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File.11 ■ 差し伸べられた手
「桜乃、学校はどうだ?」
「うん、楽しいよ〜」
当たり前、ごく一般的な家庭の話である。学校の調子はどうかと尋ねられた子供は、こうして笑って答えるのだ。それが、幸せな普通の家庭だろう。
――しかし、それもそろそろ限界だ。
私の中で現実的な思考が、心がそう叫んでいる気がした。
おじいちゃんに尋ねられた私は、あくまでも完璧な子供を演じていた。無邪気で明るく、それでいて素直な子供。つい先日まではそれが地で行えたというのに、現実を知ってしまった私はもう、そんな過去には戻れなかった。
私の中に蓄積されていく記憶。そして、私がそれを望んだ記憶。
――それは、『死』という名の、生命の行き着く先に関係する事だ。
妙な知識ばかりが私の中に増えていく。それは最初は、自分がこの耐え難い現実から逃れようと、救われようと願った『死』への願望から生まれたものだ。それはつまり、自殺するという選択を取る為の、選択肢の数々だった。
人間の身体のメカニズムを理解し、蓄積していく私はありとあらゆる知識を吸収していく。この世界に溢れかえった本。インターネット。それらは私に、十分過ぎる程の偏った知識の源として存在しているのだ。情報を収集するのは簡単だった。
自殺の方法を学んだ私。
人体の急所を知った私。
もはや自殺する事も、私を苛めて楽しんでいる周囲の人間をあっさりと殺す事も、私には何も難しい事ではなくなった。
死んでも良い。
そう思ったせいだろうか、私はもしかしたら、周りの人間を殺す事にも忌避感を感じなくなっていたのかもしれない。
――それでもそれをしなかったのは、おじいちゃんが悲しむ顔を見たくなかったからだ。
死んでさえしまえば、私はその顔を見る事もなかっただろう。だからと言って、悲しませる真似をしてしまえば何も変わらない。だからこそ、私は踏みとどまる事が出来たのだと思う。
――それでも、日を追う毎に、私の心は擦り切れていった。
「もう辞めてしまおうか。いっその事、死んでしまおうか」と考え始めたのは、私の心が既に壊れ始めた事を受け入れたからこそだったのかもしれない。
家では心配をかけない為の仮面を顔に貼り付け、学校では周囲からなじられながらも時間の経過を待つ。そんな私の心ははけ口も見つからず、ただただおかしくなっていく一方だった。
張り詰めた細い糸。私の中での最期の踏ん張りは、おそらくそんな頼りないものだったのだろう。あと少しでも力を込められれば、私のそれはあっさりと途切れただろう。
――そんなある日、私はあの人と出会ったのだ。
初対面というのは私にとっては実に気楽なものだ。自分を知るはずもない相手。わざわざ繕う必要のない相手なのだから。それでも社交辞令程度の会話はすれば良い。必要以上に構う事もないだろう。
決して愛想のいい子供ではなかった私に対し、彼はただ一言告げた。
「辛かったね」
その言葉に、私は思わず目をむいて彼を見つめた。
――どうしてそんな言葉を私に投げかけた?
――あなたは何を知ってるの?
――私の気持ちを理解してくれるの?
