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<東京怪談ノベル(シングル)>


水の星


 メーカーが売りにしている「シナリオ生成システム」によるものかどうかは、わからない。
 とにかく「魔界石」と呼ばれる物質が発見された。
 その名の通り、魔界で発掘される鉱石のようなもので、邪悪な魔力の塊とも言うべき物質であるらしい。
 とある商人が、魔界に住む悪魔族と交渉し、通商ルートを開いたのだ。
 この「とある商人」というのがPCなのかNPCなのかも、現時点では不明である。
 とにかく、この魔界石を無害な魔力に変換して民の役に立てようと考えた国王は、ある海辺の地方に巨大な変換施設を建設した。
 その変換施設の働きによって、邪悪な魔力の塊である魔界石は無害なエネルギーとなり、民衆の生活を大いに潤した。人々は手軽に夜の明かりを点す事が出来るようになり、火打石を使わずに容易く火を点ける事が出来るようにもなった。それまで高位の魔法使いたちが独占していた遠距離通信の技術も、民衆のものとなった。
 マジックアイテムの大量生産も可能となり、今まで高価な品物であった魔法の武器防具が、信じられない安価で出回るようにもなってしまった。
「うわあ、ライトニングソードが200ゴールドとかで売ってる!」
 瀬名雫が、悲鳴に近い声を発した。ちなみにライトニングソードの値段は、少し前までは5000ゴールドだった。
「これ、5000ゴールドで買っちゃった人たち暴動起こすよ……まったく、何でこういう事するんだか」
「そうねえ……」
 全体的に、このゲームは何かがおかしい。海原みなもは最近、そんな気がしていた。
 おかしいと思いつつも、やり込んでしまう。このところ毎日、雫と一緒にネットカフェに入り浸っている。
 みなもは、溜め息をついた。
 このゲームのやり過ぎで、疲れている。そんな気がする。
 雫には話していないが、何やらおかしな夢を見るようにもなった。
 雫に話したら怒られるか、それとも呆れられるか。
(だって、あたしが人魚のお姫様で……雫さんがペットのタコさんだなんて、ねえ)
 みなもは、内心で苦笑した。
 雫が、何かを言った。うまく聞き取れなかった。
「え……ごめん雫さん。もう一回、言ってくれる? 聞いてなかった」
「ん? だから暴動が起こるよって」
「その後その後。何か言ったでしょ?」
「何にも言ってないよー」
 そんなはずはない。確かに、雫は何かを言った。
(助けて……)
 また聞こえた。雫の声。
 だがそれは、今みなもの隣にいる瀬名雫の口から発せられた声ではなかった。彼女は相変わらず、武器屋の品揃えを見てブツブツと文句を呟いているだけだ。
 助けて、などとは言っていない。
 なのに、みなもの耳には聞こえた。紛れもない、雫の声が。
(助けて……誰か、みなもちゃんを助けてよぅ……)


