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<東京怪談ノベル(シングル)>


黒衣の天使(1)


 自衛隊・特務統合機動課。その地下施設内の廊下に、2つの足音がこだましている。
 制服姿の男女が一組、まるで盗み聞きを警戒するかのように声を潜めて会話をしながら、歩いていた。
「犯人は逃走中、という事になっているのだがね……実は我々が、すでに確保してある」
 男の方は、体格のガッシリとした初老の人物。特務統合機動課の、司令官である。
「警察に任せるわけには……と言うより、表沙汰にするわけにはいかなかったのだ」
「私たちの領分、という事ですわね」
 女の方は、まだ少女と呼べなくもない年頃の、若い娘だった。
 女性用のタイトな制服が、魅惑的なボディラインをぴったりと強調している。
 ジャケットとブラウスを、美しい双丘の形に膨らませた胸。しなやかに強靭に引き締まった胴。
 胸と同じくらいに見事な肉感を内包した尻には、ミニのスカートが巻き付き、貼り付いている。
 むっちりと形良い左右の太股は、黒のストッキングに覆われてはいるが、規則正しい歩調に合わせて躍動する度に、そんなものでは封じきれない色香が溢れ出して漂った。
 艶やかな黒髪は、優美な背中の線をさらりと撫でるように伸びている。
 端麗な顔立ちは、まるで精巧な人形のようで、今は何の感情も浮かんでいない。鋭い両眼が、冷ややかなほどに清冽な光を湛えているだけだ。
 水嶋琴美。19歳。一見すると、この司令官の秘書といった風情である。
「会社が1つ、なくなってしまったようですわね」
「それはもう、徹底した皆殺しであったらしい。社長、部長から一般社員、受付嬢や清掃員に至るまでな」
 本日の朝刊で、一面トップを独占した事件である。
 昨日、都内のとある商社に暴漢が押し入り、司令官の言葉通りの大量殺人を決行した。
 その暴漢が現在、警察に逮捕される事なく、この施設に収容されている。
「銃器の類は一切用いず、会社1つ分の人数を殺戮してのけたわけだ。暴漢と言うよりも……まあ、怪物だな」
 言いつつ司令官が、足を止めた。琴美も、立ち止まった。
 廊下の壁が、いつの間にか窓に変わっている。防弾ガラス製の、巨大な窓。
 その向こうは、実験室だった。
 まるで宇宙人のような防毒マスクを被った研究員たちが、手術台を囲んで、忙しく動き回っている。
 その手術台に、大量殺人事件の犯人は拘束されていた。
 司令官の言う通り、確かに怪物である。
 元々は単なる人間の男だったのであろう肉体は、今やゴリラ並に膨れ上がり、ある部分からは獣毛を生やしつつも、ある部分では甲殻を隆起させている。鱗に覆われている部分もある。
 そんな異形の巨体が、様々な拘束具でがんじがらめにされていた。首から上には、呼吸にも不自由しそうな特殊素材のマスクが被せられている。素顔がどのようなものであれ、人間の顔面ではなくなっているのは間違いない。
 強化ガラス越しに観察しつつ、琴美は呟いた。
「なるほど……確かに、警察や司法関係者の方々の出る幕ではありませんわね」
「その通り、事情聴取も尋問も出来ん。出来る事は、ただ1つ……」
 司令官が言いかけた、その時。窓の向こうで、非常事態が生じた。
 束縛されていたはずの怪物が、手術台から立ち上がっていた。引きちぎられた拘束具が、宙に舞い上がる。
 マスクがちぎれ、赤い蛇のようなものが凶暴に躍り出した。長い舌だった。
 その素顔は、無理矢理にでも表現するならば、肉食の爬虫類である。だが人間の表情を、残してもいる。獣では有り得ない狂気に歪んだ、人間そのものの表情が。
 恐慌に陥り逃げ惑う研究員たちを、押しのけるようにして、防弾・防毒装備に身を固めた男たちが実験室に押し入って行く。特務統合機動課の戦闘部隊である。
 彼らの小銃が、怪物に向かって一斉に火を吹いた。
 その光景を窓越しに見据えながら、司令官が言う。
「我らに出来る、ただ1つの事……頼めるかね水嶋君」
「お任せを。私の出る幕ですわ」
 人形のようだった美貌に、ようやく表情が浮かんだ。
 不敵な、微笑だった。


