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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


春告の手紙


***

 確かに町は冬に覆われているようだった。道端に残る泥にまみれた雪と、その下で窮屈そうに背を伸ばしているつくしに目を留めて、少し思案してから、少年――冷泉院蓮生はそっと膝を折る。手でつくしの周りの雪を払い、それから彼が何事か呟くと、辺りの厳しい冷たさが緩んだ。雪が解け、つくしの周りでだけ温度が上昇するのを、傍に誰かが居れば気が付いたかもしれない。そしてその「誰か」が「見える」人間であれば、彼の周りに纏わりついていた冬の気配、精霊や小さな神霊の類が、一息に姿を消したことにも気が付いただろう。
 だが幸い、町の入口では誰にも見とがめられることは無く。
 蓮生は、手元の小さなメモに目を落とした。
 草間探偵事務所に顔を出した拍子に目に入った仕事の依頼。内容は「冬を追い払って、町を春にしてほしい」という実に頓狂な内容で、とはいえあの事務所の常連たちは今更多少の不思議では動じるような神経を持っていないのだが。蓮生もまた、「今更この程度では動じない」類の人間である。
 気紛れか、それともほんの少しの好奇心か。
 彼はその仕事を請けて、今この小さな町に居るのであった。

「…から、駄目だって、桜花ちゃん」
「でも、だからってあなたに食材の買い出しは任せられないわよ! 特売品の卵を無視して、定価で牛乳買ってきちゃうじゃない!」
 道すがら、目についた草花に生気を取り戻し、話の通じそうな「モノ」に対しては既に冬が終わりであることを告げて一冬の働きを労い。そんなことをしながら蓮生が依頼人が居る、と指定された神社に近付くと、境内ではそんなやり取りが響いていた。少年と少女の声で、どうやら言い争っているらしい。
「――桜花ちゃん、今の町歩き回ったら自分の身体がどうなるかくらいわかってるよねっ!?」
「…最悪はふじひめを呼んで神降ろしをお願いするわ」
「ひめちゃんは祟り神だし、桜花ちゃんの身体の負担が大きいでしょ! さくらならともかく…!」
「さくら様は眠ってるでしょう。…とにかく藤、私は行くわ。今日は葉物野菜が軒並み特売価格なのよ!」
 ――盗み聞きは良くないな、とは思ったのだが、内容があまりにも所帯じみすぎていて、蓮生は危うく登っていた石段でつまずくところであった。
「とにかく私は行くわ!」
 言い争っていた少女の方が一方的にそう宣言して、それと同時に軽い足音が近づいてくる。こちらに来るな、と、少し思案している蓮生の眼前、鳥居をくぐった少女は、
「あ、」
 蓮生の姿に気がついたのか目を丸くし、
「……あ」
 蓮生が「それ」に気が付いた時は既に遅く。
 ――鳥居をくぐるなり、季節の歪みのせいであちらこちらに大量発生していた邪気の塊に呑まれ、更に辺りを彷徨っていた地縛霊に背中にしがみつかれ、悲鳴を上げかけた口に冬の気配を纏う小さな精霊たちが飛び込み、
『この身体は貰うぞ、人間…!』
 口から人ならぬ声がしたと思った瞬間、
「ほらもう、だから言わんこっちゃない!!!」
 背後から駆け寄ってきた人物が手にした払え串が折れそうな勢いで全力で彼女の身体を叩くと、それらが一気に飛び出した。そして。
 そのまま叩かれた勢いのまま、少女の身体が石段から滑り落ちる。
「って、うわーー!? 桜花ちゃん!!」
 ――たまたま下に居た蓮生が受け止めなければ、彼女は下手をすると石段から落下して大怪我、という事態になっていたかもしれない。




