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<東京怪談ノベル(シングル)>


導きの聖女・後編


 聖堂の、地下最奥部である。
 ちょっとした競技場ほどの広さと高さを備えた円形の空間が、不吉な薄暗闇と不気味な薄明かりで満たされている。光源は見当たらないが、何らかの手段で照明が確保されているようだ。
 壁面にはいくつもの巨大な十字架が設置され、その全てに淫猥な裸婦像が拘束されている。蛇に絡み付かれた、裸の女性たちの像。様々な部分から体内に潜り込まれ、恍惚とした表情を浮かべているものもある。
 悪趣味極まる裸婦の巨像たちに見下ろされながら、白鳥瑞科はゆっくりと歩を進めた。
 禍々しい図形や記号を内包した、真円。そんな紋様が無数、床一面に描かれている。
 いわゆる魔法陣だった。
 それらの中でも特に大きなものの上で、1人の男が座禅を組んでいる。
 でっぷりと肥満した肉体を豪奢な神父服に包んだ、髭面の男。どんよりと濁ってギラギラと血走った目が、瑞科に向けられる。
「何者も救済出来ぬ、無力なる既存の神の下僕が……真の救済者たる、この私に刃向かうのか!」
 この教団の最高指導者……教皇と呼ばれる人物である事に、間違いはなさそうだ。
「わかっておるのか? 貴様ら既存の宗教者どもが腐敗堕落し救済を怠っておるから、この私が立ち上がらざるを得なかったのだぞ! すでにある神仏の類は、もはや頼むに足りぬ! あてにならぬ! だから私が救済を」
「ごめんなさいね教皇様。わたくし、こんな所まで宗教論争をするために来たわけではありませんの」
 瑞科は微笑んだ。端麗な唇がにっこりと歪み、青い瞳が鋭く教皇を見据える。
「それと……救済などという御言葉、あまり軽々しくお使いになりませんように」
 腰の長剣をすらりと引き抜き、眼前に立てながら、瑞科は攻撃を念じた。
 細身の刀身が、ピシッと電光を発した。その輝きが、戦闘シスターの清冽な美貌を照らし出す。
「偽りの神に仕えし者。真の神の御下へと、わたくしが導いて差し上げますわ」
「黙れ愚か者! 偽りの神ではない、そして仕えておるわけでもない! この私こそが、真の神なのだ!」
 教皇の喚き声に合わせて、無数の魔法陣が一斉に光を発した。脈打つように明滅する、鼓動の如き光。
 何かが、召喚されつつある。姿形のない、禍々しい何かが。
「魔界に住まう悪しき者どもの力を、この私が叡智をもって制御する! そして愚かなる俗人どもを滅ぼし、地上に神の楽園を築き上げるのだ!」
 笑い叫ぶ教皇の肥満体が、座禅の姿勢のままメキッと痙攣した。
「来たれ魔界の神々よ、そして我が身に宿れ! 汝らの力で、私は最強の魔王となり、万民を救済する!」
 世迷い言を叫びながら教皇が、信徒たちと同じく人間ではなくなってゆく。
 肥満体がメキメキと隆起し、神父服が破け散る。
「最強の魔王にして慈愛の神! それが私だ!」
 座禅を組んだまま、教皇はフワリと浮かび上がった。その身体に、無数の魔法陣から溢れ出し続ける不可視の何かが、集中し吸収されてゆく。
 瑞科は剣を振るった。帯電する細身の刃が、ピュンッと高速でしなった。
 したたかな手応えを、瑞科は握り締めた。何かを切り落としたのだ。
 切断されたものが、瑞科の足元に落下してビチビチとのたうち回る。巨大なミミズのような、触手だった。
 弱々しく萎びてゆくそれを片足で踏み付けながら、瑞科は見上げた。
