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<東京怪談ノベル(シングル)>


新装開店


 探偵稼業において最も必要なものは何であるか、草間武彦はふと考えてみた。
 物事を正確に調べ上げる能力。無論、それも必要ではある。
 腕っ節の強さ。あるに越した事はないが、逃げ足の速さの方が役に立つ、と武彦は思っている。
 だが最も重要なのは、何と言っても人脈だ。
 頼れる協力者を、確保出来るか否か。それは探偵にとって、死活問題であると言っても過言ではない。
「……悪いな、おかしな仕事に付き合わせて」
「相変わらず『探偵事務所』と書いて『何でも屋』と読むわけやね、草間さんとこは」
 白いロングコートか医療用白衣か判然としないものをまとった若い娘が、武彦と並んで歩きながら、くすくすと楽しそうに笑った。
 若干ウェーブのかかった、艶やかな金色の長髪。気のせいか、風もないのに揺らめいているように見える。
 眼鏡の下では、青い瞳が、どこか一癖ありそうな眼光を静かに湛えている。
 名はセレシュ・ウィーラー。武彦がこれまで探偵として広げてきた人脈に連なる、協力者の1人である。
「いっそ『草間興信所』やのうて『草間よろず揉め事片付け屋』とかにしはったらええやん。儲かりまっせー」
「実質そんな感じだがな……とうとう、うちを病院と勘違いする客まで来るようになった」
 先日、1人の年配の女性が、息子であるという若者を連れて草間興信所を訪れた。
 げっそりと痩せ衰えた、衰弱死寸前の若者だった。
 探偵事務所ではなく病院に連れて行って点滴でも打たせるべきだ、と武彦は思ったが、病院はすでに何軒も回った後だという。
 特に病気というわけでもないのに憔悴が進み、今や骨と皮だけになってしまった息子を、何としても助けたい。助けて欲しい。女性は、そう言って泣いた。
 母親のそんな悲痛な有り様も、目の前にいる探偵も、探偵事務所の古臭い調度品の数々も……何もかもが視界に入っていない様子で、その痩せ衰えた若者は、ぶつぶつと何か呟いていた。ぎょろりと目を開いていながら、何も見ていなかった。
 起きながら夢を見ている。武彦は、そう感じたものだ。
「……恐らく、夢魔の類だ」
 セレシュを伴って依頼人の自宅へと向かいながら、武彦は言った。
 何か憑いているような人間は、見れば大体わかるようになってしまった。
 この手の仕事に、すっかり慣れてしまったのだ。
「まったく……浮気調査とかやってた頃が、懐かしいぜ」
「仕事えり好みしとったら、ゼニの花は咲きまへんて」
 そんな言葉に合わせ、セレシュの金髪がフワッ……と揺らめき、うねった。風もないのにだ。
「草間興信所改め、草間何でも片付け屋の新装開店記念やね……派手にやらせてもらいまっせ」
 何匹もの、黄金色の蛇。
 一瞬そんなふうに、武彦には見えた。


