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<東京怪談ノベル(シングル)>


春雷宜しく風来たる - 前

 病室から目覚めた郁はとてもハッピーとは言えない気持ちだった。
 人口子宮の前で談笑するダウナーレイスの二人が目に映る。
 会話の内容は流行り服がどうだのといった実に他愛もないもの。
 かつては自分も同じように笑っていた。
 止む負えない処置とはいえ、瀕死の状態だった郁はTC(ティークリッパー)へと改造される。
 二人のダウナーレイスは実に女の子らしく、ふんわりと可愛らしい。
 郁も一見するとかわいらしい女の子だが、髪は鬘、胸はシリコンである。
 髪も胸も、卵巣もない自分は果たして女なのだろうか?
 そんな自分を見てくれる人はいるのだろうか?
 視線を物陰へと落とし、自虐的な笑みを浮かべる。

「あたしは……」

 栗色の巻き毛をくしゃっと握りしめた。
 そんな時、携帯端末に着信が響く。
 環境局へと呼び出された。

 環境局の一室では激しい口論が飛び交っていた。

「そんなの信じられるわけないじゃない!」

 郁が呼び出されたところは、郁をTCへと改造した医者の仕事場である医務室。
 薬品の匂いが白い壁面に染み付いている。
 そこにいたのは医者と、見知らぬ人間がもう一人。
 医者の友人であるという彼女は、「郁」を貸してほしいというのだ。

「君は貴重な素体なんだ。普通の人間がダウナーレイスになった例はそう多くない。君自身を被験体とするのではなく、君のクローンを量産したいのだ。そのためには君の体を解剖して研究しなければならないが、記憶は一時保存した後に新しい体に戻す。もちろん君自身になんら痛みや障害を感じることはないし、なんの後遺症も残らない」
「いやよ!」
「どうしてだ?その体ではなく、きちんと女性の体を提供しようというんだ。悪い話ではないだろう?」
「それって一旦死ぬってことでしょ、あたしはまだ……死にたくない、死にたくないわ!」
「いい加減にいうことをきかないか!子どもじゃあるまいし!!」
「そっちこそ勝手だっていうのよ!私の気持ちも知らないでまた踏みにじって!」
「君に拒否権はない、これは命令だ」

 つきつけられた薄っぺらい羊皮紙を見て言葉を失った。

「なっ……によ、これ!!」

 そこに書かれてたのはこの藪医者の直々の部下になるというTCの転属命令書だった。
 TCのことはよく知っている。この街に棲む人間ならみんな知っていることだろう。
 つまり、命令は絶対である。
 逆らえない権力という力の前で、悔しさに唇を噛んだ。視界が滲んでぼやける。

「自分の立場をよくわきまえたまえ」

 医者はそう言い残し、部屋を出た。
 カツカツと甲高いヒールの音が遠ざかっていった。
 辞令を握り締める手に、涙が落ちる。
 ヒールの音が聞こえなくなった扉に、右手のくしゃくしゃになった紙を叩きつけた。
 自分を改造した張本人は、ただの一言も話さずにずっと郁を見ていた。
 翌日「私、辞めます」と書かれた辞表が郁の机に置かれていた。

「これで一息かしら?」

 大きめのボストンバックに残りを詰め込み、同僚のいる送別会の場所へと向かった。
 優秀な仲間を失う同僚たちは残念そうだ。
 舞台は法廷へと移る。
 辞表に憤慨した藪医者は郁を提訴した。被造物が好き勝手動いていると。
 提訴理由をみて絶句する郁。
 郁は弁護人に二十一世紀から萌を呼んだ。
 事情は全て説明してあり、萌は協力を快諾してくれた。
 本日の議題は郁に人権があるかという点。
 女の定義とは何かと、藪医者は熱っぽく語る。郁が女ですらない場合には、物体即ち環境局の資産ということになり辞職の権利は無くなるという。

「極論だが、人口子宮に人権はあるのだろうか?そう、環境局は彼女らを庇護しこそすれ、その創造主である。従って……」

 言葉を遮り、向こうの弁護人が藪医者を宥めていた。それ以上興奮されるとまずい状況になると判断したのだろう。

「資産たる郁に人権はない」
「私は人間だわ!」
「今は違うだろ!ダウナーでも、ましてや人間でもない」

 水掛け論は続くが、発言権が郁たちへと移る。

「郁は一人の女性です。TCに改造される前の歴史が証明されるように、彼女はホンモノの心を持っています!」

 萌の言葉が嘘偽りなく、本心から来るものを感じて胸が熱くなった。

「裁判長、お見せしたいものがあります」

 そう言って郁に近寄る医師。もう嫌悪の対象となってしまった彼女が近づくにつれて、郁の顔が強張る。

「いやっ!」

 目を閉じて顔を庇う。
 そんな郁の様子をおかまいなしに、背中の服に手をかけた。

「これをご覧ください!」

 藪医者は力任せに郁の服を毟った。

「人間に翼はないわね?」

 毟った純白の水着を見せた。

「今日は萌も郁も出血すべき日よね?」

 そう言って、郁の鬘を毟る。

「これは何?人間の髪の毛じゃないわ!頭からつま先まで人を騙して!」

 郁は剥き出しになった頭を抑えた。
 悔しさと恥ずかしさで必死で涙を堪える。

「私は……人間よ……」

 呟いた言葉は声にならずに消える。

「これらを偽装の証拠物件とします!この郁を名乗る物体は我々を欺き黒う……」

 もう相手は人権云々のことなど考えていない。あまりの壮絶な一幕に萌は絶句し、郁は号泣する。

「お前も女とは違うだろ」

 悪意は転移する。
 防御スーツ姿の萌を指さす医師。

「裁判長、休廷を求めます」

 カンカン、と小気味よく木槌が叩かれ、萌の提言は受け入れられた。

「援軍を呼ぶ他無いわ。エルフを謳歌してるあのオバハンとあの探偵を……」