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『無数のレンズ、それが見た空』
たまの休日なのに、二時を過ぎても部屋を出ないどころか、カーテンすら閉めたままだった。多忙な彼女にとってはそれこそ、たまの休日だからとも言えたが、冬の短い晴天の中をこれでは少しばかり勿体ないとも思えてきて、白鳥瑞科はようやく寝椅子から身を起こした。
テレビには白黒の映画が流れていた。男が写真を見つめていて、それには男の子みたいに髪の短い少女が、可愛らしいドレスを着て写っていた。彼女は怒っているのか悲しんでいるのかよく分からない目付きをしながら、安っぽいボール紙で作った月に腰掛けていた。男もまた、眉間に皺を寄せてそんな何とも言えない顔をしていた。もうラストシーンだった。瑞科は冒頭の歌をもう一度聴きたいなと、膝上に頬杖をつきながら考えた。まるで夢の世界の中を、楽しげに踊るようなあの歌だ。
「あなたが私を想っていてくれるのなら、これが安っぽい紙のお月様だなんて、決して言えやしないわ」
しかしエンドクレジットに至っても、それは叶わなかった。瑞科は残念がりながらも、物語の結末には満足していた。地平線まで続く長い道を、男と少女の乗ったボロボロの車が走っていってしまうと、彼女は脇に置いてあったコーヒーを蹴飛ばさないように注意しながら窓に向かおうとして、自分の格好を思い出し、クローゼットへと向きを変えた。
たまご形の尻は地味な白いショーツに包まれ、その野暮ったさが余計に生々しい色気を醸しており、上はブラもせずにキャミソールを被っただけで、薄い生地がしなやかな裸身を忠実に浮かび上がらせていた。彼女はさっさと衣服を取り出していくと、そんな誰にも見せた事のないだらしない姿を手際よく覆い隠していく。細身のブラックパンツを履き、シンプルなデザインロングTシャツの上に黒いタートルネックのニットを身に付け、ファー襟のついた濃いベージュのトレンチコートを羽織った。両手で服の中から長い髪を出して左右に振ると、艶のあるチョコレートブラウンが波打って、サラサラときらめいた。
瑞科はカップをオープンキッチンの流しに出してから、洗面所で簡単なメイクをして戻ってきた。レザートートバッグのポケットには、駅近くでやっている写真展の案内が入ったままになっていて、時間を考えてもそれがちょうどよさそうだった。要するに彼女は、適当な目的を外に求めていたわけである。
空は高く、青く晴れ渡っていた。雲も風もなく、この季節にしては少し暖かさを感じるくらいの陽気だったが、実際にはもう既に夕方の気色が忍び寄っている事を瑞科は知っていた。上空の色にも気温にもまだそんな兆候は見られないものの、あの寂しげな一時はどういうわけか、はっきりと現れる前からある不思議な匂いを感じさせるのだ。
駅まではさほど離れていない。少し歩けばすぐに周囲の人通りが増して、賑やかなものになっていく。様々なショップが入っている目的のビルも同様で、エレベーター前で待つ人だかりはうんざりするくらいだったが、一番上まで上がる頃には、もう自分の他には誰も残っていなかった。扉が開くと広いスペースに適当としか思えない配置でパネルが何十枚も立てられていて、その光景はとかく閑散とした雰囲気を作っていた。
受付に座る四十手前くらいの女は、金を払っても表情を変えずに会釈だけして、こちらを見ようともしなかった。瑞科は脇に置いてあった小冊子を自分で取り、中へと入った。報道写真展のような名前をしていたはずだったが、乱雑に貼り付けられている写真には全く統一性がなく、意図的にそうしているとすら疑う程だった。。
少年が走る海岸から一斉に飛び立つカモメ、水上で生活を営む一家、雲間から差し込む冷たい光、眩しそうな顔をした民族衣装の人々が行き交う川沿いの街並み、古くなったマンションの向こうに見える灰色の空、地方の駅で電車を待つ旅装の親子二人、喧嘩しているのかじゃれあっているのか分からない犬達、朝早い住宅街の建設現場で佇むショベルカー。
瑞科は足を長く止めるでもなく、かといって急ぐでもなく見て回っていた。すると時たま、突然に人と出くわす。それはいつも決まって突然だった。しばらくして彼女が理解したのは、このパネルが会場にいる人間の視界を巧妙に隠す役割を果たしている事だった。それによって不安があおられるというわけではない。むしろ目の前の世界に深く没入させるような効果があった。そして、そこに予期せぬ訪問者が度々やってくるのだった。
