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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


春告の手紙

 花見の料理と言えば。三食団子などの和菓子も悪くは無いだろうが、お弁当が王道だろう。これといって決まりがあるものでもないから、好きなものを適当に詰め込もう、と料理を任された勇太は決め込んだ。普段の料理と違うのは食べる人間が多いことと、「弁当箱」という制限から解き放たれていることである。
「弁当箱で時々途方に暮れることがあるわよね。どうやっても埋められそうにない隙間とか」
 ひとつ、ひとつ。完成した料理をタッパーや紙皿に並べながら、ふ、と、勇太同様に花見の料理を任されていた少女――桜花が呟いた。どうやら勇太と同じことを考えていたのだろうか。
「だよねぇ。キャラ弁なんて作る人達、ホント尊敬する」
「…工藤君はお弁当男子なのね。最近は珍しくも無いけど…いえ、高校生だと珍しいわね。私のクラスメイトにはお弁当を自作する男子なんてそうそう居ないわ」
 それはそうだろう、と勇太は曖昧に笑みだけ返した。――そもそも普通の高校生男子は「料理をする必要性」に駆られることが少ないのではないだろうか。
 話を変えようと、勇太は桜花へと矛先を変えることにした。
「佐倉さんも大変じゃない? いつもお弁当、二人分作ってるんでしょ」
「そうかしら。かえって気楽かもしれないわ。一人分の方が気苦労が多そう」
「う。否定はしにくいかな…」
 卵焼き。ウィンナー。筑前煮。春キャベツはそのままが美味しいだろうという結論に至ったので、オーブンに入れて軽く焼いたものに、戸棚から出てきたアンチョビの缶詰をあけて和える。その手慣れた調理の様子を見ながら、桜花が目を細めて付け加えた。
「…それに、食べてくれる人が居るのと、自分だけが食べるのでは、張り合いも違うもの。藤はいつも美味しそうに食べてくれるから、こちらとしても頑張り甲斐があるし」
 目をあげた勇太に、桜花が微笑みかける。
「――あなたにも、そういう風に料理を作ってあげたいと思える相手が居るといいのだけれど、どう?」
 本当に心の底からの問い掛けの言葉らしい。え、と、勇太は瞬間言葉に詰まる。が、彼女はすぐに冷淡な無表情に戻り、こう続けた。
「何しろ、そういう『気持ち』を込めて作らないと、神様をお迎えする宴会には相応しくないわ」
「ああ、そうか、そういう流れになるんだねうん。頑張ります…」


 今現在、勇太が桜花と並んでせっせと作っている料理は、ただ食べる為のものではない。
 桜の下で花を愛で、華やぐ気持ちでもって春を告げる女神様をお迎えするための、非常に重要な使命を帯びた料理作りである。



