コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


恋乞ふ鳥

知らぬ者には、過去か未来か、どれほど自分の生きる時から離れた世なのかも想像できまい。静止した地球、永久に昼と夜に分かたれた惑星を二つの勢力がそれぞれに支配する、旧き陰陽の時代。二国の境界に築かれた御殿に両陣営の首脳陣が一同に介し、新帝の擁立と停戦協議の話し合いが行われた。

長く続いた戦争の原因は、互いの文化の違いから来るものであった。陽の民は勝気で明朗、陰の民は陰湿で狡猾。力で事を決するを好む性質だけが似かよっていた彼らが争うのは、必然の流れであったろう。だがついに両者は争いに倦み疲れ、統一帝国を樹立することで合意した。帝(みかど)となるのは鸛人の皇子。君主として立つにはまだ若すぎる歳であったが、陰陽混血であることと、幼帝こそ若く新しい帝国を体現するにふさわしいとの声が強く、話は驚くほど順調に進んだ。ついに長きに渡る争いの歴史に終止符が打たれるはずだった。

――新帝が突然の亡命を宣言し、姿を消してしまうまでは。

* * *

時流れ、かつての人が時を数えた方法に則るならば百八世紀と呼ばれる頃。先端医療の研究に優れる鸛族が管理する母子寮。その一室に、一組の母子がいた。母は口やかましそうな中年太りの女性。息子はどこか品のよさを感じさせる年若い少年であった。二人はまったく似ていなかった。

ふと、玄関のチャイムが鳴る。
「あら、誰かしら」
母の言葉に少年は軽く頭を振り、立ち上がる。扉を開けると、見慣れないいでたちの女が二人いた。
「陰陽朝、新帝さまでいらっしゃいますね。お迎えにあがりました」
いつの間にか寮には次元回廊が開き、要人用航空事象艇・雛菊が接岸していた。

母子――人間に擬態したお目付け役と、鸛人幼帝その人だったのだが――は、久遠の都環境保護局によって保護され、本来の時代へと護送されることとなった。15年のお忍び生活は終わりを告げ、帝は歴史保護の重要性と、時代の帰趨を握る己の立場を理解し、帰国を受け入れた。

やんごとなき身分の幼帝のため、要人用航空事象艇・雛菊が用意され、郁ほか数名の乗員が専属護衛兼、世話役としてあてがわれた。養母に扮していた女鸛人は不敬だ、無礼だ、粗末な艇(ふね)だと言いがかりをつけて騒ぎ続け、幼帝はと言えば特別個室の椅子の上で押し黙っているばかりであった。鸛人の民族衣装なのか、目深なフードと長衣に包まれ、口元以外はほとんど見えない。

あーもう。鸛人は温厚な種族って言ったの誰よ。めっちゃ情緒不安定じゃない。雛菊はレストランバー、ミニシアターや専門店街も充実した高級リゾート船よ。これ以上のものなんて出せないって。
郁は頭が痛かった。

船内にはビートラクティブの香りが漂う。それは天使の紅茶の名。郁をすくい上げ、満たし、新しい生き方を教えてくれた魔法の飲み物。そして、艇の燃料でもある。知識がなければ、不思議どころか危険な液体にしか思えないのだろう。この養母のように。

「この艇、大丈夫なんですの!? このおかしな臭いの茶が燃料だなんて、なんてたわけた技術でしょう」
郁は女鸛人の無知にむっとする。久遠の都の艇はいつも清潔で快適だ。紅茶燃料の『よい香り』を『臭い』と抜かすとは失礼千万。乗るときはさあさあ坊ちゃまお乗りなさいませとかなんとか、親バカ丸出しだったくせにさ。

機嫌がよかったのは最初だけ。護衛を下女か何かと勘違いしているのか、養母は機関室でさんざ郁たちに怒鳴り散らした。ビートラクティブ取扱研修中の新人TCまで、一緒になって叱られ、縮こまる。
「帝がお乗りになる船に、見習いですって! 学校ごっこに付き合わせるつもりですか! それになんですの、この女ばかりの無能な供(とも)は! なんですって、淹れ方を間違うと船が沈む? そんな欠陥船に大切な帝をお乗せするとは……」
などと、彼女の文句は止むことがないのだった。