「……その、いきなりご迷惑をおかけしました…」
「ごめんなさい。お見苦しい所をお見せしてしまったわ」
 藤、桜花、とそれぞれ名乗った少年と少女が真っ先に蓮生に行ったのは境内で膝をついて土下座をせんばかりの勢いでの謝罪であった。さすがに呆れこそしたものの、蓮生は慌てて頭を下げる二人を留めた。受け止めたというか、倒れ込んだ桜花がたまたま蓮生にぶつかって、転倒を免れただけで、蓮生自身はあまり大したことはしていない。――彼はあまり肉体的な能力が高い方ではないので、本当に運が良かっただけなのだ。
「いや、驚きはしたが、まぁ互いに怪我が無かったんだ。良かったと言うべきだろう…」
「……本当にごめんなさい」
 桜花の方は特に縮こまっていた。彼女は「憑依された」瞬間に意識を失ったらしく、目が覚めたら見知らぬ――しかも顔立ちの整った少年の腕に抱かれていたわけだから、気まずさが相当に大きかったようだ。
「ええと、それで、蓮生君、だっけ? ウチの神社に何か用事だった?」
「ああ、それだ。草間探偵事務所に依頼を出した依頼人は、どちらだ?」
 メモを取り出して問いかけると、藤がはい、と挙手した。
「俺だよ。…黒姫がちょっと張り切り過ぎてるみたいだから、大人しくさせて欲しいんだ」
 黒姫というのが冬の女神の名前だ、ということまでは事前に蓮生も聞き知っている。町中にもちらほらと彼女の配下であるらしい「モノ」が姿を見せていた。
「確かに、この町の様子ではな。では、彼らに帰って貰えればいいのか」
「うん。出来れば町のどっかに居る黒姫も見つけて、町から帰って貰いたいんだけど…ああでも、蓮生君、ちょっと」
「?」
 腕を引かれ、きょとんとした表情で引っ張られるままに立ち尽くす少年の周りを、くるくると藤が歩き回った。その後ろで桜花も何やら首を捻っている。
 二人は何やら目を見交わし合い、それから、藤が代表するように口を開いた。
「蓮生君、あのさ、周りの空気がすげー綺麗とか言われない? または特殊なお守り持ってたりしない?」
「? そんなものは持っていないが…多少の歪みや邪気の類なら、浄化するのは得意な方ではあると思う」
 あまり自分の身の上を語る訳にもいかず、そういう風に濁して伝えることにする。すると、ぱちんと指を鳴らして、藤はにんまりと笑った。
「ひとつ、依頼と別にお願い事してもいいかなっ」
「……俺に出来る範囲であれば」
「桜花ちゃんのエスコートをお願い!」
 エスコート、と、意味を呑み込めずに繰り返す蓮生の戸惑いを察したのだろう。桜花が腕組みをして、藤をぎろりと睨む。
「ちょっと。藤。何考えてるの。初対面の相手にいきなりその要求はどういうことなの」
「だって桜花ちゃん、季節が歪んでるせいで町の幽霊が元気だわ、町中に『黒姫』の配下の精霊さんが居るわで、今、神社から出られないでしょ?」
 彼らの話を統合するとこうなる。
 ――佐倉桜花という少女は重度の、殆ど「病的」とさえ言える憑依体質で、その為、幽霊や精霊、肉体を持たぬモノなら神ですら容易に憑依出来てしまう。
 いつもであれば、お守りや、簡単なお祓いをしておくことでそれを防げるらしいのだが、発生している異常事態の煽りを喰って、神社から出ることが叶わなくなってしまったのだそうだ。
「境内から出るとああなっちゃうんだよ、さっきの、見たでしょ?」
 藤に言われて、成程、と蓮生も頷くしかない。
「…でも、私はどうしても今日は買い物に行きたいの。いい加減、冷蔵庫の食材も尽きそうなのだもの」
 力強く言われたが、蓮生はそちらには頷けなかった。――正直、別の人間が代理で買い物に行く方が良いのではなかろうか。その疑念が顔に出たのか、桜花がひとつ、咳払いをした。少しバツが悪そうにそっぽを向いて、
「それに、さすがに境内に閉じ込められているのも飽き飽きなの。いい加減、散歩のひとつくらいしたいものだわ」
「そう、か。…そういう事情なら、まぁ分からんでもない。エスコートと言ったが…どうせ例の、『黒姫の配下』を追うにしても、町を歩く必要があるだろう」
 蓮生は鷹揚に頷いて、それから微かに笑みを浮かべて桜花に向けて手を差し出した。
「ならばどの道、町を案内する者が必要だ。それなら俺の方も依頼をこなせて一石二鳥だ」
「成程、そう言ってもらえると私も気が楽だわ。…では、エスコートをお願い。藤、いいわね?」
 我が意を得たり、と差し出された手を取った桜花が、藤の方を振り返る。彼は重なった手を見てあれ、と小さく唸った。
「……何だろ。自分で言い出したのに何だか釈然としない気分…」
「? 具合でも悪いのか…、…桜花。何故急に笑い出すんだ?」
「うふふ、秘密。少し気分が良くなったわ。いきましょうか、冷泉院君、エスコートをよろしくね」

