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<東京怪談ノベル(シングル)>


ピリオドペイン&エイナルグランド





『各TCに通達。十億年後の世界で月の落下の可能性が発生。各TCはこれを阻止せよ。繰り返す、十億年後の――』

 唐突に告げられた異常事態に、天使族《ダウナーレイス》である彼女達は慌ただしく駆け巡る。ある者は事態を把握すべく作戦司令室へと駈け、またある者は休日だったのか着飾った服を身に纏って慌てて更衣室へと駆け込んで行く。

 慌ただしさも一時を過ぎれば閑散としていくものだ。
 騒々しい程の足音も遠くへ消えた更衣室内に、ようやくまた一人の天使族《ダウナーレイス》が現れた。

 ――郁である。

 遠出の任務に当たっている変則的なシフトとなっている郁も、この放送を聞いて着替えに来たのだった。

「十億年後って……。そんな遠い出来事、どうでも良いじゃない……」

 ボヤきながら服を脱いでいる郁。
 そんな彼女の耳に、啜り泣く様な声が聴こえてきた。郁は声の主が何処にいるのかと思いながらキョロキョロと辺りを見回し、そしてようやくその主を見つけた。

「……貴女誰?」

 郁の視線の先で、蹲って泣いている少女。印象的な緑色の長い髪。年の頃は十代前半から半ばにかけて、といった所だろうか。

 先程までそんな所に少女がいたのかと周囲もヒソヒソと囁き合うが、「今気付いた」と言う者ばかりだ。
 緊急事態にそんな異常事態に関わるつもりもないのか、着替え終わった他の者達は次々と更衣室を後にしていく。

 放っておかれた少女に、下着姿の郁が歩み寄り首を傾げて声をかける。

「制服は? 忘れちゃったの?」
「――ひっく」
「……困ったわね……。そうだ! 私のビキニ貸してあげるから!」
「……腰痛い」
「え……」





 ――少女に構い続けている場合ではない。
 結果として、郁によって渡されたのは二十世紀の地球での定番アイテム、体操着とブルマ。それを着る事になった少女は現在、取調室の中で事情聴取を受けている。

 それはそうだろう。
 突如として現れた少女の正体は、明らかな地球人。しかも、郁の与えた二十世紀の地球前後の地球人と同程度の容姿をしているのだ。

「――なるほどね。つまりは、全能だった故に、傲慢になり、それを『虚無神』によって断罪され、無力な小娘の姿で人間界に流刑に処された、と……」
「……そうよ、愚かでしょ。笑いたければ笑えば良いわ」
「そうね。つまり電波ちゃんね」
「ちが――痛っ……」

 先程までの自嘲気味な態度も偉そうな言葉も、腹部を抑えるかの様に突っ伏しているその姿では格好もつかないというものだ。

「……この痛みも、きっと虚無神による「――それ生理痛よ」……え?」

 呆ける少女に向かって郁はため息を吐いて答える。

「巫浄 霧絵、ね。確かに言っている事は嘘じゃないみたいだけど、生理痛も知らないの?」
「……フ、フン! やっぱり、人間なんて下等な生き物ね……痛たたた……っ」

 下等とは言っているが、どうやら目の前の少女――霧絵はそれを理解していても自分がそれだという現実には理解が及んでいないらしい。

「それで、何で人間になったの? 下等生物に転生させられるからって、わざわざ人間を選んだのは貴女なんでしょ?」

 郁の質問に、しばし逡巡したかの様に静まり返っていた取調室。
 やがて霧絵は顔を上げ、郁を見つめた。

「……因縁、かしら」
「因縁?」

 霧絵の言葉に、郁は静かに息を呑んだ。

「……電波?」
「意味解らないけど馬鹿にされた気がするわ……」

 平行線を辿る取調室である。






 呑気な取調室とは裏腹に、現在作戦司令室では剣呑とした雰囲気が流れていた。

 十億年後の地球。既に住民は地下シェルターに逃げ込んでいる。それは気休めというものだろう。地球に月程のサイズの隕石が衝突すれば、シェルターごときでは耐えられないだろう。
 それでも、もしかしたらという希望に縋るのは世の常だろう。

