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<東京怪談・PCゲームノベル>


◆神様達の暇潰し(お花見編)


 強い風が吹くと、薄紅が視界を埋めるほどに舞い散る。風に紛れて誰かの笑う声がした。扇を片手に、誰かが踊り、誰かが歌う。酒に酔った調子はずれの手拍子が聞こえてくる。
 ――月明りの下は宴たけなわ。
 セレシュは花弁の浮かぶ日本酒を傾けながら、それにしても、と呻いた。
「……なんか、最初よりも増えてへんか、藤」
「神様って、お祭り好きな奴が多いんだよな」
「酒と肴、足りるやろか」
 セレシュの問いには、近くに座っていた神主見習いではなく、彼の隣に居た巫女見習いの少女の方から短いため息だけが返ってきたので、
(神様守る側も大変やなぁ…)
 そんな感想を抱くより他には、無かった。



 春の先触れはニュースが告げて来る。桜前線北上中、東京の桜は今が見ごろです。不思議と町のそこかしこが浮き立つそんな日。
 町のあちらこちらで咲き誇り、薄紅を散らす桜は、木々が薄絹を纏ったかのようだ。ほう、と感嘆の息をつきながらも石段を登り終えると、年若い桜の並ぶ境内の真ん中で、満面の笑みの高校生が手をぶんぶんと振り回していた。
「セレシュちゃん!」
 いつもながら元気よく、寂れた神社を守る神主見習いの少年は挨拶代わりに一言、
「おはよう! 今日のお賽銭は?」
「…藤、いつものことやけど、神職としてどうなんそれ」
 冷静かつ真っ当なツッコミだったとセレシュ自身そう思うのだがそう言われた彼はと言えばにっこり笑ってサムズアップするだけであった。意味が解らない。
 別段、藤に催促をされたから、と言う訳でもないが、セレシュはぼやきながらも手土産を取り出す。見目は古びた革製の、それも小さな手提げのトランクから次々と。たぷん、と重たい液体の音と、涼やかな瓶の音を重ねながら取り出されるのは、色とりどりの――酒瓶であった。並べられたの酒は和洋問わずジャンルは広く浅く、といったラインナップだ。
「日本酒メインで揃えた方が良かったやろか」
 首を傾げるセレシュに、手渡された薄紅の酒瓶の中身を興味津々という様子で眺めながら藤が応じた。
「いんじゃね? ちなみに最近の姫ちゃんのマイブームは赤ワインだよ」
 姫ちゃん、と気安く呼ばれる相手の正体を知っているから、セレシュは青い瞳に胡乱な色を浮かべて苦笑いするしかない。
「あんたんとこの神様達って何でそんな俗っぽいんやろか」
「日本の神様には『流行り神』も居るからねー、結構時代を反映するんだよねぇ。さくらも珈琲に嵌ってるし」
 かつては春告げの役を負い、田畑を守っていた稲荷神が気付けば商売の守り手になっていたりもするのだ。何もかも変わるし、変わるのを受け入れていくのが日本の神様の流儀なんだよ、と、知った様な口を利く少年は一応は神職見習いらしくも見えたが、
「藤、それ、誰かから聞いた話の受け売りやろ」
 セレシュの問いに、彼はにこりと邪気のない笑みを浮かべて、即答してくれた。
「ばれたかー。全部さくらの受け売り」
 悪びれる風もない姿に、セレシュもつられて笑うしかない。が、すぐに笑みをひっこめ、声を潜めた。
「…なぁ、ところで藤、さくらはどうしてるん?」
 さくら、と呼んだ相手は、一応はこの神社の祭神の一柱だ。声を潜めたくらいでどうにかなるような相手でもないが、そこは気分である。彼女に合わせてか釣られてか、一緒に声を潜めて、藤が応じた。
「まだ寝てるなー。ほれ、今年は冬が長引いたから」
「町の桜は、あんな見事に咲いとるのになぁ」
 折よく風が吹く。長い金髪を抑えてセレシュが風の吹いてきた方向を振り返ると、長い石段の下には街並みが見えていた。この神社が元々桜の古木を神と祀っていたからか――尤も、そのご神木は既に切られて久しいのだが――石段の傍にも、町中にも、この季節は薄紅の花の姿が目立つ。
 空は抜けるように青く、千切れた綿のような雲がそよぐ風に流れていた。
「花見日和になって良かったよね」
 空を見上げるセレシュの心中を察したように、藤が笑ってそう告げる。
 そう、本日セレシュがこうして酒瓶を抱えて神社を訪れた目的はただ一つ。
 お花見、であった。


