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<東京怪談ノベル(シングル)>


偶像崇拝





 血を吸ったクナイは、脂によってその切れ味が落ちる。
 布で拭き取り、死屍累々の赤い世界を歩いて行く琴美の姿は、この場所に来た時と一切の変化も見られない。

 それは少々――否、まったくと言って良い程に違和感を生んでいた。

 赤い世界を足蹴にしつつ、黒い髪を揺らして歩く忍は変わらない。
 発育も形も良い豊満な膨らみを揺らし、たゆんだ布で身体を包みながらも、その形が顕になる。
 長いブーツとスパッツの間に見える細やかな肌に、キャスターにクナイを仕舞った。


 拠点内は既にほぼ制圧。
 ようやく追い付いた仲間たちに後処理を任せて、琴美は構わず最奥部の扉に手をかけた。

 セキュリティは既に掌握してある。あとはそのドアノブを捻るだけだった。
 躊躇なくドアを開けた琴美の表情が歪んだ。

「…………」

 屍臭――否、血の匂いだろう。
 錆びた鉄の様な、鼻につく臭い。腐敗臭がしないのが幸いだろう。それだけが琴美の抱いた感想だった。

 扉の奥に佇む歪な『人形』に、琴美が僅かに眉間に皺を寄せた。


 ――それはもはや、『人』ではない。


 動物界脊索動物門哺乳綱サル目(霊長目)ヒト科ヒト亜科ゴリラ族ゴリラ。
 まさにそれ、と言った所だろうか。
 違いと言えば、赤黒い体毛と、発達した下顎の牙。そして、赤く光る瞳。

「――堕ちたのですね」
「堕ちた……? 可笑しな事を云う」

 彼は云う。

「貴様も私も、ただの人間ではない。矮小で些細な存在たるか否かを態々聞く必要もあるまい?」
「言っておきますけど、私はそんな場所に“堕ちて”いませんわ」

 琴美の触れるフレーズに、男の表情が歪んだ。

「それに、私は人間であり軍人ですわ。何者かに力を借りなければ戦う事も出来ない、あなたとは違いますわ」
「……ほう」
「だから、消しますわ。任務通りに」

 瑞々しい肌を魅せながら、両腕にクナイを握る琴美が腰を下ろし、構えた。

 ――睨み合い、互いにほぼ同時に弾け、ぶつかり合う。

 肉体を刃が走れば、それは斬り、裂いて道を作るだろう。
 しかし、その感触を感じる事もなく、刃が肌を撫でるだけに至った。

「――ッ!」

 違和感に戸惑いながら擦れ違う様に駆け抜けた琴美が、宙で回って着地し、再び睨み合う。

「硬化してる、みたいですわね」
「察しが良いな、人間!」

 ――魑魅魍魎、悪魔、悪霊。
 そういった者を身体に纏い、住まわせ、宿し、取り込み、取り込まれた者。

 彼らには特有な異変を生じる。
 その一つに身体の硬化も含まれている。

 人外となった証拠、とでも言うべきだろうか。
 お返しに、とでも言わんばかりに男が琴美へと距離を詰めて来た。

 鋭く振りかぶられた豪腕を、琴美が宙を舞う様に飛び越え、今度は太刀を振り抜いた。

「――ッ!?」

 先程と同じく、その腕は無傷であるかに思われたが、その数秒後、パックリと口を開けたその太刀の通り道に、男は思わず驚愕する。

 予想だにしないダメージ。あっさりとこの強い身体に傷を付ける程の攻撃を仕掛け、口角を吊り上げた妖艶な女性。

 右手に長い小太刀を握り、左手にはクナイを。クナイでは僅かに届かない攻撃も、小太刀を使えば問題はない様だと彼女は確信し、改めて思考を巡らせる。

 では、もっと長さのある太刀ならばどうか。

 恐らくそれは愚策だろう。
 琴美の華奢な身体では、ゴリラの様な相手の攻撃を長物で受け止める事は不可能に等しい。

 攻守のバランスを考えた狙いは見事に当たりをつけたと言える。

「人間風情が!」

 地面を強く殴りつけると、地面は割れ、パラパラと埃や石片が舞い落ちる。あまつさえ、それですらたった二歩横に歩いただけでそれを避けてみせた。

 先程とはきっかにならない程の速度で、琴美に向かって男が動き出した。地面を抉る様に振り下ろされた攻撃が、つい今しがたまで琴美が立っていたその場所を穿ち、大地を抉った。

 ――僅かな確信に、心を踊らせた次の瞬間――。

「終わりですわ」

 冷淡に告げられた背後からの声。
 どこをどう通れば、今のタイミングで今の状況で、自分の背後に回れたというのか。彼はそんな疑問を抱きながらも慌てて振り返った。

 ――銀閃が走り、ずるりと身体が引き裂かれた男は、その場に情けなく崩れ落ちた。







◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇






 ――事のあらましを報告された上官は、その圧倒的なまでの琴美の実力と、現地の敵のほぼ全てが絶命していた事実に気付き、肝を冷やした。

 任務の都合上、人を殺める事を強いられる事はある。それは綺麗事で片付けられる様な心の問題ではなく、少なからず日本という平和な国で育った者なら、忌避感を抱くだろう。

「ご苦労であった」
「ハッ」

 今回のチームで動いた面々共々、全ての事の経過を報告した琴美達に上官は頷いて答えた。

「貴君らのおかげで動きを先制する事が出来たと言える。数日間の連続勤務に、危険度の高かった任務だ。明日は自由に過ごすと良い」
「ハッ!」




―――。




 報告に使っていたその部屋を後にした琴美達は、それぞれに明日の休みへと想いを馳せる。

「死地への任務から一転、休みになるとはな」
「買い物に出るってのも悪くないが、どう過ごそうかなって悩んじゃいますねぇ」
「ッスねー」

 隊員同士が明日になったら何をしようかと話題に華を咲かせながら歩いて行く。

「水嶋さんはどう過ごすんです?」
「私はいつも通りに訓練する予定ですけど、それが何か?」

 琴美の一言に、思わずその場にいた隊員たちが思わずため息を漏らし、乾いた笑みを浮かべた。
 「あぁ、いつものアレか」と心の中で呟きながら、彼らは歩いて行く。

 ストイックなまでの鍛錬を行う彼女の場合、休みであろうがそうじゃなかろうが、特訓を行うのは変わらないという噂だ。

「どうせ暇なのでしたら、皆さんもいかがですか?」
「いや、結構です」
「あら、残念ですわね」

 誰もが脳裏に浮かんだ『噂』のメニューは、もはや常人ではついて行けるとすら思えない内容なのだ。

 ――いくら妖艶で綺麗な女性の誘いであっても、命との掛け合いとなれば断りたい。
 それが本音であった。






                      to be countinued...