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<東京怪談ノベル(シングル)>


春の嵐


「春は恋愛の季節!」
 航空事象艇のハンドルレバーを握ったまま、綾鷹郁は少々やけくそ気味に叫んだ。
「心の声が聞こえるよぉ智子ちゃん。この女は夏にも秋にも冬にも同じ事ばっか言ってるって……本命の恋なんか全然出来てないのも毎年同じだって、思ってんでしょーがああ?」
「思っていない事もないけれど……前を見て運転してね」
 後部座席で、鍵屋智子が冷めた声を発する。
 綾鷹郁と鍵屋智子。2人1組で、任務に赴いているところである。
 場所は、エデンの園・上空近辺。
 あの辺りは航空事象艇の主要航路であり、過密な往来のせいで時空の歪みが発生しつつある、という報告は確かに上がっていた。
 その歪みの余波で、近隣の時空植民地に、天変地異に似た現象が起こり始めている。そんな話も郁は聞いている。
 それと関係があるのかどうかは不明だが、エデンの園空域で最近、時空船舶の遭難事故が多発していた。現在も、超大型時空タンカー『ウェルズ号』が、同空域で消息を絶っているところである。
 事故多発の原因を突き止める事。ウェルズ号を発見し、状態を確認する事。救助出来る状況であれば行う事。
 それが、今回の任務である。
「エデンの園……堕落しちゃう前のイブちゃんから、何か学ぶしかないわね」
「学習能力があるといいわね、貴女に」
 智子が相変わらず、容赦のない事を言う。
「……それより、前を見て」
「え……おおっと!」
 前方で空が大きくひび割れ、空間の亀裂とでも言うべきものが生じている。
 郁は慌てて、航空事象艇を小刻みに迂回させ、その亀裂をかわした。
 すでに、エデンの園・上空である。
 空間の亀裂が、あちこちに生じていた。
 郁は息を呑んだ。
「な、何……? これも、時空の歪みってわけ?」
「そうね……でも」
 智子が、冷静に分析した。
「時空の歪みが、こんなふうに一ヵ所に集中する事は有り得ない……歪みが、意図的に集められている」
「誰かの仕業って事ね」
 郁は、うんざりした。
「そいつを取っ捕まえるのも、任務に入っちゃってるよねえ当然。ああもう、仕事1つ増えちゃった……おっ、でも目標発見。仕事1つ片付いたかも」
 発見しようとせずとも視界に入ってしまうほど巨大な船体が、さらに巨大な空間の亀裂にはまり込んでいた。空中における座礁、とでも言うべき状態である。
 行方不明中の時空タンカー・ウェルズ号。間違いない。
 それと比べて小型の、だが充分に大型船の範疇に入る時空船舶が1隻、同じように空中で座礁していた。
 一見すると、まともな商船である。だが様々な武装を内蔵している事は、本職のティークリッパー(航空事象艇乗員)の目で見れば明らかだ。
「海賊船……かな?」
「かなり違法改造された船なのは、間違いなさそうね」
 智子の両眼が、キラリと知的に冷たく光った。
「ちょうどいいわ。ウェルズ号の救出に、力を貸してもらいましょう」


 船持ちの商人は、ほぼ例外なく船を武装させる。海賊への備えである。
 武装した結果、海賊同然の存在となってしまう。これもまた、ほぼ例外なしである。
 郁を出迎えた武装商船の船長も、ほとんど海賊と言って良い風体の男であった。
「困りますな、官憲のお嬢さん方」
 物腰柔らかく眼光鋭い、髭面の男。上品な不良中年、といった感じである。
(わお、ちょいワルおやじ……)
 郁の胸の奥で、心臓がトクン……ッと跳ねた。やはり、春は恋愛の季節なのだ。
「確かに私ども、堅気の方々から見ればいささか好ましくない商売を行っておりますが……ここまで大仰な罠で捕えられるほどの事はしておりませんぞ。我々を捕えるためだけに、時空タンカー乗員の方々まで巻き添えになさるとは」
「しばらく。しばらくお待ちになってね、おじさま」
 郁は、にこにこと愛想笑いを浮かべた。
「あたし、こう見えても政府の犬だから、アウトローな殿方には信じてもらえないでしょうけど。でもね、あたしらの仕業ってわけじゃあないのよん」
「アウトローを気取るつもりは、ありませんがね」
「とりあえず、外のタンカーを助けなきゃいけないんだけど……ねえ手伝って下さらない? 素敵なおじさま」
 郁は馴れ馴れしく、船長のたくましい腕にすがりついていった。
「この船も、ちょっと壊れてるみたいだから修理したげる。あたし、手持ちの材料で大抵のものは直せるのよん」
「私の船を、あまり弄り回していただきたくはないのですが……」
「それなら救難要請を出しましょう」
 船長の腕に胸を押し付けたまま、郁はにっこりと不敵に微笑んだ。
「点検されて困るような積荷なんて……もちろん、ありませんわよね? お・じ・さ・ま」
「……相手を自分のペースに乗せてしまうのが、実に上手なお嬢さんだ」
 船長が苦笑した。女が全てを捧げてしまいそうになる笑顔だ、と郁は思った。
「あと10年も経てば、一体どんな魔性の女になるのやら……恐ろしくもあり、楽しみでもあり」
「ふふっ……10年も待って下さる必要はなくてよ?」
 嫣然と微笑みながら郁は、船長の髭をそっと撫でた。
 険悪な咳払いが聞こえた。
 智子が、いつの間にか近くに来ていた。
「私たちに手を貸して下さるなら、お早めにお願いするわ船長さん……この船の武装を、活かしてもらうわよ」
「何を攻撃すると言うのかね、知的なお嬢さん」
「この空域に時空の歪みを集中させている装置をよ。それを破壊すれば、犯人は火病って出て来るわ」
 言いつつ智子が、ちらりと郁を睨む。
「貴女が船長さんに協力を要請してくれた……という事にしておきましょうか。とにかくその間に、探し出して座標を特定しておいたから、さっさと攻撃用意よ」