 元を辿れば数日前の話。桜前線のニュースを横目にしていたセレシュはふと思い立って、藤に連絡を取ったのだ。
「ああ藤? 花見せぇへん?」
 電話越しに告げると、相手は何故だか驚いた様子で、しかしすぐに嬉しそうにこう返してきた。
『じゃあセレシュちゃん、来週の日曜に来てよ。ちょうど桜が見頃だから。…でもどうしたの、急に』
「んー、ただの思いつきや。…さくらは最近、元気しとる?」
『さくらなら寝てる。もうすぐ起きる頃なんだけど、まだちょっと元気が無いみたい』
 いつもテンション高め、楽しげな藤の声も、この時ばかりは微かに曇ったようだった。「さくら」と言う名で彼らに呼ばれる神社の祭神は、自身の本体でもあるご神木を切られて失って久しく、そのため、緩やかに消滅していく運命にある瀕死の神様なのだ。
 彼が未だ永らえているのは、彼の本体――ご神木を切ってしまったとうの人間達が、一方で彼への信仰心を保っている為である、らしい。セレシュはこの辺りの話を、当の「さくら」本人から聞かされている。
 ――いずれ消えゆく神を支える、寂れた神社。
 そこに自らの過去を重ねてしまうからなのだろう、こうしてお節介を焼いてしまうのは。そんな自己分析に嘆息しつつ、セレシュは電話越しに藤に告げる。
「そんなら、町の桜でも眺めて楽しくしとれば、少しでもさくらも元気になるんとちゃうやろか。信仰心、とはちゃうかもしれへんけど」
 さくらはそういう信仰心を糧にしてるんやろ、と付け加えると、電話越しの相手は一瞬、沈黙した。何かおかしなことを言っただろうか、と眉根を寄せて相手の発言を待っていると、やがて電話の向こう側から笑い声が響いてきた。――藤の、声ではない。かといって、あの神社に居候している巫女見習いでもないし、更に言えばもう一柱の祭神、艶やかな藤色を纏うあの姫神の声とも違う。男性の低い、楽しげな声。
『――それは楽しみにしておくね』
「…さくら、か?」
 寝ているのではなかったか。首を傾げて問いかけると、すぐに今度は藤の声が割って入った。
『さくら! 変なちょっかいかけるなよ、素直に寝てろ!』
「…藤、さくら、結構元気なんとちゃう?」
『……そーかも。そろそろ春だし、寝惚けてるんだろうな』
 冬眠明けのクマか何かみたいな扱いやな、とは思ったもののセレシュは口には出さずに置いた。


