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<東京怪談ウェブゲーム 草間興信所>


春告の手紙

 春が来る、という気配の華やかさは、どこか心を浮き立たせる。――わたるの場合、緩み始める桜のつぼみや、地面の下から欠伸を交えて背を伸ばすつくしや、そうしたものの気配が分かるから、尚の事だ。
 だからその町を訪れた時、彼はまず困った顔になった。その町の中だけ、浮き立つような春の匂いは遠く、空は暗い雲が立ち込め、今にも雪がちらつきそうな色を見せている。隣町では既に満開の桜が人々に顔を上げさせ、道端の花や若い芽に思わず微笑みたくなるような陽気に満ちていたというのに、この町に長く淀む冬は、季節の有り方を歪めて、町に淀んだ気配を振りまいていた。人通りも閑散とした駅前の広場で、数少ない出歩く人々はみんな、ポケットに手を突っ込んで、俯いて歩いている。鬱々とした人の様子に引き摺られるように、また気が歪み、淀む――見事なまでの悪循環だ。
 駅前に聳える一本のケヤキに手を触れて、その様子を眺めるとなしに眺める。これは良くないなぁ、と、少年――わたるはそんなことを考えていた。彼の思案に同調してだろうか、それとも一際強い冷たい風に揺れただけか。ケヤキの木が頷いたようにも、思われる。
 ひとまずそういう流れで、最初にわたるが行ったのは交渉であった。ケヤキの木に腰かけて、俯く人々に冷たい風を吹きつけている小さな風の精霊がちょうど目の前に居たのだ。
「ね、そろそろ季節を春に繋いでしまおうよ。いつまでもここに居る訳にいかないって、ホントは分かってるんだよね」
 問いかけに、小さな冬の「モノ」達は顔を見合わせあう。
<だって、黒姫様が、もう少しだけここに居たいって言うんだもの>
<わざわざニンゲン達にちょっかいかけて、節分を中止させて、まだ粘るって言うんだもの>
「でもさ、ほら、隣町はもう春だよ。…みんな一冬頑張ってくれたんでしょう? もう春の子達にお役目を回さなくちゃ」
 重ねて言えば、「モノ」達はうーん、と考え込むように間を置いた。何と伝えて帰ってもらおうか、と思案するわたるの視線の先に、ふと、小さな花のつぼみが飛び込んできた。
(あれ、さっきまで無かったような…)
 赤味の強い紫のそれは、春先に道端によく咲く野草の類である。唐突にそこだけ花をつけた理由は気にはなったものの、これ幸い、と彼は足元を示して小さな「モノ」達に更に言葉をかけた。
「ほら、もう春がそこまで来てるみたいだよ。…黒姫様に怒られちゃうっていうならさ、俺も一緒に行ってあげるから。ここは一先ず、春の子達に譲ってあげてよ」
 促しの言葉に、もう一度顔を見合わせあった「モノ」達は、それから足元の蕾を見て肩を竦めた様子だった。
<そうね、仕方ないわ、ここは譲ってあげる>
<いつまでも冬にしておいても仕方が無いものね。…黒姫様も、早く諦めたらいいのに>
 そう言い置いて、ぴょんぴょんと小さな影が二つ、飛び跳ねて、消える。するとそれまで叩きつけていた風がふと弱まり、身を竦めていた人々が顔を上げたようだった。
 春は来るのだ。季節を回すために、柔らかな花の香りを纏って、冬を終えて。
「また、次の冬に会おうね」
 手を振ると、姿を消しかけていた小さな「モノ」がひらひらと手を振り返してくれたのが、見えたような気がした。それを見送り、わたるは小さく息を吐きだす。我知らず、苦笑が漏れた。
「誰だか分からないけど、手助けしてくれたのかな」
 足元の小さな花に話しかけると、花達はふわりとした調子で、丘の上の神社の神様だよ、と教えてくれた。
「神社? …そっか、樹木の神様が居るとかって話だったっけ。草間さんとこから頼まれてきた、なんて一言も報告してないんだけど…」
 傍らのケヤキを見上げる。わたるは生来のものなのか、草木とは縁が深い。
「…キミが呼んでくれたの?」
<さて。私が呼ばずとも、彼女は助力をしてくれたのかもしれないよ>
「ふぅん」
 随分とフットワークの軽い神様のようだ、と、わたるは神社のあるであろう方角に検討をつけて、視線を巡らせる。まだ空は低い雲が立ち込め、今ほんの少しだけ「冬のモノ」に帰ってもらったところで、まだまだ町には冬の気配が濃厚ではあるが。
(神社に顔を出しておこうかな)
 神様にお礼も言っておくべきだろうし、依頼人ともまだ顔を合わせていない。
 並木の木々に挨拶の声をかけ、目についた冬の「モノ」、黒姫の配下であろう精霊達に帰還を促しつつ、わたるは神社へと向かうことにしたのだった。



