|
●貴方をお返しいたします
その日は、窓を叩く風雨の強い夜だった。
屋内にいても、雨が地面や屋根を叩く音と、風の唸る声が聞こえてくる。
「絢斗君。今日は随分荒れた酷い天気になってしまったわ。
お客様ももういらっしゃらないでしょうし、絢斗君も帰れなくなっては大変でしょう?」
つまりは、早くあがっても良い――そういう事のようだった。
「無理に帰る必要もないんですけどね。ここのソファの方が、自分の家のベッドより寝心地もいいし」
「絢斗君の為に置いているわけではないのだけど……」
困った顔をする寧々に、悪戯っぽく笑うと絢斗は立ち上がり、
入り口の扉を開いて暴風雨の中【close】の札を掛けなおすと、髪から水を滴らせながら戻ってきた。
「ふー……表は土砂降りです。一分も出てないのにびしょ濡れ」
ぺったりと腕に張り付いたシャツに視線を落としていた絢斗は、寧々は自分のほうへ厳しい顔を向けていることに気付いた。
「そ、そんなに怒らなくても」
「違うの……」
すぐに自分から視線を移した寧々の言葉には、多少の緊張が含まれている。
絢斗が寧々の視線を追えば、男物であろう黒い革靴――もちろん自分のものではない――が、椅子の合間に見えていた。
さらに視線を辿っていくと、真っ黒のスーツ姿の男が床に座り込んでいるのも見える。
「……あれ?」
思わず声を上げた絢斗。そして顔を上げたスーツの男……黒いサングラスはヒビが入っていたが、見覚えがある。
スーツ姿の青年の顔色は少々青白く冴えない様子だが、寧々はその男をじっと見据えていた。
「……数日ぶりにお会いした、のでしょうか……工藤さん」
「はは……。そう、みたいですねぇ……。
どうやら、俺もそちらも【先日の】組み合わせだ」
工藤と呼ばれた男……IO2エージェント、フェイト・−(8636)は、ゆっくり立ち上がりながら『体力を消耗しているため、戻れるまで少し休ませてほしい』と、許可を取って奥のソファに腰を落ち着けた。
絢斗の鼻腔に微かな血臭が届き、何かの片鱗を感じ取ったようだ。
人間である自分でさえこうなのだから、種族上でも血の匂いに敏感な寧々が気づかないはずはない。
しかし、フェイトは先ほどから片腕を庇うように抑え、平静を装っている。
絢斗はあえて気づかぬような素振りを見せ、ポットを火にかけるとコーヒーの準備をし始めた。
「室内に飛び込んでこれて良かったね。
屋根突き破られたり、外にジャンプしてきたら今頃大惨事だったよ」
「そう、かもしれないな……」
寧々から暖かいおしぼりを受け取り、手中へ伝わる熱にほっとしたような息を漏らしたフェイト。
隣に座って良いかと聞いてきた寧々に、逡巡した後頷きを返したフェイト。隣に音もなく座った寧々から、ふわりと香水の香りが漂う。
「……工藤さん」
「はい?」
つ、と寧々がフェイトの顔にそっと指を伸ばし、サングラスを指先で摘む。
「少々、汚れてしまっていますね……。砂や埃で」
「…………」
サングラスを無理に奪い返すことはせず、露わになった素顔のフェイト……いや『工藤勇太』は、緑色の瞳に困惑の色を湛えていた。
「……ここは、宵闇令堂。
様々な思いを抱えたモノが集まるのです」
まるで母親のように優しく寧々はそう告げて目を閉じ、包み込むように手のひら同士を合わせた。
その両手を開くと、手のひらには火の灯されたキャンドルが現れる。
「工藤さん。貴方もこのキャンドルのように……今、心が揺らいでいる。
迷い、悩み……そんな想いが、令堂に引き寄せられたのかもしれません」
ガラスのキャンドルホルダーがテーブルに接する際、硬い音を立てて耳に響く。
「令堂はね、不思議なところだよ。
俺ですら、色々迷うと気がついたら館の前にいることもあるからね。仕事と関係なく、なんか……そういうのもあるんだよ」
淹れたてのコーヒーを差し出す絢斗に、勇太は礼を言って無事なほうの手で受け取る。
まだ、その表情には陰りが見えた。
「……あー、やっぱり、気になるなぁ。
あのさ。お節介で悪いけど、その腕怪我したままなら、消毒と血止めさせて貰って良い?
