。あの人を陥れた組織を、許そうとは思えずに。
日本に逃げ延びてきた私を救ってくれたのは、あの人と同じ日本人。そして、あの人と何処か似ている武彦だった。
だからこそ、最初は武彦が嫌いだった。
あの人に似ている。それだけで許せなかった。でもそれは、私があの人を思い出して悲しくなるから、武彦のせいにしていただけだ。
無言でいなくなって、もう二度と会わないと決めても、気が付いたら武彦の知っている隠れ家にいる様にしていた。
風邪を引いて倒れていた時も、頼んでもいないのに優しくしてくれた。
だから私は、徐々に武彦に惹かれていった。
自分が人を愛する資格なんてあって良いのかと、何度も悩んだ。
あの人と同じように、武彦もいなくなってしまうんじゃないかと、不安だった。だから、近付き過ぎない様に距離を取って来た。
だけど――。
――「本音だ。俺はお前が好きだよ」
思考が、止まった。
長い間、ずっと抱いていた自分の気持ちが、その言葉を聞いた途端に堰を切って溢れ出ようと口を突く。
「私も……好きっ、ずっと好きで……!」
喜ぶ事に、驚く事に忙しい感情は、自分の中に留めていた気持ちを抑え切れない。
――伝えたい。
ずっと押さえて来た想いばかりが溢れ、その言葉しか口を突かない。なのに、頭はこんなにも冷静だ。
素直な気持ちを伝えてくれたからこそ、今の私は冷静になれたのかもしれない。
やっと伝えられた自分の気持ち。やっと知る事が出来た相手の気持ち。
本当なら両手放しに喜び、いつもの私ならもっとはしゃぐ事もあったのかもしれない。
だけど、今はこの『猫セット』とやらの所為で、気分がおかしい。
両想いだと知れただけでも、憂には感謝しなくてはな。
でも、両想いだからこそ、この道具に頼って翻弄され、流される様に結ばれるなんて嫌だ。
これは、私のワガママだろうか。
私は、ゆっくりと武彦の膝から身体を起こした。
◆ ◆ ◆ ◆
「冥月……?」
涙を浮かべた冥月が起き上がり、その目尻を拭い、武彦を見つめた。
「……武彦には解決するべき問題がある、んだよね?」
「……あぁ」
「私もだ。私も、話さなきゃいけない事がある。伝えなきゃいけない事がある。だから今は、武彦の気持ちを知れただけで、十分だ。けど……――」
冥月が顔を赤くして俯いた。
「――……その、全部が片付いて、背負ってる物がなくなったら、その時は……ね?」
「……?」
「その時、は……、貴方の物に、なりたい、な……って」
もじもじと視線を自分の手(肉球ハンド)に向け、耳が片方だけ伏せ、片方がピーンと起きて武彦の言葉を待っている。尻尾はくねくねと左右に揺れていた。
「――ふぁっ」
突如武彦によってその身体が抱き締められ、冥月の身体が強張り、耳と尻尾がピーンと伸びる。しばしの硬直。その状態から、武彦がゆっくりと顔を離し、冥月の唇を自身のそれで塞ぐ。
「んん……、やぁ、また、来ちゃうからぁ」
「悪い、これでも我慢してる方だ」
そう言われて、抵抗出来る状態でもないのが冥月の本音だ。
既に身体は力が抜け、抱かれている今の状況にまどろむ。温もりを感じながら、自分の心は安らかなのに、心臓は早鐘を打ち続けている。
身体は相変わらず力が抜けていて、それでいて緊張のせいか強張っている。
対になる、二つの感情が抑え切れないのは冥月も同じ。
しかし、武彦も複雑な感情の間に心を揺らしている。
今までは気付かないフリを続けてきた冥月からの行動も、自分の気持ちも吐露してしまった。だからこそ、今更隠してどうなるものかと開き直れる。
そんな事を考えてしまう武彦も、今はこの両腕の中に抱いた温もりを手放すつもりはない。
感情の波、とでも言うべきだろうか。二人のそれは、互いに波の様なものだった。
引いていた時間が長く、その分、押し返す波は強く大きい。
幾度めかの口付け。そして、交錯する視線。
息は荒く、顔は熱く、制止が利く段階を通り越えている。
――不意に、冥月の表情が変わり、壁越しに何かを睨む様に険しくなった。
「敵意……。近付いてきてる……」
身体を離し、立ち上がった冥月は自分の頭についた猫耳を触る。
『解除時間は残り十五分。半分残ってる、とかっ……ププッ』
吹き出しながら喋る音声に苛立ちながらも、冥月は解除が間に合いそうにない事を悟った。
「敵が近付いて来てるのか?」
「……武彦」
立ち上がった武彦の顔を見つめて冥月が何処か寂しげに視線を逸らした。寂しげな表情を浮かべて冥月が口を開いた。
「……こんな時にもすぐに戦う事を考える様な女で、……後悔しない?」
「バーカ」
「な……っ!?」
「そんな女だから、俺が惚れたんだろうが」
武彦の言葉に冥月の顔がみるみる真っ赤に染まっていく。耳はくたっと伏せ、尻尾はブンブンと勢い良く振られて感情を表している。その姿に、猫よりも犬っぽさを感じた武彦ではあったが、それは言えない。
「すぐに帰ってくるわ」
「俺も行く」
「大丈夫。汗とかで気持ち悪いし、さっさと終わらせてくるもの」
「……冥月」
「ん?」
「汗『とか』って何――」
武彦の言葉を遮る、冥月の強烈な鉄拳が武彦のみぞおちへと振り抜かれる。
「――聞くなバカ!」
「お……おぉぅ……」
赤面した冥月が声を荒げ、悶絶する武彦。「まったく」と言葉を零した冥月が、武彦の頬に手を当て、優しく口付けする。
「行ってきます」
to be countinued...
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いつもご依頼有難う御座います、白神 怜司です。
なんという変化球……ッ!
ここに来て、まさかの冷静な対応&次話への布石とは、
まったくもって武彦はヘタレです(
次話のリプも本日中にお届け出来ると思います。
能力が使えない状態&ファンシーな冥月さん。
グレッツォとベルベットはどう見るのか……!!
それでは、今後とも宜しくお願い致します。
白神 怜司
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