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<東京怪談ノベル(シングル)>


[タイトル]心を知ること

TC練習艦・鳳。艦内クリニックエリアに綾鷹・郁(あやたか・かおる)はいた。共感能力の汎用性試験の一環として所属艦を離れ、この艦でカウンセラー研修を受けているのだ。セーラー服の上に白衣を羽織り、胸には"研修生"と書かれたプレートをつけている。

「それじゃ、お願いね。まずは話を聞いて、気持ちを受け止めてあげて」
「はい。大丈夫です」
郁は答えた。ここでは彼女は教わる立場だ。環境保護局は強力なティークリッパー=TCであると同時に、他者の感情を読み取る異能者である彼女に、メンタルケアの適性を見出したのだ。この教育プランは、郁の精神的成長を促す目的もあったのかもしれない。カウンセリングルームへ向かう郁を見送ると、療法士はちらと手元の資料に目を落とした。そこには郁の略歴が記されている。辛い思いをして来たようだ。痛みを知る者なればこそ、他人の痛みに共感できる。それが上官の意見だった。

「・・・・・・そうだといいのだけど」
療法士はため息をつく。郁は非常に優秀だ。しかし、カウンセラーに向いているかどうかは別問題だ。彼女はその能力のゆえに、普通の者が相手を理解するために行う、試行錯誤のステップを持たない。先回りして答えを見つけてしまう郁。何でも映る魔法の鏡を持っている少女。その鏡は、本当に彼女のためになるものなのだろうか。強い力の裏に隠れる、脆い少女の心を思った小さなため息が、誰に聞かれるともなく消えた。

***
こんな仕事もいいかもね。

郁はスリッパの足をぱたぱたと動かしつつ、患者の入室を待った。いつもの任務にくらべたら楽勝だ。心を読んで、何が辛いか当ててあげればいい。どうせならいい男、来ないかなぁ。イケメンの心の傷を舐め取る・・・・・・

・・・・・・よかぁ・・・・・・
でへへ、と危険な妄想に浸り始めた郁は、扉が開く音に我に返る。
「ど、どうぞ!」
居ずまいを正し、ふんわりとした茶の髪をあわてて後ろに払い、整える。

「失礼します」
入ってきたのは、疲れた表情の婦人だった。いつものように、感情の波が郁の心に寄せて流れ込み、彼女自身の心の領域と交わり始める。

「おかけください。本日カウンセリングを担当します、綾鷹・郁です」
感情の波に洗われながら。しょっぱくて、苦い波。これは悲しみだ。
「きょうはどうされましたか?」
郁は研修で教わったとおりに、婦人の言葉を待つ。

「眠れないんです」
少しして、婦人はぽつりと言葉を発した。
「いつごろからですか?」
「主人を先日、事故で・・・・・・それから・・・・・・」

伴侶を失った悲しみを少しずつ、婦人は語りだした。郁はうなずきながら話を聞く。半身を失った嘆きが、苦い濁流となって郁に降りかかる。能力を扱いなれているはずの郁だったが、赤の他人の心を対面で受け止め続けるのはなかなかに重いことに気づいた。

――きっついな。ひとりに入れ込んじゃうと、こんなに苦しむんだ。

愛するものを求める涙の海。それが自分自身の海と交じり合った時、心の奥でずくりと痛みが起きた。
両親の記憶。喪失の記憶。

その痛みに驚く間もなく、突如どおん、という音がした。艦が傾ぐ。郁は素早く立ち上がり、椅子から落ちかけた婦人を守った。
「大丈夫ですか!?」
「ええ、先生・・・・・・今のは一体」
「ここにいてください。確認してきます」
警報が鳴り響く通路を走る。艦橋で状況を確認しよう。敵なら叩き潰せばいい。事故なら戻って、あの奥さんの話、聞こう。艦橋へ向かいながら、婦人の心の波を再びたぐり寄せようとして、郁は小さな異変に気づいた。

んっ?
なんだろ。何も来ないな。

***
艦橋へたどり着いた郁が見たものは、真っ黒な空だった。
いや、空ではない。練習艦・鳳に、とてつもなく大きな鉢をかぶせたかのように、びっしりと蟲に似た大型の生物がまとわり付いている。通信士が応援要請を叫んでいる。群れの直径は5キロにも及ぶとの報告が聞こえる。見えているのに、聞こえているのに、予想外の事態に大混乱をきたしている艦の頭脳部の様子が、郁には理解し切れなかった。

――あ、れ・・・・・・読めない。

先ほどの"来なかった"感覚を思い出してぞっとする。
いつもなら人を見れば、何を考えているかすぐわかった。どんな事態もすぐに把握できた。なのに。

どうして! 何も読み取れない!