 セレシュは酒の手配はこちらでやる、と請け負った。――あの神社の神主は留守にしていることが多く、留守を任されているのは藤と桜花、という二人の未成年なので、さすがに酒の準備は任せられない。酒の肴については藤の方で手配してくれるとのことだったので、その点については言葉に甘えることにする。
「料理は桜花ちゃんが任されてくれるって。材料費は後でワリカンでいい?」
「ええよ。ソフトドリンクも持って行った方がええやろか」
「あー、お茶とかこっちで準備があるから大丈夫。今の時期は、実は商店街からの奉納品もけっこーあるんだー」
「……奉納品を飲んだらあかんのとちゃうか…」
「いいんじゃない? さくらの為にやるお花見なんだし、姫ちゃんも飲むだろうし」
 そういう問題ではない気がするのだが。
 ――花見までにはそんなやり取りもありつつ、いざ当日、日曜日。見事に晴れ渡った空は、もしかすると、この町の天候にさえも影響力を持つ守り神の干渉もあったのかもしれないが、気持ちの良い晴天の下でセレシュは鞄を抱えて町を歩いていた。半分くらいは日曜の朝でもシャッターが下りたままの商店街を抜けると、もう神社はすぐそこだ。が、セレシュはふと、商店街の一角で足を止めた。鼻先をくすぐる脂の匂い。視線を遣れば、惣菜屋の店頭で今まさにあげられているから揚げ。そういえば、とセレシュは周囲を見回した。商店街はアーケードになっているのだが、そこかしこに桜の開花をまるで祝うように、ピンク色の造花や、薄紅の花弁が飾られている。それ自体はこの時期柄、珍しいものでもないのだが――
「なぁ、おばちゃん。そこのゲソ揚げもろてええ? あ、揚げ出し豆腐もうまそやなー」
 少しくらい酒の肴を買い足しても、問題はあるまい。そう考えて立ち寄ったセレシュに、店から出てきた初老女性はあら、と顔をほころばせた。
「お客さん、こんなに早くから、花見にでも行かれるんですか?」
「ありゃ、分かるやろか」
「だって、ほら、時々神社にいらっしゃってる方ですよね。今日も神社に行かれるんでしょう。この時期なら、桜も見頃ですし、御惣菜を買っていくのならお花見かしら、と」
 にこりと笑ってそう言われ、セレシュは僅かに眼を瞠る。
 東京都下と言えどもこの町は郊外で、金髪碧眼のセレシュはそれなりに目立つものらしく、何度か顔を出す間に神社の膝元の商店街でも顔を覚えられてしまったようであった。頬をかきながらセレシュが言葉に迷っていると、店主はにこにこと笑顔のまま、セレシュの手に取っていた商品を受け取り、更にその上に二つほど包みを乗せた。
「それなら、サービスしておかないと」
「ああ、ええって、そんな気ぃ使わんといてな」
「いいんですよ。神様達も、賑やかな方が喜ばれるでしょう」
 あっさりとそう告げられるといよいよ言葉に困る。
「そうなん?」
 とりあえず問い返してみると、女性はやっぱり笑顔のまま、
「ええ。うちの祖母もそう言ってましたし、間違いないんじゃないかしら。あの神社の御祭神は、花見やお祭りが大好きだって」
「おばあさん、そういうの『見える』人やったの?」
「さぁ、どうでしょう。祖母は一度だけ、祭りの日にさくら様…あの神社の御祭神をお見かけしたことがあるって、よく話してくれましたけどね。ホントはどうだか分かりません」
 肩を竦めながらも、秘密を零す少女の様に店主がそう告げるのを、セレシュは黙って聞いていた。悪い気分ではない。彼ら「神様」の姿を、その立場ゆえに認識できる自分のような存在ではなく、町のごく普通の人々がそうしてあの神様達の名前を口に出しているのを聞くのが、悪い気分であるはずもなかった。