***


 桜前線は北上を続け、そろそろ東京の桜は見頃を終えるらしい。そんなニュースが夕方のテレビで流れる時期だったのだが、ロングコートを着込んだ少年は白い息を吐いて空を見上げた。隣にはダウンジャケットに手袋、耳当てという冬場の完全武装をした少女が居る。
「…本当に真冬並みの気温だな」
 彼――蓮生の視界には、道端に積った雪の影で飛び回る妖精染みた生き物や、冬場にしか見かけ無いような精霊や、妖怪の類までもが見えていた。日本全体が春を迎える中、追いたてられた「冬」の存在がこの小さな町に一堂に介しているような錯覚さえ覚えてしまう。
 そんな中で道端に身を小さくして開こうとしているたんぽぽに彼が手を触れると、その場の空気が一息に緩んだ。
「もう冬は終わりだ、今までご苦労様」
 また来年、と彼が、道端で友人に挨拶をするような調子で告げる。雪の精霊が戸惑ったように顔を見合わせ、道端に咲いたたんぽぽを見て、ふ、と蓮生に向けて笑みをこぼした。手を振り、小さな彼女達が去ると、その場の雪が徐々に解けていく。
「あら」
 目を瞬かせて、蓮生の隣に居た少女が空へ視線を向けた。
「…凄い。言って聞かせるだけで冬が引いていくみたい。冷泉院君、ありがとう」
 律儀に頭を下げる少女に、蓮生は微かに口元を緩めるだけの笑みを見せた。彼としては、辺りを彷徨う冬の精霊、恐らく「黒姫」――冬の女神の配下なのであろう「モノ」達に礼を言っているだけの積りである。今年もありがとう、来年もまたよろしく、と。それだけの「お願い」で相手はあっさりと引き下がってくれている。
「物わかりのいい相手で助かったな」
「そうなの?」
 不思議そうに少女に問われ、蓮生は無言で頷く。町を徘徊している「冬」の配下のモノ達は、相手によっては依怙地になってその場に留まろうとするモノも居て、それでも殆どの場合は蓮生が辺りの花を咲かせて見せたり、「春」であるということを告げることで立ち去ってくれて入るのだが、
(…時折妙に依怙地になって粘る相手がいるな。『黒姫』の配下、とやらか?)
「冷泉院君」
「何だ?」
 物思いに耽る彼の思考を断ち切ったのは、彼がエスコートしていた少女であった。神社の居候にして巫女見習いの立場の彼女――桜花と蓮生が行動を共にしているのはそれなりに理由があるのだが、今は。
「ごめんなさい。大豆を買いたいので、もう少々買い物にお付き合いしてもらえるかしら」
 淡々と告げられた言葉に、蓮生は無言で頷こうとして、それからふと眉根を寄せる。彼女が挙げた名前がいくらか唐突に感じられたためだ。
「……大豆?」
「ええ。説明すると長いのだけど……ああ、丁度いい所に」
 折よく、蓮生が「冬」を祓った場所に向けて歩いてくる人影がある。同じくらいの年頃の少年二人で、一人が元気よく桜花に向けて手を振っていた。満面の笑みで駆け寄って、
「桜花ちゃん3時間くらいぶり! 寒いからハグしていい!?」
「この馬鹿が迷惑かけていないかしら、神木君」
 が、手を振る少年のことは一瞥すらせずに無視して少女はもう一人、こちらは仏頂面の少年の方へと視線を向けた。声をかけられた彼――神木九郎は、軽く頷くだけで応じる。その彼の手にはタッパーがあり、そこにぎっしりと詰められていたのは、
「…大豆だな」
「大豆だよ」
 蓮生が戸惑った様子で見たままを口にした通り、炒った大豆であった。一つまみそれを掴んで手の中で弄いながら、九郎は半目で自分と行動を共にしていたこの町の「神社の跡取り息子」である少年、藤を呆れた様子で見遣っている。
「何で大豆なんだ?」
 腕組みをして怪訝そうに問いかける蓮生に答えたのも、九郎の方だった。
「季節遅れにも程があるけどな、節分だ」
「節分…、ああ、確かにあれは、『季節を分ける』ためのもの、でもあるが」
 別名を追儺、とも言う。本来は季節の変わり目ごとに行うべき儀式であり、一般に知られる2月の「節分」は、その中でも冬と春の境目に行われていたものが、長い年月と共に形を変えて来たものである。
 黄昏しかり、節分しかり。時間や季節の「境目」は邪気の生まれやすいものだ。「節分」は元々、そこに生じる邪気を追い払い、新しい「季節」を迎え入れる為のものである――と。
 話の流れでおおよその経緯を呑み込んだのだろう。蓮生は思わず、と言った風に藤の方を見遣った。桜花にハグを全力で拒否された少年は拗ねたように膝を抱えて雪が微かに溶け残った塀の影で何事か小さな「モノ」達に話しかけていたのだが、蓮生の視線に気づいたのか、顔を上げてこくり、と首を傾いだ。歳の割には幼い所作だ。
「ん、どしたの、蓮生くん」
「いや…まさか、この町に春が来ていない原因なんだが、……節分を忘れたのが原因じゃないだろうな?」
「あはは」
 否定は無く。どういう訳か笑顔だけが返ってきた。隣に居る桜花が深い深い苦悩に満ちたため息を落とし、代わりというように肺から押し出すような声で呻く。
「…………なんていうかその、ごめんなさい」
 ――遠回しではあるが間違いなく、それは肯定の言葉であった。




