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<東京怪談ノベル(シングル)>


腐敗した世界の守護者


 黒のプリーツスカートが、いささか短過ぎるのではないか、という気はした。
 かなり際どい高さまで露出した左右の美脚に、対照的な純白のストッキングを穿いてみる。天使の姿が刺繍された、オーダーメイドの逸品である。
 その上からは、ロングブーツ。今日は無論、太股にナイフホルダーなど巻かない。
 ネクタイのようなリボンが付いたブラウスの上から、スカートに合わせた黒のダッフルコートを着用し、白鳥瑞科は外出した。
 久しぶりの休日である。
 向かう先は、ショッピングモールでも映画館でもない。レストランや喫茶店でもない。
 まずは、洋菓子店である。
 そこで評判の品をいくつか購入し、教会直営の病院へと向かう。
「あ、シスター瑞科……」
 顔見知りのナースの1人が、出迎えてくれた。
「手術は、無事に終わったようですわね?」
「ええ。2人とも、シスターに会いたがってますよ」
 ナースに案内されて、瑞科は病室へと向かった。
 その病室のベッドでは、小さな女の子が1人、上体を起こして両親と会話をしている。
 いや、言葉を発しているのは両親だけで、女の子は無言でニコニコと笑っているだけだ。顔は微笑んでいても、笑い声は出ていない。
 まだ、声が出ないのだ。
「あ、シスター……これはどうも」
 女の子の両親が、椅子から立ち上がって頭を下げる。
 瑞科も、ダッフルコートを脱いで一礼した。
「ごめんなさい、親子水入らずのところ……お邪魔でしたわね」
「いえいえ、この子も会いたがっておりましたから……ほぉら、シスターが来てくれたよお」
 父親に言われるまでもなく女の子が、ベッドから上体を起こして表情を輝かせた。
 瑞科を見つめる瞳が、キラキラと輝いている。愛らしい唇が、ぱくぱくと動く。
 が、やはり言葉は出て来ない。
 言葉どころか、心を失ってもおかしくはない目に遭ったのだ。
 焦る事はない、と瑞科は思う。これから、ゆっくりと心を癒してゆけば良い。いつかは声を取り戻せるだろう。
 瑞科は、買って来た洋菓子の包みを1つ、差し出した。
「つまらないものですけれど……お見舞いの、真似事ですわ」
「まあ……どうも、すみません」
 女の子の母親が、丁寧に頭を下げて受け取ってくれた。
「本当に……どうも、ありがとうございました。この子を助けて下さって」
「わたくしは何もしておりません。神の御加護ですわ」
 瑞科はそう言って、1つ咳払いをした。
 礼を言われるのは、どうも苦手である。
「ほら。ありがとう、って言ってごらん?」
 父親が、幼い娘を優しく促している。
 女の子は瑞科をじっと見上げ、懸命に何かを言おうとしている。
 声なき言葉に、瑞科はにこりと微笑みを返した。
「手術……辛かったのでしょう? 頑張りましたのね」
「同じような目に遭った子供たちが、大勢いるみたいですね」
 父親が、憤慨している。
「まったく、許せない事をする奴らがいるもんだ」
「そのような方々のお相手をするために、わたくしたちはおりますから」
 言いながらも瑞科は、それでも首領を取り逃がしてしまった、と思わざるを得なかった。
 逃げるのならば、どこまでも追うまでだ。瑞科は、そう思い定めた。教会の支部は、世界じゅうにあるのだ。
(教会から逃げ回る事は出来ても……わたくしから逃げる事は出来なくてよ? 首領閣下)


