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琴美の日常その3
5.突入
黒いボディスーツが夜の闇によく溶け込む。
カツン…
黒いブーツが、床を蹴る音が響く。
水島・琴美は木を蹴るようにして舞った。
夜に溶け込む黒いボディースーツだが、琴美は身を隠すつもりは無かった。
無人島の研究所に乗り込んだ琴美は、悠然と室内を進んでいた。
無人島…のはずの島は、ゾンビ化された人々と、それを生み出している組織で賑やかな事になっていたが、あらかた琴美は片付け終えた。
無人島から外へと逃げ出そうとした者も、島を包囲しているバックアップ部隊の餌食となっているだろう。
残っているのは、中心部と思われる研究所のみとなっていた。
非常用と思われる明かりが灯る研究所の中を、黒いボディスーツが駆けていた。
琴美は部屋を一つづつ開き、動く物を無力化していく。
…あら、中に入るのにカードキーが必要なのですね?
カードキーで保護された部屋の前で、琴美は立ち止まる。
他の部屋と違い、扉も分厚い。部屋の前には機関銃を装備した警備兵のような男も居たが、それは琴美の足元に転がっている。
…大事な部屋を、こうして教えて頂けるなんて優しいですね。
琴美は扉に向かって、軽く手を添えた。
クナイで切ってしまっても良いのだが、硬い物を切ると刃が痛んでしまう。琴美は物を大切にする、良い娘だ。
扉に添えた彼女の手の中で闇が生まれた。
重力波…小さなブラックホールと呼んでも良いかもしれない。
それはブラックホールのように物を吸い込むような穴では無いが、代わりに重力のバランスを崩して、物体を崩壊させてしまう。物理的に強固な塊ほど、重力のバランスを崩されると崩壊してしまうものだ。こういう頑丈な扉は、良い的である。
まるで砂のように、琴美の重力波を浴びたドアは崩れ去った。
パン! パン!
同時に乾いた音がいくつか響いた。
6.研究員の恐怖
…何だ、いったい何が起こっているんだ?
部屋に居た研究員は半ば正気を失っていた。
少し前に、島内に侵入者があった事までは知っている。
だが、それ以降、島内の監視設備の応答が無くなり、偵察用に配置していたゾンビ達も沈黙した。
その時点で、研究施設を逃げ出す者も居たが、彼のように残る研究員も居た。
…施設を放棄しろという指示は出ていない。だからこれでいいんだ。
自分の意思で行動出来なかった研究員を待っていたのは、さらなる恐怖だった。
銃声や足音、警備兵の悲鳴。
戦闘が発生している事を伝える音が、段々と近づいてくるのがわかる。
彼のような研究者の部屋は、厳重なセキュリティで守られている。分厚い扉と、カード認証、さらに指紋での本人認証だ。
その扉が、彼の最後の頼みだった。
だが、それも琴美の起こした重力波で砂のように崩れ去った所だ。
彼は侵入者の正体、扉が破壊された理由を確かめる気力も失っていた。
ただ、崩れたドアに向かって護身用拳銃の引き金を引いた。
パン! パン!
乾いた音が響いた。
そこには誰も居ない。
一瞬だけ、黒い影がよぎった気がした。
「女の子にいきなり発砲するなんて、危ないですよ」
声が、すぐ横で聞こえた。
研究員は琴美の方を振り向いて硬直した。
…この女が侵入者か。
悠然と微笑む琴美が侵入者である事は、かろうじて理解した。
「でも、そんな単発の拳銃、私には当たりませんよ?