 勇太にとっての「事の発端」は数日前だ。
 世間では、学生たちは「春休み」という期間に突入していた。独り暮らしで、おまけに学年の節目である春休みにはあまり宿題も多くなく、自然暇を持て余した工藤勇太が顔を出したのは、何くれと世話になっている探偵事務所であった。度々面倒事や厄介事にも巻き込まれている場所でもあるが、それ以上に、彼にとっては色々な意味で気安く過ごせる場所のひとつだ。
 が、顔を出すなり、草間は厭そうな顔をした。
「…暇だなお前。他に顔出すとこねぇのかよ」
「いや、無いことは無いっすけど。酷い言いぐさだと思わない、零さん」
 折角顔を出したのに、と、わざとらしい仕草で口を尖らせて見せる。零は苦笑しながら、来客の使ったものらしい湯呑を洗っていた。
「そうよ兄さん。…それに兄さんだって、しばらく顔を見なければ見ないで心配する癖に」
 その言葉にはあえて反論もせず、ふん、と草間は不機嫌そうに鼻を鳴らしただけであった。が、すぐにその口の端に笑みが浮かぶ。
「そうまで暇なら、お前、ちょっと遠出してくるか」
「遠出?」
「花見の手伝いだよ、花見。そろそろそういう季節だろ?」
 先程の不機嫌から一転して機嫌良さそうな笑みを浮かべた草間に、零が嗜めるように、呆れたように言葉を差し挟んだ。
「兄さん。…秋野さんからのお仕事、お願いする積りじゃないですよね?」
「いや、ほら、あいつは『料理が出来る人もいてくれると助かる』とか言ってたしなぁ。お前、料理出来る方だろ」
「少なくとも草間さんよりは」
 即答すると、零が噴き出した。
「兄さんじゃ比較対象になりません。…でも確かに、勇太さん、ご自分でお弁当作ってるんですよね」
「ほれ、見ろ。適任だろ」
「今思いついたばかりのことを偉そうにさも『考えてました』風に言わないでくださいね兄さん。…で、どうされますか、勇太さん」
 草間の机の周り、山になった資料の中から一枚を引っ張り出して差し出しながら、零がそう尋ねるのは、仕事を請けるか否か、という話なのだろう。料理の人出を探しているとは、きっと平和な依頼なのだろうなぁ、とさして深く考えもせず、勇太は頷いていた。
「料理の手伝いでしょ? 暇だし、俺で良ければ行って来るよ。それにしても、草間探偵事務所に不似合な平和な依頼だね?」
「うるせー『不似合』、は余計だ! ウチだってたまに平和な依頼が来るんだよ!」
「…兄さん、あんまり胸を張って言える台詞じゃないですよ」
 零の冷静なツッコミはさて置き、軽い気分で勇太はその依頼を承諾したのである。

 ――勿論。
 依頼で指定された町に着き、既に桜も見頃を終えるというこの季節に雪がちらつく風景と、肌がひりつく強烈な寒さに襲われた時点で、「ああ、あの事務所に来る依頼が『まとも』な訳なかったよな…」と遠い目をしながら勇太は悟る羽目になるのだが。



