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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


綾鷹 郁の事情





 砂丘。
 代わり映えしない一面白茶色に染まった世界を少女は歩いていた。そのくりっと大きな瞳は、涙を浮かべて悲痛な面持ちであった。

 綾鷹 郁は呆然としながらも鈍重な足取りで砂を踏みつけ、歩いていく。





―――
――




 彼女の両親は厳しい喫茶業の求道者であった。
 その道を進む、という事に対して意気投合して結婚し、子供である郁を産んだ。しかし、意見の対立から父と母は別れるに至った。

 結局郁は父親に引き取られて父と共に暮らす事になった。

 とは言え、父は修行で家を空ける事が多かった。

 もちろん、郁にとっては多少は不満があったが、それを口にする事はなかった。ワガママを言った所で、自分の両親がそんなワガママに耳を傾けてくれる様なタイプではないと、幼いながらに理解していたからだ。

 16歳という大人になろうとしている子供の心情は、それを頑なにしていく傾向もあるが、それでも郁は我慢していた。



 しかし、父親が先日、突如として行方をくらませてしまった。




 父の知人が言うには、修行の最中に山へと登っていた父は、谷底へ滑落してしまった可能性があるという事で捜索をしていたが、二週間に渡った捜索にも関わらず、その真相は解らないまま、捜索は打ち切りとなってしまった。



 身寄りのない郁は、ずっと会う事すらなかった母の元へと訪れる事にしたのだ。



 ――しかし、母は不在だと告げられ、門前払いを受ける。



 唐突に自分がこの世界に一人きりで放り出された様なそんな孤独を感じながら、失意の中で彷徨い歩いていたのであった。






――
―――




 ――そうして郁は今、砂丘を歩いている。



 既に枯渇しつつある身体。渇きは酷く、喉の奥が張り付きそうなまでの違和感を感じる。目眩を起こし、水分を口にしていないせいか体温調節もままならず、視界がぐらりと暗く染まる瞬間が何度も訪れていた。

 このまま自分は死ぬのだろうか、と考えるのも無理はないと言える。



 ――ふと郁の鼻についた、芳しい匂いに鼻を動かした。



 嗅いだ事のある優しい香り。茶葉が湯に浸り、濃厚な香りを充満させる独特な紅茶の香りだ。
 いよいよもって正気がなくなったか、と自嘲気味に郁は小さく笑った。

 砂丘の中で紅茶の香りなど、どう考えても嗅げるはずがないのだ。
 幾度目かの目眩に襲われ、俯いていた郁がようやく顔をあげる。


 ――眼前に現れた鉄扉に、郁は目をむいた。


 幻覚とは思えない、はっきりとしたその姿。手を伸ばして触れると、鉄特有のひんやりとした感触。そして先ほどから鼻を刺激する、紅茶の香りが鉄扉の中から溢れてきている。

 息を飲みつつも、郁は手を当てて鉄扉を開けた。




 サファリジャケットをミニドレスの様に着た女性。その脚は長く綺麗でまさに美脚だった。耳が尖り、白を基調にしたアンティーク調のティーカップを手にして郁を唖然としながら見つめ、くすっと口角をあげた。

「あら、珍しいお客様だこと……」

 透き通る様な綺麗な声にその容姿。

「……紅茶……?」

 まるで給油しているかの様に注がれていく紅茶を見つめ、先ほどから嗅いでいた匂いの正体に気付いた郁はその液体を見つめた。

「ビートラクティブ。この航空事象艇《クロノサーフ》の燃料なんだけど、貴女アレが見えるの?」

 女性に向かって郁はこくりと頷いて答えた。そこでようやく郁はその女性の見た目に気付いた。
 鉄扉を開けた先に広がったその光景は、見た事もない船が置かれ、そこには耳が尖った天使とも悪魔とも呼べる様な女性がいる。
 本来であれば、この光景を訝しがるのが普通と呼べるだろう。

「ずいぶんと変わった子ね。この場所を見つけた上に、ビートラクティブが見えるなんて。この惑星の住人に、この時代にそんな素養を持った人間がいるなんて報告は受けてないけど……。まぁ良いわ。こっちへいらっしゃい」

 女性に促されて郁は女性の座る小さな円卓に向かい合う様に座った。ティーポットから注がれた紅茶を前に差し出し、「どうぞ召し上がれ」と声をかけられた。
 渇きを潤す為に、郁は迷う事なく紅茶を口にした。乾いた身体が欲していた水分。染み渡る様な感覚を味わいながら郁は一杯の紅茶を飲みきって、カップをテーブルに置いた。