 とはいえ、彼らとて決して節分を忘れて居た訳ではない。
「…変だとは思ったんだよなー。俺は風邪引いて高熱出すし、桜花ちゃんはその間に妙に連続して地縛霊やら疫病神やらを引き寄せて取りつかれて体調崩してて、姫ちゃん――あ、うちの祭神様な。姫ちゃんは留守にしてたんだ」
「それで節分が出来なかった、と」
「他にも色々。とにかく偶然が重なり続けたんだよ、それはもう不自然に」
 嘆息しながら、藤は手にした熱々のココアに口をつけた。場所は町の中心、小高い位置にある神社の境内にある休憩所だ。室内には、町の外であればとっくに仕舞われているであろうストーブが、冷えた室内を暖めていた。
「…ええと、ごめん、俺話が見えないんだけど…」
 集まった面々を見渡して一人きょとん、としていたのは、神社に併設されている神主一家の家の台所から顔を出した少年だった。こちらも九郎、藤とあまり変わりない年頃の高校生らしき少年だが、明らかに女物のエプロンをつけていて、それが妙に似合っていた。
「だからね、工藤君。あなたに頼むお仕事が増えたって言う話」
 その少年に、買い物を済ませた桜花が手にした袋を手渡す。中身は色々だが――商店街で購入した魚や野菜、肉類はともかくとして、大量に購入された大豆は異様な存在感を放っていた。中身を覗き込んだ少年、勇太は、話の流れが見えないらしく、引き攣った笑みで桜花に向けて首を傾げた。
「つまり俺、どうすればいいの?」
「あなたは料理続行よ、工藤君。あとついでにその大豆、片っ端から全部炒り豆にして頂戴」
「そっか、分かっ……これ全部!?」
 思わず、という様子で袋の中身と、集まった面々――藤と桜花、それに蓮生と九郎――を見比べる勇太に、笑顔の藤と不機嫌そうな九郎がそれぞれ頷いた。
「そうだね、全部だね」
「そうだな。まぁそれくらいあれば町中で節分やるには足りるだろ」
「あの…ここ、家庭用の調理器具しか無くて、オーブンとか割とサイズが小さいんだけど」
 おずおずと申し出た彼の言葉に、無表情に頷いたのは桜花だった。
「そうね」
「…業務用の調理器具とか借りられたり」
「しないわ」
「ですよね…!」
 半ば自棄、という様子で叫んでから、勇太は桜花から大量の大豆を受け取った。町中にばら撒くと言っていたが、その質量はもう凶器に近い。項垂れる勇太の肩を、桜花はぽん、と叩いた。あまり表情の変わらない口元が僅かに緩む。
「花見の料理は私がやるから、あなたは大豆を炒る作業だけしてもらえればいいわよ」
「それはそれで辛いものがあるよ!? 大体これ、2,3時間は水戻ししないと使えないでしょ」
 ぶつくさ言いながらもどうも頼まれたことを無碍には出来ないタイプであるらしく、彼は律儀に台所へと戻って行った。それを見送り、桜花が立ち上がる。
「私も手伝ってくるわ」
「うん、桜花ちゃん、『気を付けて』ね」



