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<東京怪談ノベル(シングル)>


暗黒の時代へ


 月面、晴れの海。
 ここに「ダウナーレイス」と呼ばれる生物が住んでいる。女性だけの、天使の種族である。
 彼女らの本拠地である「久遠の都」。その防備は、完璧であった。
 紀元五千年の技術力によって、完璧に構築されたセキュリティシステム。
 それに頼りきって綾鷹郁は、女子寮の自室で熟睡していた。
 完璧な、油断であった。
 呑気な寝息を発している郁の身体を、侵入者たちが窓辺から運び出して行く。
 背が低く、だが体格はガッシリとした、黒ずくめの2人の男。
 ダウナーレイスの宿敵とも言うべき、ドワーフ族だった。
 この種族は、ダウナーレイスが推し進める時間移民政策に猛反発し、様々な妨害工作を行っている。
「我らを否定し続ける魔女め……己を否定される恐怖を、味わうがいい」
 郁を運び出しながら、ドワーフたちが呪詛の呻きを漏らす。
「貴様らの時間移民政策が、どれほどの愚挙であるか……身体で思い知るがいい」
「生命体はな、空間的に拡張してゆくしかないのだ。宇宙に進出する事でしか、発展は有り得んのだよ……宇宙船の有り難みを、思い知るがいい」
 そんなドワーフたちに運搬されながら郁は、夢の中で、美男子たちと戯れていた。
「う……んっ……駄目よぉ……大胆なんだからぁ、もうっ……」


「あんっ、駄目よぉ! 大胆なんだから、もうっ」
 いきなり、スカートを捲られた。
 捲った男が、言った。
「何を言うとる、こんなもの穿きおって」
 こんなもの、とは現在、郁の可愛らしい尻をピッタリと包むブルマを指す。
 ブルマに体操着。その上から黒のセーラー服を着た、小学生くらいの幼い少女。
 そんな姿で郁は今、浜辺に立っていた。
「え……何?」
 自分の身体を、見下ろしてみる。触り回してみる。どう見ても小学生だった。
「ここ、どこ……?」
 辺りを見回してみる。
 女子寮の自室、ではなかった。久遠の都の、どこでもない。
 それどころか、紀元五千年の月面ですらない。
 地球だった。それも日本。潮風の吹きすさぶ、漁村である。
 浜辺で、何人もの大人たち子供たちが、郁1人を寄ってたかって咎める感じに集まっていた。
 どこかで見た事のある光景だ、と郁は思った。2度と戻る事はないと思っていた場所である。
 某県の漁村。綾鷹郁の、生まれ故郷だ。
 今の自分の肉体年齢が、6歳くらい。つまり現在は紀元五千年ではなく、西暦1967年。
 郁は計算し、そして何が起こったのかを朧げに把握した。
 時を越えたのだ。それはまあ、珍しい事ではない。仕事として常日頃、自分が行っている事である。
 問題は、仕事道具である航空事象艇が、周囲のどこにも見当たらないという事だ。
 つまり郁自身の意思ではなく、何者かによる外的な力によって、こんな時代に送られてしまったという事だ。
(ちょっと……よりによって、この時代なわけ?)
 今、この漁村で何が行われているのか。思い出したくもない事を、郁は思い出していた。
 海亀神の祭礼の、練習である。
 本番の祭では、小中学生が、法被と褌一丁という姿で神輿を担がなければならない。
「練習には褌締めて来い言うたろうが」
「で、でも褌なんてダサいし恥ずかしいし……」
「子供のくせに恥ずかしいとか、10年早いぞね!」
 1人の女教師が、そんな事を言っている。
「海亀様の祭りナメとったら、褌一丁で廊下に立たしちゃるき。真面目にやりや」
(そう……子供に人権なんか、ない時代なのよね)
 郁は、遠くを見つめた。


