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<東京怪談ノベル(シングル)>


導きの聖女・前編


 表向きは、どうという事もない無害な商社である。
 その一室で、男は、苦渋の決断を下すための心の準備をしていた。
 下手をすると、この会社を潰す事にも繋がる決断である。何の罪もない、何も知らず真面目に働いている大勢の社員を、失業者にしてしまいかねない決断。
 それを促す、ノックの音が聞こえた。男は応えた。
「入りたまえ」
「失礼いたしますわ」
 涼やかな、耳に心地良い声。
 死神の声だ、と男は思った。安らかな眠りをもたらす、死の女神の声。
 入って来たのは、1人の女子社員である。
 まず目が行ってしまうのは、黒いストッキングを密着させた両脚だ。太股の膨らみも、膝のくびれから脹ら脛にかけての丸みも、足首の細さも、申し分がない。
 踏まれたい、などと愚かな噂話をしている男性社員たちを見かけた事がある。彼らの気持ちが、男はわからなくもなかった。この美脚の前では、大抵の男が、豚か犬に成り下がるだろう。
 肉付き豊かでありながら弛みなく引き締まった尻回りには、ミニのタイトスカートがぴったりと巻き付いている。色香だけでなく、鍛え上げられた下半身の強靭さを感じさせるヒップラインである。
 女性用スーツに閉じ込められた胸は、いささか窮屈そうだ。
 そんなバストの豊かさを強調する感じにくびれた胴体は、やはり過酷な鍛錬の賜物であろう。最も脂肪がつき易い部分を、ここまで見事に引き締める努力は、ただ事ではない。
 戦闘と殺戮のための鍛錬で、美しく鍛え上げられた肉体が、危険なほどの色香を振りまきながら歩み寄って来る。
 さらりと揺れる、茶色の髪。氷を思わせる、冷たく澄んだ青い瞳。
 まるで欧米人のようでもあるが、どちらかと言うと淡白な感じに整ったその美貌は、明らかな日本人の顔立ちである。
 白鳥瑞科。21歳。表向きは、この商社に勤める新人OLである。
 男は今から彼女に、表向きではない任務を与えなければならない。
「……もはや、ここまでだ。人死にが出る前に、潰さなければならない」
「わたくしが行けば、人死にが出ますわよ?」
 瑞科は微笑んだ。美しい花が開く様にも似た笑顔。だが、その花には猛毒がある。
「人死ににはならんさ。あの教団の者たちは、恐らくもう……人では、なくなっている」
 男は言った。
「……殺しても、害獣駆除のようなものにしかならんよ」
「いけませんわ、そのようなお考え方」
 涼やかな声で、やんわりと嗜められた。
「わたくしたちは間違いなく、人の命を奪うのです。その重い手応えを握り締め、返り血を浴びながら……神の教えを、滞りなく実行する。それが教会の在り方ですわ」
 教会。悪しきものを討滅する、世界的秘密機関。
 その窓口のようなものは、この商社に限らず日本全国、いや世界じゅう至る所に開いている。
「まあ殺人でも害獣駆除でも構わん……シスター瑞科、君に殲滅任務が下った。あの教団を、跡形も残さず消し去ってくれたまえ」
 この商社の出資者でもある宗教団体だった。
 人ならざるものの力を利用しての、魔術的なテロ行為。その計画が進行中であるという情報を掴んだのは、男自身である。商社の管理職の1人に成り済まし、様々な伝手で調べ上げた。
 調べ上げるまでが、自分の仕事だ。後は武装審問官・白鳥瑞科に任せるしかない。
 自分に出来る事など、もう何もない。そう思いながら男は、言っても仕方がない事を口に出していた。
「教団が潰れれば、この会社もただでは済まん……大勢の失業者を出してしまう事に、なるかもな」
「その方々に、わたくしたちが言って差し上げるべき言葉は、ただ1つ」
 瑞科は言った。
「神の御加護を……それだけですわ」


 あの商社だけではない。この教団は、いくつもの資金源を有している。出版社、飲食店、芸能プロダクション、パソコン専門店……様々な形で、この現代社会に根を張っている。
 その豊富な資金によって、このような無駄に豪奢な、聖堂まがいの本部が建立されているのだ。
 本当に、教会の大聖堂と見紛うばかりの造りであった。
 十字架もある。そこに拘束されているのは、しかし釘を打たれた聖人ではなく、嫌らしく蛇に絡み付かれた淫猥な裸婦像である。
 そんな偽物の大聖堂に、銃声が響き渡っていた。
「教皇、教皇、教皇、教皇、教皇、僕らの教皇……」
 呪文のように呟きながら小銃をぶっ放しているのは、神父服に身を包んだ男たちである。だが全員、人間ではなくなっていた。皮膚を青緑色にヌルヌルと変質させ、頬を裂いて牙を剥き、頭からは角を伸ばしている。
 悪しき力を受け入れて人間をやめてしまった信徒たちが、歌うような言葉を口にしながら小銃を構え、引き金を引いているのだ。
「教皇、教皇、教皇、教皇、教皇、みんなの教皇……」
「日本の教皇、世界の教皇、宇宙の教皇……」
 呪詛のような祈りに合わせて、銃弾の嵐が吹きすさぶ。
 その嵐の中を、人影が風のように奔った。
 さらりとした茶色の髪が、純白のケープと一緒になびいて泳ぐ。
 細身の長剣が、ピュンッとしなって一閃する。
 人外と化した信徒たちが、喉元あるいは左胸から真紅の霧を噴出させ、次々と倒れていった。
「暗闇まとい……今、立ち上がる……」
 信徒の1人が、侵入者に小銃を向けようとしながら硬直した。
 その眉間に、細身の刀身が深々と突き刺さっている。
「熱き……魔王に……拝跪せ……よ……」
 祈りながら絶命し、倒れてゆく信徒。その眉間から、細身の切っ先が引き抜かれる。
「偽物の神にすがるしかない……かわいそうな方々、ですわね」
 少しだけ血に染まった刃をぴゅっと揺らめかせながら、瑞科は呟いた。
 その身を包むのは、武装審問官としての正式な装束だ。
 丸み豊かな胸の膨らみ、健やかに引き締まった胴、食べ頃の白桃を思わせる尻……その魅惑的な凹凸が、黒系統の修道服によって禁欲的に、それでいて戦闘的に、引き立てられている。
 腰の辺りまで入ったスリットからは、白く瑞々しい太股が現れ、その脚線はニーソックスとロングブーツによって強調されながら一ヵ所の破綻もなく、爪先までスラリと続いている。
 左右の細腕を包むのは、天使の翼が刺繍された純白の長手袋だ。その先端では革のグローブが、優美な五指をしっかりと防護している。
 その手に握られた細身の長剣が、バチッ……と電光を帯びた。
「本物の、神の裁き……僭越ながら、わたくしが教えて差し上げますわ」
 聖なる雷の剣を携えた戦闘シスターの姿が、ロングブーツの足音を高らかに響かせながら、聖堂の奥へと向かった。