 実験室に駆け込んだ琴美の視界に、思っていた通りの光景が広がっていた。
 戦闘部隊員は1人残らず、血まみれの屍と化して散乱している。
 彼らに守られて生き延びた研究員たちを背後に庇う格好で、琴美は進み出た。怪物の、眼前にだ。
「同じか……テメエらも同じかよ……あのクソ会社の連中と、同じなのかよぉおお」
 そんな言葉に合わせて、怪物の口から長い舌が溢れ出し、毒蛇の如くうねる。
 毛むくじゃらでもあり、甲殻や鱗を備えてもいる巨体のあちこちに、小銃弾がめり込んでいる。
 それらをポロポロと落下させ、振りまきながら、怪物は喚いた。
「どいつもコイツも! 俺を! 否定しやがってよぉおおおお!」
 長い舌が、鞭のように一閃した。
 実験室内の機械設備が、いくつか粉砕された。戦闘部隊員の屍が、いくつか叩き斬られて飛び散った。
 この舌が、大量殺人の主な凶器となったのは間違いないだろう。
 琴美は、とりあえず会話を試みた。
「否定されたから、人を殺した……そのような解釈でよろしくて?」
「おお、そうさ! あのクソ面接官ども、この会社に向いてねえだの長続きするわけねえだの、俺の仕事ぶりも見てねえのに好き勝手な事ほざきやがって! だからどいつもコイツもぶち殺したやったのさああ!」
「人間を、お辞めになってまで?」
「ッッッッたりめーだろお? 人間なんざぁくだらねえ。クソどもにへいこらしなきゃいけねえし、ムカついた相手ぶち殺す事も出来ねえ、ねえねえ尽くしじゃねえかよオイコラふざけんなああああああああ!」
 絶叫に合わせて舌が伸び、琴美を襲った。
 蛇のような鞭のようなその一撃が、しかし空振りをしてビシッ! と床を殴打する。
 砲弾の直撃にも耐えられる床に、亀裂が走った。
 その時には、琴美の姿は空中にあった。跳躍。着地地点は、怪物の頭上だ。
「御自分の意思で、人間をお辞めになられた……」
 琴美の長い脚が、怪物の首に巻き付いた。
 むっちりと強靭な左右の太股が、黒いストッキングを内側から破いてしまいそうなほどに活力を振り絞り、怪物の太い頸部を圧迫する。
「つまり、害獣として駆除される覚悟はお有りのものと。そう判断させていただきますわ」
 にこやかに言葉をかけつつ、琴美は思いきり身を捻った。
 両太股の間で、怪物の頸骨が折れた。頑強な首の筋肉が、断裂していった。
 捻れた首を解放し、琴美はふわりと着地した。
 怪物は、立ったまま絶命していた。顔面のみが、血の泡を吐きながら真後ろを向いている。
「と……まあ、このような怪物の大量生産を企む輩がいると、そういうわけなのだよ」
 司令官が、いつの間にか実験室に入って来ていた。
「君の出る幕はここからだ、水嶋君」
「任務……拝命いたしますわ」
 琴美は、踵を揃えて敬礼をした。


 某県。風光明媚な山中に、その病院は建っていた。
 裕福な患者のための終末医療施設として、世間では認知されている。
 その穏やかな一面の陰に隠れたものを暴き出すため、琴美は病院の屋上に着地した。
 特務統合機動課のヘリコプターが、上空へと飛び去って行く。
 その暴風を浴びて屋上に佇む、黒くしなやかな姿。
 野性と母性を等しく感じさせる、豊満な胸の膨らみ。美しくくびれた胴。食べ頃の白桃を思わせる尻に、瑞々しく膨らみ締まった左右の太股。
 それら全てが、漆黒のラバースーツに閉じ込められている。閉じ込められた色香が、しかし今にも暴れ出しそうである。
 腰周りを覆うミニのプリーツスカートと、長く艶やかな黒髪が、暴風に舞う。
 舞い乱れる髪を、片手で軽く撫で付けながら、琴美は歩き出した。編上げのロングブーツに包まれた美脚が、左右交互に規則正しく躍動する。
 侵入者を迎え撃つべく、何人もの男たちが、ばらばらと屋上に姿を現していた。
 様々な銃器を携えつつ防弾装備に身を固めた、とても病院の職員とは思えぬ男たち。
 彼らに、琴美は微笑みかけた。綺麗な唇がにこりと歪み、涼やかに言葉を紡いだ。
「良くてよ……貴方がたに、極上の終末医療を施して差し上げますわ」