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<東京怪談ノベル(シングル)>


乙女に悩みはつきものです。


 天気快晴、視界良好。
 今日は朝から清々しい。

「ふんふんふんふん〜♪」

 鼻歌交じりに身支度を整える乙女は綾鷹・郁。
 TC(ティークリッパー)久遠の都政府の環境保護局員である。
 今日はTCの教育係である繭神・陽一郎がピクニックへと連れて行ってくれる。
 それだけで郁の気分は上々だった。
 台所には詰めかけの重箱や食材が並ぶ。
 この日は早起きして、腕によりをかけてお弁当を仕込んでいた。
 おにぎりにサンドイッチ、だし巻き卵に唐揚げと定番のものから、伊勢海老の軍艦巻き、納豆とピーナッツバターの揚げ物、栄養ドリンク入り手作りヨーグルト、など果たして食べ物として認めていいものかどうかわからないものまである。
 それらを食べさせる相手の繭神はというと、実は既に郁の所に訪れていた。
 庭に「夫」の字に似た複葉のオープンカー、クロノサーフがある。見た目は20世紀の飛行機に類似していた。
 助手席にバスケットを抱えた繭神が座っている。
 時刻はやや昼に傾きつつある。
 早めにきた繭神だったが、「ちょっと準備するからまってて!」とかれこれ1時間近く待たされていた。
 繭神はいつものことだと本を取り出して時間を潰していた。

 突然、がしゃーん!と何かが倒れる盛大な音が聞こえる。

 慌てて郁のいるキッチンへとかけつけるが、その様子をみて、頭を抱えながらため息を付いた。

「全く君は…」

 郁がはしゃぎすぎて、食卓を倒した音だった。他にもプランターや本棚、家具が色々と散見している。

「普通、こういう状況は泥棒に入られたか、喧嘩したり鬱憤を当たり散らした後だったりするものなのだが……」

 繭神と二人だけで出かけることが嬉しすぎて飛び回って散らかした、といったところか。
 そう冷静に分析して、苦笑いを浮かべる繭神。
 飛び回ってる郁を落ち着かせて料理の仕上げと後片付けを手伝った。
 ようやく出発できたのは正午を少し過ぎたくらいだった。


「見せたいものがある」

 そういって繭神の案内するままに時空を跳んだ。
 鼻歌交じりに愛機を飛ばす郁。
 行き先は10億年後の地球。1日が30時間になった世界で、繭神が“あるもの”を見せたいという。
 空には緋色の太陽と、梨のような色をした月。
 ほんのり暗く、やんわりと明るく、今が昼なのか夜なのか判断はできなった。
 薄明るい白夜のようなのような空をしばらく飛行していた。
 空と大地、それと海というシンプルな風景だが、深く幻想的な風景にずっとこのままでいたいとも思えた。
 デートに相応しい、最良のプランに心をきゅんとさせる。
 繭神の方を見ると、何やら難しい顔をしていた。

「どうしたの?」
「ん、いや、なんでもない」

 三日月のように湾曲している浜辺へと降りるように言われる。
 洒落たコテージのカフェテラスに入り、ドリンクバーを頼んだ。
 少し小高い浜辺と、草地の合間に立っているコテージ。
 おいしい紅茶が飲み放題ということで有名な場所のようで、品揃えも実に豊富。
 ダージリン、ジャスミン、カモミールなど各種紅茶からエスプレッソ、カフェラテ、キャラメルマキアート、ホットミルクの珈琲系、ミックス野菜ジュース、煎茶も充実している。どれも店長が素材を厳選したものばかりだった。
 カップから立ち上る香り以外にも、店内にはそれぞれの素敵な香りが満ち溢れ、幸せな気分になれた。
 郁はカップに一口つけ、目を閉じる。
 世界の終末、だというの海からそよぐ微風が心地良い。
 紅茶が好きな郁にとって、最高のデートだった。

「郁、あそこを見てみろ」
「え、何?」

 不意に繭神が浜辺の方を指さした。
 木の手すりから身を乗り出して探す。
 一瞬、郁の顔が険しくなった。

「あれって……」

 浜辺に若い女がうつ伏せで倒れていた。死んでいるようだった。
 それを遠巻きに浅黒く毛深い男共と、ダウナーレイスの女達が見守っている。
 うち、数名の男女が激しく口論していた。遠く離れていたので話し声は聞こえなかったが、彼らの様子からするに、だいぶヒートアップしているようだった。
 死体を見かけた時はすぐにでも駆けつけようとしたが、その周囲の見覚えのあるダウナーレイスを見てその意味を理解した。

「ラストパンドラ」

 振り向くと、繭神は紅茶を啜っていた。
 彼らにはさほど興味がないかのように、カップを持ったままその方を一瞥する。

「時間旅行者が彼女の体から不老不死の遺伝子を見つけた。この時代から先、地球に人は住めない。他の星で他者と諍いながら暮らすか、運命を受け入れて過去で生きるか男女間で対立してるのさ。最後の末裔が女というのも男の不満点かね」

 郁は衝撃で落ち込む。
 自分のしている仕事とは、一体なんなのだろうという思考が過るが、すぐにそれは答えの出ないものだと悟った。
 悟ったからといって心の靄が晴れたわけでもない。
 むしろより一層、体の芯の部分をえぐるようだった。

「…………」

 繭神は席を立つ。
 押し黙った郁を見かねて出ていったのだろうか。
 そう思って更に落ち込んていた郁の前に、新しいカップが置かれた。
 安らかな匂いがする。

「ほら、ジャスミン。落ち着くぞ」

 コクンと頷き、ジャスミンティーを一口含む。
 少し間を起き、やや落ち着いた声で繭神は聞いた。

「彼らの話を総括すると、男の言い分を受け入れればそこには憎しみしかないし、女の言い分を支持すれば男を倒さねばならない」

 まぁ極論だとは思うがな、と付け足した。

「君はどっちだ?」

 今の郁にその問に答えることはできない。
 代わりにもう一つの答えを差し出した。

「……今はお茶の時間を愉しもうよ」

 頷き、郁と繭神は何杯も御代わりをした。
 結局のところ繭神はこれを見せたかったのだろう。
 そしてその答えを何かしら聞きたかった。
 日々を精一杯生きる郁に、今その答えは出せなかった。
 繭神は「月詠の封印を護る」という、一族の使命と重ねて考えていたのかもしれない。
 普段から多くを語らない繭神という人物を、改めて見つめなおしていた。