突然断たれた共感能力。無意識に状況判断に使っていた力が失われたことで、郁は五感を失ったような感覚に襲われる。無力感が一瞬で郁を奈落へと落とす。見捨てられたような不安が襲う。

読めない! どうして! これじゃなにもわかんない!

思わず後じさると、目の前には黒い天蓋のような群れ。そのすべてが郁を一斉に見た気がした。体も目も、真っ黒な蟲たち。カチカチという音を絶えず発する、未知なる異形の大群が郁を凝視していた。
無力な青い瞳が恐怖に見開かれる。

何もわからないことが恐ろしかった。叫ぼうとしたが、声が出ない。郁の異様な様子に、別任務で鳳に乗艦していたクロノサーフのクルーが駆け寄って来る。

「綾鷹さん! どうしたの!」
艦最強の戦闘力を持つはずの少女は、あらぬ方を見つめ、あえぐばかりだ。
「鳳はTCが少ないの。わかってるでしょう。あなたが頼りなのよ!」
郁はいやいやをしたまま、答えない。その場にへたり込む。

「綾鷹さん! この先に竜巻があることが分かったの。蟲がね、艦の移動を妨げているのよ。何とかしないと危険なの!」
クルーは郁の両腕をしっかりとつかみ、立たせようとする。

「・・・・・・ない、読めない、なにもわからない」
やだよ。なんで怒ってるの? あたしが悪い子だから?
やめて。怒らないで。

「能力が? そんなの大丈夫」
「だめなの、だめなの、これじゃ」
「平気よ。銃を使えば――」
「知った口きかないで!」
突如激昂の表情へと変わる。手を払いのけ、さらに強情に座り込んだ。

「何子供みたいなこと言ってるの! 非常事態なのよ! それでもTCなの!?」
「うるさい! しぇからしか! しぇからしかよう!」
クルーの叱咤も通じない。再び顔を覆い、泣きながらうずくまる。警報の音も、通信音も。蟲のカチカチという音もすべてが遠く感じられた。
怒らないで。こわいよ。助けてよ。ごめんなさい。ゆるして。すてないで。ごめんなさい。

その時、暖かく分厚い手が肩に乗せられた。そのぬくもりに少女は反応する。
「綾鷹くん。わかるか」
「・・・・・・艦長・・・・・・」
「すまないな。有能なTCを預かったのに、とんでもないことになっちまった」
艦橋窓部はびっしりと蟲に覆われている。そんな異常な光景を背に、艦長は郁に笑ってみせた。似ているところなどないはずなのに、郁は男に父の面影を見る。

――艦長、怒ってないみたい。心配してくれてるのかな。たぶん。
気づいてはいないが、それは郁の初めての、"他人の気持ちを推測する"行為だった。

「どうだ。立てるか」
手が、今度は目の前に差し出される。息も荒く、冷や汗を流したまま、郁はその手を取った。そのままぐっと引き上げられる。ウェーブのかかった髪が頬に貼り付き、目には涙がたまったままだ。白衣はくしゃくしゃになってしまっている。まるで叱られた幼子のようだった。
「艦長・・・・・・申し訳ありません。あたし、ダメになったんです。もうTCとしての職務を全うす」
「んん? 何だって?」
「あの、共感能力が、なくなって」
「そんなわけないだろう。ダウナーレイスの能力は突然消えたりしないさ」