『なんとか月を阻止出来ないのか!?』

 地球から作戦司令室へと繋がる音声チャンネル。そこからは悲痛な声が響き渡り、それをBGMにTCによる会議が繰り広げられている。

「やれやれだねぇ。正直なトコ、こうなっちまったら作戦を立てようがないね」

 司令官の女性がカッカッカと諦めを孕んで笑いながら呟いた。実際の所、彼女が言う通りだ。
 本来天体は惑星間の重力によってその位置関係に定まっている。

 月が衝突するという事は即ち、そのバランスが崩れている事に外ならない。一時的な回避行動が紡げる影響とは、雀の涙程度なものだろう。

 いよいよもって諦めるべきかとため息を吐いた所で郁が霧絵を連れて作戦司令室へと姿を現した。

「おー、遅かったな……って、何だい、そのちんまいの」
「えぇ、実は……――」

 郁自身が信じていない霧絵の情報を説明していく。
 司令官はまだしも、その周囲にいた天使族《ダウナーレイス》からは若干の失笑を招くその話を説明している郁は、まるで自分が笑われているかの様で重い溜息を吐いた。

 説明を終えた郁は、「ふーん」と鼻を鳴らして答えた司令官の回答を待つ。しかし、そこで口を開いたのは郁でも司令官でも、また他の天使族でもなく、当事者である霧絵その人だった。

「郁?」
「ん?」
「私はもう自分だけの力じゃ元の世界には戻れないわ。だから、協力する代わりに、私をここで雇ってもらえない?」
「就職口をここにしよう、っての?」
「えぇ、そうよ」
「貴女ねぇ……」

 凛としたその口調は、やはり常人とは一線を画している故だろう。しかしその姿に嘆息し、呆れを見せた郁。

「協力? 無力な人間風情に何が出来るってんだ、あ?」

 そんな二人に冷水を浴びせる様に司令官が口を開いた。

 フォローしようと考える郁だったが、さすがにその現実を目の前に閉口する。

 無理もない。例え霧絵の話を鵜呑みにした所で、それを実行して失敗すれば霧絵がこの状況の全責任を負う可能性すら生まれる。

 ましてや、無力な人間の少女となった霧絵に、それを要求するのは酷だろう。

 ならばその自尊心を砕いてしまった方が、後の彼女の為にもなる。
 恋愛一辺倒の郁にはそれが理解出来はしないかもしれないが、司令官としてはそれが本心である。

「えっとぉーぁたしぃー頭は超ぃぃからぁ」

 ――「……え、何この子」

 突如として始まった霧絵のぶりっ子ぶりに、周囲の天使族《ダウナーレイス》は言葉を失い、一歩二歩と引いていく。
 もしも頭が良いのなら、こういう状況になる事も読めるだろう、と口を開こうとした司令官だが、霧絵の表情がクスっと笑みを浮かべた後で、鋭い眼光を宿した為に言葉を失った。

「航空事象艇。あれによって月を包囲し、在るべき場所へと転移させれば良いのよ」

 周囲を飲み込む霧絵の雰囲気と言葉。その発想は強引かつ、シンプルなものだった。

「頭が良い、ね」

 司令官が笑った。いや、嗤ったと言うべきだろう。

「確かに、エネルギーとしては無理ではない。作戦として加えるのは吝かではない」
「だったら――」
「――しかし、だ。何故人間でありながら、TCが所有する航空事象艇の機能を『理解している』のだ?」

 司令官の言葉に周囲に集まっていた者達に動揺が走る。
 霧絵は一つのミスを冒したと言える。それは、自身が信用されていないにも関わらず、その知識をひけらかした事だ。

「そもそも本当に貴女は郁に言った通り、虚無神とやらによって転生された存在なのか? この騒動自体が、仕組んだものである様に感じるが」

 司令官の言葉に、その場が沈黙に満たされた。
 ――そんな折、緊急警報が鳴り響いた。

「どうした!?」
『宇宙空間にて悪霊が渦巻いている様子です。こちらへ向かっています』
「悪霊……!? どういう事だ!?」

 司令官の叫び声を他所に、霧絵がその場に蹲ってうめき声をあげた。

「ぐ……ッ、あぁっ……!」
『どうやら、悪霊の標的はその娘の様です』

 霧絵から説明を聞いた郁も、郁から報告を受けていたその場にいた者達も、霧絵の能力と霊が密接な関係にある事は理解していた。

 かつて霧絵によって苛まれた霊が、力を失った霧絵に対して反撃の機会を得たのだろう。ここぞとばかりに霧絵の身体を蝕もうとしている。
 それに気付いた司令官が舌打ちをして霧絵を睨み付けた。

「この緊急事態に巻き添えはごめんだ……! 出て行け!」

 痛烈な一言を浴びせられた霧絵は、苦しみに苛まれながらも涙を浮かべて立ち上がり、その場から駈け出した。

「き、霧絵ちゃん!?」

 郁もまた、慌てて霧絵を追いかける様に司令室を後にする。




 久遠の都管理局の格納庫。
 小型のシャトルが一機、いつでも出発できるよう待機していた。

 郁が霧絵を見失い、「まさか」と疑念を抱きつつもその場所へと向かって走っていた。