何よ! ヲタク婆。この艇は安全だってーの!
頭からビートラクティブ槽に突っ込んでやりたかった。いや、やめよう。紅茶が穢れる。横の同僚を見やると、皆げっそりとした顔をしている。

「坊ちゃま、上衣を。お風邪を召されます」
「よい。寒くない」
幼帝は言葉少なに答える。養母の過保護にうんざりしている様子だ。
「いいえ、いけません。こんな無闇に広いだけの部屋では」

婆のスーパー過保護ショーをお楽しみください、なんてね。ははっ。
郁はふざけた想像をすることで気を紛らわす。隣で控えている女性同僚は、先ほどの叱責がかなり堪えたのか、青ざめた顔をしている。彼女が哀れになって、小さく郁はささやいた。
「先、休んでください。ここはあたし一人で大丈夫ですから」
ありがとう、とだけ答えた同僚は一礼し、静かに部屋を出て行った。

「坊ちゃま。何かお飲み物はいかがですか?」
「よい」
「では読み物でも」
「いらぬ。それと坊ちゃまはよせ」
「まあ、はい、殿下」
はあ、と『殿下』がため息をつくのが聞こえた。まだ声変わりの始まっていない、澄んだボーイソプラノ。美少年の声だ。郁は心の中で舌なめずりする。フードに隠れて顔は見えない。感情にも変化が乏しく、不安感以外のものは読み取れなかった。

ああん、風でも吹かないかなぁ。船内だから無理かぁ。
並の職員ならストレスで倒れかねないこんな状況下でも、郁のいつもの悪い癖は健在だった。

* * *

休憩中の護衛と入れ替わりに、郁もまた休憩を取るため特別個室を一時退室した。
案の定、レストランバーには先に送り出した女性同僚がいた。彼女の前には、冷めてしまった紅茶のカップ。

「お疲れさまです。これ、あたしのおごり」
前にジャスミンティーを置く。
「あ……郁さん。ありがと……」
言うなり彼女の目に涙が浮かんだ。
「あの婆のことなんか気にしちゃだめですよっ」
「うん、うん……ごめんなさい……私、気が弱くて……」

「柔弱な護衛など必要ありません」
養母の声がして、郁は振り返る。
「我が国ではこのような者は殺処分ですわ!」
思いもよらぬ冷酷な言葉に驚いて、休憩中のクルーが次々とこちらを見た。
「何言ってるの! そんなのおかしいわ、極端すぎる!」
郁はたまりかねて叫び返した。同僚はあまりの言葉に、声もなく凍りついている。
「弱き者は、帝に害なす者と同じ!」
「この艦には弱い者などいません。訂正してください」
「なにを!」
「取り消せって言ってんのよ!」
「鸛の者を愚弄するか!」
怒りが最高潮に達した養母の姿が変貌する。首が伸び、羽毛に覆われ、口は鳥の嘴になる。擬態を脱ぎ捨て、鸛族本来の姿に戻ったのだ。怒り狂う鳥頭の女に、さしもの郁もぎょっとする。
「殺さぬまでも、処罰を与えてもらわねば」
「あなたねえ!」

「やめよ」
涼やかな少年の声がすべてを一瞬で沈黙させる。いつの間にか幼帝がこの場にいた。フードを払いのけた帝の幼げな顔には、怒りが現されている。
「殿下! ですが、この者たちはあまりに」
「彼らは余らを丁重に迎え、もてなしてくれているではないか。もうよい。下がれ」
「ですが」
「下がれ」

君主の言葉に逆らうことはできない。鸛人女は恨めしげにこちらを一度見やると、足早にその場を立ち去った。止める間もなく、同僚は泣きながら個室に戻って行ってしまった。居心地の悪さに、クルーも次々と席を立つ。残されたのは若き新帝と郁だけになった。

「あ、あの、新帝さま――」
その時の郁の胸中にあったものは畏敬でも、緊張でもない。恋心、ただひとつだった。

ヤバイ。ちょっと幼いけど、すごい美少年。思ったとおりだった。幼帝なんていうから子供かと思ったけど、これはアレね、言葉のあやなのね。若様ぐらいの意味なんだ。
胸が高鳴り、頬が高潮する。尖った耳の先まで、熱い血が巡る。恋に落ちる瞬間を、郁は実感する。

