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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔法使い・松本太一


 48歳という年齢の割に、若く見られる事が多い。
 本当に若い頃、学生の頃には、可愛い男の子などとも言われた。女の子にはもてなかったが、男に付きまとわれた事はある。
 あれと、同じような感覚だった。
 違うのは、付きまとって来ている何者かが、人間ではないという事くらいであろうか。
「私……もしかして、狙われていませんか?」
(あら、わかるのねえ)
 頭の中で、女悪魔が感心してくれている。
(感覚が、いい感じに研ぎ澄まされている。貴方の身体、私との相性が本当に最高ね)
「そうですか。私にはわかりませんが……わかってしまっては終わり、ですかね」
 軽く眼鏡を弄りながら、太一は苦笑した。今は当然、男性・松本太一48歳の姿をしている。
 深夜、アパート近くの公園である。
 コンビニで買ってきたものを、とりあえず地面に置きながら、太一は1つ咳払いをした。そして見回し、声を投げる。
「どなたかは知りませんが、私は御覧の通りのみすぼらしい中年男です。付きまとっても面白くありませんよ……まあ、面白い相手なら付きまとって良いというわけでもありませんが」
 返事はない。
 ただ間違いなく、何者かがいる。街灯や遊具の陰に、茂みの奥に、潜んでいる。
 狙いは、太一の命……と言うより、この女悪魔の命であろうか。
(雑魚ばかり、ね……真名に干渉出来るような大物はいないわ)
 女悪魔が、せせら笑った。
(貴方が何とかしてごらんなさい)
「はあ……」
 太一は、とりあえず返事はした。
「見ればわかると思いますけど私、喧嘩は弱いですよ?」
(もちろん力は貸してあげるわ。松本太一として、私の力を振るうのよ)
「……そんな事が、出来るのですか」
(出来てもらわないと困るわ。こういう襲撃は、これから先も度々あるでしょうからね)
 街灯の陰から、遊具の脇から、茂みの奥から、襲撃者たちがゆらりと姿を現す。
 どのような姿であるのかは、よくわからない。敵意と殺意が半ば物質化して、揺らめく不定形の何かを組成している。そんな感じだ。
(大丈夫。魔女としての基本魔術くらいなら、貴方のこの姿でも充分に使いこなせるわ。自信をお持ちなさい……貴方は、私に選ばれたのだから)
「貴女のお眼鏡違いでなければ、いいんですがね」
 苦笑しつつ太一は、姿のよくわからぬ襲撃者たちと向かい合った。
 何者なのかは、わからない。この女悪魔の同類であろう、とは思える。格は、かなり違うようだが。
 女悪魔と太一の融合体とも言うべき、紫の魔女。その力を用いれば、あらゆる物事の『情報』に干渉し、それを改変する事が出来る。このような襲撃者の存在など、最初から無かった事にも出来るのだ。
 だが松本太一・男性48歳の姿では、そんな力を発揮する事は出来ない。使いこなせるのは、魔女としての能力の、ほんの基本的な一部分だけである。
 それで雑魚の相手くらいは出来るようになれ、という事だろう。この女悪魔の、もしかしたら親心のようなものなのかも知れない。
 ゆらゆらと迫り来る襲撃者たちに向かって、太一は右手を掲げた。
 そんな事をして何が出来るのかは、わからない。
 わかるのは、自分が戦わなければならない、という事だ。
 今現在、危機に陥っているのは、この女悪魔ではなく松本太一なのだから。
(そう……それでいいのよ。貴方が50年近く育て上げてきた『松本太一』には、真名としての力がある。その力で、私をねじ伏せてごらんなさい。そして私の力を制御し、使いこなすのよ)
「貴女をねじ伏せるなんて、そんな命知らずな事は出来ませんが」
 襲撃者たちを威嚇するような格好で右掌を掲げたまま、太一は苦笑した。
「この程度の相手を追い払う事、くらいはね……」
(あら……この程度の相手とか言っちゃうのね?)
「言いますよ。だって私、もっと恐い人たちに……三日三晩、可愛がっていただいた事があるんですから」
 あの魔女たちに比べたら、このような相手、野良犬のようなものだ。
 そう己に言い聞かせながら太一は、ゆらゆらと姿の定まらぬ襲撃者たちを、眼鏡越しに見据えた。
 まるで幽霊のような敵たちが、一斉に襲いかかって来た。
 力ある真名。それを、太一は叫んでいた。
「我が名は……松本太一!」
 眼鏡の奥の両眼が、ほんの一瞬だけ、紫色の光を帯びた。
 襲撃者たちが、激しく揺らいだ。何かに激突したかのように。
 目に見えぬ防壁が、太一の周囲に発生していた。
 そこに襲撃者たちが何度も何度も激突しては跳ね返され、悔しげに揺らぎ続ける。
「やめておいた方がいいですよ。貴方たちにも、わかるでしょう? 私の中には恐い人がいます」
 防壁の中から、太一は声をかけた。
「その人が出て来ないうちに……立ち去った方がいい、と私は思いますが」
 幽霊の如く揺らいでいたものたちが、夜闇に溶け込むかのように消えてゆく。
 襲撃者たちは1体残らず、姿を消していた。
 太一の周囲の見えざる防壁も、消えていた。
(上出来よ)
 女悪魔が、誉めてくれた。
(貴方の真名、本当に大したものね……私、ねじ伏せられちゃうところだったわ)
「それはどうも」
 応えつつ太一は、己の顔面を軽く撫でてみた。
 気のせい、ではない。肌が、いくらか若返っている。初めて魔女と化した、あの時のように。
 48歳の男から、若く美しい魔女の姿へと、ほんの少しとは言え近付いている。
 松本太一という真名に力がある、とは言っても、やはり女悪魔の影響力から完全に逃れる事など出来はしないのだ。
 貴女をねじ伏せる事など、出来るわけがない。
 わかりきった事なので、太一は言わなかった。