 海亀神の祭礼は、1週間後に迫っている。
 通学路で郁は、級友の少女たちに詰られていた。
「まっこと練習不足ぞね、郁!」
「アンタがへっぴり腰じゃき、あたしらまで怒られゆうぞ!」
(あたしってば頭くると、こんな喋り方してるんだ……)
 辟易しながら郁は思い、そして言った。
「だ、だって褌だよ? 人前で練習なんて、恥ずかしいし……」
「なら明日、授業さぼって特訓じゃ。あの島なら良かろ、人いないきに」
 そういう秘密の遊び場のような島が、泳いで行ける所にあるのだ。
「郁、褌がやならビキニ持ってきいや。そっから慣らしてくしかないぞね」


 うろ覚えだが、ビキニが日本で本格的に流行り出すのは、70年代に入ってからのはずだった。
 もっとも若い娘は、いつの時代も流行に敏感なものである。中には先進的な女の子もいる。
 郁の姉が、まさにそれだった。
「ほらほら、これがビキニだよん」
 自宅の居間に集まった女友達に、郁の姉がビキニ姿を披露している。アルバイトで買ったらしい。
「ちょっと何これ、ほとんど下着じゃん!」
「アメリカとかで流行っとるちゅう話は聞いとるけど……」
「こ、こんなカッコで浜辺とか歩くの? ……まあ、有りかも知れんね」
「ええなあ、これ幾らしたん? 私もバイトしよっかな」
 そんな女子高生たちの会話を聞きながら郁は、母のエプロンを掴んだ。
「ね〜お母さぁん、あたしにも買ってぇ」
「郁にはまだ早いって」
 姉が、続いて母が言う。
「バイト出来る年になったら、自分で買いや。あんなはしたないもん、親が娘に買うちゃるもんと違うぞね」
(そう……こういう時代なのよねえ)
 郁は、遠くを見つめた。


 仕方がないので真夜中、姉の水着を盗むしかなかった。
 目的の物を盗み終えて自室へ戻ろうとした、その時。
 真夜中の家の中が突然、明るくなった。
 郁の心臓が、止まりそうになった。まさか見つかったのか。
 だが家族の誰かが、娘の行動を見咎めて電気を点けたわけではなかった。
 光は、窓の外から射し込んで来る。
 郁は思わず、外へ出た。
 夜空が、真昼のように明るかった。
 真夜中の太陽、とも言えるほど明るく発光する物体が、空を飛んでいるのだ。
「まさか……UFO?」
 郁は戦慄した。
 この時代に、人類が外宇宙との接触を持ってしまったら。
 ダウナーレイスが何よりも禁忌とする、宇宙への空間的版図拡張。その足がかりとなるものが、もたらされてしまうかも知れない。
 綾鷹家の隣の家から、女の子が1人、飛び出して来た。
「郁さん!」
 鍵屋智子だった。
 航空事象艇で時空を駆け巡っていると、彼女とは様々な時代で出会う。
 この時代においては、郁の家の隣に住んでいる女の子、という事になっているらしい。
「智子ちゃん……今回は、一体何? 何が起こってんの?」
「有り得ない事が起こったわ」
 智子は言った。
「……ナサが、宇宙人の存在を全否定したのよ。全ては錯覚だと」
「そんな……」
 郁は絶句した。
 すなわち、ダウナーレイスの存在も否定されてしまった事になる。
 否定。その単語が、郁の心に重くのしかかってきた。
 この時代に来てしまってから、郁はことごとく自身を否定されてばかりだ。
 懐かしい生まれ故郷とは言え、そこはすでに過去の場所なのだ。ダウナーレイスとして紀元五千年の時代に生きる自分が、受け入れられるはずはなかった。
 未来から来た者は、過去の者たちに否定される。過去から未来に行った者も、恐らくは否定されるだろう。
「時間移民って……こういう、事なの……?」
 じわっと溢れ出した涙を拭い、郁は智子と共に駆け出した。
 どうやら浜辺の方へと向かうUFOを、今はとりあえず追うしかない。