 と、そんな調子で商店街を抜けて石段を登り始める頃には、気付けばセレシュの両手にはお惣菜や和菓子を筆頭に、
「敷物はあるかしら。今日は寒いからひざ掛け持ってお行きなさいよ」
「おー、神社の桜花ちゃんにこれ届けてくれないか? 野菜だよ野菜。葉物が最近高いって嘆いてたからな」
「余り物だが、ちょうど奉納に持って行こうと思ってた鯵があるんだよ。ついでに持ってってくんねぇか」
「はいこれ。ウコン茶、二日酔いに効果覿面よ。ふじひめ様にはしゃぎすぎないようにお伝えしてね」
 ――とまぁ、大変な量の手荷物を持たされる羽目になった。その全てを鞄に押し込んで、蓋を閉めたセレシュは石段の下で思わずため息をついたものだった。
 本体を失って、町の人の信仰心で永らえているあの桜の神様は、存外に町では慕われているものらしい。
 鞄の中に押し込んだその大量の手土産をいつ渡そうか、と思案していると、ブルーシートの上に料理を並べていた少女がくるりと振り返った。鮮やかな紅白の巫女服の上に妙に可愛らしい刺繍のされたエプロンという、和洋折衷にしても奇妙な格好をした少女は、ちらりとセレシュの鞄に目をやってから首を傾げる。
「…セレシュさん、嫌いなものとかあったかしら。お酒の肴になりそうなものを適当に作ったのだけど」
 彼女がそう言いながら次々と広げていくタッパーやら大皿の料理は、手作り感の溢れる型崩れもありつつ、おおよそ美味しそうで、しかもいわゆる「酒に合う料理」の基本をしっかりと押さえている。
「はー、これ手作りなんか。…どこで覚えたん、塩辛の作り方」
「世の中、大抵の事は検索すれば分かるようになってるわ」
 あっさりとそう答えて、また彼女は首を傾げる。
「それよりセレシュさん、その鞄の中」
「ん、ああ。…ごめんな、なんかタイミング逃してしもてなぁ」
 頭をかきつつ、セレシュはようやく、鞄に手を入れた。見た目以上の謎の収納力を発揮している鞄から、次から次へ、商店街で受け取った手土産を並べていく。
 桜花は、普段あまり緩めない口元をふ、と緩めたようだった。
「あら。商店街の方たちからね。セレシュさんが通ったから、ついでに預けて行ったのね」
 彼女は受け取った野菜やら惣菜やらひざ掛けやら飲み物やらをちらと見やってから、セレシュに向けて生真面目に頭を下げる。
「私か藤を呼んでくれれば良かったのに。ごめんなさい、重かったでしょう」
「いやぁ、大したことはあらへんよ。でも吃驚はしたわ」
「…セレシュさん、美人だし、目立つから。町の人達も顔を覚えちゃったのね。…全くもう。お客さんにこういうことさせないように言っておくわ」
 ええって、と手を振るセレシュの眼前で、桜花は受け取った品物を全てブルーシートに広げていた。それから柏手を打ち、一度頭を下げる。
「ああ、なるほど。一応、一旦はお供えするんか」
「まぁ、そういうところね。姫、さくら様、傷まない内に私達で頂きますので。よろしいでしょうか」
 言葉の後半は、虚空に向けての問いかけだ。そしてその問いには、高慢そうな女の声が返ってきた。 
<はいはい、好きになさいな>
「好きにさせていただきます。…鯵はどうされます?」
<この間の竜田揚げ、あれ美味しかったわねぇ>
「……揚げ物は片付けが面倒なんですが」
 眉根を寄せた表情は大真面目ではあるが、仕方ないな、という様子で彼女は魚の入ったビニールを抱えて踵を返した。去り際に、肩越しにセレシュに告げる。
「セレシュさん、私は一度これを片づけてきますので。適当に始めておいてくださいな」
「適当に、なぁ…」
「というか一部の方は既にお酒が入られてる様子ですし」
 え、とセレシュが振り返った先。ブルーシートの上には、子連れの――狐が鎮座していた。白い巨大な狐だ。
「町の小学校の近くのお稲荷さんの狐神様です」
 おまけに当たり前のような顔で桜花に紹介された。
「え、あ、そうなん…」
「他にもいらっしゃると思いますよ。皆さんお花見もお酒も大好きですから」
 成程、と、今更納得してセレシュは頷いた。
「…三人分プラス神様分と考えても多いなぁ、思てたけど、酒の肴と飲み物が多いんはそういう理由なんか」
「そういうことですよ」
 桜花はまた、僅かに苦笑したようだった。
「準備、大変とちゃう?」
 手伝おうか、と言下に匂わせた積りだが、桜花は黙って首を横に振った。
「私は見習いとはいえ巫女ですし。神様達の食べる分の用意くらいはします」
「んー、でもなぁ、桜花」
「はい」
「うち、あんたとも一緒に花見がしたいんやけど」
 ただ、思ったことを素直に口にしてみただけなのだが、桜花は目を瞠って――それから頬を赤くして俯いてしまった。
「……準備が終わったら参加します」
「うん。手伝えることがあったら言うてな」
 はい、と蚊の鳴く様な返事があったと思った瞬間には、桜花は走って家に駆け去ってしまった。
「相変わらずあの子は照れ屋だねぇ」
 からからと笑う声は、背後の狐だろうか。
「…それはともかく、乾杯しよか」
 紙コップを手に取って振り返り、セレシュは絶句した。
 ――桜花と話しをしていたほんの数秒の間に、ブルーシートの上には、白い狐以外にも大量の珍客が座っていたのである。藤色の和装を纏った姫神はまだこの神社の祭神だし、その隣でにこにことしながらジュースを手酌している藤は神社の住人だからともかくとして――見たことも無いような犬やら猫やら狛犬らしき動物やら、時代錯誤な十二単を纏った女性やら、甲冑姿の老人やら。見目が人間でも明らかに「普通」ではなさそうな人々。
「……いつの間に」
 呻いたセレシュの手にした紙コップに慣れた様子で酒を注ぎながら、藤があっけらかんとした調子で応じる。
「花見だって声かけたらなんか増えた」
「なんか増えた、って…」
「はい、セレシュちゃん、適当に注いだけど日本酒で良かった? あ、一杯目はビールのが良かったかな」
「ああ、いや、うちはアルコールは平気やさかい何でも…」
「はい、じゃあ、かんぱーい」
『かんぱーい!』
 元気な唱和が続き、セレシュはうーん、と額に人差し指をつけて唸ったものの。
(まぁええか、賑やかな花見の方が楽しいやろうし)
 桜を楽しんでいれば、冬の名残で未だ寝込んでいる神社の祭神にも良い影響があるのだろう。多分。きっと。セレシュはそう決め込んで、ぐい、とコップの中身をひといきに干した。