***

 桜前線は北上を続け、そろそろ東京の桜は見頃を終えるらしい。そんなニュースが夕方のテレビで流れる時期だったのだが、ロングコートを着込んだ青年は白い息を吐いて空を見上げた。隣にはダウンジャケットに手袋、耳当てという冬場の完全武装をした少女が居る。
「…本当に真冬並みだな」
 彼――蓮生の視界には、道端に積った雪の影で飛び回る妖精染みた生き物や、冬場にしか見かけ無いような精霊や、妖怪の類までもが見えていた。日本全体が春を迎える中、追いたてられた「冬」の存在がこの小さな町に一堂に介しているような錯覚さえ覚えてしまう。
 そんな中で道端に身を小さくして開こうとしているたんぽぽに彼が手を触れると、その場の空気が一息に緩んだ。
「もう冬は終わりだ、今までご苦労様」
 また来年、と彼が、道端で友人に挨拶をするような調子で告げる。雪の精霊が戸惑ったように顔を見合わせ、道端に咲いたたんぽぽを見て、ふ、と蓮生に向けて笑みをこぼした。手を振り、小さな彼女達が去ると、その場の雪が徐々に解けていく。
「あら」
 目を瞬かせて、蓮生の隣に居た少女が空へ視線を向けた。
「…凄い。言って聞かせるだけで冬が引いていくみたい。冷泉院さん、ありがとうございます。助かります」
 律儀に頭を下げる少女に、蓮生は微かに口元を緩めるだけの笑みを見せた。彼としては、辺りを彷徨う冬の精霊、恐らく「黒姫」――冬の女神の配下なのであろう「モノ」達に礼を言っているだけの積りである。今年もありがとう、来年もまたよろしく、と。それだけの「お願い」で相手はあっさりと引き下がってくれている。
「物わかりのいい相手で助かったな」
「そうなんですか?」
 不思議そうに少女に問われ、蓮生は無言で頷く。町を徘徊している「冬」の配下のモノ達は、相手によっては依怙地になってその場に留まろうとするモノも居て、それでも殆どの場合は蓮生が辺りの花を咲かせて見せたり、「春」であるということを告げることで立ち去ってくれて入るのだが、
(…時折妙に依怙地になって粘る相手がいるな。『黒姫』の配下、とやらか?)
「冷泉院さん」
「何だ?」
 物思いに耽る彼の思考を断ち切ったのは、彼がエスコートしていた少女であった。神社の居候にして巫女見習いの立場の彼女――桜花と蓮生が行動を共にしているのはそれなりに理由があるのだが、今は。
「すみませんが、大豆を買いたいので、もう少々買い物にお付き合いいただけますか」
 淡々と告げられた言葉に、蓮生は無言で頷こうとして、それからふと眉根を寄せる。彼女が挙げた名前がいくらか唐突に感じられたためだ。
「……大豆?」
「ええ。説明すると長いのですが……ああ、丁度いい所に」
 折よく、蓮生が「冬」を祓った場所に向けて歩いてくる人影がある。同じくらいの年頃の少年二人で、一人が元気よく桜花に向けて手を振っていた。満面の笑みで駆け寄って、
「桜花ちゃん3時間くらいぶり! 寒いからハグしていい!?」
「この馬鹿が迷惑かけていないかしら、神木君」
 が、手を振る少年のことは一瞥すらせずに無視して少女はもう一人、こちらは仏頂面の少年の方へと視線を向けた。声をかけられた彼――神木九郎は、軽く頷くだけで応じる。その彼の手にはタッパーがあり、そこにぎっしりと詰められていたのは、
「…大豆だな」
「大豆だよ」
 蓮生が戸惑った様子で見たままを口にした通り、炒った大豆であった。一つまみそれを掴んで手の中で弄いながら、九郎は半目で自分と行動を共にしていたこの町の「神社の跡取り息子」である少年、藤を呆れた様子で見遣っている。
「何で大豆なんだ?」
 腕組みをして怪訝そうに問いかける蓮生に答えたのも、九郎の方だった。
「季節遅れにも程があるけどな、節分だ」
「節分…、ああ、確かにあれは、『季節を分ける』ためのもの、でもあるが」
 別名を追儺、とも言う。本来は季節の変わり目ごとに行うべき儀式であり、一般に知られる2月の「節分」は、その中でも冬と春の境目に行われていたものが、長い年月と共に形を変えて来たものである。
 黄昏しかり、節分しかり。時間や季節の「境目」は邪気の生まれやすいものだ。「節分」は元々、そこに生じる邪気を追い払い、新しい「季節」を迎え入れる為のものである――と。
 話の流れでおおよその経緯を呑み込んだのだろう。蓮生は思わず、と言った風に藤の方を見遣った。桜花にハグを全力で拒否された少年は拗ねたように膝を抱えて雪が微かに溶け残った塀の影で何事か小さな「モノ」達に話しかけていたのだが、蓮生の視線に気づいたのか、顔を上げてこくり、と首を傾いだ。歳の割には幼い所作だ。
「ん、どしたの、蓮生さん」
「いや…まさか、この町に春が来ていない原因なんだが、……節分を忘れたのが原因じゃないだろうな?」
「あはは」
 否定は無く。どういう訳か笑顔だけが返ってきた。隣に居る桜花が深い深い苦悩に満ちたため息を落とし、代わりというように肺から押し出すような声で呻く。
「…………なんていうかその、ごめんなさい」
 ――遠回しではあるが間違いなく、それは肯定の言葉であった。