 人魚族の王女・海原みなもは今、海中にいながら悪臭を感じていた。
「何……これ……」
 愛らしい鼻を片手で押さえながら、みなもは呻いた。
 前方で、水が濁り始めている。黒い煙が、水中に溶け込んでいるような感じだ。
「腐ってる……水が、腐ってるよぉ!」
 コウモリダコの雫が、みなもの周囲をぱたぱたと泳ぎ回りながら悲鳴を上げた。
 液体化した黒煙のような水の中を、黒っぽいものが点々と漂っている。あれらは一体、何なのか。
「……人間どもが、しでかしたようですな」
 みなもと雫の近くに、いつの間にか人影が1つ浮かんでいた。水中に、佇んでいる。
 法衣に身を包んだ半魚人。
 海底神殿にて眠りから覚めつつある太古の邪神の、神官である。先日、人魚族の王宮にも使者として現れた。
「……何かなさったのは、貴方たちではないのですか」
 見るからに邪悪な半魚人の神官を、みなもは思わず睨み据えてしまった。
 海の中で何か禍々しい事をするであろう者たちとしては、やはり邪神の眷属しか考えられない。
「正直にお言いなさい。一体、何が起こっているのです」
「姫君のお疑いはごもっとも。我ら、確かに邪悪なる者どもにございますゆえ……ですが、それは地上の者どもに対してのみ」
 神官が、恭しくも不敵な口調で言う。
「偉大なる旧き支配者に誓って、我らが海を汚す事はありませぬ。人間どもを切り刻み、あの汚らしい血肉を振りまく程度の事はいたしますが」
 旧き支配者。この半魚人たちは、自分らの仕える太古の邪神をそう呼んでいる。
「これは紛れもなく、人間どもの仕業でございますよ姫君……我らの力をもってしても、ここまで海を汚染する事は出来ませぬゆえ」
 黒煙のような海の汚れが、みなもの周囲にまで流れ漂って来た。
「うっ……」
 みなもは身をよじった。しなやかな人魚姫の肢体が、汚水の中で苦しげにうねる。
 雫の言う通り腐っているとしか思えない水の中を、点々と浮かび漂う黒っぽいものたち。それらが今、みなもの周囲で、無惨な姿を明らかにしている。
 サメが死んでいた。タコやイカが、腐りかけていた。イルカが、肋骨を露出させ漂っている。
 海亀が、甲羅だけになっていた。それ以外のものはドロドロに溶け腐り、海中に流れ出している。
 汚染された水の中、様々な海の生き物たちが、無惨な死に様をさらしていた。
「人間どもが、使いこなせもせぬ魔界石に手を出したのですよ」
 邪神の神官が、説明を始めた。
「あれは、言わば邪悪な魔力の塊……邪悪な成分だけを取り除き、無害な魔力に変える事は出来ます。が、取り除かれた邪悪な成分は、極めて毒性の強い廃棄物となり残ってしまうのですよ姫君」
 雫が、腐敗した魚たちと一緒に、弱々しく漂い始めている。
「み……なも……ちゃん……くるしい……よぅ……」
「雫……さん……」
 雫だけではない。このままでは際限なく汚染が広がり、近海の生き物が死滅する。
 人魚の王族として、するべき事は1つしかない。
 半魚人の神官は、語り続ける。
「地上に残しておけば土を、空気を汚染する廃棄物。人間どもとしては、海に捨てるしかないというわけです」
 聞き流しながら、みなもは海に、水に、語りかけた。
「母なる海よ……御身を穢す悪しきものの全てを、我が身に……」
「みなもちゃん……駄目……!」
 雫の声。
 それを最後に、何も聞こえなくなった。
 汚染が、腐敗が、全て一斉に、みなもの体内へと流れ込んで来る。
 息苦しさが、激痛が、とてつもない痒みと凄まじい熱さが、全身で暴れた。
 水中に溶け込んだ廃棄物が、たおやかな人魚姫の肉体を容赦なく汚染する。
 骨が歪み、柔らかな肉が腐敗しながら爆ぜ、蠢き、膨張し、変質してゆく。
 みなもは絶叫した。それはもはや、人魚の乙女の悲鳴ではなかった。
 怪物の、咆哮である。
 許さない。みなもは、そう叫んだつもりだった。
 こんな痛いもの、苦しいものを海に垂れ流し、食べるわけでもないのに生き物を殺す人間たち。ゆるさない。
 うみをよごすもの、ぜったいに、ゆるさない。
 みなもは叫んだ。が、やはり怪物の咆哮にしかならなかった。


 王国沿岸部に巨大な怪物が出現し、魔界石の変換施設を、周辺の町や村もろとも破壊した。
 当然、大勢の人間が死んだ。
 生き残った者たちの話によると、その怪物は腐敗したクラーケンのようでもあり、海竜の死骸のようでもあり、巨人の水死体のようでもあったという。
 その醜悪極まる巨体に何者かが騎乗し、勝ち誇ったような声を発していた、と主張する者もいる。
「そうするであろうと思っていたぞ、心優しき人魚の姫君よ! そなたは人間どもによる汚染を全て吸収して海を救いつつ、海の怒りを体現する者となった。そして人間どもに今、裁きの鉄槌を下したのだ! これでもはや人魚と人間の同盟は有り得ぬ。人魚族は我らと同じく、偉大なる旧き支配者の眷属となった! さあ、共に地上の汚れた種族をことごとく滅ぼして海に沈め、清らかなる水の惑星を造り上げようぞ!」


 みなもが汚染を全て吸収してくれたおかげで、雫だけでなく、沢山の海の生き物たちが助かった。
 そのせいで、みなもは人魚の王女ではなくなった。
 彼女は今や、怒りと憎しみだけで動く怪物と化し、邪神の忠実なる下僕として、半魚人の軍勢の中核を成している。
「助けて……」
 ぱたぱたと海中を漂い、涙を海水に溶け込ませながら、コウモリダコの雫は小さな叫びを発し続けていた。
「助けて……誰か、みなもちゃんを助けてよぅ……」