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<東京怪談ノベル(シングル)>


〜夢まぼろし〜


 それは綾鷹郁(あやたか・かおる)が任務に向かおうと、家から出ようとしていたとき、唐突に起きた。
 背中の中ほどまである緩やかなカーブを描く金髪と、水色のワンピースに白い清楚なエプロン、真っ白なハイソックスに黒い靴――にっこり笑うと殺人的なかわいらしさを見せる、言ってみれば不思議の国のアリスそっくりの少女が、郁の行く手を堂々と阻んだのだ。
 見たことも会ったこともない相手を目の前に、郁は驚きといらだちをあらわに「そこどいて!」とアリスもどきに食ってかかった。
「邪険にしないでよ」
 アリスもどきはひらひらと片手を振って余裕しゃくしゃくに笑った。
 それは虚無の境界盟主、巫浄霧絵(ふじょう・きりえ)が虚無の力で変身した姿だった。
 郁の警戒心を削ぐために考えられた結果だったようだが、郁はそれどころではなかった。
 これから向かう予定の現場は、一刻の猶予も許されないところだ。
 必死に霧絵を押しのけようとする郁の右腕を、霧絵はむんずとつかんだ。
「あなたに贈り物があるの。人間なら喉から手が出るわよ♪」
 郁は嫌々と首を横に振りながら、もっともな質問を相手に浴びせた。
「てか貴方誰?」
 しかし相手はふふ、と笑ったきりで、それ以上答えるつもりが今のところはないらしい。
 本気で相手を振り切って、事象艇を現場に向かわせようとした郁を、今度は事象艇ごと投網で捕縛して、彼女を強引に足止めした。
 どんなにあがいても投網から脱出できない郁は、仕方なく上司の指示を仰ぐことにした。
「あたしの一存じゃ決められないもん! 場所を教えるからそこまでいっしょに来て!」
 現場の様子が、目の前のモニターに映し出された。
 大きな震災の直後だ。
 瓦礫の下で大勢が呻いている。
 小学生の娘を発掘してくれと血まみれの母親が叫んでいる。
 基地まで牽引される道中、郁の表情は一向に晴れなかった。
 
 
 
「贈り物ですって? はいはい」
 郁が現場に向かっていなかったことに一瞬驚きを禁じ得なかった女上司は、ついで現れた霧絵から「贈り物」のことを切り出され、どうでもいいとでかでかと顔に書いて、軽くあしらった。
「震災の現場の処理の後でね」
 しかし霧絵はまったく取り合わない。
 アリスさながらの可憐な少女は、両手両足をじたばたさせて、基地中をつんざくような悲鳴を上げた。
「今でなきゃ嫌〜!」
 叫んだ次の瞬間、女上司と郁、そして霧絵はある広場へと転移した。
「なに、これ」
 郁は突然連れて来られたその場所を見回して、ぼうぜんとつぶやく。
 霧絵が彼女たちを拉致したその場所には、トランプの兵隊が整然と並んでいた。
「ポーカーして、あなたたちが勝ったら解放してあげる。それでどう?」
 その空間からの独力脱出は不可能だと察知した女上司と郁は、渋々勝負に参加することにした。
 すると、兵隊たちはパラパラと参加者たちに突撃を始め、彼女たちを槍で突いた。
「ちょ、なんばしよっと!」
 郁が怒りに叫んだ。
 すると、霧絵はふん、と鼻で笑って言った。
「たった今授けた神力で解決しなさいよ」
 いつの間に贈り物を受け取っていたのかと愕然とした郁は、トランプ兵からの攻撃を紙一重の差で逃げながら、本気で迷った。
 しかし、女上司が大きな怪我をしたのをきっかけに、郁はギュッと目をつぶり、観念したように体の中に生まれていた大きな力を解放した。
 トランプ兵たちは一瞬で空へ舞いあがり、紙くずのように霧散した。
 同時にその仮想空間も破裂し、郁は霧絵とともに、凄惨な場へと放り出されていた。
 郁が降り立ったのは、絶叫する母のすぐ近くだった。
 急いで娘の許へ駆け寄るが、娘はもう手遅れだった。
「さっきの力を使えば蘇るわよ。何しろ、底なしの力ですもの」
 霧絵はその場にそぐわないかわいらしい声で、さえずるように郁に耳打ちした。
「やっちゃいなさいよ、トランプ兵たちを一掃したみたいに、ね」
 悪魔のささやきが郁の心に忍び込む。
 また目を閉じ、郁は考えた。
 ややあって、彼女は肩を落とし、頭を振った。
「代償は何?」
「人間は無限に成長しやがて虚無を凌ぐ。与えた力をどう使い熟すか観察して秘密を探りたいのよ」
「…私が怖いのね」
 霧絵は人間を恐れている。
 それを言葉から読み取って、郁は率直に口に出した。
 舌打ちのような音が聞こえ、霧絵が大きく片手を払った。
「これを見ても、平静が保てるかしら」
 また場面が変わった。
 今度は目前でいきなり団らんがくり広げられていた。
 見慣れた風景だった。
 閉店後の喫茶店、懐かしい空気。
 虚無の力で捏造した郁の実家で郁一家と霧絵が、カウンター越しに和やかな雰囲気を醸し出していた。
「郁も立ってないで座ったら?」
 他界したはずの姉が、やさしく笑って手招きする。
「ここ空いてるわよ」
「霧絵さんはコーヒーは好きかしら?」
 母親がにこやかに霧絵に話しかけている。
 どうやらここでの霧絵の役割は、「郁のお友達の霧絵さん」らしい。
 両親も姉も、違和感なく彼女を「おもてなし」していた。
 郁は懐かしくも切ない光景に、じわりと目じりに涙をにじませた。
 霧絵はまたも微笑したまま、つっ立っている郁に言った。
「使いなさいよ、力を。この風景が、本物になるわよ」
 郁はぼやけた視界に映る大事な家族を見つめた。
 これは確かに自分のほしいものだった。
 だが、今あるこの光景は、あくまで「偽物」なのだ。
 郁はぐっと拳を握りしめた。
「あなたの言うとおり、これはあたしの欲しい物…でもだからこそ、それは自力で掴み取るわ!」
 力の行使は我慢する。
 郁はそう心に決めた。
 きっと顔を上げ、まっすぐに霧絵を見る。
 すると霧絵は、顔をゆがませ、苦悶して消えた。
 それと同時に、目の前の光景も瓦礫の山となっていく。
 崩れ落ちる「幸せ」に号泣しながらも、郁は背を向け、そこを立ち去った。

〜END〜