 水分を摂ったばかりだと言うのに――否、水分を摂ったからだろうか。郁の頬を涙が伝う。

 父を失い、母にも会えずに孤独に歩いていた郁にとって、この女性の正体など関係なかった。ただ自分に対して優しく微笑んで紅茶をくれた、それだけの優しさ。それが郁には嬉しかった。

「貴女が死神でも天使でもいい……。構って……! 独りはイヤ……!」


 父の突然の失踪と、母の冷たい態度。
 十六歳の少女にとって、唐突に世間へと独り放り出された絶望は計り知れない。もともと父ともあまり会話もなく、孤独感は感じていたものの、いよいよもってそれが本物となってしまったのだ。

 郁にとって、何よりも孤独は近く、怖いものだった。

 だからこそ、縋るように郁はその女性に手を伸ばして声を絞り出した。
 くしゃっと歪んだ表情で、郁は今飲んだばかりの紅茶の水分を、全て涙にして出してしまうんではないだろうかと思わせる程に、頬を大粒の涙がボロボロと伝っていく。

 サファリジャケットを着た女性は、郁の手を握った。

「後悔しないの? 人間ではいられなくなるわよ」
「そんなのどうだって良い……ッ! 独りじゃなければ、何だって良い……ッ」

 郁は俯きながら肩を震わせて答えた。

 ビートラクティブを見る事が出来る郁ならば、彼女は自分と同じ『仲間』にする事が出来ると考えた。
 本来であればこの燃料となる紅茶を見る事が出来る人間などいない。それを見えるのであれば、と。

 だからこそ、郁の意思を確認した後で彼女は笑った。

「良いわ。いらっしゃい」

 彼女は郁を抱き寄せ、聞き取れない言語を紡いだ。





 それが、郁と天使族《ダウナーレイス》の邂逅であった。


 その日、郁は人間から天使へと生まれ変わった。







◆◇◆◇◆◇







 潮の匂いに風が薫る。海の上で航空事象艇を駆った郁は、その潮風の匂いを感じながら、晴れ渡り雲一つない晴天の空の下を駆け抜けていた。




 あの砂丘での邂逅から遥か未来の海。
 紀元五千年の月世界、晴れの海の久遠の都に根付く女性だけの天使族《ダウナーレイス》。その一員として環境局に籍を置いていた。



 航空事象艇《クロノサーフ》で時空を駆け巡って宇宙開発の芽を摘む工作員。
 久遠の都政府の環境保護局に所属する彼女達は『ティークリッパー《TC・航空事象艇乗員》』と呼ばれている。



 ――所謂ところ、時間移民政策を妨害する輩を取り締まる戦士だ。



 彼女たちTCの仕事は、言うなれば『男の浪漫』を潰す事が仕事であった。

 『宇宙工学は環境に有害である。過去や未来へ植民すべし』

 彼女らの思想はそれを体現し、未来や過去における宇宙工学の歴史を常に頓挫させる為、郁は工作する。航空事象艇《クロノサーフ》に乗って郁は時空間を行き来しながら、それを行うのだ。


 TCとして一流である郁は、クロノサーフ選手権モテかわ女子部門で五連覇という快挙を成し遂げた猛者であった。しかし、そんな彼女に特定の付き合いがある男性はいない。


 彼女を知る者曰く――、
「コンパでは楽しいけど、何時も一緒は勘弁」と、見事に本命候補から外され気味。


 開放的な性格である為に友人は多いのだが、特定のお付き合いには発展しない残念な女子であるとか。容姿は良いのだが、性格に多少の問題を抱えているらしい。
 致命的な欠陥であるその特徴を本人も自覚しているらしく、その事を他人がフザけて中傷しようものなら、破壊の限りを尽くして暴走。

 マイナス評価に油を注ぎ、火薬を投げ込むとすら言えるレベルであった。




 閑話休題。




 郁達ダウナーレイスの思想に抗うドワーフ族アシッドクランは歴史の陰から人類を調教している。
 要するに、それらを未然に防ぐ為に工作する工作員となったのであった。

 郁の場合は、それの合間に行きずりの恋を楽しむという、何処かの数字を冠した諜報員と似た部分があるのだが、それは彼女なりの特徴とも言えた。

「精一杯甘えたいわ! 良いじゃない!」

 何処か勝気なそのセリフの後で、郁は視線を落とす。

「……だって私は、寵愛された事もないんだから……」


 悲痛な過去を思い返しながら、郁は小さく呟くのであった。




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ご依頼ありがとう御座います、白神 怜司です。

航空事象艇を駆って世界や時を駆ける少女、郁さん。
今後の彼女の活躍がどうなっていくのか、
それに孤独を満たせる時があるのか。

なかなかに興味深いキャラクター性でした。

お楽しみ頂ければ幸いです。

それでは、今後とも機会がありましたら
宜しくお願い致します。


白神 怜司