 空中で座禅を組んだまま、教皇は完全に、人ならざるものと化していた。その肥満体のあちこちから、無数の触手が生えて蠢き暴れている。寄生虫か何かが全身を食い破って暴れ出したかのような、おぞましさだ。
「誉れと思うがいい小娘! 汝を我が生贄としてくれようぞ!」
 その、おぞましいものたちが一斉に伸びて瑞科を襲った。
 修道服を割ってムッチリと瑞々しく現れた太股に、寄生虫のような触手が牙を剥いて食らいつこうとする。
 その太股が、跳ね上がった。
 ロングブーツを履いた美脚が、牙を剥く触手を踏み付け、踏みにじる。
 踏みにじりながら傲然と立つ戦闘シスターの肢体に、他の触手たちが襲いかかった。
 修道服に閉じ込められた、豊麗な胸の膨らみに、何本もの触手が凶暴に嫌らしく群がろうとする。
 電光をまとう細身の剣が、それらを薙ぎ払った。
 寄生虫のようなものたちが切り落とされ、瑞科の足元で這い蠢きながら萎び、干涸びてゆく。
 触手を全て切断された教皇が、その断面から電光を流し込まれ、空中で感電しながら滑稽な悲鳴を上げている。
 そんな教皇に向かって、瑞科は左手を掲げた。
「つまらない夢は、もう終わり……眠らせて差し上げますわね」
「ま、まままままま待て! なな何をするつもりだ、神であるこの私に」
 感心にも座禅の姿勢は崩さぬまま、教皇が空中でうろたえている。
「い、いや、もう神はやめだ。私は人間に戻る! 殺せば殺人罪になるぞ! 教団の専属弁護士が黙ってはおらんぞ!」
「法の裁きをお望みですの?」
 瑞科は微笑んだ。
 教皇の身体が、暗黒に包まれた。重力の束縛。
「仮に人間に戻る事が出来たとして、正当な裁きを行ったとしても……貴方のような方は、のらりくらりと刑罰を逃れて面倒な裁判を長引かせるだけ」
 もはや言葉にならぬ悲鳴を上げる教皇に語りかけながら、瑞科は掲げた左手の、親指を折り畳んだ。
 重力の暗黒が、教皇の肥満体に食い込んだ。骨の折れる音が響いた。
「そのような方にふさわしいのは、人の世の裁きではなく神の裁き」
 言葉に合わせ、瑞科は人差し指を、中指を、折り曲げた。
 握り潰されつつあるかのように教皇の身体が凹み、歪み、骨折と内臓破裂の音を鳴らし続ける。
 おぞましく響き渡る悲鳴を、しっかりと耳にとどめながら、瑞科は薬指を折った。
「わたくしが導いて差し上げられるのは……そこまでですわ」
 小指が折られ、瑞科の左手は完全な握り拳になった。
 重力の暗黒が、まるで拳のように、教皇の全身を押し潰した。
 触手を生やしていた肥満体が、肉の残骸に変わってビチャビチャッと落下する。もはや悲鳴も聞こえない。
 無数の魔法陣が、輝きを止めた。脈打つような光が消え失せ、静寂の薄暗闇が戻った。
「任務達成、ですわね……」
 瑞科は溜め息をついた。
「この程度で神を名乗ろうなどと……おこがましくて、お説教をしてあげる気にもなりませんわ」


「ご苦労だったね、シスター瑞科」
 太り気味の初老の神父が、にこやかな笑顔で瑞科を迎え入れてくれた。
 細かな事を報告する必要はなかった。任務完了、教団は壊滅。それだけである。
「例によって、容易い任務だったようだね」
「ふふっ……あんなもの、ですわね。急ごしらえの宗教など」
 瑞科はつい、嘲笑ってしまった。むやみに他者を軽んじてはいけない、と心がけているつもりなのだが。
「あの程度の力で人々の救済が出来るようなら、苦労ありませんわ」
「その通りだよシスター。どれほど悪しき宗教であろうと、業の深さにおいては」
 神父が、にこやかな表情のまま語る。
「殺戮と弾圧の歴史を綴りながら全世界に根付いて来た、我々の宗教の足元にも及びはしないよ」