 ひらひらと手を振って台所へ向かう彼女を見送り、ストーブの前で藤が頬杖をついた。入口近くで推移を見守っていた蓮生、終始機嫌の良くなさそうな、腕組みをしながら椅子に座っている九郎をそれぞれ見遣り。
「…で、どうしよっか。無暗矢鱈と豆を撒いて歩く訳にもいかないし」
「そうだな」
 頷いたのは蓮生だ。彼は休憩室の閉じた硝子戸越しに外を眺めていたのだが、そこから見える光景に短く嘆息し、視線を藤と九郎の方へ戻した。
「どれだけ去って貰っても、次から次へと『冬』に関わる神や精霊が集まっているような有様だ。…春の神だったか、当てがあるような話をしていたが、そちらはどうなんだ?」
 言葉の後半は藤に向けられたものだった。常が無邪気な彼は、表情に珍しく困った様な色を浮かべる。
「佐保ちゃんとはさっきからコンタクト取ってんだけどね。冬の気配が強くなりすぎてて、ここまで来られないって。あっちも困ってるみたい」
「…サホ…春の女神の佐保姫のこと、か? それは」
 蓮生の問いかけに、藤はそうだよー、とあっさり頷いた。
「となると、矢張り問題は『黒姫』か」
 九郎がぼそりと呟き、それからひとりごちるように彼は眉根を寄せて続ける。
「…あまり情報がねぇ女神なんだよな。原因を探ろうにも」
「そうなのか?」
 蓮生の問いに、九郎が頷く。後を継ぐように、藤も同意した。
「クロちゃんは、春の佐保ちゃん、秋の竜田ちゃんに比べると知名度低いんだよ。祀ってる神社とかも無かったと思うし、好きなものとか嫌いなものとかそういうネタも全然ない。あ、節分は嫌いだって前に会った時言ってた」
 さもあらん、と蓮生は頷くしかなかった。(そして「クロちゃん」という、威厳の欠片も感じられない藤の呼称については触れないことにする。)あれは立春、春を迎える日の儀式なのだ。自分の季節の終了を豆撒きと同時に告げられるのはあまり良い気分ではあるまい。と、少し思案してから彼は顔をあげ、藤に向けて問いかけた。
「冬の気配を薄めれば、佐保姫はこちらに来られるのか」
「うん。何か手がある?」
「…気休め程度かもしれないがな。もう一つ確認だが、境内に桜の樹が沢山あったと思うが、あれは本来今頃は咲いている時期なのか?」
 う、と何やら藤は小さく呻いて目を逸らした。
「ちょっとね…。若い樹だから寿命ってことは無いはずなんだけど、神様弱ってるせいかなぁ、今年は調子が悪そうなんだよなー…」
 成程、と頷いて蓮生は提案をするように手を上げる。
「俺は神社に残ってもいいか。冬を遠ざければ少しは事態も好転するだろう」
「…ってことは俺はさっきまでと変わらず、豆撒いて冬を追い払う担当か。あんまりいい気分がしねぇんだぞ、これ」
 相手が悪霊やら人に仇をなす類の「モノ」であれば、いい。追い払うのは心も痛まない。だが相手はただ、冬をもたらすだけの「モノ」である。いかに既に春が来ているから、町の人が迷惑しているからと言っても、人の都合を相手に押し付けるのは――
(…遣り難いなんてもんじゃねぇな)
 舌打ちしたいような気分で残りわずかな炒り豆を睨んでいる、と。がたりと音をたてて扉が開き、外の冷気がびゅうと吹き込んできた。思わず身を竦ませる三人の視界に、一人の幼げな少年が姿を見せる。
「え、と、草間さんの所で頼まれてきた者なんですけど。…ここで合ってました?」
 首を傾げたのは、藤よりもう少し年下らしい小柄な少年だった。


