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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


春雷宜しく風来たる - 後

 春、とはいったものの、まだ肌寒さが残る。
 ちょうど梅、桃、桜、菜の花がそれぞれの色化粧を咲かせていた。
 舞台は巨木で有名な桜の木のある裁判所。
 満開の桜の下、薫を置き去りにして十人十色の思惑が渦巻く。

「えっ?郁を全否定するの?そんなの出来るわけないわ!」

 この時代へと呼ばれた藤田あやこは、友人のためにと馳せ参じた。
 評議室と呼ばれる場所であやこと判事との会合が行われている。
 だが、思わぬ状況に憤りを隠せない。
 判事の言葉が冷たく突き刺さる。

「対立する二者間に真実に基づく軋轢が生じたときは、対立訴訟で解決するより他はない。君が対立役を請けねば審問は即中止だ」
「なん……ですって」

 あやこはなおも食い下がる。

「彼女は友人よ!」
「では、郁の解剖を命じる。出来ぬ場合は、分かっているな」
「……くっ」

 握りしめた拳のやり場がなく、指の隙間からわずかに血が垂れた。
 あやこは断腸の思いで憎まれ役を担うことになった。
 判事の目が鋭く光る。

「審理は神聖である。少しでも真摯さを欠けば、審問中止だ。覚えておきなさい」
「当然よ」
(み、見透かされてるっ!?)

 髪を後ろに払って気丈に振舞うが、その内心、穏やかなものではなかった。


 2時間後、傍聴席は満員だった。
 法廷では、あやこの依頼で草間武彦が弁護役として呼ばれていた。
 ぶっきらぼうで自称ハードボイルドに生きる探偵だが、あやこは彼の義侠心や人間性に信頼を置いている。
 審議の内容は引き続き「綾鷹郁に人権があるのか」というものだった。
 ざわつく傍聴席と、緊迫感で静まり返った法廷とのミスマッチの中、審理は再開された。

 あやこが先手を担う。

「遺伝子、というのは実に不思議なものでして、他に2つと同じものはありません。例外として一卵性の双子がありますが、それ以外ではほとんどナノレベルで『他人』と区別できます。私にももちろん、郁にも固有のDNAというものが存在します」

 左の席から中央の郁に向かって歩き出すあやこ。

「エルフ、という種族を御存知ですか?この時代ではもういないのかもしれませんね。ご存知のとおり、エルフは急所たる背中を撲ると、強制的に昏睡と覚醒を行います」

 郁の背中をめくり、薄桃色の下着が晒される。
 羞恥に顔が赤くなる郁だったが、それも自分を守るためだと奥歯を噛み締め、堪える。
 あやこの細長い指が、郁の背をツーっとなぞった。
 すると、ガクッと郁の頭が垂れ、体が崩れたように落ちる――寸前であやこが抱きとめる。
 会場にどよめきが起こるが、判事の「静粛に」という一言で再び静寂が訪れた。
 再びあやこが郁の背中をなぞる。
 垂れた頭が急に起き上がり、周囲を見渡す。顔を少し赤らめてうつむく郁。
 あやこは裁判員席に向かって挑発的に述べた。

「私も郁と同じような状態になります。信じられないのでしたら何度でもご覧にいれますが?」
「……いや、結構」

 頷くあやこ。その目は満足気というよりは、闘志を静かに燃やしていた。友のために最後まで戦うという強い意志を持って。

「遺伝子操作されたものというのは、人間に近いかもしれません。ですが、本当の意味で人間でしょうか?機械はスイッチでオンとオフを切り替えます。彼女は背中がスイッチのようなもの。……そう、人間は脳の催眠暗示的なスイッチの切替は出来ても、明確に覚醒と昏睡のオンオフなんて出来ないわ」

 そこまで述べたところで、対立側の席から武彦が声を上げた。

「異議あり!郁が機械なら、人間も細胞レベルでは機械だ。それより郁が所有物か否かが本題だ」

 武彦とあやこの静かなにらみ合いが起こるが、本人達にとっては僅かなアイコンタクトであった。

(頼むわね)