***

 桜前線は北上を続け、そろそろ東京の桜は見頃を終えるらしい。そんなニュースが夕方のテレビで流れる時期だったのだが、ロングコートを着込んだ少年は白い息を吐いて空を見上げた。隣にはダウンジャケットに手袋、耳当てという冬場の完全武装をした少女が居る。
「…本当に真冬並みの気温だな」
 彼――蓮生の視界には、道端に積った雪の影で飛び回る妖精染みた生き物や、冬場にしか見かけ無いような精霊や、妖怪の類までもが見えていた。日本全体が春を迎える中、追いたてられた「冬」の存在がこの小さな町に一堂に介しているような錯覚さえ覚えてしまう。
 そんな中で道端に身を小さくして開こうとしているたんぽぽに彼が手を触れると、その場の空気が一息に緩んだ。
「もう冬は終わりだ、今までご苦労様」
 また来年、と彼が、道端で友人に挨拶をするような調子で告げる。雪の精霊が戸惑ったように顔を見合わせ、道端に咲いたたんぽぽを見て、ふ、と蓮生に向けて笑みをこぼした。手を振り、小さな彼女達が去ると、その場の雪が徐々に解けていく。
「あら」
 目を瞬かせて、蓮生の隣に居た少女が空へ視線を向けた。
「…凄い。言って聞かせるだけで冬が引いていくみたい。冷泉院君、ありがとう」
 律儀に頭を下げる少女に、蓮生は微かに口元を緩めるだけの笑みを見せた。彼としては、辺りを彷徨う冬の精霊、恐らく「黒姫」――冬の女神の配下なのであろう「モノ」達に礼を言っているだけの積りである。今年もありがとう、来年もまたよろしく、と。それだけの「お願い」で相手はあっさりと引き下がってくれている。
「物わかりのいい相手で助かったな」
「そうなの?」
 不思議そうに少女に問われ、蓮生は無言で頷く。町を徘徊している「冬」の配下のモノ達は、相手によっては依怙地になってその場に留まろうとするモノも居て、それでも殆どの場合は蓮生が辺りの花を咲かせて見せたり、「春」であるということを告げることで立ち去ってくれて入るのだが、
(…時折妙に依怙地になって粘る相手がいるな。『黒姫』の配下、とやらか?)
「冷泉院君」
「何だ?」
 物思いに耽る彼の思考を断ち切ったのは、彼がエスコートしていた少女であった。神社の居候にして巫女見習いの立場の彼女――桜花と蓮生が行動を共にしているのはそれなりに理由があるのだが、今は。
「ごめんなさい。大豆を買いたいので、もう少々買い物にお付き合いしてもらえるかしら」
 淡々と告げられた言葉に、蓮生は無言で頷こうとして、それからふと眉根を寄せる。彼女が挙げた名前がいくらか唐突に感じられたためだ。
「……大豆?」
「ええ。説明すると長いのだけど……ああ、丁度いい所に」
 折よく、蓮生が「冬」を祓った場所に向けて歩いてくる人影がある。同じくらいの年頃の少年二人で、一人が元気よく桜花に向けて手を振っていた。満面の笑みで駆け寄って、
「桜花ちゃん3時間くらいぶり! 寒いからハグしていい!?」
「この馬鹿が迷惑かけていないかしら、神木君」
 が、手を振る少年のことは一瞥すらせずに無視して少女はもう一人、こちらは仏頂面の少年の方へと視線を向けた。声をかけられた彼――神木九郎は、軽く頷くだけで応じる。その彼の手にはタッパーがあり、そこにぎっしりと詰められていたのは、
「…大豆だな」
「大豆だよ」
 蓮生が戸惑った様子で見たままを口にした通り、炒った大豆であった。一つまみそれを掴んで手の中で弄いながら、九郎は半目で自分と行動を共にしていたこの町の「神社の跡取り息子」である少年、藤を呆れた様子で見遣っている。
「何で大豆なんだ?」
 腕組みをして怪訝そうに問いかける蓮生に答えたのも、九郎の方だった。
「季節遅れにも程があるけどな、節分だ」
「節分…、ああ、確かにあれは、『季節を分ける』ためのもの、でもあるが」
 別名を追儺、とも言う。本来は季節の変わり目ごとに行うべき儀式であり、一般に知られる2月の「節分」は、その中でも冬と春の境目に行われていたものが、長い年月と共に形を変えて来たものである。
 黄昏しかり、節分しかり。時間や季節の「境目」は邪気の生まれやすいものだ。「節分」は元々、そこに生じる邪気を追い払い、新しい「季節」を迎え入れる為のものである――と。
 話の流れでおおよその経緯を呑み込んだのだろう。蓮生は思わず、と言った風に藤の方を見遣った。桜花にハグを全力で拒否された少年は拗ねたように膝を抱えて雪が微かに溶け残った塀の影で何事か小さな「モノ」達に話しかけていたのだが、蓮生の視線に気づいたのか、顔を上げてこくり、と首を傾いだ。歳の割には幼い所作だ。
「ん、どしたの、蓮生くん」
「いや…まさか、この町に春が来ていない原因なんだが、……節分を忘れたのが原因じゃないだろうな?」
「あはは」
 否定は無く。どういう訳か笑顔だけが返ってきた。隣に居る桜花が深い深い苦悩に満ちたため息を落とし、代わりというように肺から押し出すような声で呻く。
「…………なんていうかその、ごめんなさい」
 ――遠回しではあるが間違いなく、それは肯定の言葉であった。




