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<東京怪談ノベル(シングル)>


聖女の休息


 純白のブラウスは、あのピッチリとした戦闘用修道服と比べると幾分ゆるやかである。
 それでも、胸の膨らみを隠す役には立っていない。
 悩みというほどのものではない。が、白鳥瑞科は常日頃いささか気になっていた。自分の胸は少々大き過ぎるのではないか、と。もちろん他人に打ち明けられる話ではないのだが。
 腰にはプリーツスカートを巻いてみる。少し短めにしてみたので、太股が半ばまで露わである。スカートとロングブーツとの間で、形良く引き締まった左右の太股。
 ブラウスの上から、黒に近い濃紺のジャケットを羽織り、鏡を見る。そこで瑞科は、いくらか愕然とした。
 これでネクタイでも着ければ、まるで制服を着た女子高生ではないか。
「20歳を過ぎて……これは、有り得ませんわね」
「瑞科どう? 着てみたあ?」
 試着室のカーテンが、いきなり開いた。
 図々しく覗き込んできたのは、同僚のシスターである。
「ち、ちょっと! 勝手に入って来ては駄目ですわ」
「似合う似合う、超可愛い! 現役の女子高生みたいじゃん!」
 瑞科の言葉を聞かずに盛り上がる同僚シスターの背後で、1人の少女が感激している。
「ほんと……素敵ですよ、瑞科先輩」
 後輩の、見習いシスターの1人である。
 3人で、休日のショッピングの真っ最中であった。
 女の子らしいと言えばらしいが、男に大荷物を持たせるような買い物もしてみたい、と瑞科は思わなくもない。
(殿方と縁のないお仕事……なのは仕方ありませんわね)
 そんな事を思いつつ瑞科は、鏡の前でくるりと身を翻してみた。
 長い髪がふわりと舞い、短いスカートが少々際どく跳ねた。
「本当に……似合っておりますの?」
「最高っ」
 同僚が、ぐっと親指を立てた。
「ユー買っちゃいなよぉ。何なら、あたしらがお金出すよん?」
「え……あ、あたしもですか?」
 見習いシスターの少女が、うろたえている。
 瑞科は苦笑した。
「素敵な殿方にならともかく、貴女がたに何かおごっていただくつもりはありませんわ」
 店員に声をかけ、会計を済ませた。自慢したくはないが、この2人よりもずっと良い給料をもらっている。半分近くは危険手当てだが。
 買った物を身に着けたまま、店を出た。そしてショーウィンドウにもう1度、自分の姿を映してみる。
 やはり、女子高生の制服に似ている。
 セーラー服もブレザーも、瑞科は着た事がない。そういうものを着て学校に通うべき期間を、全て武装審問官の訓練に費やしてきたのだ。
 不幸であった、などと瑞科は思っていない。こうして仲間も出来た。
 それでも淡い憧れのようなものが、20歳を過ぎた今となっても、胸の奥から完全には消えてくれない。
(未練……というものですわね)
 普通に学校に通っていればいたで、自分は様々な不満を感じていたに違いない、と瑞科は思う。そういうものだ。
 何やら、やかましい声が聞こえた。
「終末は近い! 終末は、そこまで来ているのです!」
「世俗の欲望を捨てて、愛に帰依しましょう!」
「世俗の利益は死と同時に消えてしまいますが、愛は死後も残るのです! 永遠なのです!」
 駅前の大通りで、数名の男女が叫びながらビラを配っている。
「永遠の愛をお求めの方はぜひ、私たちの話を聞きに来て下さい!」
「私たちは新興宗教ではありません。ただ終末の後も永遠に残る尊いものを探求したいだけなのです!」
 などと言っているが、新興宗教であるのは誰の目にも明らかだ。
 昨日、瑞科に叩き潰されたあの教団も、最初はこういうところから始まったに違いない。
「終末、終末って言われ始めてから、何年経ったかね……」
 瑞科の同僚シスターが、呟いた。
 驚くべき事に、ビラを受け取っている通行人がかなりいる。受け取ったビラを、真面目に読み込んでいる者もいる。
 人心の荒廃が叫ばれて久しいが、心の純真な人間というのは実は意外に多い。そういう人々ほど、こういうものに救いを求める。そしていつしか、あのような教団が出来上がってしまう。
 瑞科の同僚が、呆れた。
「まったく、うちの教会にでも来ればいいのに……美人のシスターも揃ってる事だし。ね? 瑞科」
「どうですかしらね」
「……あたしたちが、頼りにならないんでしょうか……」
 見習いシスターの少女が、そう言って俯いた。
「人々の心の支えになる事が……あたしたち、出来てないんでしょうか……だから皆さん、新しい宗教の方に行ってしまうんでしょうか」
「そうやって悩み続けるしかない、と思いますわ」
 瑞科は言った。
「主イエスも、仏陀のような異教の聖人の方々も、人であられた時には大いに苦悩なされたに違いありませんもの。人々を救うというのは、そういう事」
 既存の宗教では誰も救済出来ぬ。あの教団の者たちは、そんな事を言っていた。
 瑞科に言わせれば、古の聖人たちのような生涯をかけての苦悩を経る事もなく、安易に人々の救済を志したりするから、あのような結末を迎えてしまうのだ。
 宗教が人々の救いとなるには、とてつもない年月を必要とする。
 年を経る覚悟もなく安易に救いを求める者が、多過ぎるのだ。
「まあ……わたくしたちが憂えたところで仕方がない事ですけれど、ね」
「瑞科は、あんまり苦悩しない方だもんね?」
 同僚シスターが、瑞科の肩をぽんと叩いた。この娘も武装審問官として、なかなかの実績を持っている。
「苦しみも悩みも、辛い事も悲しい事も、戦って殺してバァーッと発散させちゃう方だもんねえ」
「先輩! そんな……」
「本当の事ですわ」
 後輩の少女に、瑞科は微笑みかけた。
「貴女も戦闘シスターを目指すのなら、そのくらいの心構えの方が良くてよ? 悩み続けるしかないとは言いましたけれど、あまり悩み過ぎると……戦いそのものが、出来なくなってしまいますもの」
「はあ……」
 少女が、不安げな声を出す。
 彼女にもいつか、武装審問官として人の命を奪う時が来るだろう。先輩として、そこを切り抜ける手助けをしてやれるかどうか。
 自分はどうであったかを、瑞科は覚えていない。思い出さないようにしているだけかも知れない。
「あー、それにしてもお腹減った」
 同僚シスターが、いきなり話題を変えた。
「ちょっと早いけど、お昼ご飯にしちゃわない? 混み始める前にさ」
「……開いてるお店、ありますかね」
「任せてよ、ちょっと安くステーキ食べられるお店知ってるんだ。瑞科どう? 血生臭いお仕事したばっかりだけど、お肉食べられる?」
「いいですわね。少しレア気味に参りましょうか」
 あの教皇の死に様でも思い浮かべながら、血の滴るステーキを堪能するのも、悪くはなかった。