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<東京怪談ウェブゲーム あやかし荘>


小さなともだち


 柚葉の頭で一瞬、ほんの一瞬だけ、狐の耳がピンと立った。天王寺綾には、そのように見えた。
「聞こえる……」
「何がやねん」
「誰かが……ボクの仲間が、助けを求めてる……」
 そんな事を言いながら、柚葉はすでに駆け出していた。
「柚葉? ちょっ……どこ行くねんな」
 などと綾が言っている間に、柚葉の小さな姿は、あっという間に見えなくなってしまった。
「あかんわ、また何か首突っ込もうとしとる……ああ、そこの足速そうなあんた!」
 通り掛かった制服姿の少年を、綾は無理矢理に呼び止めた。
「あの子の事、ちょっと追いかけてや。うちもすぐ行くさかいに」
「は、はい!」
 見るからに押しの弱そうなその少年が、綾の勢いに押されて走り出す。
 走りながら、呟く。
「……俺、別に足速いわけじゃないんだけどなぁ」


 あの子を追いかけて、と頼まれた。
 どの子であるのかは、すぐにわかった。
 小さな男の子が、かなり前方をぱたぱたと走っている。
 いや、どうやらボーイッシュな女の子であるようだ。ショートカットの髪をはねのけるようにピンと獣の耳が立ち、可愛らしいお尻からはふっさりと豊かな尻尾が伸びている。
「何だ、あれ……親御さんの趣味か?」
 工藤勇太は、まず同情した。自分の子供にコスプレをさせて画像をアップしたりイベントへ連れ回したりと、そういう類の親を持ってしまったのだろう。
 問題は何故、その同情すべき女の子を、自分がこうして追いかけなければならないのか、という事だ。
 先程の、関西弁を喋る化粧の濃い女性。あれが、もしかしたら母親ではないのか。
 親の趣味に反発して逃げ出した子供を、通りすがりの他人に捕まえさせようとしているのではないのか。
「……ご家庭の事情に、うかつに立ち入るべきじゃないよなぁ」
 走りながらぼやいている間に、勇太は女の子を見失ってしまった。


