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<東京怪談ノベル(シングル)>


天使の誕生


 意識は朦朧としているのに、人の話し声だけは聞こえて来る。
「髪も生えないし、赤ちゃんも出来ないって?」
「ええ、副作用でね……かわいそうに。まあ髪は人工的に何とかなるにしても」
 ナースたちの会話である。とある患者の、容態に関してだ。
 その患者とは、誰の事か。
(え……あたし……の事?)
 綾鷹郁は、うっすらと目を覚ました。
 意識の覚醒に合わせて、記憶が甦って来る。

 病院の前に、大破した航空事象艇が搬送されて来る。その歪んだ風防が、女性兵士によって叩き割られる。
 中から引きずり出されたのは、惨たらしく大火傷を負った1人の少女。
 死体寸前とも言える状態の、その少女が、ICUに運び込まれる。
 女医が、少女の身体から様々なものを手際よく剥ぎ取ってゆく。焦げ縮れた髪、焼けただれた皮膚。助手が、絶望的な心拍数を叫び報告する。
 やがて少女の身体が水槽に入れられ、妙な液体に漬けられた。紅茶だった。ダウナーレイスの紅茶を全身で摂取する事によって、少女は人間からダウナーレイスへと変わってゆく。

 その少女とは、自分ではないのか。
「嘘……」
 郁は、病室のベッドの上で跳ね起きた。
 背中から、翼が広がった。
 それは、異様としか表現し得ない感覚だった。自分が人間ではないという事を、冷酷なほどはっきりと感じさせてくれる、翼の感覚。
「嘘よ……嘘……嘘ぉおおおおお!」
 翼を引きちぎるかのように激しく羽ばたきながら、郁は絶叫し、病室内を飛び回った。

 ようやく落ち着いた郁を、1人のナースが抱き締めてくれている。
「あたし……人間じゃ、なくなっちゃったんですかあぁ……」
「お詫びのしようもないわ……私たちと同じ身体に作り変えてあげる事でしか、貴女を助けられなかった」
 翼あるナースが、泣きじゃくる郁の髪を優しく撫でる。髪は、こうして人工的に植え付けてもらった。
 だが、子を産む事も出来なくなった肉体は、もはや元には戻らない。
「私たちダウナーレイスには、敵がいるわ」
 郁を抱き締めたまま、ナースが言った。
「その敵との戦いに、貴女がた人間を巻き込んでしまったのは、私たちの失態よ。そのせいで、貴女だけでなく御両親まで……本当に、お詫びのしようもないわ。何の償いも出来ないけれど、せめて今の貴女のために、出来る事は何でもさせてちょうだい」
「……じゃあ、戦わせて下さい……その敵と……」
 ナースの胸から、郁は顔を上げた。涙に沈んだ瞳が、燃え上がった。
「花の旬は、儚くて……命短し恋せよ乙女……かおるは忙しいけん、とっとと仕返し! やっちゃるもん!」


 森林のあちこちから、銃撃が襲って来る。
 それらを懸命に回避しながら、郁は駆けた。はためくセーラー服を、銃弾の嵐がかすめて奔る。
 目的地は、この先にある捕虜収容所。そこに捕えられている1人の少女が、救出対象だ。
 郁は跳躍した。足元の地面が銃撃に穿たれ、土が噴き上がる。
 木陰に転がり込みながら郁は、携えている武器を構えた。銃剣付きの、自動小銃である。
 それを郁は、木陰からぶっ放した。
 森林に潜んでいた敵兵たちが、ことごとく倒れてゆく。
 銃撃を浴びせてくる敵が1人もいなくなったのを確認しつつ、郁は再び駆けた。
 そして、すぐに立ち止まった。
 崖である。
 郁は、セーラー服を脱ぎ捨てた。翼が広がり、白いテニスウェア姿が露わになる。
 崖下から吹き付けて来る暴風が、スコートをひらひらと舞わせた。
「この風なら、行ける……!」
 郁は崖から身を躍らせ、その風に全身を委ねた。