「本当なんです! ただいまを持って辞」
「綾鷹!」
「はいいっ!」
艦橋に響き渡らんばかりの大声で呼ばわれ、郁は反射的に身を固くし、答える。

「あいつらを読んでみてくれんか」
話の腰を折られまくった末、意外な依頼を受けて面食らう。
「そんな・・・・・・あたし、無理です」
「やるんだ」
「あたしなんて、もうTCじゃない」
「TCの認定は保護局が行うもんだ」
「無理です」
「無理じゃない」
「無理っち言いよるやろーが!」

敬語も吹き飛び、思わず口をついて出た訛りに艦長はぷっと吹き出した。
「綾鷹。蟲に俺らの艦はエネルギーを吸い取られている。このままでは沈没か、竜巻に突っ込んで皆バラバラだ。当艦のTC候補生は皆優秀だが、一人前になるにはもう少しかかる」
郁は真っ赤になった目でその言葉を聞く。

「あと2時間ぐらいならもちそうだ。その間に、一度だけ蟲どもが何を思っているのか、読んでみてくれ。一度でいい」
一転して引き締まった表情になった艦長を見る。

「頼む」

***
艦長に頭を下げさせる。それだけの事態が起こっているんだ。郁は喫茶室でぼんやりとしていた。しばらく下で休んでいいから、準備ができたら来い。艦長はそう言った。ほんとは時間なんてないのに。郁は見えなくなってしまった、他人の気持ちについて思いを巡らせていた。

みんな、あたしのことどう思ってるんだろ。
怒ってるのかな。TCのくせに、とかバカにしてるよね。
一番強いのはあたしのはずなのに。頼りにされてるのに。
みんな死んじゃったら、あたしのせいだね・・・・・・

「どうしようー、あたしのせいでー、って顔ね?」

読まれた!?
心を読むのは得意でも、逆は慣れていない。敵意をむき出しにして、郁は声の主をにらんだ。

こんな女、艦にいたっけ。
若くはない。だが、老いてもいない。面識はない、はずだ。艦の空気に沿わぬ、なにか妖しい雰囲気の漂う女だった。沈没の危機に殺気立つ艦の中で、ここだけが切り離されたように感じられる。力を失い嘆く少女と、鷹揚に構えた女だけが存在している。

「お嬢ちゃんがうわさのTCね。助けてくれるんでしょ?」
女は微笑みながら郁の向かい席に座る。
「あたし・・・・・・無理です。戦えないよ」
「どうして?」
「能力がなくなったんです」
「それで?」
「だから戦えないの! できないのよ!」
期待に応えられない無力感が郁には耐えられなかった。たまらず叫ぶ。

「それだけでお嬢ちゃんはおしまいなの?」
「読めないと戦えない・・・・・・」
「試したの?」
「もうやった。何もわからなかったの」
「違うわ。能力に頼らない方法は試したの?」

女の問いに、郁は思わずぽかんとする。
「やりもしないで、できないって泣いてたのね。困った子」
女は続ける。
「あのね。目の不自由な人、運動が苦手な人、どうしてると思う? 誰もお嬢ちゃんみたいに、ただ泣いてばかりじゃないわよ」

「――!」
今のは読めなくたってわかる。こいつ、あたしをバカにしてるんだ。怒りでかっと顔が熱くなる。

「みんな足りないところを補って、工夫して、克服して生きてんのよ。お嬢ちゃんにはまだ立派な手足と、ほれ、それ」
といって、女は両手でパタパタと羽ばたくしぐさをしてみせ、続ける。
「そしてTCとしての経験があるでしょ。やったんなさいよ」

知ったかぶりのこんな女に、一方的にやり込められるなんて許せない。沈んでいたはずの郁は、知らずと彼女らしい意地を見せ始めた。
「あなたなんかに何がわかるのよ」
「わかるわよお」
女は上品なマダム然とした表情を崩し、にっと笑う。長い爪の人差し指を、郁の鼻先にぽんと置いて続けた。
「あんたはやれるわ、お嬢ちゃん。女は度胸、逆境にある今こそ奮い立たなきゃ。戦士の直感と女のカンで勝負、してごらんなさい」
そういうと郁の目の前に缶コーヒーを置き、立ち上がった。