 この男は、陰陽道や呪禁道など、日本古来の呪術と呼ばれるものは一通り学んできた。
 それらの中でも特に効果的なのは、動物妖怪の使役である。男は、そう思っている。
 中でも犬神。この最強の動物妖怪は、あらゆる人間を発狂させ、あるいは祟り殺す。金のかかる科学技術を必要としない、究極の殺人兵器と言える。
 必要なのは、こういう連中を雇うための金だけだ。
「おら鳴けよ、鳴いてみろよ」
「文句あんなら噛み付いたっていいんだぜ? 歯ぁ全部ブチ折るけどなあ」
 若者たちが、そんな事を言いながら、1匹の仔犬を蹴り転がしている。踏み付けている。
 仔犬は悲鳴を上げ、逃げようとするが、鎖で繋がれている。
「殺すなよ。死なせなければ、何をしてもいい」
 男が命じると、若者たちが笑った。
「へへっ、じゃあ耳とか尻尾とかチョン切ってみっかあ?」
「まったく、こんな犬ッコロ痛めつけただけで金もらえるんだもんなあ」
 殺すのは、この仔犬の、若者たちに対する憎悪が最高潮に達した時である。
 その時、単なる仔犬が怨念の生物兵器・犬神と化す。
 当然、この若者たちは死ぬ。払った金も、回収出来る。
 元々は倉庫か、それとも工場であったのか。とにかく広い廃屋内に、仔犬の悲鳴が痛々しく響き渡る。
 もう1つ、叫びが響いた。
「待て待て待てぇえー!」
 元気の良い、子供の声。
 仔犬に蹴りを入れていた若者の1人が突然グシャッとのけ反った。
 その顔面に、小さな人影が着地していた。
 幼い男の子、いや女の子であろうか。
 ふっさりと伸びた尻尾が装飾品ではない事を、男は一目で見て取った。
「ほう……本物の、動物妖怪か」
 恐らくは狐の化身であろう、その幼い少女が、若者の顔面を蹴り付けてクルクルと跳躍する。そして仔犬の傍らに、しゅたっと着地した。
 蹴られた若者が、鼻血を噴いて尻餅をつく。
「て……め……ッ!」
「何だ、このクソガキ……邪魔すんのかあ!」
 他の若者たちが激昂し、懐から様々のものを取り出した。ナイフ、特殊警棒、スタンガン。
 それら凶器に囲まれながら、狐の少女が仔犬を抱き締め、怒りの声を発する。
「ひどい……何で、こんな事するんだよぉ!」
「そりゃおめえ、金もらえるからに決まってんだろうがよぉ」
 若者の1人が、へらへらと笑いながら、特殊警棒で少女を脅す。
「わかる? 俺たちゃ仕事やってるワケよ大人として。子供がそれ邪魔しちゃあ駄目だろうが坊や……いや、嬢ちゃんか?」
「……脱がしてみりゃあ、わかんだろーがよぉお」
 蹴り倒された若者が、鼻血を拭いながら起き上がり、ギラリとナイフを構えた。
「大人ぁバカにしてるガキャあ、きっちりシメてわからしてやんねえとなああ!」
「あの……ちょっと、いいかな……」
 何者かが、息を切らせながら声を発した。
 細い人影が1つ、よろよろと廃屋に歩み入って来たところである。
「はあ、はぁ……あー、こんなに走ったの生まれて初めてかも」
 制服姿の、高校生と思われる少年。
「俺、今来たばっかで状況何にもわかってないんだけど……」
 気弱そうな、だがどこか禍々しい緑色の瞳をしたその少年が、辛そうに呼吸を整えながら言った。
「あんたらの、やってる事……大人のやる事とは、ちょっと思えないなあ」
「何だてめえ……正義の味方ぶってんじゃねえぞ!」
 若者の1人が凶暴に叫び、特殊警棒を振り上げ、少年に殴り掛かろうとする。
 振り上げられた警棒が偶然、別の若者の顔面を直撃した。
 ……否、偶然ではない。緑の瞳の少年が今、確かに、何かを念じた。念の力を、男は確かに感じた。
「痛ッ……何しやがる!」
「あ、悪い……」
「てめえな、目に当たるとこだったぞ! 危ねえだろうがクソボケ!」
「だから謝ってんだろうがあああ!」
 若者2人が、殴り合いの喧嘩を始めた。
 止めようとする他の若者たちの顔面に、拳が当たり、肘が当たる。
 たちまち、大乱闘になった。
 緑の瞳の少年が、その乱闘を巧みにくぐり抜けて行く。そして、狐の少女を促す。
「さ、今のうちに……」
「う、うん」
 少女が仔犬を抱き上げ、駆け出そうとする。
 男は懐から紙の束を取り出し、放り投げてばらまいた。
 奇怪な文字が書かれた、何枚もの札。陰陽道系の呪術で用いられる、式札である。
 それらが、空中をひらひらと舞いながら厚みを増し、膨れ上がり、紙ではないものに変わってゆく。
 緑の瞳の少年と、狐の少女。両名を取り囲むように、巨大なものが5体ドシャッ、ドシャアッと着地した。
 つい今まで薄い式札であったものたちが、今や力士のような肉塊と化し、牙を剥いて角を振り立て、カギ爪を揺らめかせる。
 形容し難い怪物5体に取り囲まれ、狐の少女が立ちすくむ。
 制服姿の少年が、緑の瞳で怪物たちを見回した。
「あの、もしかして……特撮番組か何か? の撮影だった? 入って来たらマズかった、かな?」
「そんなわけない……こいつら本気で、この子いじめてた!」
 狐の少女が仔犬を抱いたまま叫び、こちらを睨んだ。
「何でこんな事するんだよ!」
「騒ぐな動物妖怪。そなたは私が、大事に使役してやる」
 男は笑った。
「そして少年。そなたも人間にしては、なかなかの力を持っておるようだ」
「……俺の事? 何言ってんのか、わかんないんだけど」
「すぐにわかる。さあ、私の式鬼たちを相手に……そなたの力、見せてみよ」