この研究施設のマシンガンを持った警備兵の皆さんも、私に触れられませんでしたし」
琴美が、にこやかに言う。
…そうだ。この女の言う通りだ。
目の前の女は、拳銃一本でどうにか出来る相手とは思えない。
黒いボディスーツに包まれているが、一目で女とわかる体のライン。膨らんだ胸が、さらに研究員を圧倒した。
…もうだめだ。
研究員は、ついに手にした拳銃を落とした。
「あら、落し物ですよ」
琴美は、ちょこんとしゃがみ、研究員が落とした拳銃を拾い上げた。
それから、左手を腰に当て、右手に拳銃を持ち直し、銃口を研究員の胸元に押し当てる。
「こうやって、私の事を撃とうとしたんですよね?」
そう言って、にこやかに微笑みながら、銃口で研究員の胸元をつついた。その指が、冷たく引き金に添えられている。
単に銃口を押し付けられている以上の恐怖を研究員は感じた。
確かに拳銃は怖いが、目の前の女は、こんな拳銃などに頼る事無く、マシンガンを持った警備兵をなぎ倒してきたのだ。
勝ち誇って、相手を弄ぶように腰に添えられていた琴美の左手が、研究員の手を掴んだ。
成すがままに、研究員は手を開かされる。
「はい、落し物を返しますよ。物は大事にして下さいね」
琴美は銃口を研究員に向けたまま、その手に握らせた。
「すぐに、迎えの者が来ますから、おとなしくしていて下さいね。
逆らわなければ、命は保証してあげますから」
琴美はにこやかに言うと、そのまま研究員に背を向けて、部屋を出ていこうとする。
研究員は、その後ろ姿を茫然と見送っていたが、部屋を出る直前で琴美の歩みが止まる。その顔が、研究員の方を振り返った。
「逃げたら容赦はしませんから、逃げない方が良いですよ?」
にっこりと、もう一度ほほ笑む琴美。
言われるまでもなく、研究員は逃げる気など無く、悠然と歩き去る琴美の背中を見送るしか出来なかった。
7.帰還
さて、任務完了ですね。
取り立てて問題も無く、今回の琴美の任務も終わろうとしていた。
唯一、懸念点だったのが、捕虜となった諜報部員を探す事だ。
もしも、すでに殺されていたのなら、そればかりはどうしようもない。
だが、幸いにも奥の部屋に閉じ込められていた諜報部員は、無事な様子だった。
「すまん、世話をかけた」
粗末な捕虜用の服を着せられた諜報部員は元気無く言った。琴美とも顔なじみの諜報部員である。
「いえ、貴方が調べてくれたおかげで、私もここへ来る事が出来ました。お勤めご苦労様です。
それより…大丈夫ですか?
何か怪しい薬等は打たれてませんか?」
琴美は、心配そうに尋ねる。
そもそも、ここは人をゾンビのようにして操る研究を行っている施設だ。捕まった諜報部員などは、真っ先に研究対象とされそうなものである。
「大丈夫…だと思う。
まだ、人体実験される前の身体データを取られていただけみたいだ」
諜報部員は言う。
「そうですか、それだと宜しいのですが…」
そういえば、さっき研究員の人も居たので、念のため話を聞きながら帰ろうかとも琴美は思った。
もう、この研究施設…いや、島の中に琴美に逆らう者は居ない。
いずれ、後始末のチームが乗り込んでくるだろうが、琴美達は一足先にヘリコプターで帰還だ。
「まあ…これで任務達成ですわ」
手ごたえの任務に、少し呆れるように琴美は呟いた。
その体には、傷一つ付いていない。
8.任務完了
翌日。
都内某所の自衛隊の基地、建物の隅にある一室に、琴美の姿があった。
タイトにミニスカートにロングブーツと、オフィス仕様の琴美は司令官に任務完了の報告をする所だった。
「…報告は以上です。
捕虜の方も無事に救出致しました。
現地の研究員の方にも聞きましたが、まだ人体実験もされる前でしたので、問題御座いません」
簡単な報告書と共に、琴美は司令官に報告する。
「そうか、ご苦労さん。毎度厳しい任務ばかりで済まないね」
「いえ、私にとっては楽な任務でした」
司令官の言葉に、琴美は自信あり気に微笑んだ。
その言葉と顔には嘘は無い。琴美にとっては、ありふれた日常に過ぎない任務だった。
(続く)
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