「それ飲んでがんばって。飲みかけだけどまだ入ってるから」
「誰が飲むか! このイヤミマダム!」

「あらいい名前。もらっとくわ。それじゃあね」
女は背を向けたまま、手を振って去って行った。
「命、預けたわよ」

***
あのくされマダムなんて関係ない。あたしが、負けたくないだけ。

その一時間後、甲板の上、紺のスカートをはためかせてひとり立つ郁がいた。目には再び力が宿っている。足元には銃の収められたケース。相変わらず、共感能力は回復する気配がなかったが、郁はあえてその喪失感を無視した。

郁は蟲たちを昆虫同様、習性だけで動く存在と仮定した。共感能力が通じないのはそのせいだ、と思いたい気持ちも正直ある。だがこう考えるのがもっとも自然だと思えた。次に、艦への攻撃とあの竜巻には何か関係があると考えた。スズメバチは巣に近づくものがいると音を出して威嚇する。奴らの出す音もこれと同じなのではないだろうか。郁が提案したのは、鳳の後方に擬似竜巻を作り、蟲たちを撹乱するという作戦だった。無謀だと反対する声が出たが、艦長は郁の案を支持し、作戦実行が決定した。ただし艦のエネルギーはかなり失われていて、現時点で作れるのは、気体を高速でかき回して作る竜巻に見えなくもない何か、でしかない。蟲どもがからくりに気づけるだけの知能があった場合はアウトだ。

提案が歓迎されていないのは表情でわかった。緊急時にパニックに陥った自分に対して、よい感情を持っていない人間がいることも何となくわかった。郁はすべてを無視し、勝てる方法だけを追い求めた。結果、作戦は決行される。自分はTCとしての役割を果たすだけだ。あたしは勝つ。あたしは勝たなきゃいけない。郁は小さく繰り返す。

竜巻作戦が成功しなかったら。それでも。やるしかない。チャンスを見て、奴らの心をもう一度読みに行く。郁は静かにその時を待った。頭の上も、甲板の脇も、カチカチと音を立てる蟲だらけだ。艦に乗り込んでこないのが不思議なくらいだった。

――始まった。
背後から猛烈な回転音と、激しい風が吹き付ける。排煙装置を利用した即席の竜巻もどき発生装置が稼動したのだ。次第に白煙がまとまり、竜巻の形に高く巻き上がっていく。それとほぼ同時に、蟲たちのカチカチという音がふと止んだ。

いまだ!
郁は集中する。これほど強く意識して、この能力を使おうとするのは初めてかもしれなかった。異形の蟲に自らの心を寄せる。蟲たちが放つ心の波動をつかもうと試みる。

一瞬の静けさの後、それは現れた。

オウチ
オウチ
ワタシタチノオウチ

オウチ? ・・・・・・お家? 
――巣か!

やはりこいつらは昆虫と似た生物なのだ。竜巻に見えるものは蟲の巣か。
「読めた・・・・・・」
思わず声に出る。
インカム越しに艦長の声が聞こえる。よくやった、と。俺の言ったとおりだったろ、と笑う声が。確かにその通りだった。郁の能力は失われてはいなかったのだ。振り向かずとも、クルーの安堵と喜びが感じられた。

だが、仲間たちの心の模様はすぐに郁の中から掻き消える。再びざわめき始めた蟲どもの、オウチ、オウチの大合唱に塗りつぶされてしまったのだ。これもあいつらのせいだったのかと、郁は小さく舌打ちをして銃を構えた。

「よおっし! とっととやっちゃるもんね!」
今までの鬱憤を吹き飛ばすかのように、明るい声が響き渡る。

***
「持ち直したみたいね。強い子っていいわ」
郁を諭し、怒らせ、焚き付けたあの妖しい女。"イヤミマダム"はまたも喫茶室の同じ場所にいた。だが、そのいでたちはメディカルスタッフ風の白衣姿に替わっている。
「がんばって、かわいい天使ちゃん。もっと強くなるのよ」
遠くを見つめ、ふっと笑う。

「先生、今なんと?」
兵士の問いに、女は答える。
「こっちの話! それで、ご相談はなんだったかしら?」

***

字数が若干多くなりましたが、郁というキャラクターの気持ちに沿うための
ベストを尽くしました。