コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


黒衣の天使(4)


 豊かな黒髪を、吹きすさぶ強風の中に激しく泳がせながら、水嶋琴美はゆっくりと歩を進めた。男たちに、歩み寄って行った。
 とある高層ビルの、屋上である。この風なら、かなり広範囲にガスを散布する事が出来てしまうだろう。
 タンクローリーほどの大きさのカプセル容器が、屋上に据え付けられたところである。中身は当然、例の薬液だ。
 防毒服にすっぽりと身を包んだ、まるで宇宙人のような姿の男たちが、カプセルの周囲で忙しく動き回っている。散布の準備が、まだ整ってはいないようである。
 琴美としては一刻も早く、彼らを皆殺しにしてでも散布を阻止しなければならない。
 即座にそれを実行出来ない理由は、ただ1つ。男たちの方からも何名かが、こちらに歩み寄って来ているからだ。
 防毒服は、着ていなかった。
 そのようなものを着る必要がない、すでに人間を辞めてしまっている男が、計3人。
「うぇへへへへ、何しに来たのかなぁお嬢ちゃん。こんなとこまでよォ」
 1人は、言うならば人間大の昆虫だった。暗緑色の外骨格に包まれた、人型の怪生物。顔面では、巨大な複眼がギラギラと赤く発光し、大顎がせわしなく開閉している。
 節くれ立った両腕の先端は、左右で形状が異なる。左手はカギ爪状の五指、右手はカマキリを思わせる甲殻質の鎌である。
「聞いてるよぉ。うちの病院ぶっ潰してくれた嬢ちゃんが1人、こっちに向かってるってなあぁ」
「小娘おぬし、官憲の者か? つまり日本政府が、わしらを潰そうとしておると。そういう事なんじゃのう……何とも嘆かわしや」
 1人は老人だった。あの病院の、入院患者だったのだろう。老いていたはずの肉体が、しかし今は筋肉でゴリラ並みに膨れ上がり、獣毛を生やしている。顔面も猿そのものだが、温厚なゴリラよりは、類人猿の中で最も凶暴と言われるチンパンジーに近い。
「そもそも日本が世界一流国になりきれんのは、つまるところアメ公に負けたからじゃよ。もう1回戦争やって勝たねば、この国は行き詰まってゆく一方じゃて……ゆえに国民全員に、わしらと同じ力を与えてやらねばならんのじゃよ、国民皆兵じゃよ! アメ公に飼い馴らされとる日本政府にゃ、それがわからんかのう」
「私たちはね、幸せをばらまいてあげたいだけなのですよ」
 3人目は、半魚人だった。固そうな鱗と鋭利なヒレを全身に備えており、そのヒレは左右前腕から広がったものが最も大型で鋭い。腕から、刃が生えているようなものだ。
「貴女にわかりますか? お嬢さん。金目当てで結婚しただけのくせに嫌味を言うだけの女房や、育ててもらっている分際で父親に敬意を払わない子供。こういった輩が、ちぎれ潰れてクズ肉と化し、飛び散ってゆく……この快感、この幸せ! 私たちだけで独占するべきものではありませんよ。同じような苦しみを抱えている世の人々に、分けて差し上げなければ」
「寝言は、寝て言うものですわよ」
 ふっ……と優雅に嘲笑いながら、琴美は左右2本のナイフをくるりと弄び、構えた。
「今から、眠らせて差し上げますわ。寝言も言えなくなるほど、深く安らかに……お休みなさいな」
「なっなななな、なぁんか生意気なコト言ってるぅううううう!」
 昆虫人が、右手の鎌で猛然と斬り掛かって来る。
「俺、生意気な女ぁバラバラにすんの大好き! 俺、これからは女とかガキとか切り刻みながら生きてく事に決めたからよ、おめえその第1号! 殺人デビューだぁああああい!」
 妄言に合わせて振り下ろされた鎌を、琴美は左のナイフで受け流した。受け流された昆虫人の身体が、前のめりに泳ぐ。
 そこを狙って、琴美は右足を離陸させた。黒いラバースーツをむっちりと膨らませた太股が、超高速で跳ね上がった。
 暗緑色の外骨格をまとう異形がズンッ! と前屈みにへし曲がった。その腹部に、琴美の右膝がめり込んでいる。