一度大学生くらいの男が、画の端の方に近付いて険しい顔をしているのに出会った。彼が気付いてばつが悪そうに去っていった後、瑞科もそこへ注目してみたのだが、別段何かがあるようには思えなかった。しばらくそんなようにしていると再び他者がやってきて、それを合図に誰もがまた次へと進んでいくのだった。
人の認知能力には、感覚器官の検査数値とは別に個人差があるという話を、彼女は聞いた事があった。バーチャルリアリティ技術がまだまだ初期段階だった頃、秒間たった二コマの画面を切り替えるだけのシャッター式ヘッドマウントディスプレイですら、立体視が出来る者がいたのだという。先程の男性は、そんな中の一人だったのだろうかと考えていた。いや、自分の方に欠陥がないとも言い切れなかった。こうした物事に対する認知には、確かに触覚音痴が存在するらしいのだから。
瑞科がポケットに手を入れながら耳を澄ますと、どこかでぼそぼそと形にならない会話が交わされていた。ずっと前からなのか、たった今からなのかすらも明かでないそれに耳を傾け、それでもやはり意味を介せないと分かると、解釈とは認知より手前の問題のようにも思えてくるのだった。
互いに共通点も何も分からない公衆の中にあって、相手の口元はおろか姿も見えず、不規則に響く音で自分との位置関係も判然としない空間においては、俗に言うカクテルパーティー効果もその力を大きく失う。ここから出た人にそれぞれどんな会話が聞こえたかを尋ねてもそれはバラバラだろうし、次の日に質問をすれば更にまた違うかもしれない。そうやってすぐ側いても全然違う状況を行き来しているように、きっとどんな写真を見たのかも、この目が現在捉えている質感を遙かに超える揺らぎが、こんなにはっきりした記録にだって存在するのだろう。
科学が登場した事で死んだように思われている解釈学は、むしろ確固たる事象を提示するアイテムが無数に存在する分だけ、より活き活きと意味を持ち始めたのかもしれない。印刷機の発明で寸分違わぬ本物の経典が世界中に揃えられていく一方で、その解釈や解説、それに付随する物語、更には反論や反証までもが全て活字になり溢れ波及していった。レンズは条件さえ満たせばいつだって真実めいたものを写すのである。
瑞科はふと、目の前の写真から何者かの意志を取り除けるか試してみた。確かにこの画を何と名付けようが、どこに注目しようが全くもって彼女の自由である。しかしそれらを一切しない、という決断は困難であるどころか無価値に思えた。そもそも、このいかにも人々の視野を注意深く監視しているかのようなカメラという代物にしたって、常に誰かが何かをフォーカスし、とある五百分の一秒を選択し続けているのだ。そうして捉えられた世界が、もとよりどこかに存在しているなどとは決して言えない。
夕暮れを過ぎ、街並みは藍色に包まれていた。しかし明かりはまだかすかに残されていて、誰もがこの時間は限られたものだと認めながら、家路を急いでいる。彼女もまたそんな平凡な人影の一つだった。陽が落ちて気温も下がり、息は白い。
通りの向こうからノロノロと老婆が運転する車がやってきて、すれ違っていった。車体には高齢者マークが貼り付けられており、瑞科はついそれに目を奪われた。この高齢者マークとは、二種類あった。最初に発表されたものが落ち葉や枯れ葉を連想させるとして批判や苦情の的になったため、デザインの変更を余儀なくされたのである。新しい方は四つ葉のクローバーを模していた。老婆の車には、それが二つとも貼ってあった。配置を工夫しながらくっつけて、お洒落な見栄えになるようにアレンジされていたのだ。
何と豊かな生き方だろうと、思わずにはいられなかった。瑞科には、そのマークが何よりも瑞々しく鮮やかに見えたのである。そしてあの素朴な老人が世界で最も幸せな人間の一人に違いないと、そんな発見が小さなランプのように心の中に灯った。それは羨ましく、また暖かだった。
瑞科は再び歩き始めた。彼女は今、すぐそこまで来ている新しい一日と、自分を待つ次の使命に、颯爽と向かい合っていた。
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