 とはいえ、彼らとて決して節分を忘れて居た訳ではない。
「…変だとは思ったんだよなー。俺は風邪引いて高熱出すし、桜花ちゃんはその間に妙に連続して地縛霊やら疫病神やらを引き寄せて取りつかれて体調崩してて、姫ちゃん――あ、うちの祭神様な。姫ちゃんは留守にしてたんだ」
「それで節分が出来なかった、と」
「他にも色々。とにかく偶然が重なり続けたんだよ、それはもう不自然に」
 嘆息しながら、藤は手にした熱々のココアに口をつけた。場所は町の中心、小高い位置にある神社の境内にある休憩所だ。室内には、町の外であればとっくに仕舞われているであろうストーブが、冷えた室内を暖めていた。
「…ええと、ごめん、俺話が見えないんだけど…」
 集まった面々を見渡して一人きょとん、としていたのは、神社に併設されている神主一家の家の台所から顔を出した少年だった。こちらも九郎、藤とあまり変わりない年頃の高校生らしき少年だが、明らかに女物のエプロンをつけていて、それが妙に似合っている。
「だからね、工藤君。あなたに頼むお仕事が増えたって言う話」
 その少年に、買い物を済ませた桜花が手にした袋を手渡す。中身は色々だが――商店街で購入した魚や野菜、肉類はともかくとして、大量に購入された大豆は異様な存在感を放っていた。中身を覗き込んだ少年、勇太は、話の流れが見えないらしく、引き攣った笑みで桜花に向けて首を傾げた。
「つまり俺、どうすればいいの?」
「あなたは料理続行よ、工藤君。あとついでにその大豆、片っ端から全部炒り豆にして頂戴」
「そっか、分かっ……全部!?」
 思わず、という様子で袋の中身と、集まった面々――藤と桜花、それに蓮生と九郎――を見比べる勇太に、笑顔の藤と不機嫌そうな九郎がそれぞれ頷いた。
「そうだね、全部だね」
「そうだな。まぁそれくらいあれば町中で節分やるには足りるだろ」
「あの…ここ、家庭用の調理器具しか無くて、オーブンとか割とサイズが小さいんだけど」
 おずおずと申し出た彼の言葉に、無表情に頷いたのは桜花だった。
「そうね」
「…業務用の調理器具とか借りられたり」
「しないわ」
「ですよね…!」
 半ば自棄、という様子で叫んでから、勇太は桜花から大量の大豆を受け取った。町中にばら撒くと言っていたが、その質量はもう凶器に近い。項垂れる勇太の肩を、桜花はぽん、と叩いた。あまり表情の変わらない口元が僅かに緩む。
「花見の料理は私がやるから、あなたは大豆を炒る作業だけしてもらえればいいわよ」
「それはそれで辛いものがあるよ!? 大体これ、2,3時間は水戻ししないと使えないでしょ」
 ぶつくさ言いながらもどうも頼まれたことを無碍には出来ないタイプであるらしく、彼は律儀に台所へと戻って行った。それを見送り、桜花が立ち上がる。
「私も手伝ってくるわ」
「うん、桜花ちゃん、『気を付けて』ね」