「僕(しもべ)が失礼なことをした。この通り詫びよう」
若き君主は黒い瞳を伏せ、軽く頭を下げる。白に近い銀髪が、さらりと垂れた。

「ああっ、そ、そんな、帝さまに頭を下げていただくなんて」
「余の国と民、そして時代を案じての厚遇ということ、十分承知している。許してくれぬか」
「あ、あわ、あわわ」
うろたえつつ、愉悦に浸る郁。絶世の美少年に心からの謝罪を受ける、しかも相手は皇子、いやいや、次代の帝だ。どうしよう! あたし今、ものすごいヒロインポジション! 郁はまともに返事もできないまま、それでも熱いまなざしは抑えることなく、鸛人帝を見つめていた。

「余で償えることがあれば何でも言ってもらいたい」
「えっ……、なんでも、ですか?」
「約束しよう」

郁は大きな青い目をぱちぱちさせ、次に最高に愛らしくにっこりと笑ってこう言った。
「では帝さま。あたしとデートしてください!」

* * *

世話役たちが感づく前に。走れ走れ! 郁は戸惑う幼帝の手を引いて、人気のない非常用通路へと走っていく。

「ま、待て、どこへ行く。デートとはあれだな? 逢引だな?」
息を切らせながら郁に引っ張られていく未来の君主。背丈は郁とそう変わらない。
「そ! きょう一日、帝さまはあたしのダーリンです!」
「う、うむ。だが余は」
「あーダメダメ! もっと楽にお話してください。余とか禁止!」
走りながら振り返って、郁は笑う。ウェーブのかかった茶色の髪が、動きに合わせてぴょんと跳ねた。
「お、おう。わかったぜ。えっと……俺……」
いきなり『らしく』言葉の崩れる帝。人間に擬態していた時の演技で、そこそこ心得はあるらしい。
「オッケーです! あたしは綾鷹・郁」
「かおる、郁か。よし、郁! 案内を頼む」
幼帝は、普通の少年の顔になって笑ってみせた。
「まっかせて!」

二人は互いの立場も、生きる時代も忘れて雛菊艦内を巡った。さすがに普通のデートよろしく、シアターやバーに入って楽しむことはできない。だが人目をかいくぐってデートを楽しむというスリルが、ただの通路や非常階段の探検、窓から眺める景色を楽しく魅力的なものにしてくれた。久遠の都のテクノロジーや、行き過ぎた科学技術の芽を摘む環境局の理念といった真面目な話をしたと思えば、今まで食べた中で最低にマズかったモノなど、くだらない話題で大笑いする。この上なく幸福な時間が続いていた。幼帝も楽しんでいるのがわかる。だが、時折浮かび上がるあきらめや失望に似た感情を、郁は見逃さなかった。彼女に対して、心を隠し通せるものなどいないのだから。

「郁は人生を楽しんでいるんだな」
並んで流れ行く景色を眺めていると、幼帝がぽつりとつぶやいた。
「うん。もちろん」
「俺もそうしたかった。……でも」
「戻りたくない?」
「そうじゃない。でも、これでいいのかって」
隣にいた郁は身を翻し、ふわりと帝の前に降り立つ。淡く輝く白い翼が背に現れ、着地とともに消えた。少年の手を、そっと握る。
「重い義務とか、責任とかがあるのはわかってる。けど、それを果たせる人は限られてる。壊れそうな、時代のバランスを取り戻せるのは……」
深呼吸して、続ける。
「……帝さま、あなただけなの」
握った手に、少しだけ力がこもった。

さみしそうに、少年は笑う。指を絡め、握り返す。
「それさ。彼女としてのアドバイスと受け取っていいよな?」
「うん。いいよ」
「ありがとう。俺、やってみる。郁は人生経験豊富なんだな。意外としっかり考えてるんで驚いた」
「あー、ひっどーい。こう見えてもいろいろあったんだから」
つつき合い、互いの頭を肩に乗せ、もたれて笑う。じゃれあう二人は、その瞬間だけはまるで本当の恋人同士のようであった。

* * *

楽しいときもいつかは過ぎ去る。どちらも己の責任を投げ出してしまうほど幼くはなかった。二人は手を取り、艦中心部へと戻った。安堵の表情が広がる中、一人怒り露わな者がいる。当然ながらそれは、義母、つまり鸛族のお目付け役だ。すでに鳥人の本性を現し、キイキイと尖った嘴で叫びたてる。

