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Night Walker〜寄り道〜
ぽかぽか、お陽様が気持ちいい。
そよそよと吹く風も、ほんの少し前までの冷たい刺がなくなって、優しいし。
大きな屋根の上、千影はころんと転がる。
今日は、ひなたぼっこに最適な季節を力一杯堪能する事に決めた。
両手をぎゅっと握って大きく頷き、決意を露わにすれば、頭の上に乗っかっていたうさぎがぽてんと落下する。
「‥‥静夜‥‥寝てる?」
返事はない。
麗らかな春の日差しの前には、いかなZodiacBeastといえど抵抗すら出来ないようだ。
「はるってむてき‥‥」
ふわぁと欠伸をすると、千影も落ちたままぴくりとも動かないうさぎの傍らで丸くなる。
そうして、長閑な午後の一時は穏やかに何事もなく過ぎていく‥‥はずだった。
「‥‥にゅ‥‥?」
風に混じって小さく啜り泣く声に、千影は閉じていた瞼を開いた。
春の太陽はだいぶ傾いて、辺りには夜の気配が漂っている。
お昼寝タイムを邪魔された苛立ちからか、些か不機嫌な顔できょろきょろと辺りを見回し、大きく息を吐き出すとお昼寝の体勢へと戻る。ごぞごぞと体を動かし、納まりの良い位置を見つけると、千影はもう一度瞳を閉じた。
すぐに優しい眠りの手が千影を差し伸べられる。その誘いに素直に身を投じようとした時、再び耳障りな泣き声が千影の邪魔をした。
「‥‥もう。なんなのいったい」
眠気からか舌っ足らずな言葉になっている事にも気付かない様子で、千影は屋根の上に肘をつくと下を見下ろす。
忘れ去られた古い寺に訪れる者は滅多にいない。
境内に植えられた桜が見頃だった時には、花見を楽しむ者もいたが、葉桜となってからはその姿も見えない。
だからこそ、お昼寝には最適の場所だったのだが、今日は「ハズレ」だったようだ。
境内の奥にひっそりと咲く八重桜の下で、少女が1人、泣いていた。
その次の日も、八重桜の下に少女はいた。
背に真新しいランドセルを背負っている所を見ると、小学校に入学したばかりなのだろう。
昨日と違って、彼女は1人ではなかった。
同じように新しいランドセルを背負った男の子が数人、彼女を囲んで笑っている。
「やーい、うそつき!」
「桜でジャムなんか作れるわけないじゃん」
言いながら、男の子は地面に散った花弁を踏みにじる。
「‥‥ママが作ってくれるんだもん‥‥」
「うそつけ! おまえのママはおまえをすてていなくなったって、ボクのママが言ってたぞー!」
屋根の上から子供達の様子を観察していた千影は、頭上のうさぎに視線を向けた。
「ね、これってイジメってやつなのかな?」
ふよふよとうさぎの耳が揺れる。
「イジメは悪いコトなんだよね? よーし!」
少女の傍らに降り立つと、突然に現れた千影の姿に囃したてていた子供達が驚いて後退る。
腰に手を当て、千影はめっと子供達を軽く睨んだ。
「イジメはダメなんだよ? わかった?」
注意をしたら、あっという間に逃げていってしまう。
残された少女は、呆気に取られた様子で千影を見上げていた。
「‥‥うそじゃないよ」
「んにゃ?」
瞳に涙を溜めて、少女は必死に訴えて来る。
「うそじゃないの。ママと一緒に花びらを摘んで、ジャムを作ったの!」
「うん。じゃあ、またママに作って貰ったら? それで、あの子達に見せてあげたらいいよ! ね?」
けれども、少女は千影の励ましに泣きそうな顔のまま俯いた。
「どうしたの?」
「ママ、いないの‥‥」