***

 彼らが出かけ、境内が静まり返ってから、どれくらい経過しただろうか。
「…うわー…」
 真っ先にその「異変」に気が付いたのは、神社の近く、台所でせっせと大豆を炒っていた勇太だった。それまでびゅうびゅうと冷たい北風に揺れていたガラス窓から、一転して、暖かな日差しが差し込んできたのだ。それで窓を開けると、本当に今までの光景がまるきり嘘のように、彼の目の前では薄紅の桜が咲き誇ってり、冬の空気はすっかり塗り替えられていた。
「…あら。とうとう佐保姫が来てくださったのかしら」
 その隣で、こちらもせっせと昆布巻きを作っていた桜花が手をとめ、目を細める。
「やっと、ここにも春が来たのね」
 ふぅ、と細く長く彼女が息を吐きだす。――と。
 最初に違和感を覚えたのは勇太の方だった。台所は室内故に、日差しが差し込めば影も出来る。未だ、さっきまでの冬の冷たさが取り残されたようなその小さな影から、強烈な感情を彼は察知したのだ。
「佐倉さん――」
 その影に近い位置に居る桜花に警告をしようとして、だが、その言葉は僅かに間に合わない。え、と顔を上げた桜花が、影から「何か」にのしかかられて、悲鳴も上げずにその場に倒れ伏した。
<嫌だ! まだ帰りたくない! 帰らないからな!!>
 子供が癇癪を爆発させたような強烈な感情が、勇太の神経に突き刺さる。
「…これ、まさか、例の冬の…」
 黒姫――冬の女神の配下。町中で冬をばら撒いていた「モノ」。
 神社までは入ってこない、と藤はそう請け負っていた筈だが、どうやら呼び寄せられた「春」に追い詰められ、とうとうここに入り込んでしまったものらしかった。
 咄嗟に能力のリミッターを外しかけ、はっと我に返る。相手は形を持たない、霞のようなものだ。サイキックとしての彼の異能は確かに相手の心の声を、言葉を感知出来ているので、恐らくテレパシーの類は通用するのだろうが、
(…どうしよう。攻撃できるものなのかな。出来るとしてもこの位置だと、佐倉さんを巻き込みかねない…)
 迷う勇太の前で、床に這いつくばるような恰好になっていた桜花が、吐き出すように声を絞り出した。
「…工藤、君…ッ、豆…!」
「こ、この状況で豆のこと気にしてる場合ー!?」
「…い、いいから、豆…大豆、撒いッ…!」
 言葉が途中で途切れたのは、完全に彼女が背中にのしかかる「モノ」に耐えられなくなり、倒れ伏したからだった。時間が無い、と、勇太は腹を決める。
(よく分からないけど、相手が相手だし…!)
 ええいままよ、とまだ粗熱の取れていない豆を一掴み。そのまま、勢いに任せて勇太はそれを投げつけた。
 ぱらぱらと軽い音をたて、大豆は桜花の身体にぶつかり、床に落ちる。
 ――間は、一瞬。
<――――――――!!!!>
 声ならぬ声をあげ、桜花の身体から「何か」が飛び出した。熱いものに触れて驚いた、というような、そんな殆ど反射的な動きに、勇太にはそう見える。
<くっ…黒姫様が節分を遠ざけておいてくれたというのに、この人間め…! 何てことしやがる!>
「何って、そっちこそ何してるんだよ!」
<その人間の身体を乗っ取ろうとしてたに決まってるであろうが>
「駄目に決まってるじゃない。乙女の身体なんだと思ってんのよ」
 腹立たしげに長い髪をかきあげながら、倒れていた桜花がやっと身体を起こす。勇太がほ、と安堵の息をついたのも束の間、
<ふん、そんな脆弱な身体で何が出来る…! せいぜい黒姫様の役に立って貰うぞ、小娘!>
 影に居た「それ」が、再び鎌首をもたげ、桜花に狙いを定めた。が。
 ――今度は勇太の方が、早かった。咄嗟の判断で勇太が「動かした」のは、台所に積まれていた大豆の山である。それが崩れ、――観察している人間が居れば「不自然な」と感じる程度の勢いで、「それ」に襲い掛かる。ぎゃ、と悲鳴をあげてのけぞった「それ」に、相変わらず無表情のまま、しかし完全に目の据わった桜花が、いつの間にか手にしていた榊の枝を突きつけた。
 ひ、と、黒い靄は悲鳴を呑み込んでするすると消えて行く。
 それを見送り、今度こそ安堵に笑みを浮かべた勇太に向けて、桜花が僅かに微笑んで見せた。
「ありがとう、工藤君。助かったわ」
「何のこと? たまたま運よく大豆が落ちてきたんだよ」
「ふぅん。じゃあそういうことにしておいてあげる。謙虚な男は嫌いじゃないわ」
「だから、謙虚とかじゃないって…」
<私も嫌いじゃないわねぇ。こういうタイプはからかって楽しむのが一番だわぁ>
 と。唐突に、場にもうひとつ、声が混じる。驚いて勇太は当たりを見渡すが、そこにあるのは自分と桜花の姿だけだ。
 しかし桜花には察しがついたらしく、彼女はす、とその場で膝をついた。冷たい台所のフローリングに躊躇なく正座をして、頭を下げる。
「…佐保姫様。ウチの馬鹿の馬鹿な召集に、応えて頂いてありがとうございます」
「え…」
 佐保姫。春の女神。名前だけは聞かされていた勇太はぎょっとして、声の聞こえた方を見遣る。そこからはぼんやりとだが、暖かな気配が伝わってきた。
<あらぁ、いいのよー。可愛い男の子の頼みだもの、おねーさん頑張って答えちゃうわー。こちらこそごめんなさいねぇ、ウチの妹がどうやらオイタをしたみたいで>
 ――応じる声は呑気というか、鷹揚と言うべきか。それから彼女は勇太に向けて、うふふ、と小さな笑みと共に声をかけた。
<それじゃあ、黒姫を叱ってから、お花見と洒落込みましょうかぁ。この町に、ちゃーんと春を呼ばないとねぇ>