「帝さまをさらったのはお前ね! 護衛どころか心を誑かすとは、なんたる反逆、無能者よ! 朝廷裁判にかけて極刑にしてくれるわ!」
郁に返答の暇さえ与えず、つかみかかって来る。鳥の頭では表情などわからないが、狂気じみた怒りは不快な波となって郁を襲う。同時に髪が乱暴に引っ張られ、平手打ちを浴びせられた。だがこの程度では郁は動じない。強気に鳥女を睨み返す。

「馬鹿者。いい加減にせよ!」
幼帝の怒る声。お目付け役を突き飛ばし、郁をぐっと引き寄せる。
ああ、あたしのダーリン。あたしを守ってくれる王子様……。恋に酔いしれる郁は、修羅場には場違いな、とろんとした瞳で幼帝を振り返る。そして、表情が固まった。

激昂した幼帝は、義母と同じく真の姿を現し――、コウノトリ頭の亜人の姿に戻ってしまっていたのである。
郁は、燃え上がった恋心が瞬時に凍りつき、ガラガラと崩れていく音を聞いた気がした。恋とはかくもはかなきものなのか……。

* * *

「だぁ〜〜……。わかってるわよ、あたしがいけないのよおぉ」
レストランバーで額をテーブルに打ちつけ、涙声で愚痴る郁。それを慰めるのは同僚の女性。先日とは励ます側と励まされる側が逆になった格好だ。
「よしよし。郁さん、元気だして」
「鸛族が擬態がうまいってのは知ってたけど。知ってたけど……」
「はいはい。でも、楽しかったんでしょ? デート」
「うん……」
「素敵な時を過ごしたんでしょ?」
「うん」
「このままじゃ、新帝さまがおかわいそうじゃない? 棄てられたって思うかも。フォローぐらいしてあげましょ。陰陽時代に着いてしまったら、お話する機会もなくなるのよ」
「う……」
「ほら、すぐに行動! 行ってらっしゃい!」
同僚はぱんっ、と郁の肩を軽く叩き、喝を入れてくれた。

陰陽時代の御殿に雛菊はすっと船体を寄せる。これから始まるのは停戦協定と鸛人帝の即位式。時代の転換期となる最重要の歴史的イベントだ。しかし、陰陽の貴族や王族、召使たちにうやうやしく迎えられた幼帝の心は、重く苦しいままだった。

――嫌われてしまったか。真の姿を見せるべきではなかった。
郁……。すまぬ。

「みかどさまあーっ!」
その時、遠くから声がした。白い翼をいっぱいに広げ、飛んでくる少女。栗色の髪、青い瞳。郁だ。

「はぁ、はぁ……。ごめん、遅れちゃった。お仕事、がんばってね」
「かお、る……お前……」
郁は切なげに微笑む。それ以上は言わないで、との気持ちを込めて。
「淋しくなるわね。またね? ダーリン」
雛菊のステップから軽やかに降り、幼帝に柔らかく口づけた。周囲にどよめきが走る。無礼者だの、何たることだのと雑音が入るが、二人は気にしていなかった。目を上げた幼帝の顔は、郁と甘い時間を過ごした少年の顔。
「おう! 楽しかったぜ、郁。今度、陰陽に遊びに来いよな! 国賓級でお迎えするからな」
「ふふっ、ありがと」
悲鳴が上がる。殿下が下品な言葉遣いを! との嘆き。倒れるものまで現れた。ひっ捕らえい、との号令のあとに近衛兵が続くが、幼帝の身振り一つでぴたりと止まる。郁は翼で軽やかに飛び立った。

そう。あたしの世界はあなたたちの手の届かないところにあるの。交わったのはこの一瞬だけ。もう会えない。たぶん会わない。でも、大好きだったよ、帝さま。一日だけの、あたしのダーリン。

ありがとう、立派になってね。忘れないよ。遠恋の愛し人……

---
不要とは思いますが、他の方々もお読みになることを考えて、読み間違いの恐れのある箇所に振り仮名を入れました。王子と皇子が混じっているのは、憧れのシンボルとしての"王子様"と、立場の書き分けです。
郁というキャラクターの魅力がさらに理解できました。楽しく書かせていただきました。