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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に沈む人魚姫


「浄化の一撃、ホーリースプラッシュ! いっけぇえええええ!」
 海原みなもは、つい叫んでしまった。
 瀬名雫が、慌てて囁きかけてくる。
「みなもちゃん! 声、大っきいから!」
「あ……ご、ごめんなさい」
 みなもは、小さくなって口を押さえた。
 とあるネットカフェで、みなもは今、海エルフの聖戦士となって邪神の下僕たちと戦っていた。
 画面の中で、聖なる水飛沫が美しく飛び散り、醜悪な半魚人の群れを一掃してゆく。
「……何だかんだで、ノリノリだね? みなもちゃん」
「つい、熱中し過ぎちゃって……」
 みなもは赤くなって俯いた。
 雫に誘われて始めた、新しいネットゲームである。
 広大な世界や多彩な種族・職業を売りにしているのは、他のゲームと同じだ。
 ただ、このゲームには他にもう1つ、他にはないセールスポイントと言える要素があるらしい。
 画面上でキラキラと散る水飛沫を眺めながら、雫が言う。
「ホーリースプラッシュも、レベル100くらいまで上がってくみたいだからね。演出もどんどん派手になってくよん」
「ねえ雫さん……本当なの? サブのシナリオが、自動的に生み出されるって」
 シナリオ生成システム。メーカーは、そう謳っている。
 隠されていたシナリオが、次々と開放されてゆく……というものではないらしい。
 プレイヤーの行動によって、新しいシナリオが0から発生してゆく。メーカーは、そう豪語している。
「そんな事、出来るのかな?」
「うーん……フラグ管理とか、どうなってるんだろうね」
 首をひねりながら雫が、じっと画面に見入っている。
 聖なる水飛沫は、まだ飛び散り続けていた。
「ちょっと……いくら何でも、エフェクト長過ぎない?」
 みなももそう思ったが、綺麗な水飛沫なので、長さは気にならなかった。むしろ、ずっと見ていたい。
 やはりと言うべきか、水を見ていると心が和む。安らぐ。
 だが当然、そんな気分になれるのは、みなもだからだ。雫は、文句を言っている。
「これバグってんじゃないの? やだもー」
 その文句が、水音に掻き消された。
 みなもの周囲で、聖なる水飛沫が飛び散っていた。
(…………え……?)
 どこかへ落ちて行くような感覚が一瞬、みなもを襲った。
 暗い、だが妙に懐かしいどこかへと、落ちて行く。沈んで行く。
 みなもは、海中にいた。


 胸には、ホタテの貝殻。それで充分に隠せてしまう程度の大きさなのだ。
 まだいささか発達の余地があると思われるボディラインが、ほっそりとした半裸の上半身から、鱗に覆われた下半身へと続いてゆく。両脚は融合しており、爪先は綺麗に広がった尾ヒレである。
 人魚の姫君・海原みなもは、憂鬱そうに髪を撫でた。水中にあっても青く煌めく髪。海流に煽られ、海藻のように揺らめいている。
 幼さの残る可憐な美貌が、海底の暗闇をじっと見つめた。
 暗闇の中に鎮座する、太古の神殿。
 外から見ると完全な廃墟、古の時代の遺跡である。
 それが今や、廃墟ではなくなりつつある。生きた神殿として、復活しようとしている。
 神殿の奥深くに封印されていた太古の邪神が、覚醒を始めたのだ。
 邪神そのものは、まだ完全には目覚めていない。
 だが邪神の下僕たる半魚人の軍勢や、生ける水死体の群れが神殿に集い、覚醒途中の邪神をしっかりと警護している。
 廃墟であった神殿は、今や難攻不落の海底要塞と化していた。
 この邪神の軍勢が、みなもたち人魚族に害をなす存在であれば、むしろ話は簡単である。人間たち地上の種族と手を結び、戦う。人魚族の選択肢は、それしかない。
 だが先日、邪神に仕える半魚人の神官が1人、使者として人魚の王宮を訪れ、告げたのだ。
 旧き支配者の眷族たる我々には、同じ海に生きる人魚族と敵対する意思は全くない。我らの敵は、地上のみならず海にまで殺戮と汚染をもたらす人間であり、これを滅ぼす事は、人魚という種族にとっても有益。同じ海に生きる者同士、手を結び、人間どもと戦うべし……と。
「どうしよっか、みなもちゃん……」
 みなもの傍らに浮かぶ小さな生き物が、声を発した。
 ペット、と言うよりも相棒であり親友である、コウモリダコの雫である。何故、雫などという名前をつけたのか、みなもは覚えていない。
 ずっと昔から、自分は人魚姫の海原みなもであり、このコウモリダコは雫だった。そんな気がする。
「あたし、人間は嫌いじゃないよ」
 ぱたぱたと浮かびながら、雫が言う。
「そりゃ確かに人間は、あたしらの仲間をたくさん獲って食べたりしてるけど……そんなの、サメやウツボの連中だってやってる事だし」
「あたしも、お魚や貝や……雫さんのお友達のタコさんを、食べた事もあるわね」
「しょうがないよ。あたしなんかはマリンスノーだけでお腹いっぱいになれるけど、人魚や人間はそうもいかないもんね」
 邪神の軍勢と同盟を結び、人間と敵対するか。その逆か。
 人魚族にとっては、種族の行く末を左右する選択となるだろう。結論を下すのは、みなもの父親である人魚の国王だ。だが王族の一員として発言する事くらいなら、みなもにも出来る。
 人間たちと手を結び、邪神の軍勢と戦うべきか。その逆か。
 人魚族の行く末、だけではない。この世界そのものの命運をも、左右しかねない問題である。
「世界の、命運……」
 呟きながら、みなもは思った。
(あたし……何を考えているの?)
 種族の行く末、世界の命運。人魚の王族としては当然、常に考えていなければならない問題だ。
 だから物心ついた頃から、みなもはずっと考えていた。
 物心ついた頃とは、しかし一体いつ頃なのか。
 自分はいつから、人魚の王女であったのか。
「どうしたの? みなもちゃん」
 雫は、いつから王女の友達のコウモリダコであり続けてきたのか。
「……具合でも、悪いの?」
「何でもない……大丈夫」
 みなもは軽く、頭を振った。
 今は、わけのわからぬ事で思い悩んでいる場合ではない。
 邪神と手を結ぶか、人間の味方をするか。人魚の王族として、それを考えなければならない時だ。
 思い悩む、人魚の姫君。その親友のコウモリダコ。
 いつから自分たちは、そうなのか。それは誰かに与えられた役割ではないのか。
 どうしても、みなもは考えてしまう。
 それは、太古の邪神すら問題にならぬほど深く大きく、この世界そのものの根幹に関わる問題ではないのか。
 人魚にとってはさほど冷たくないはずの水の中で、みなもは身震いをした。
 視界の先にある暗黒の神殿の中で、地上に滅びをもたらすべく目覚めようとしている、太古の邪神。
 それもまた、誰かに与えられた役割に過ぎないのかも知れないのだ。