 もう1つの病室に瑞科を案内しながら、ナースが嫌な単語を口にした。
「虐待?」
「ええ……あの組織にさらわれる前から、受けていたみたいなんです」
 ナースが声を潜める。
「ちょっと御両親に問題のある子で……まあ暴力を振るってたのはお父さんの方なんですけど。お母さんの方は随分前に逃げ出していて、そのお父さんは少し前に逮捕されました」
 それは何よりだ、と瑞科は心の底から思った。もしそうでなければ自分が、その父親に神の罰を下しに行っていたかも知れない。
 病室では、1人の小さな男の子が、ベッドで上体を起こしたまま窓の外をぼんやりと眺めていた。
 先程の女の子と一緒に、瑞科が助け出した男の子である。
 女の子と違って、誰も見舞いには来ていない。
 暴力を振るう父親と、逃げ出した母親。そんな両親に見舞いに来られるのと、孤独で居続ける事は、果たしてどちらが過酷であるのか。瑞科には、わからない。
 ちらり、と男の子が振り向いた。
「シスター……」
「手術、辛かったのでしょう?」
 女の子に言ったのと同じ言葉を、瑞科はとりあえず、かけてみた。
「頑張りましたのね。偉いわ」
「べつに……」
 男の子が言った。
 辛い目に遭うのは、慣れている。そんな様子だった。
 あの組織に拉致され、酷い扱いを受けた。
 それ以前からこの子は日常的に、酷い目に遭い続けてきたのだ。
 かけられる言葉などなく瑞科はただ、持って来た洋菓子の包みを半ば無理矢理、男の子に押し付けた。
 あの女の子もだが、もしかしたら食事の制限をされているのかも知れない。今更ながら瑞科はそう思ったが、まあ渡してしまったものは仕方がなかった。
 礼を言わず、だが見舞いの品を拒むでもなく、男の子は言った。
「おれのからだ……ばくだん、しかけられてたんだよね……」
 淡々とした、口調だった。
「だったら、あいつ……ふっとばして、やりたかった」
「……そんな事をしたら、貴方も死んでしまいますわよ」
 来客用の椅子を自分で開いて、瑞科は腰を下ろした。
 憎しみや復讐を否定する資格など自分にはない、と瑞科は思う。この子の苦しみを、自分は欠片ほども理解していないのだから。
 世界征服。あの首領は、臆面もなくそれを口にしていた。
 この腐りきった世の中を変革する。そんな純粋な志とも言えるものを、もしかしたら持っているのかも知れない。
 親の資格を持たぬ者が子供を作り、子供を苦しめる。そんな世の中が腐っていないなどとは、確かに言えないだろう。
 あの幸せそうな女の子も、この孤独な男の子も、そんな世の中の腐汁の海を、これから自力で泳ぎ渡って行かねばならないのだ。
 瑞科がしてやれる事など、何もない。
 あるとしたら、あの首領が言っていたように、この腐りきった世の中を、たとえ腐ったままでも維持し続ける事くらいであろう。
「お父様に仕返しをするなら、そんなやり方では駄目。貴方自身が、もっと強くおなりなさいな」
 瑞科は言った。
「ひたすら身体を鍛えてから直接、叩きのめして差し上げるのも悪くはありませんわ。もちろん、その後で逮捕されるのは覚悟の上でね」
 少なくとも、人間爆弾となってもろともに爆死するよりは、ずっとましだ。
「それとも沢山お勉強をして、良い大学なり会社なりに入って偉くなる。そうなってから、前科持ちで落ちぶれたお父様を思いっきり嘲笑ってあげるのも痛快ではなくて?」
「…………」
 何も言わなくなった男の子の頭を、瑞科はそっと撫でた。
「何にしても、よほど頑張らなくては……子供が大人に仕返しなど、出来はしませんわよ」
 目標が、親への復讐でも良い。そのために、ひたすら頑張り抜く。
 長い年月そうしているうちに、もしかしたら復讐以外の道が開けるかも知れない。
 そこまでは、瑞科は言わなかった。
 男の子は何も言わず、洋菓子の包みを開いた。そして話題のチーズタルトを、手づかみでガツガツと食べ始める。
 食べながら、ようやく言葉を発した。
「こんな、甘いもんじゃなくて……すぐ大きくなれて強くなれるようなの、もってきてよ……」
「……貴方、退院したら教会の戦闘部隊にお入りなさい。思いきり、しごいてあげますから」
 苦笑混じりに、瑞科はそう応えるしかなかった。