色々な疑問が胸を揺らし、込みあげてきた感情のせいか視界が歪んだ。胸の中で張り詰めていた糸がそっと揺れた様な感覚。
「大丈夫だよ。僕はキミの気持ちを全てではないけど理解出来る。普通の人とは違った生き方をしてきたその辛さも、痛みもだ」
――もう無理だった。
今まで必死になって胸の中で抑えこんできた感情が、その優しい目と暖かな言葉のせいで一斉に溢れだした。胸が震え、私の目からは涙が零れた。顔はなんとも情けない顔だっただろう。くしゃっと潰れ、声をあげて泣いた。
「死にたいって、思った……ッ」
「うん」
「みんな、私の事を気味悪がって……ッ」
「うん」
「死んじゃえば良いって思った……! 私もみんなも、全部なくなっちゃえば良いって……ッ」
「うん。でも、そうしなかったんだね」
「だって……、おじいちゃんが、悲しむから」
「……優しいね。偉いね」
「え……?」
泣きじゃくりながら断片的な言葉を告げた私に、彼はそう言って微笑んだ。
「だって、おじいちゃんの為に一人で戦ってたんだから。桜乃ちゃんは優しくて強い子だと思うよ」
――あぁ、私はこんなに単純な事を求めていたんだ。
そう確信した途端に、私はまた声をあげて泣いた。
誰かに知って欲しかった。認めて欲しかった。
辛さが解ってもらえなくても、せめて知ってもらえるだけでも良かったんだ。
ただそれだけで、私の心の中に細く張り詰めていた糸は、あっさりと緩んでいった様だった。
私は泣きながら、自分の能力の事を説明した。そのせいで、記憶を忘れる事が出来なない私は、すぐに死んでしまうかもしれない事。
感情のせいで矢継ぎ早になりがちだった私の言葉は、支離滅裂だった。感情と言葉がうまく噛み合っていなかったのだろう。
彼は異能についての知識をしっかりと有している様で、そんな私に告げた。
「脳はね、実際は一生分以上の記憶を蓄えられるんだよ。今はバラバラに覚えているから、忘れた様に感じるかもしれないけど、それはあくまでも整理されてる情報に過ぎないんだ」
「え……?」
「情報を整理する事で、必要な記憶を取り出しやすい部屋から取り出すんだ。そうする事で、人は効率を良くする。だから、忘れなくたって死んだりなんかしないよ」
その言葉は、私に大きな安堵を与えてくれた。
いつ死んでもおかしくないという恐怖から、彼は救いを与えてくれた。
嘘だとはね退ける事も出来たかもしれない。だけど私は、彼の優しい目が、嘘をついていないと告げている事を悟った。
緊張の糸が緩み、その後、私は泣き疲れたせいか眠ってしまった。
――目が覚めた私は、どうしようもなく暖かな気持ちで目を覚ました。どうやら眠っていた私を、彼はずっと傍で見守ってくれていた様だ。「おはよう」と声をかけられて、私は気恥ずかしさから思わず視線を逸らしてしまった。
その後、私と彼のもとにおじいちゃんが来た。
そこで知らされた、私の家系。それを含めて、色々な事を教わった。
どうやらおじいちゃんは、私が無理をしていた事に気付いていた様だった。「すまんな、桜乃」と言って、私が苦しんでいた事を知っていたと告げたのだ。
「桜乃のその能力は、今自分が向き合わなくてもいつかは向き合う事になる。苦しかったかもしれんが、自分で乗り越えて欲しかったのだ」
見守るという選択肢を取ったおじいちゃんの答えは、きっと間違っていなかったのだろう。
その後、彼からこっそりと教えてもらった。
おじいちゃんは、私を苛めた生徒を社会的に抹殺してやる、と息巻いたりして大変だったそうだ。
――本当は私は独りきりじゃなかったのだと、私は知る事になった。
二人も私に味方がいる事を知って、それからの私は苛めに対しても気にする事はなくなった。
苛めというのは、やられた子が堪えていなければ長続きはしないらしい。数ヶ月も経てば、そんな事はなかったかの様に、クラスにも私の居場所が出来ていた。
実に順風満帆な生活を送れた。
強いて不満をあげるとすれば、あの頃から私の乙女の戦いは始まったのだが、社長に子供のアピールが通用する事はなかった。あの頃から私は、ずっとあの人が好きだった。
「死にたい」と願った事のある私だからこそ、生きていて良かったと心の底から思えるのかもしれない。
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ご依頼有難うございます、白神 怜司です。
お久しぶりです。
今回は記憶の描写という事でしたので、
現実部分の描写は一切入れませんでした。
辛い過去の中で、あの人と出会った彼女。
そりゃ好きにもなりますねぇw
それでは、今後共宜しくお願い致します。
白神 怜司
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