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sinfonia.15 ■ 目醒
――翌朝、無事に勇太の治療を施し終わったと知らされた百合達は、勇太の眠らされている部屋へと顔を出した。
身体の具合までは確認出来ないものの、白いベッドの上に眠らされている勇太の顔を見て、武彦と凛、それに百合はほっと肩を撫で下ろした。
そんな彼女達の前に、馨が歩み寄って来て状況を説明した。
「宗のおかげで施術は成功よ。でも、失った血や体力の事を考えると、完全に回復して目を覚ますまでにまだ時間がかかるわ」
「分かった。ありがとうな、馨」
「お礼なんて良いのよ。それより武彦、宗が貴方を呼んでる」
「俺を?」
武彦の問いに、馨が頷いて肯定する。
百合や凛に「行って来る」とだけ伝えた武彦は、馨と共に部屋をそのまま後にした。
「……勇太……勇太ぁ……」
眠っている勇太の頬に触れながら、凛が震えた声で声をかける。
霧絵によって攻撃を受けて以来、どこか取り乱し続けていた凛の姿を知っていた百合は、その姿に何も言わずに見つめていた。
そこへ、遅れてエストがやってきた。
相変わらずの金色の髪を揺らしながら、エストが携帯電話を片手に凛の近くへと歩み寄った。
「……凛、鬼鮫さんから連絡があって、一度戻って来いって言ってますよ」
「……でも……」
「勇太なら大丈夫です。私達は私達がやるべき事もしなくてはなりません」
エストの言葉に、凛は何も言わずに勇太の頬に手を触れていた。
「……東京に戻るなら、送るわ。準備が出来たら部屋に来て。それと、エストって言ったわよね? 少し聞きたい事があるんだけど、良いかしら?」
顎で外を指し示した百合に、エストが頷いて答えると、百合はエストを連れて自室へと向かって歩き出した。
百合がエストを連れて出したのは、自身が聞きたい事があったのも事実だが、凛に対して気を回した事が大きい。
勇太が傷付いて、一番取り乱していた凛を知っているからこそ、百合はそんな凛に対して二人きりにしてやるべきだと考えていた。
それを知っていたからか、百合についてきたエストは小さく笑った。
「お優しいのですね」
「……勘違いしないで欲しいわね。別にあの子の為じゃない」
「そうですか」
「それより、IO2と一緒になって動いてるみたいだけど、これからどうするつもりなの?」
「どうする、とは?」
自室に入り、百合がエストに向かって振り返った。
「IO2は勇太を利用するつもりよ。そんな連中と勇太を一緒にするっていうなら、私がアンタ達を許さない」
百合の言葉に、エストは百合が胸にどんな想いを抱いているのか理解した。
凛とは違う、勇太への特別な感情。
それは恋愛感情なのか本人が解っていないのだろう。だからこそ、そんな言葉を堂々と口に出来るのだ。
特殊な環境に身を置いていた百合には、恋愛がどうのこうのという感情を自覚する事は難しい。
だからこそ、エストはそれを凛の為に気付かせずにいる事より、百合と凛の為に気付かせる方法を取ろうと考えた。
「それはどうでしょうね? 少なくとも、貴女の傍にいるよりは守れるかと思いますよ?」
「……私が裏切る、とでも言いたそうね?」
「それはないでしょう。慕っている相手を裏切る様な真似、貴女には出来ないでしょうし」
「……慕っている……?」
挑発したエストの言葉に乗った百合だったが、不意な一言に思わず声を漏らした。
「気付いていない、のですね」
「あ、あ……、アイツは! アイツはただ昔から知ってるだけで!」
「それだけで、守る理由にはなりませんよ?」
「く、腐れ縁だからしょうがないの!」
「あらあら、徹頭徹尾冷静な方かと思ってましたのに、顔を真っ赤にして声をあげちゃって……」
「う、うるっさい! 別に何でもないんだから!」
「そうですか。では凛が彼と一緒になっても、一向に構わない、と?」
「――ッ!? な、何で勇太があんな女と!」
一方、凛はベッドに眠る勇太に向かって静かに口を開いていた。
烏の濡れ羽色、とはよく言ったものだ。美しく流れる黒い髪をさらさらと下ろしながら、凛は勇太の顔を見つめていた。
「……勇太、二度も叩かれてしまいました……。情けないですね、私」
百合から、そして馨から。
取り乱してしまった自分を思い出しながら、凛は自分の頬に勇太の手を取って当てた。
「……貴方が二度と起きないんじゃないかって、そう、思う……だけで……」
再び、ぽろぽろと涙が溢れ、勇太の手を伝う。
凛は自分の手で涙を拭いながら、勇太の手に戻りつつある温もりを感じながら、静かに目を閉じた。
「……私は、貴方がいないとこんなにも弱いんですね……。貴方の笑顔が見たい、声を聞きたい……。呆れながら、いつもみたいに私の手を引っ張って欲しい……」
凛は思い返す。
かつての凰翼島での出来事。そして、今回の出会いからの数日。
工藤 勇太という少年がいる日々はあんなにも色鮮やかだったと言うのに、彼が倒れてからは世界はこんなにも息苦しく、灰色に染まるのだと。彼女は知らなかった。
「……強くなりたい、です……。勇太、貴方の傍にいられる様に、私は……」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「失礼します」
武彦が連れられてきた部屋は、勇太の部屋とはずいぶん遠く離れた部屋だった。
しかし、武彦は連れられて来たその部屋で、宗の姿を見て声を失った。