***

 ――桜の花は、冬の寒さが無いと咲かない。
 そんな話をどこで聞いたのだったか忘れたが、桜のまだ年若い木々に触れて回りながら、蓮生は口元を引き結んだ。この境内の木々はよく手入れをされているようで、それでも規格外に長く続く「冬」にどうやらいささかならず参っているらしい。とはいえ、蓮生が少し「頼みこむ」と、辺りに散らばる冬の気配が一時的にとはいえ遠ざかり、桜の木々は急速に、つけた蕾を膨らませていく。
 その様子を、眺めるともなしに、という風情で足を揺らす人影があった。若木の細い枝に腰をおろし、雪のちらつきそうな程重たい曇天の下、吹きすさぶ風にも臆することなく白い素足を晒している。
「…この神社の祭神とやらか?」
<そうね、不本意ながら>
 足を揺らしているのは、藤色の和装を着込んだ女だった。目鼻立ちは整ってはいるが、目元が鋭く、どこかキツい印象がある。が、声には張りが無かった。
<…あなた、さっきから何をしているの?>
 問いかけも少しくたびれたような、疲れたような調子である。
 長い「冬」のせいで参っているのはどうやら桜の木々だけではないようだ、と蓮生は内心ちらりと考えつつ、枝の上を見上げた。
「桜を咲かせようかと思ってな。そこだけでも『春』の気配が強くなれば、少しは佐保姫もこちらに近付きやすくはなるだろう」
<咲かせる? そんなことが出来るの>
「少し時間がかかりそうだが――手入れはいいし、病気でもないのに。…何と言うか、『元気が無い』んだな。ここの桜は」
 そうとしか表現のしようが、無い。蓮生の独り言に、枝の上の女は思案気に目を伏せた。
<…桜はね、接ぎ木で増えるのよ。知っていて?>
「接ぎ木?」
<要するに、言い方は悪いけれど『クローン』ということ。その若木も全て、そうやって殖やされて来たものなの>
 遠回りな物言いだ。蓮生が結論を促す様に沈黙を守ると、女はふわりと軽い動作で枝の上から飛び降りてきた。不自然なほど長い和装の裾が、花のように広がる。
<この境内にある全ての若木は、元を辿れば一本のご神木に繋がっていますの>
「その『ご神木』に何かがあって、その不調が全体に影響している、と?」
 あまり科学的ではないが、蓮生はすんなりとその事実を呑み込んでいた。何せ、相手は「神」である。常識では測れないことなんて幾らでもあるに決まっている。実際、目の前の女神は肩を竦める所作で彼の言葉を肯定して見せた。それから振り返って、こう問う。
<あなた、切り倒されたご神木を、一時でも『咲かせる』ことが出来まして?>
 問いかけに瞬間、切なげな響きを感じ取り、蓮生は答えに詰まった。そんな彼を置き去りに、女神はさっさと歩きだしている。玉砂利の上を、白い裸足で平然と。
「待て、俺はまだ何も」
 蓮生の静止に、だが、女は振り返りもせずにこう返した。
<出来るでしょう、きっと、あなたになら。一時の夢でも、兄様(あにさま)を咲かせることが>
「……」
 こちらの言葉を聞く積りはないらしい、と、蓮生は嘆息するより他に、無い。ついでに言えば、彼女の後をついて行くほかに選択肢はなさそうだ。仕方なしに、先導する彼女を追いかける。


 どうやら彼女は神社の裏手にある小さな林へ向かっているようだった。「森」とは呼べないほど小さな小さなそこは恐らく、かつて「鎮守の杜」と呼ばれるような存在であったのだろう。清浄で、かつ静かな気配が辺りに満ちている。それでも、「冬」の気配はここでも濃厚であった。踏んだ地面には霜の降りたらしい気配が残っている。
 その小さな林の中心に、それはあった。
 切り株。それもかなり巨大なものだ。樹齢は百をくだらないだろう。真新しい注連縄がかけられていて、それがかつて神聖なものであったことを主張している。
「…これが、その、ご神木か」
 触れれば、蓮生には、その樹が既に完全に「死んだ」ものであることが、否応なしに理解できてしまう。それもここ数年の話ではない。数十年は前に。
「……疾うに、死んでいるんだな」
 嘆息する。さすがに、ここまで完全に枯れ死んだものをほんの一時とはいえ「咲かせる」のは骨が折れそうだ。
<…あなたに頼むのは申し訳ないとは思っていますの。本当でしてよ。でも、兄様はこの町の全ての桜のルーツ、文字通りの『根っこ』ですもの。兄様が一瞬でも元気になってくだされば…>
「一発逆転、町の全ての桜にも生気が戻る訳か。成程、そちらの方が効率は良さそうだ」
 蓮生は微かに苦笑した。そうして、切り株に手を触れる。ご神木が死んでもなお、かつての信仰はまだ生きているようで、それは確かに、切り株になってさえきちんと交換されているらしい注連縄にも、傍にそっと置かれたお供え物らしい花や小銭やお菓子類やお酒からも見て取れる。
 それらにも視線をやりながら、蓮生は声に出し、言葉を刻む。あたりに満ちる冬の気配に向けては、労いを。そして触れた指先の硬い木の方には、
「…今年も、もう春が来たんだ。だから一時でいい、目を覚まして、力を貸してくれないか」
 その傍で、和装の女も、切り株に触れる。愛おしむように。
<わたくしの力も持って行って、兄様。それから、寂しがり屋の黒姫の相手をして差し上げて。あの子、寂しいのよ、きっと>