 とはいえ、彼らとて決して節分を忘れて居た訳ではない。
「…変だとは思ったんだよなー。俺は風邪引いて高熱出すし、桜花ちゃんはその間に妙に連続して地縛霊やら疫病神やらを引き寄せて取りつかれて体調崩してて、姫ちゃん――あ、うちの祭神様な。姫ちゃんは留守にしてたんだ」
「それで節分が出来なかった、と」
「他にも色々。とにかく偶然が重なり続けたんだよ、それはもう不自然に」
 嘆息しながら、藤は手にした熱々のココアに口をつけた。場所は町の中心、小高い位置にある神社の境内にある休憩所だ。室内には、町の外であればとっくに仕舞われているであろうストーブが、冷えた室内を暖めていた。
「…ええと、ごめん、俺話が見えないんだけど…」
 集まった面々を見渡して一人きょとん、としていたのは、神社に併設されている神主一家の家の台所から顔を出した少年だった。こちらも九郎、藤とあまり変わりない年頃の高校生らしき少年だが、明らかに女物のエプロンをつけていて、それが妙に似合っていた。
「だからね、工藤君。あなたに頼むお仕事が増えたって言う話」
 その少年に、買い物を済ませた桜花が手にした袋を手渡す。中身は色々だが――商店街で購入した魚や野菜、肉類はともかくとして、大量に購入された大豆は異様な存在感を放っていた。中身を覗き込んだ少年、優太は、話の流れが見えないらしく、引き攣った笑みで桜花に向けて首を傾げた。
「つまり俺、どうすればいいんだ?」
「あなたは料理続行よ、工藤君。あとついでにその大豆、片っ端から全部炒り豆にして頂戴」
「あーうん、分かっ……これ全部!?」
 思わず、という様子で袋の中身と、集まった面々――藤と桜花、それに蓮生と九郎――を見比べる優太に、笑顔の藤と不機嫌そうな九郎がそれぞれ頷いた。
「そうだね、全部だね」
「そうだな。まぁそれくらいあれば町中で節分やるには足りるだろ」
「あの…ここ、家庭用の調理器具しか無くて、オーブンとか割とサイズが小さいんだけど」
 おずおずと申し出た彼の言葉に、無表情に頷いたのは桜花だった。
「そうね」
「…業務用の調理器具とか借りられたり」
「しないわ」
「ですよね…!」
 半ば自棄、という様子で叫んでから、優太は桜花から大量の大豆を受け取った。町中にばら撒くと言っていたが、その質量はもう凶器に近い。項垂れる優太の肩を、桜花はぽん、と叩いた。あまり表情の変わらない口元が僅かに緩む。
「花見の料理は私がやるから、あなたは大豆を炒る作業だけしてもらえればいいわよ」
「それはそれで辛いものがあるよ!? 大体これ、2,3時間は水戻ししないと使えないでしょ」
 ぶつくさ言いながらもどうも頼まれたことを無碍には出来ないタイプであるらしく、彼は律儀に台所へと戻って行った。それを見送り、桜花が立ち上がる。
「私も手伝ってくるわ」
「うん、桜花ちゃん、『気を付けて』ね」