宗はベッドの上で座り、腕に点滴の針を通している。
「……あぁ、これが気になったのか」
宗は腕から点滴の針を乱暴に引き抜くと、武彦を見つめて座る様に促した。馨は部屋に入るつもりもないらしく、そのまま扉を閉めて廊下を歩き去る。
武彦が宗の近くにあった椅子に腰掛け、宗を見つめた。
「体調が悪い、のか?」
「なぁに、血を多く抜かれただけだ。心配してもらうまでもない」
何処か不思議な雰囲気を放った宗に、武彦は口を開こうとはしなかった。
否、正確に言うならば、何処まで踏み込めるのかを確認する様に、思考を巡らせていたのだ。
「下手な探りはよせ。今は単刀直入に気になる事を聞いてくれば良いさ」
先手を打ったのは宗だった。
武彦も、さすがにそう踏み込んで来るとは考えていなかった為に虚を突かれ、思わず戸惑いを顕にした。
しかし、そう言ってくれるのであれば武彦も引く気はない。
「虚無の境界とお前の関係は? それに、お前は一体何者だ?」
率直な質問に、宗は小さくククッと笑った。「やはりそこが気になるか」と言いながら、灰皿を顎で示す。
「一本、もらえるか?」
「…………」
宗の一言に、武彦は煙草を一本取り出し、宗に手渡した。自分も煙草を咥え、互いに火を点けてから紫煙を巻き上げる。
紫煙を見つめつつ、宗は小さく口を開いた。
「虚無の境界は、俺にとって大事な『実験場』でな。色々と協力する代わりに、データ収集に役立ってもらっている。まぁ言うなれば、ビジネスパートナー、といった所だろうな」
「……何を――」
「――おっと、その質問には答えるつもりはないな。それに、俺が何者か、という問いもだ。薄々気付いているんだろう?」
宗の言葉に、武彦は思わず言葉を飲み込んだ。
勇太の治療に、宗の血液。似ている雰囲気に声。
間違いない、という確信はあるが、それを口には出してはいけない。そんな気がするからこそ、武彦は口を噤んだ。
「……今は未だ、機は熟していない。俺とアイツが会う時ではないのさ」
「何故だ……? 何故――」
「――それはどっちにしても答えるつもりはないな。昔の事を問われても、今の事を問われても、だ」
全て武彦が言おうとしている言葉は宗によって遮られていた。
会話の主導権を握らせず、自分が口に出来る情報のみを選別して会話の流れを切る。そんな真似が出来るのは、よほど頭の良い人間しかいない。
つまり武彦は、宗の評価をそう上方修正させるしかない。
「一つばかり言っておこう、ディテクター。虚無の境界程度に、アイツを渡す様な真似はしないでくれよ?」
「そんな事、お前に言われるまでもないがな」
「それは重畳。俺はこのまま姿を消すつもりだ。またいずれ、会おうじゃないか」
それが、武彦と宗がその日に交わした最初で最期の言葉だった。
次に会う時、武彦は悔いる事になる。
どうしてこの時、自分はこの宗という男を『殺さなかったのか』と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
百合に連れられて東京へ戻った凛とエストは、IO2の上層部へと今回の騒動の報告をするつもりだった。
しかし、鬼鮫との会合から数分後、その状況は大きく変わってしまった。
「報告します。新宿、原宿、銀座。主要部が陥落しました……」
「……やはり、か」
鬼鮫はその報告に言葉を失った。
事情を聞いていた百合と凛、エストはその言葉を聞いて現状を初めて知った。
あの渋谷での騒動は、既に東京に蔓延している。
虚無の境界の動きは激化の一途を辿っていたのだ。
「エスト、お前はこっちに残ってくれ」
「はい、分かりましたわ」
「護凰 凛。ディテクターと勇太と一緒に動いて、俺と連絡を取りながら別行動しろ」
IO2に所属する者としては異例の命令である事に凛は思わず息を呑んだ。
「アイツが目を醒ますまで、俺達が街をどうにか守ってやる。起きたらしっかり働いてもらうって伝えとけ!」
「……はい! 帰りましょう、百合さん」
「分かったわ」
「気をつけるのですよ、凛」
「はい。エスト様も……!」
百合が凛と共に再び研究所へとその場から転移を開始した。
「……あんなガキ共に託すには、ちょっとばかり大きな問題だがな」
「でしたら、私達でどうにか小さくしてみましょうか」
「……あぁ。行くぞ!」
百合と凛は、研究所に戻るなりすぐに武彦に状況を報告した。
既に虚無の境界が動き出している事に、武彦も苦々しげに表情を歪ませていた。
「クソ、動き出したか……!」
「落ち着いて、武彦。今は焦っても仕方ないわ」
「……あぁ、そうだな……」
「百合ちゃん、薬を新しく作り変えたから、それを服用してちょうだい。経過観察も必要だから、勇太クンが寝てる間にやる必要があるわ」
「分かったわ」
「……凛、勇太についてやっててくれ」
「はい」
それぞれに散って歩いて行く中、武彦は何かを考え込む様にポケットに手を突っ込み、一人外に向かって歩いて行く。
凛は勇太の眠っている病室に向かいながら、心に抱えた不安に怯え、胸元で自分の手を小さく握った。
――こんな時に、勇太さえ起きていてくれれば……。
強くなりたいと願いながらも、凛はそう思わざるを得なかった。
そんな自分を払拭する様に、凛は頭を振って勇太の眠っている部屋のドアを開けた。
「……凛……」
――その声は、聞き間違えるはずもない彼の声だった。
to be countinued...
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