 そこからは大騒ぎである。酒の回った姫神が大ぶりの樹の枝に腰かけて笑うと、肌寒かった町の気温が一転して心地よい春の陽気に変わる。十二単の女性と、羽衣を抱えた女性達は、木々の根元のたんぽぽやら、チューリップやら、目についた花を次から次に開花させていた。
 セレシュもセレシュで、巨大狐の尻尾をもふもふと触りながら、酒を煽る。彼女の周りには死屍累々、酒で勝負を挑んだ人や獣の姿が転がっていた。神々はそれでも回復が早いのか、単に騒ぎたいだけなのか、すぐに起き上がってはまたセレシュに、
「よしでは今度はビールで行こう」
「いや待て、ビール勝負は先程済ませたではないか。焼酎だ。蕎麦焼酎なるものが奉納されていたぞ」
 等と無謀な勝負を挑んでいる。
(酒の神様でも連れてこん限り、うちには勝てんって言わん方が面白いやろなぁ)
 と思ったので、セレシュは自身の体質については笑顔で沈黙を守ることにした。藤の方は――こちらはサイズの小さな神様達に取り囲まれている。
「…でさぁ、またウチの信仰が目減りしてきてて…何がいけないのかしら」
「何がって言うか、疫病神ってそういうものだしね。仕方が無いよ、最近は病気だってすぐに退治されちゃうし」
「海渡って、別の国に行った方がいいのかしら…」
「どうかなー、日本は神様の排他意識弱いけど、他の国だと難しいんじゃないかなぁ」
 真面目な人生、否、「神」生相談なのだろうか。ともあれ、相談事に大真面目な表情で一緒に考え込んでいるらしい。酒の席なのに辛気臭いなぁ、と思わないでもなかったが、小さな神々はどうやら単に藤に相手をしてもらうのを楽しんでいるようでもあったので、セレシュは口を挟まずにおくことにした。
「ところで桜花、あんたもちょっとこっち来て飲み?」
「……セレシュさん、私、未成年よ」
「ええから。座ってジュース飲めばええんよ。何でさっきからちょこまか動き回ってるん…」
 他方、桜花はと言うと、動き回っていないと落ち着かない性質なのだろうか、酒が切れないよう、料理が切れないよう、気を使って動き回っている。が、セレシュが呼びとめると、周りからやんややんやと声が飛んだ。
「そうだよ、巫女の嬢ちゃん。それにそろそろ『時間』だろう」
「そーそー、佐保姫がさっき飛んできたからなァ」
「こんな大事なときくらい、座って私達の相手をなさいな。お前、巫女でしょう」
 ふじひめにまでそう言われ、項垂れた彼女は恥ずかしそうにブルーシートに、それでもかなり遠慮がちに腰を下ろす。
「…少しだけですよ。ちょっと油断するとすぐに料理を切らすんだもの、みんなして」
 言葉の後半はセレシュに向けたものだ。口を尖らせる彼女をからかうように、セレシュはにんまりと笑って、わざと彼女に近付いた。
「一緒に花見しよう、言うたやんか」
「…セレシュさん、酔ってません?」
「うちは酔わへんよ。――ああ、でも、場には酔っとるかもしれへんわ」
 桜花が短く息をつく――と、彼女の前に紙コップと取り皿がどこからともなく飛んできた。文字通り、「飛んで」きたのだ。とはいえ、桜花は胡乱な目をして周りを睨んだだけである。
「もう、いい加減にしてください。いくらなんでもここに5年も住んでいれば、皆さんの悪戯には慣れます。今更驚きませんからね!?」
「何じゃ、つまらぬのぅ。最初のうちはキャーキャー驚いてくれて楽しかったのに、のぅ?」
 そうだそうだ、と周りの神様達が同意の声をあげる。このクールな少女にもそんな頃があったのかー、とセレシュが一人思っていると、近付いてきた一人の女神が笑いながら耳打ちをする。
「今でこそ平然としてますけど、ここに来たばかりの頃のあの子ときたら」
「ちょっと、竜田様。聞こえていますからね。あと秋神のあなたが何で今ウチの神社にいらっしゃるんですか!」
「あたし、織物神でもあるもの。いつどこに居たって問題ないと思うわ」
「そーよねー。いいじゃない、綺麗な桜は皆で愛でるものよ。…それにほら、そろそろよ」
 もう一人、何やら仲の良さそうな二人組の女神が指差す先をつられて見遣り、セレシュはほう、と息をついた。