 うずくまり倒れた昆虫人の背中を、片足で踏み付けながら、琴美は右のナイフを投擲した。
 跳躍し、毛むくじゃらの剛腕を空中から叩き付けて来ようとしている老猿人。その額に、飛翔したナイフが深々と突き刺さる。
「がっ……だ、大日本帝国……万歳……」
 屋上に墜落した老猿人が、そんな言葉を残して絶命している間。琴美は、3体目の敵に対応していた。
「許せません……許せませんねええ!」
 襲いかかって来た半魚人が、両腕のヒレを一閃させる。
 琴美は後方に跳び、その斬撃をかわした。
 半魚人が、即座に距離を詰めて来る。刃のようなヒレを振るいながら、恨みを叫んでいる。
「我々のような抑圧されし者を、暴力で虐げる! お嬢さん、貴女は国家による横暴をまさに象徴する存在と言えましょう! 生かしてはおけませんねえ!」
「……いいでしょう。思いきり、抑圧して差し上げますわ」
 姿勢低く、琴美は前方に踏み込んだ。艶やかな長い黒髪が、水平にたなびく。そのすぐ真上を、斬撃のヒレが超高速で通過して行く。
 頭上に風を感じつつ、琴美は半魚人と擦れ違った。左のナイフを、思いきり突き込みながらだ。
 衝撃にも等しい手応えが、琴美の左手からナイフをもぎ取った。
 半魚人が倒れ、弱々しく痙攣しながら屍となってゆく。その左胸に、琴美のナイフが深々と突き刺さっている。
 2つの屍にそれぞれ1本ずつ刺さったままのナイフを、琴美は引き抜いて回収した。
 そうしながら、前方を見据える。倒れていた昆虫人が、よろよろと立ち上がったところである。
「ま……負けねえ、俺ぁ女とか子供とか殺しまくるんだ……アンドレイ・チカチーロになるんだよ俺は! アルバート・フィッシュなんだよ俺はあああ!」
 高らかに世迷い言を張り上げながら、昆虫人は駆け出した。鎌が、カギ爪が、琴美を襲う。
「テッド・バンディに! ジェフリー・ダーマーに俺はなる! ジョン・ウェイン・ゲイシー! エドゲイン! 憧れの先輩たちと、俺ぁ同じステージに立ったんだよォオオオオオオオ!」
 もはや会話をしてやる気にもならず、琴美は左足を跳ね上げた。
 長い脚が高々と突き上げられ、ロングブーツの靴底が昆虫人の顔面を直撃した。
 歪んだ大顎の間から悲鳴を垂れ流し、昆虫人が吹っ飛んで行く。そしてカプセル容器に激突する。
 防毒服を着た作業員たちが右往左往している、その様を見据えながら、琴美は右のナイフを眼前に立てた。
 そして、念じる。
 美貌の眼前で立てられた刀身に、闇、としか言いようのないものが発生しまとわりついた。
 光すら吸収する、重力の波動。
 それを帯びたナイフを、琴美はくるりと逆手に構えた。そうしながら、勢い良く肢体を屈める。
 闇をまとう刃が、屋上に思いきり突き立てられた。
 重力の波動……波状のブラックホールが、ナイフから奔り出し、コンクリートを粉砕しながら、カプセル容器へと向かって行く。
 巨大なカプセル容器が突然、潰れた。
 大量の薬液が、溢れ出しながらも飛び散らず、容器の破片もろとも、ブラックホールの波へと呑み込まれてゆく。
 周囲の作業員たちも、昆虫人も、同様の運命を辿った。
 何もかもを一緒くたに潰し、吸収しながら、重力の波動もゆっくりと薄れ、消えてゆく。
「任務完了……」
 琴美は呟き、溜め息をついた。
「非力な殿方ほど、つまらない夢を見るもの……ですわね」


「御苦労だった」
 自分の足で任務完了報告に来た琴美を、司令官が労ってくれた。
「まあ君が苦労するほどの仕事であったかどうかはわからんが、面倒な思いはさせてしまったな」
「夢のない時代とは申しますけれど……夢見る殿方は、大勢おられますわ」
 琴美は微笑んだ。ああいう輩を見ていると、微笑ましい気分にならない事もない。
「夢、か……君はどうかな、水嶋君」
 司令官が、問いかけてくる。
「夢見る乙女のような時期が、君にもあったのか、少し気になってしまうな」
「夢……ふふっ、ない事もありませんわ」
 自分と互角以上に戦える、強く魅力的な殿方。
 琴美にとって、それはまさに見果てぬ夢だった。