 ふわり、と。
 勘違いや錯覚ではない。間違いなく。彼の鼻先をその瞬間、桜の香りが掠めた。それから太陽の光。それまでたちこめていた曇天から晴れ間が覗き、陽光が注いでくる。そして。
 その陽光の中をはらはらと、薄紅の花弁が降ってくるのを確認して、蓮生は少し長く息を吐きだした。その彼の傍で、女神がす、と礼の姿勢を取る。
<ありがとう。一時とはいえ、兄様の姿を甦らせてくださって>
「…あまり長くはもたないぞ。死んだものを甦らせるのは、俺にだってそう出来ることじゃない」
<分かっていてよ。わたくしとても、神の端くれですもの>
 そこへ、ふああ、と呑気な欠伸が聞こえてきた。頭上だ、と気付いて蓮生が顔を上げると、さっきまでの寒さが嘘のようにそこには満開の桜が咲き誇っている。――これがかつての、このご神木の姿なのか、と、しんみりとした気分で見上げていると、そこに座っている人物と目が会った。
「…ここの祭神は枝に座って登場するのがルールか何かなのか」
 やや呆れて問うたのだが、そんな蓮生の視線をものともせず、薄紅の桜と同じ色の和装を纏った男はふにゃりと笑み崩れた。
<おや、こんにちは、初めまして。ふふ、久方ぶりに満開の自分の姿を見るのは良い気分だねぇ。君のお陰だよね、ありがとう>
<兄様!>
 嬉しそうな女神はさて置き蓮生は彼を見上げ、それからまた視線を戻した。林の周りにあれだけ大量にさざめいていた「冬」の気配、特に「黒姫」の配下と思しき強い気配が、この桜の樹が満開になった途端に姿を消している。
 そのことに微かに違和を感じながらも、蓮生は再度、樹上の神へと視線を戻した。
 狐面を阿弥陀被りにして、その下の、よく言えば穏やかそうな――悪く言うと「呑気そう」な笑みは先程から変わりがない。町の状況に気付いていない訳でもあるまいに、随分と落ち着いているように見受けられた。
「…あの神社の祭神の、もう一柱の方、だな?」
<うん。人には『さくら』と呼ばせているよ。…ああ、そんなに焦らなくていいよ? 佐保姫なら、もう本当にすぐ近くまで来ているから>
「では――春が、本当に来るのか」
 蓮生の確認に、うん、と素直に「さくら」は頷いた。ふわりと樹上から降りてきて、それから彼は少しだけ困ったように眉を下げる。
<ところで、さ。悪いのだけど、もう少しだけ付き合ってもらってもいいかな。…折角力が戻ってるから、今のうちに、ひとつやっておきたいことがあるんだ>
「やっておきたいこと、か。内容にもよるが」
 うん、とひとつ頷いて、さくらはにこりと微笑んだ。
<書きかけの手紙を、完成させたいんだ。それだけの間、時間が欲しい>