 騒ぐうちにいつの間にやら辺りは黄昏を迎えていたらしい。群青色に染まり始めた空気の中、桜の若木は惜しみなく花弁を散らしている。その中に。
 ――ぼんやりと、ではあるが。確かな光を感じて、セレシュは瞬いた。
 それは薄く、弱く、儚い姿ではあった。しっかりと目を凝らしていないと見えなくなってしまう程で、幽霊のようだ。だが確かに。
 そこに、一本の巨大な桜が出現している。

 何百年という年月を経たのであろう枝垂桜。その姿を、セレシュは知っていた。見たことがある。
(いつだったか、夢で)
 この神社で、祭神である「さくら」が見た夢が現実側を侵食している現場にセレシュは遭遇したことがある。あの時とそっくりだった。
(また、さくらの夢やろうか)
 セレシュの疑問を感じ取ったのだろうか。いつの間にやら彼女の傍らに現れていた藤色の和服の女が、扇子で顔を隠したまま、セレシュに不意に声をかけた。
「夢ではなくてよ。…兄様が、目を覚まされたの」
「さくらが?」
「この時期になると、毎年こうよ。ほら、だから、見て御覧なさい」
 ふじひめが扇子で指示した先。幻の桜はすぅ、と空中に解れるように消えていく。ああ、と惜しむ様なため息が自然と唇から零れたのは、一体誰だったのか。自分だったのか、隣の姫神か、あるいは見守っていた神々であったか。
 そうして解けた幻の真ん中で、のんびりと伸びをしている人影が、ひとつ。
 真っ先に声を上げたのは藤であった。
「さくら、おはよう。酒がいい? それともコーヒー?」
 寝惚けたように目を擦りながら、男性はふわ、と欠伸をしたようだった。尤も、顔は狐のお面で隠れて殆ど見えないので、それは単なる気配であったのだが。
「…んー、コーヒー、あっついのが欲しいなー」
「はいよ。俺用意して来るから、桜花ちゃん、後頼んでいい?」
「分かったわ。…ミルクとお砂糖の場所は分かっている?」
「大丈夫だよ、一応俺の家の台所だよ!?」
 俺を何だと思ってんだよ、と珍しく口を尖らせながら、藤がいそいそと家へ戻って行く。それを見送り、それからセレシュは再度、両腕を伸ばしているさくらの方へと視線を戻した。
「おはよう、さくら」
 声をかけると、彼が顔を綻ばせる。狐面の下でもはっきりそれと分かったのは、彼の周りだけ、黄昏時だというのに不自然なくらいに光が跳ねたからだった。
「ああ、セレシュさん。おはよう。花見の用意してくれて、有難う。お陰で気持ちよく眼が覚めたよ」
 何かお礼をしないと、と彼が生真面目に言いだすのを慌ててセレシュは止めた。――この神様、瀕死なので力を使う度に2,3日は寝込んでしまうのである。
「あんたを元気にするために花見提案したんやで、力使われて寝込まれたら本末転倒にも程があるわ!」
「あ、…それもそうか…。でもそれだと私の気持ちがおさまらない」
「あーもう、そんなら一緒に花見に加わってくれんか。それでええわ。一緒に酒飲んでくれれば十分や」
「そう? それなら遠慮なく」
 いそいそと花見の席に混じってきたところを見ると、参加したくてうずうずしていたのかもしれない。狐面の神様の姿にセレシュは苦笑して、自らのコップに酒を注ぎたした。
 コップの水面には、どこから紛れ込んだのか、桜の花弁が浮いている。おや、と瞬いて隣に座った桜の神様を見遣ると、狐面の青年は、覗いた口元に人差し指をあてて、悪戯っぽく笑って見せた。
「お礼」
 コップをくるりと回して、微かな明りに花弁を揺らして、セレシュは顔を綻ばせる。
「…ほんまにささやかなお礼やね」
「酷い!? セレシュさん酷いよ頑張ったのに!」
「……頑張って花弁ひとつかー…」
「ちょっと、藤まで残念そうな顔してこっち見ないでよ!?」
「来年はもう少し頑張りましょうね、さくら様」
「桜花まで無茶振りを…。ここに来たばかりの頃のしおらしい君はどこへ行ったの…」
 さめざめと泣く振りをする神様の周りで、弾けるような笑い声が響く。
 ――春の黄昏に、雨のように、惜しむ様子もなく、桜の花弁は散っていく。儚いその姿を、来年も愛でることが出来ればいい、とセレシュは我知らず、そう願っていた。





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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【8538 / セレシュ・ウィーラー】


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ライターより
度々のご依頼、ありがとうございます。
納品が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
楽しんでいただければ幸いです。