 空間の亀裂の中に、その装置は巧みに隠されていた。
 武装商船から発射された魚雷が、狙い過たず、その装置を破壊した。
 空間の亀裂が、次々と消え失せてゆく。
 同時に何者かが、武装商船の中に姿を現した。空間転移技術、のようである。
「ちょっと! 何て事してくれるの、あなたたち!」
 白衣を着た、中年の女性が2人。よく似ている。恐らく、科学者の姉妹であろう。
「私たちの、正当な抗議行動を邪魔するなんて!」
「時間移民政策が、どれだけ時空の歪みを引き起こしているか! そのせいで他の時空植民地がどれだけ迷惑しているか、わかっているの? わかってないでしょ!」
「あんたらこそ、わかっとらんき……!」
 郁は激昂した。
「その正当な抗議行動ゆうもんのせいで、船が何隻も遭難しちゅうぞ! 人死にも出とるんぞ! もう迷惑ちゅうより犯罪ぞね! 今からしょっぴいてくきに、覚悟しいや!」
「か、官憲なのね貴女、官憲が暴力を振るうのね! 権力と暴力で、私たちの正当な市民活動を圧迫するつもりなのね!」
「ほたえなや! あたしらティークリッパーが本気で暴力振るったら、こんなもんじゃ済まんぞなもし!」
「落ち着いて、郁さん」
 智子が、進み出て来た。冷静に郁を押しとどめつつ、科学者姉妹と対峙する。
「貴女たち……時間移民反対者なのね」
 時間移民……多人数の時空間移動を頻繁に繰り返していれば、時空の歪みはどうしても起こってしまう。その歪みが、他の時空植民地に悪影響を及ぼす。
 それが、時間移民政策反対者たちの主張の根拠である。
「時間移民が、どれだけ間違った政策であるのかは明らかでしょう」
 科学者姉妹の、姉の方が言った。
「知的生命体は、そんな事をしなくても生活領域を広げる事が出来るわ。空間的に」
「空間的な版図の拡張は、対外戦争を引き起こすわ。貴女たち、それを肯定するのね?」
 智子の両眼が、姉妹に対して鋭く輝いた。
「そもそも貴女たちが今まで時空植民地で安穏と生活していられたのは、時間移民政策のおかげでしょう。今まで恩恵を与えてくれたものに対して、犯罪同然の方法で抗議を行う。これは、どうなのかしら……恩知らずとか、卑怯者とか、そんな陳腐な表現しか思い浮かばないのだけど」
「…………!!」
 姉の科学者が、息を詰まらせたかのように黙り込んで青ざめた。
 その姿が、消えた。空間転移技術だ。
「あ、姉さん……!」
 1人残された妹が、うろたえている。
 武装商船が、大きく揺れた。爆発の衝撃を、郁は感じた。
 商船の近くに停めてあった姉妹の自船が、姉によって暴走・自爆したのだ。
 妹が、へなへなと座り込む。
 唖然とする一同を乗せたまま、武装商船もまた、暴走に近い動きを始めていた。
「こ……これは?」
「悪いわね船長さん。この船の機関部、勝手に修理させていただいたわ」
 智子が言った。
「この船……例の紅茶を使っているわね。人間の感情に応じて燃焼し、動力となる、あの禁断の品」
「……いつの間に、調べ上げられていたのやら」
 船長が、苦笑している。
 激昂した女たちによって最大出力を与えられた武装商船が、ウェルズ号を牽引し、久遠の都ヘと向かって航行を開始した。
 遥か下方では、アダムとイブが仲良く知恵のリンゴをかじっている。
「あの2人は結局、ああなってしまうのね。時空がどのようになろうとも……」
 智子が呟く。郁も言う。
「ねえ智子ちゃん……時間移民って、もしかして間違ってるのかな……」
「貴女がそんな事で、どうするの」
 智子が、冷然と叱咤する。
 船長は、慰めてくれた。
「いや、悩む時は大いに悩むといい。悩んだ結果として、官憲の仕事を辞めたくなったら……いつでも、この船においでなさい」
 やはり春は恋の季節なのだ、と郁は思った。