 気づかれないよう武彦は頷き、上座へ向かって話かけた。

「裁判長、証人をお呼びしてもよろしいでしょうか」
「証人召喚を認める」

 そこに呼ばれたのは、郁をこの騒動に巻き込んだ張本人である藪医者だった。
 武彦は軽く礼を述べ、医師に向かって質問する。

「ではさっそくだが、機械と人の差とは?」

 フン、とさも当たり前のことであるかのように鼻を鳴らして答える医師。

「心の有無」
「心を持つ条件とは?」
「知性と、自己認識力、知覚力」

 カツ、カツ、と武彦が法廷をゆっくり歩く。
 靴音に合わせて時間もゆっくりと、ねっとり絡みつくように、遅く流れているかように錯覚する。
 探偵である武彦の技術で、わざとゆっくりと時間を感じさせることで、相手に勝手に色々な想像させる。
 都合の良いこと悪いこと含めて、頭の中に色々と湧きでたタイミングを見計らって、口を開いた。
 このスキルは主に、武彦の経験と勘がモノを言う。

「お前は人間か?」
「当然」

 思ってもみなかった質問に、不機嫌そうに答える医師。
 すかさずあやこが反撃する。

「そんなのAIにもあるわ。知ってる?最近の機械って学習するのよ。擬似的でも心もあるのよ」
「今は藤田弁護人の発言を認めていない。慎みなさい」

 カンカンと小気味良く小槌が打ち鳴らされ、あやこは自粛を促された。
 頭を垂れて謝罪するが、この流れも計算のうちだった。
 コホン、と武彦は咳払いをして審議を再開する。

「人間とは、心があること。心とは知性と自己認識力と知覚力を備えていること。それが人間の条件だ。だがその理屈ならば藤田弁護人の言ったことも一理はある。では君に問おう。郁、お前は誰だ?今、何をしている?」

 やや斜に構えて武彦は郁を見た。
 終始うつむき加減だった栗色のくせっ毛は、ゆっくりと顔を上げた。

「私は、……私は、綾鷹郁。法廷で両者の弁護を聞いています」

 ただ幸せになりたかった。
 ほんの小さな、なんてことはない幸せを願っただけの日々。
 美味しいものが食べたい。素敵な服を着たい。イケメンとお近づきになりたい。もう少し可愛くなりたい。
 それがいつの間にか、自分が『モノ』か『そうでない』かで悩み苦しんでいた。
 運命を呪ったこともあった。
 どうして自分がこんな目に、と枕を濡らした日もあった。
 だけど、見捨てられてはいない。
 世界という鉄檻の中にいても、手を差し伸べてくれる友だちが、仲間がいた。
 大きく、青い瞳には力強さを取り戻しつつあった。

「TCとかクロノサーフとかになっちゃったけど、お父さんとかも死んじゃったけど、何か切り刻まれたり焼き殺されそうになったり生き返ったり変な体になったり藪医者にたかられたり脅されて法廷に出て自分が女なのか人間なのか機械なのかエルフなのか悩んだりしたけど」

 強く、前を向いて私はいこう。

「まだまだ恋もしたいし好きな人とイチャイチャしたいし、イケメンとお近づきになりたいし、おいしいものだって食べたいし、あ、あそこのケーキ屋も行ってみたいかな……、この世界の紅茶も好きだし、戦うのはあまりだけどなんか作ってるのは楽しいし、かわいい服も着たいし、気になる美容室だってあるし、溜め撮りしてたドラマも見たいしやり残したことだっていっぱいいーーっぱいあるの!私はまだまだやりたいことがたくさんあるのよ!」

 マシンガンのようにまくし立て、一息深呼吸をつく。

「だって人間だから」
「彼女は人間だわ」
「こりゃ人間、だよな」

 郁とあやこと武彦は同時に口を開いた。
 唖然とする法廷の空気の中、武彦は敵対する弁護席のあやこに向かって問いかける。

「これで人間の条件は満たした!じゃ、藤田、郁は何なんだよ!」

 髪を後ろに払い、さも当然だというようにあやこは答える。

「私の見つめる彼女の定義は、哲学者や宗教家の領分よ。だから彼女が自己判断すべき」

 ふっと一息置いて、武彦の奥の人影へと目線を移す。

「だって人間なんだもの。そうでしょ?オイシャサマ」

 藪医者は呆然と口を開いたまま、返答する様子はなかった。
 かわりに上座より、裁判長の渋い声が降り注ぐ。

「では彼女が生き延びて自身を見つめる為に、本法廷は彼女に基本的人権を認める」

 郁は藪医者の方を向き、深くお辞儀をした。

「正式に解剖はお断りします」

 顔を上げた郁に、あやこと武彦が駆けより、抱き合う3人。
 歓喜のあまりに翼を広げた郁は一人飛び上がった。
 まるで郁を祝福するかのように、巨木の桜の花びらが一斉に舞い落ちる。
 桜吹雪が美しく舞う中、郁の翼が艶やかに舞った。