 収容所に突入した郁を待ち受けていたのは、完全武装の敵兵たちだった。
 いくつもの自動小銃が向けられてくる。それら銃口が、一斉に火を吹いた。
 その時には、郁は跳躍していた。少女のテニスウェア姿が、空中で一瞬、光に包まれる。
 キラキラと鱗粉のように光をまき散らしながら、郁は敵兵たちの真っただ中に着地した。
 白いテニスウェアは、光と共に消え失せていた。
 少女の瑞々しい尻回りには今、濃紺のブルマが貼り付いている。
 上半身を覆うのは、白い体操着だ。可愛らしい胸の膨らみが、柔らかな感じに強調されている。
 そんな姿の少女に、一瞬にして間合いを詰められた敵兵たちが、いくらか慌てながらも即座に振り向き、銃口で郁を囲んだ。
 いや、囲まれる前に郁は動いていた。綺麗な細腕が、銃剣付きの小銃を回転させ、突き込み、一閃させる。
 敵兵の小銃が、片っ端から叩き落とされ、跳ね飛ばされた。
 両腕で銃剣を操りながら、郁は両脚を躍動させていた。若いカモシカを思わせる美脚が、左右交互に離陸して弧を描く。超高速の連続回し蹴りが、敵兵をことごとく打ち倒す。
 蹴り倒され、横たわる兵士たちを飛び越えるように、郁はその場を離脱していた。
 駆ける少女の細身が、またしても光に包まれる。
 その光の下から現れたのは、漆黒のレオタードだ。しなやかなボディラインを、ぴったりと際立たせている。
 まさに黒猫の如く、郁は足音を殺して闇に紛れた。
 敵兵があちこちから現れ、侵入者を捜して番犬のように動き回る。
 彼らの目を逃れ、音もなく疾駆しているうちに、郁は収容所の監獄区域に到着していた。
 1人の少女が、閉じ込められている。鉄格子の向こうで、怯えた目をしている。
「大丈夫……心配しないで」
 郁は微笑みかけながらも、黒豹の如く踏み込んで銃剣を突き出し、錠前を破壊した。
 鉄格子の扉が開く、と同時に警報が鳴り響いた。
「せからしかね……!」
 少女の手を引きながら、郁は舌打ちをした。
 頭に来ると、どうしても方言が出てしまう。

 断崖絶壁に、追い込まれた。
 下は海である。荒波が岩壁に激突し、砕け散って白い飛沫と化す。
 そんな光景を見下ろしながら、少女が立ちすくんだ。
 立ちすくんでいる間にも、敵兵は追い付いて来る。
「飛び降りる……しか、ないわね」
 郁が呟くと、少女は首を激しく横に振った。涙が飛び散った。
「ん? 下着が濡れるのが嫌なの? じゃ、あたしの水着貸したげる」
 いつの間にかレオタードからスクール水着へと変化していた衣装を、郁はいそいそと脱いだ。
 その下は、紺碧のビキニである。
 脱いだスクール水着を少女に押し付けながら、郁は小銃をぶっ放した。
 追い付いて来た敵兵たちが、その掃射を受けて倒れる。
 倒れた兵士をまたいで、敵兵団は容赦なく迫って来る。
 彼らの小銃が火を吹く前に、郁は翼を開いていた。そして着替え終えた少女を抱え、断崖から身を躍らせた。
 2人の少女が、抱き合ったまま落下し、紺碧の海へと突入する。
 激しく飛び散る水飛沫が、キラキラと光に変わった。
 シミュレーターの立体映像が全て、光の粒子に変わり、消えていった。
 怯えるだけだった少女が、郁の細腕と翼に抱かれたまま、ようやく笑った。
「TC訓練……合格よ、郁ちゃん!」
「やった…………」
 郁が言葉に出来たのは、そこまでだった。
 それ以降は、言葉にならぬ歓声となって、広大な訓練施設内に響き渡った。