 派手にやらせてもらいまっせ、とは言ったが、草間の依頼人の自宅内である。本当に派手にやるわけにはいかない。
 そこそこ裕福な家のようである。
 かなり大きめのベッドに、骨と皮だけの若者は寝かされていた。
 目を開けたまま、眠っている。ぶつぶつと、幸せそうな寝言を漏らしながらだ。
 ギラギラと血走った両眼が、ここではない夢の世界を見つめている。
「楽しい夢、見とるんやろうねえ……」
 すっ、と片手をかざしながらセレシュは呟いた。
 夢魔。それは夢の中から人間の生命力を少しずつ奪い取ってゆく魔物である。
「けど、このままやとアンタ死んでまうさかいな……現実に、戻ってきいや。やな事ばっかの現実やけどな」
 空中に、光の紋様が生じた。
 様々な文字や光を内包した、真円。魔法陣である。
 そこから、悲鳴が聞こえた。
「きゃあっ!」
 女の子の悲鳴。それと共に魔法陣から、ほっそりと華奢な人影が出現した。まるで、目に見えぬ巨大な手によって引きずり出されたかの如く。
 1人の少女だった。
 一糸まとわぬ白い肢体は、ほっそりと柔らかく引き締まって可憐なボディラインを維持しており、隠すべき部分には長い黒髪が上手い具合に絡み付いている。
 幼さの残る愛らしい美貌に、しかしセレシュは、見落としようもないほど強烈な邪悪さを見て取った。
 夢魔。草間武彦の読み通りである。
 少なくとも外見は美しい少女である、この魔物が、夢の中から若者の生命を吸い取っていたのだ。
 可憐な唇を尖らせて、夢魔の少女は文句を漏らした。
「いったぁ〜い……何すんのよぉ」
「それはこっちの台詞や。一体何しとんねん自分」
 セレシュは、まずは説得を試みた。
「人間いじめて何が楽しいねんな。うちも長いこと人間の世界におるけど、いじめて楽しい思うた事はないわ」
「いじめてないもん。モテない男の子に、夢見させてあげてるだけだもーん」
 夢魔が、痩せ衰えた若者に、ちらりと視線を投げた。
 冷たくも楽しげな、侮蔑と嘲笑の眼差しだった。
「こいつの夢の中でねえ、あたしは幼馴染だったり妹だったりしてるわけよ。メイドだったり魔法少女だったり、あと一緒に巨大ロボ乗ったりねえ……ぷぷっ、ほんと童貞オタクの見る夢ってのはさあ」
「……そこまでにしとき」
 溜め息混じりに、セレシュは夢魔の嘲弄を遮った。
「アホやっとらんと、魔界へ帰りや。人死にが出てへん今のうちなら、見逃したるわ」
「……上から目線でモノ言ってんじゃねえよクソババア!」
 夢魔の愛らしい美貌が、凶悪に歪んだ。可憐な唇から、罵声が迸った。
 それに合わせて、いくつもの火の玉が生じて室内に浮かび、燃え上がる。
 しなやかな左右の細腕が、激しく振り上げられながらバリッ! と電光を帯びる。
「見りゃわかんだよ、てめぇーだって人間じゃねえクセによおお! 若作りしてまで人間の味方してんじゃねえや裏切りババア!」
 夢魔の罵声に合わせて、火の玉が、電光が、轟音を立てて迸り、セレシュを襲う。
 そして、消滅した。
「な……!」
 夢魔の少女が、青ざめ、絶句する。
 長い金髪を、白衣の周囲でフワ……ッと揺らめかせながら、セレシュは言った。
「魔除けと防御の結界や。攻撃魔法の類は、こん中では使えへんで。人様の家ん中やし、何か壊したり燃やしたりしたら草間さんが弁償せなあかんし……な」
「……助かる」
 草間武彦が、セレシュの背後にいた。痩せ衰えた若者の身体を、いつの間にかベッド上から軽々と抱き運んで避難させている。
「うちな、同じ事2回言うのが嫌いやねん」
 後退りをする夢魔の少女に、セレシュは微笑みかけた。
「無事に魔界へ帰れるチャンスは……せやから、さっきの1回きりや」
「やめて……やめて、お姉様……」
 夢魔の少女が、怯えている。自分が男であれば心動かされていたのであろうか、とセレシュは少しだけ思った。
「ば、ババアとか言ってごめんなさぁい……取り消します、取り消しますからぁ……」
「……吐いたツバ飲むような、ばばちい真似はやめときや」
 口調穏やかに言いながら、セレシュはそっと眼鏡を外した。
 青い双眸が、何に遮られる事もなく、夢魔の少女を見据えた。
「ひぃっ……!」
 黒髪を水着のように巻き付けた、白く瑞々しい肢体が、セレシュに背を向けて逃げようとする。
 綺麗にくびれた胴体が、柔らかく捻れたまま突然、硬直した。
 愛らしく引き締まった左右の太股が、白桃のような尻が、躍動しかけたまま固まった。
 黒髪をまとわりつかせて揺れ弾んでいた胸が突然、柔らかさを失った。
 つやつやと白い美肌が、青ざめてゆく。血色を感じさせない青白さが、固く冷たい灰色に変わってゆく。
 男ならば心揺れるであろう、怯えた美貌が、そのままデスマスクのようになった。
 夢魔の美少女は、石像と化していた。石像になりつつも、セレシュから必死に逃げようとしている。そんな感じである。
 眼鏡をかけ直して魔眼を封じつつ、セレシュは武彦の方を振り向いた。
「等身大の美少女フィギュアやで草間さん。どや? 草間興信所改めトラブルデパート草間屋、新装開店記念の花輪代わりに1つ」
「人んちの看板を、勝手に書き換えるなよ」
 武彦は苦笑した。
「こんなもの飾っておいても趣味を疑われるだけだ。アンティークショップをやってる知り合いがいる。彼女に引き取ってもらうさ」
 探偵に抱えられたまま、若者は穏やかな寝息を立てている。骨と皮だけの骸骨のようだった顔に、いくらか血色が戻りかけているようだ。
「……借りにしておく。助かったよ、セレシュ」
「あかんて草間さん、うちら相手に借りとか言うたら……どないな取り立てが行くか、わかりまへんでえ」
 このセレシュ・ウィーラーも、夢魔の少女と同じだ。魔に属する存在である事に、違いはないのだ。