***


 その時。
「姫ちゃんに……さくら! 起きて大丈夫なのか!?」
 藤の呼びかけが響いて、蓮生は振り返った。黒姫を探して町へと出て行ったはずの三人が、どういう訳か境内のこの森へと戻って来たらしい。
<平気みたい。蓮生君のお陰>
 笑みを向けられた蓮生はと言うと、軽く頷いただけだ、
「俺は大したことはしていない。…それに、あまり長くは持たないからな」
 と、わたるは二人のやり取りを余所に顔を上げた。そこは鎮守の杜で、神に縁の深い草花や木々が、数は減じても多く存在している。それらの声が、彼の耳には届いていた。
「…そうか、黒姫は、ここに居るの?」
 わたるの言葉に、場の全員の視線が集まる。一瞬ではあるがしん、と場が静まり返った。誰も彼もが辺りを見わたし、気配を探る。
 最初に口火を切ったのは、さすがにこの町の守護神と言うべきか、さくらであった。
<黒姫。…そんなところで隠れてないで、出ておいでよ>
 その言葉に。
 ――応じた音があった。鈴の音。ちりん、と、何だかそれは猫の首輪につけられた鈴のような、酷く可愛らしい音。
 藤があれ、と首を捻り、ふじひめとさくらが口元を緩めた。
「残念、見つかっちゃったね、クロちゃん」
 がさりと茂みをかきわけて出てきたのは、黒いワンピースに黒髪の少女。髪につけたアクセサリが、動くたびにチリチリと涼しい鈴の音をたてる。
 黒姫か? と身構えた九郎とわたる、蓮生を余所に、藤がぎょっとしたように彼女の名を呼んだ。
「ええええ!? チカちゃん!? な、何でこんなトコにチカちゃんが居るんだよ!」
<…千影だけではない。私も居るぞ。一応>
 更に、その少女の肩には小さな影がちょこん、と腰を下ろしていた。すらりと長い手足、身体のバランスはどう見ても成人女性の姿であるが、その姿はせいぜいが着せ替え人形くらいのサイズだ。灰色の髪のその女を見て、藤が二度目の驚きの声をあげた。
「ええええ!? クロちゃんどうしたのそのサイズ!?」
<五月蠅い。無茶をして町に居座ったから、力が弱まったんだ>
 お人形のような人影は、ふい、と千影の肩でそっぽを向いてしまう。そんな黒姫に、薄紅の人影がそっと近づき、膝をつく。狐面で顔は隠れて見えないが、恐らく小さな千影に視線を合わせたのであろう。
 物怖じというものを知らない千影は、視線を合わされて嬉しそうに、
「あのね、さくらちゃん。クロちゃん、さくらちゃんの『手紙』を探していたんだって。見つからないから、とうとうさくらちゃんが死んだんじゃないかって、泣きべそかいてたの」
<な、泣いていない! 私は泣いてないぞ、千影! 語弊がある!>
「? でもクロちゃん、心で泣いてたよね。チカが、さくらちゃんはまだ元気にしてるよって教えてあげたら、すごーく喜んでたし」
 さしもの冬の女神も、無邪気の塊のような少女の物言いには勝てなかったらしい。項垂れながら、彼女はぼそりと小さく答えた。いわく。



<……長年の文通相手だ。心配くらいはする>



 そのやり取りに。
 九郎が苦りきったため息をつき、わたるは安堵の笑みを浮かべた。蓮生は既に事情をさくらから聞いていたので驚いている様子もないが、それでも微かに笑みを浮かべて、二人――もとい、二柱のやり取りを見守っている。

「…文通って。散々騒がせて、節分まで遠ざけておいて、そこまでしておいて、原因はそれかよ…」
「あはは…。神様のわがまま、ってところなのかなぁ。もっと困った理由じゃなくて良かったかもしれないけど…」
「…さくらがクロちゃんと文通してたなんて俺知らなかったぞ」




 人間達が三者三様に徒労感に襲われていると、そこへふわりと柔らかな香りが漂った。最初に反応したのはふじひめにさくら、そして黒姫という神様達である。彼らの大好物のお酒の匂いだったのだ。
「おーい、みんな、そろそろお花見始めるよー! 料理は早いものがちだからね!」
 勇太の呼ぶ声に、その場の人間達も顔を見合わせあう。
<黒姫ー、早くいらっしゃーい。あんまり人様に迷惑をかけちゃ駄目よぉ>
 次いで。名指しで呼ばれた黒姫が、千影の肩の上で苦い顔をした。
<……姉上を呼んだのか、人間>
<あらぁ、藤を睨んじゃ駄目よぉ、黒姫。藤はあなたがおいたをしているから、困って私を呼んだのよぉ。ちゃーんと反省するのよぉ?>
 項垂れる黒姫に、千影がにゃ、と無邪気に微笑みかけた。
「大丈夫だよ、クロちゃん。ちゃーんと『ごめんなさい』すればいいんだよ。そしたら一緒に、ししゃも食べよーね」
 花見のメニューに果たしてししゃもがあったかどうかは定かではないが、千影の励ましとも言えないような激励に、黒姫は力なく笑みを浮かべる。
<…そうだな。さくらも無事だったんだし、花は綺麗だし。…姉上に頭を下げて、少しだけ、場に入れてもらうとするか…>


 既に時刻は夕刻になっていた。薄暗く群青色に染まる空気に、しかし昼まで漂っていた凍てつくような寒気はもう混じっていない。混ざるのは、はらはらと落ちる薄紅の花弁だけだ。
 それから、賑やかな気配だけ。
 神社の境内から漏れ聞こえる喧騒は華やかな春の気配を帯びて、空気を塗り替えていくようだった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2895 / 神木・九郎  / 17歳】
【 3626 / 冷泉院・蓮生 / 13歳】
【 1122 / 工藤・勇太  / 17歳】
【 3689 / 千影  / 14歳】
【 7969 / 常葉・わたる  / 13歳】


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■         ライター通信          ■
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納品が大変遅れ、申し訳ございませんでした。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。