 式鬼と呼ばれた5体の怪物が、じりじりと包囲を狭めて来る。
 勇太は、仔犬を抱いた少女と、身を寄せ合う格好になった。
「ごまかしは無意味であるぞ、少年よ」
 平安貴族風の黒っぽい衣装に身を包んだ男が、ニヤリと笑みを浮かべて言う。
「そなたの力……ごまかして隠せるものではあるまい。さあ見せてみよ。使い物になるようなら、そこの動物妖怪と同じく、私が使ってやろうぞ」
(こいつ……!)
 同じだ、と勇太は思った。
 この男、あの研究施設にいた者たちと、同じ目をしている。同じような事を言う。同じような、笑い方をする。
(やめろ……思い出すなよ、俺……)
 片手で頭を押さえながら、勇太は己に言い聞かせた。
 そうしながら、見回す。とにかく、この式鬼4体の包囲から脱出しなければ……いや、式鬼は5体いたはずだ。もう1体は、どこに行ったのか。
 悲鳴が聞こえた。
 もう1体の式鬼は、乱闘を繰り広げる若者たちに襲いかかっていた。
 カギ爪が、牙が、角が、若者たちを片っ端から引き裂いて叩き潰す。
 勇太はとっさに少女を仔犬もろとも抱き寄せ、視界を塞いだ。
 殺戮そのものよりも凄惨な光景が、そこに生じていた。
 屍となったはずの若者たちが、蠢いている。引き裂かれ叩き潰された屍たちが、グチュグチュと融合しながら脈打ち、人間の死体ではないものへと変わってゆく。
 が、やがて力尽きたようにビチャアッと倒れて広がり、動かなくなった。
「やはり……な。人間の怨念など、この程度のもの。とても使い物にはならん」
 平安貴族風の男が、奇怪な文字が書かれた紙の札を掲げたまま言う。
 彼は今、若者たちの屍を使って、何かを作り出そうとしていた。
 この男は、あの研究施設にいた者たちが勇太にしていたような事を、仔犬や若者たちを使って行おうとしていたのだ。
「怨念で怪物を作り出すなら、やはり素材は人間よりも動物よな。まあ今回は小娘よ、そなたのような本物の動物妖怪を手に入れる事が出来る。あとは少年よ、そなたが力を見せるだけであるぞ?」
「……命を……お前は……!」
 日頃、勇太が懸命に抑え込み、封印しているもの。それが、怒りの絶叫と共に迸っていた。
「命を何だと思ってるんだ! お前はああああああああああッッ!」
 目に見えぬ念の刃が、式鬼5体を一瞬にして切り刻んだ。
 切り刻まれたものたちが、無数の紙の切れ端に変わって舞い散った。
「ひ……っ」
 平安貴族風の男が、へなへなと無様に尻餅をついた。
 緑色の瞳を燃え上がらせ、勇太は睨み据えた。
「お前……よくも……」
 正義ではない。勇太は、自覚はしていた。
 今の自分の行いは、正義感に基づくものではない。単なる、憎しみの爆発だ。
「せっかく、忘れかけていたのに……よくも、思い出させて…………ッ!」
「ば……バケモノ……」
 男が、辛うじて聞き取れる声を発した。
「お前は、人間ではない……いかなる動物妖怪にも勝る、バケモノだ……」
 それが、最後の言葉となった。恐怖のあまり、男の心臓は停止していた。
 死に際の言葉だけが、勇太の心に残った。勇太の心に、突き刺さっている。
「俺は……バケモノ……」
 今更、打ちひしがれるような事ではなかった。
 あの研究施設で、生き延びてしまったのである。化け物なのは当然だった。
 ぽん、と腰の辺りを軽く叩かれた。
 どうやら作り物ではない、本物の獣の耳と尻尾を生やした少女が、じっと勇太を見上げている。
「バケモノでも……友達は、出来るよ?」
 そんな事を言いながら、仔犬をそっと押し付けて来る。
 勇太は、受け取ってみた。
 化け物である少年の抱擁を拒まず、仔犬がクゥン……と甘えてくる。
「あやかし荘へ、おいでよ」
 獣の少女が、にっこりと微笑んだ。
「バケモノなら、いっぱいいるよ?」