消えそうな声で告げた少女に、千影は首を傾げる。先ほどは母親にジャムを作って貰ったと言っていた。なのに、今は母親はいないと言う。しばらく考え込んで辿り着いた答えに、千影はあっと声をあげた。
「そっか、お出掛けしてるんだね」
「‥‥もうずっと帰って来ないの。お花が散っちゃうのに。もう間に合わないのかな‥‥」
しくしくと泣き出した少女に、千影はただただ困り果てて立ち尽くすばかりだった。
「零ちゃん!」
洗濯物を取り込んでいた草間零は、駆けこんで来た千影のいつになく必死な様子に、一瞬だけ驚いた素振りをみせた。
しかし、そこは怪奇探偵草間の助手である。隣人トラブルから浮気の調査、挙句の果てはこの世にあらざるモノの揉め事にまで巻き込まれる草間のせいで、滅多な事では動じなくなってしまった。
‥‥もちろん、零の特殊な身の上よるところも大きいのだが。
「どうか‥‥しましたか?」
「零ちゃん! ジャムの作り方教えて!!」
いつもと変わらぬ口ぶりで問うた零は、千影の言葉でその動きを止めた。
意味は分かるが、この探偵事務所では滅多に聞かない言葉だ。
「‥‥ジャム、ですか」
「うん。桜のジャム。零ちゃん、作り方知ってる?」
ジャム作りの知識はある。
頷いた零の手を、千影が握った。
「じゃあ、行こう! あのね、もうすぐ花びらが全部散っちゃうんだよ!」
そうして、闇が濃くなる時間、灯りひとつない寂れた寺の境内で八重桜の花びらを摘み取る2人の少女の姿が、偶然目撃した酔っぱらいにより尾びれ背びれがつけられて、宵闇を彩る怪談話になるのは、また別のお話。
「ね〜、零ちゃん、これでいいの〜?」
白いエプロンをつけ、ふわふわの髪を束ねた千影は本気モードだ。真剣な顔をして花弁とがくを丁寧に取り分けて行く千影が微笑ましくて、零は僅かに口元を緩める。
普段、気ままに跳ねまわっている千影がジャムを作りたいと言い出すとは、思ってもいなかった。母親が帰って来ない子供の為に、としか聞いてはいないが、千影は千影なりに思う所があるらしい。
もちろん、ただの気まぐれかもしれないが。
「それで、この後はど〜すればいいの?」
洗った花びらが乾くまでの時間も、千影はその傍らでじっと待っていた。
目を離せば異変が起きるとでも言わんばかりに、薄桃色の花弁を見つめ、最後の瓶詰めまでの工程を面倒がらずに全て自分で行ったのだ。
「出来た〜♪」
お揃いのリボンを結んだ小瓶を抱えてはしゃぐ千影を思い出し、零は器具を片付けていた手を止めた。
自然と笑みが漏れる。
「‥‥喜んで貰えるといいですね」
残ったジャムを瓶に詰めながら、零も不思議と満たされた気分を味わったのだった。
眠る少女の傍らに立つと、千影はその枕元にジャムの小瓶をそっと置く。
目が覚めた時、少女はどんな顔をするのだろうか。
想像すると楽しい。
何故、ジャムを作ろうと思ったのか、千影自身、よく分かっていない。
泣かせてしまった事への罪悪感?
それとも、少女をいじめていた子供達への憤り?
‥‥どれも合っているようで、違う気もする。
「主様なら、分かるかな?」
大好きな主の顔が頭を過る。
「うん、きっと教えてくれるよね!」
千影がジャムを作ったと主が聞いたら、どんな顔をするだろうか。
ついさきほど、似たような事を考えたけれど、浮き立つ気持ちは別物だ。
「早く帰ろーっと♪」
ぴょんと軽く跳ねて、千影は窓から夜の街へと飛び出す。
子猫が帰る場所はただひとつ。
寄り道のお土産は千影が初めて作った甘いジャム。
迎えてくれる主の姿を思い描くと感じるひどく擽ったい気持ちに、千影はくすくすと笑い声をあげた。
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