***


 既に時刻は夕刻になっていた。薄暗く群青色に染まる空気に、しかし昼まで漂っていた凍てつくような寒気はもう混じっていない。混ざるのは、はらはらと落ちる薄紅の花弁だけだ。
 それから、賑やかな気配だけ。
 神社の境内から漏れ聞こえる喧騒は華やかな春の気配を帯びて、空気を塗り替えていくようだ。


 辺り一帯から雑多な「気配」だけを感じながらも、それらが決して悪意を向けては来なかったので、勇太は気付かぬふりを通すことに決めた。それよりも、いつの間にか――本当にいつの間にか人数が増えた花見客に振る舞う料理で彼は忙しかったのである。台所で追加分の卵焼きを焼いていると、隣に来た桜花が愚痴るように呟いた。
「節分も後できちんとやり直しておかないといけないのよねぇ」
 彼女の視線の先は、さっき勇太が崩してしまった大豆の山がある。
「…じゃあこの大豆、やっぱり全部炒るんだね、佐倉さん」
「そうね。まぁ、急がないから、のんびりやることにするわ。…それとも工藤君、手伝ってくれる?」
「で、出来れば遠慮したいかな…」
「あら、節分の話よ。幼稚園や老人ホームで、豆撒きをするの。ボランティアだからお金は出ないけれど」
 邪気祓いだからやっておきたいけれど、季節外れだから、施設の人にどう言い訳するかが面倒ね。
 そんなことを告げられて、勇太は少し思案する。ボランティアで、幼稚園で豆撒きのお手伝い。今度こそ平和な依頼になりそうではある。お金が出ないのは難点といえば、やや難点か。
「それなら考えておこうかな」
 肯定的な返答に、桜花が口角を微かに上げる。機嫌が良さそうだ。
「そうね。是非お願い。『鬼役』やってくれる人、なかなか見つからないの」
「そっか、鬼役か…うん…」
 複雑な気分ではあったものの、悪い気分ではなかった。勇太は春休みの自分の予定表を思い起こし、さて、空いている時間はいくらでもあるが、どうしようかと思案に耽ることにした。
 彼の思案を余所に、神社の境内からは、明らかに勇太の眼に見えている人数分以上の喧騒が聞こえてくる。どうも先程から規模が大きくなっている辺り、「見えない」客人は数を増しているようでもあったが、何しろ桜が綺麗で、風が温かくて、空には月も見え始めている。
 悪い気分になれるはずもなかった。

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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2895 / 神木・九郎  / 17歳】
【 3626 / 冷泉院・蓮生 / 13歳】
【 1122 / 工藤・勇太  / 17歳】
【 3689 / 千影  / 14歳】
【 7969 / 常葉・わたる  / 13歳】


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■         ライター通信          ■
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納品が大変遅れ、申し訳ございませんでした。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。