寧々さんがお腹空かせちゃうからさ」
親指で後ろの寧々を指す絢斗。そんなに意地汚くありません、と寧々は拗ねたように言うのだが、
腹が減ることは否定しない。
「……ばれて、いたのかな」
「それなりに」
観念したようにコートの上着を脱いだ勇太。腕の部分は、白いシャツがどす黒くこびりついていた。
絢斗が鋏で袖を切り取り、傷口の血を軽く拭きながら様子を見る。
「弾とか雑菌が入っていないようだから、このまま傷を塞いでしまうよ」
何事も危険な様子が無いと知ると発光する本を取り出し、呪文を唱える。
「――作り話だと思って聞いてくれていい」
傷を塞いでもらっている間、勇太は小さく息を吐き――訥々と語り出した。
今回、任務を受けて向かった先は、魔物化した人間の撃滅。
依頼があったときには既に、何人も殺めているという事だった。
依頼や魔物の討伐も、これが初めてではない。
しかし――この魔物も元は、自分と同じ【人間】だったのだ。
目の前にいるのは魔物。でも人間だった。
では、今まで倒した魔物も、もしも……【人間】だったのなら。
戦場で、しかも眼前に敵がいる状態であるまじきことだったが、一瞬戸惑いを覚えてしまった。
そうして、彼は敵を倒しながらも、自らの心身に傷を負った。
「……傷が癒え、戻ればまた同じように戦いが待っている……。
その時に、また……」
対峙した魔物が、人であったのなら。
言葉に出しはしなかったが、この一般人……のような二人には、十分に伝わってしまったようだ。
「……ジャンパーに言っちゃったら何も説得力ないんだけどさ。この世には因果律っていうのがあって、
物事には原因があり、結果が後で来るって事。それはいかなる時も逆転しないんだ」
だから、とその後を寧々が引き継ぐ。
「例えば、工藤さんが過去の何かを変えたとすれば、そこから先の、いわゆる未来の在り方も変わるの。
本来とは何かが変わるかもしれないけれど、いずれ長い時を経て、その差は縮まっていくわ」
言いたいことは分かるのだが、なぜその話に、という顔をする異邦人に、寧々はそっと顔を近づけた。
「元々人間だった。だけど、魔物になってしまった……そんな人々や、話を私もたくさん知っている。
だけど、体だけではなく、心も深淵へ堕とされてしまったら……戻れないの」
「……」
「私もね、いずれは人を襲って、殺してしまうかもしれない。
そう考えることがなかったわけではないわ。
そうなったら、私は私の心を手放してしまったことになる。それは……考えただけでとても辛い事。
だから……罪を重ねる前に、その時は」
心を救ってほしい――寧々は彼に悲しげな視線を向けたままそう呟いた。
「寧々さん……」
「工藤さん。貴方は、きっとこれからも傷を負っていくのでしょう。
辛いことに何度も直面して、銃を取りたくないと思うこともあるでしょう。
でも、貴方がやってきたことは、無駄にはならない。
貴方が気付かなくても……必ず、誰かを救った証が【ここ】に刻まれているわ」
と、勇太の胸へ寧々はほっそりした手を置いた。
彼女の金色の瞳を暫くじっと見つめていたが、やがて……寧々の手を取って、軽く握った。
「……ありがとう、寧々さん。
そっか……俺には、殺めるだけではなく……救うという事も、できるんだ」
「ええ」
嬉しそうに笑った男に、もう大丈夫だと実感した寧々は、そっと微笑みを返す。
傷の痛みも気にならない程に、心と体に力が戻ってきたような感覚があった。
そして、体の一部がざわつく感じ。
「……あ、もう、行かなくちゃいけないみたいだ……」
タイムジャンプする前の感覚に気付いて慌てて寧々の手を離したところで、
「工藤さん。忘れもの」
絢斗がそうしてトレイに乗せて差し出したのは、見覚えのあるサングラスと、何かの代金。
「……この世には『意味ある偶然の一致』ていうのもあるんだけど、これは因果律、なのかな?
工藤さんが置いて行った『貴方』を、一緒に持っていくといいよ」
頷きを返して、メッセージカードと愛用のサングラスを手に取り、『工藤勇太』から『フェイト』に戻った
彼は、優しげに緑の瞳を細めて、心から礼を言うと落ち着いた態度でサングラスを装着した。
フェイトのどこにも、最早迷いはなかった。
「そのお金は、ここに置いていくよ。
来たときに……財布が無かったら困るだろう?」
「その時はツケておくから、早めに来てくれたらいいよ」
いってきます、と片手を挙げて挨拶した瞬間、フェイトの姿は時空の狭間に掻き消えた。
「行ってきます、かぁ。心憎い人だね」
ひび割れたサングラスを手に取った絢斗は、そっと埃を指先で払うと……グラスのひびを瞬時に直す。
「彼には、もう必要ないかもしれないわ」
「んー……そうだろうね。でも……男ってのは、会いたくなる時もあるんだよ。あの頃の自分にさ」
この時系列に居る工藤さんは、どんな子なんだろね――そう絢斗は呟いて、届くことのない絵葉書と共にトレイごと再び棚の中に入れて保管する。
【もしも、『今』の貴方が迷った際には。
どうぞ導きのままに宵闇令堂へお越しください】
-END-
━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登場人物一覧
【8636 / フェイト・−/ 男性 / 22 / IO2エージェント】
■ライターより
大変遅くなってしまって、本当に申し訳ございません……!
今回も、フェイトさんをお預かりさせていただける機会を頂き、ありがとうございます。
【勇太君】と【フェイトさん】を区切らせていただきましたが、
いかがでしたでしょうか。少しでも、彼らしさが出ていれば幸いです。
本当にありがとうございました!
|
|
|