 ひらひらと手を振って台所へ向かう彼女を見送り、ストーブの前で藤が頬杖をついた。入口近くで推移を見守っていた蓮生、終始機嫌の良くなさそうな、腕組みをしながら椅子に座っている九郎をそれぞれ見遣り。
「…で、どうしよっか。無暗矢鱈と豆を撒いて歩く訳にもいかないし」
「そうだな」
 頷いたのは蓮生だ。彼は休憩室の閉じた硝子戸越しに外を眺めていたのだが、そこから見える光景に短く嘆息し、視線を藤と九郎の方へ戻した。
「どれだけ去って貰っても、次から次へと『冬』に関わる神や精霊が集まっているような有様だ。…春の神だったか、当てがあるような話をしていたが、そちらはどうなんだ?」
 言葉の後半は藤に向けられたものだった。常が無邪気な彼は、表情に珍しく困った様な色を浮かべる。
「佐保ちゃんとはさっきからコンタクト取ってんだけどね。冬の気配が強くなりすぎてて、ここまで来られないって。あっちも困ってるみたい」
「…サホ…春の女神の佐保姫のこと、か? それは」
 蓮生の問いかけに、藤はそうだよー、とあっさり頷いた。
「となると、矢張り問題は『黒姫』か」
 九郎がぼそりと呟き、それからひとりごちるように彼は眉根を寄せて続ける。
「…あまり情報がねぇ女神なんだよな。原因を探ろうにも」
「そうなのか?」
 蓮生の問いに、九郎が頷く。後を継ぐように、藤も同意した。
「クロちゃんは、春の佐保ちゃん、秋の竜田ちゃんに比べると知名度低いんだよ。祀ってる神社とかも無かったと思うし、好きなものとか嫌いなものとかそういうネタも全然ない。あ、節分は嫌いだって前に会った時言ってた」
 さもあらん、と蓮生は頷くしかなかった。(そして「クロちゃん」という、威厳の欠片も感じられない藤の呼称については触れないことにする。)あれは立春、春を迎える日の儀式なのだ。自分の季節の終了を豆撒きと同時に告げられるのはあまり良い気分ではあるまい。と、少し思案してから彼は顔をあげ、藤に向けて問いかけた。
「冬の気配を薄めれば、佐保姫はこちらに来られるのか」
「うん。何か手がある?」
「…気休め程度かもしれないがな。もう一つ確認だが、境内に桜の樹が沢山あったと思うが、あれは本来今頃は咲いている時期なのか?」
 う、と何やら藤は小さく呻いて目を逸らした。
「あー、ちょっとね…。若い樹だから寿命ってことは無いはずなんだけど、神様弱ってるせいかなぁ、今年は調子が悪そうなんだよなー…」
 成程、と頷いて蓮生は提案をするように手を上げる。
「俺は神社に残ってもいいか。冬を遠ざければ少しは事態も好転するだろう」
「…ってことは俺はさっきまでと変わらず、豆撒いて冬を追い払う担当か。あんまりいい気分がしねぇんだぞ、これ」
 相手が悪霊やら人に仇をなす類の「モノ」であれば、いい。追い払うのは心も痛まない。だが相手はただ、冬をもたらすだけの「モノ」である。いかに既に春が来ているから、町の人が迷惑しているからと言っても、人の都合を相手に押し付けるのは――
(…遣り難いなんてもんじゃねぇな)
 舌打ちしたいような気分で残りわずかな炒り豆を睨んでいる、と。がたりと音をたてて扉が開き、外の冷気がびゅうと吹き込んできた。思わず身を竦ませる三人の視界に、一人の幼げな少年が姿を見せる。
「え、と、草間さんの所で頼まれてきた者なんですけど。…ここで合ってました?」
 首を傾げたのは、藤よりもう少し年下らしい小柄な少年だった。


 先に境内の様子を見て来る、と断りを入れて入れ替わりに出て行った蓮生を見送り、改めて、藤はやってきた小柄な来客に椅子を勧めた。勧めながら、「これから豆撒くんだけどどーする?」、というあまりにも端的な藤の説明に、少年――常葉わたる、と名乗った――はきょとりと首を傾げた。
「豆?」
「あー、色々あってね、季節ずれてるけど節分やろう、って話になってんだ。ただ、無暗に豆撒きする訳にもいかないし、どうしよっかなーって」
 説明不足の藤に捕捉するように――何で俺が、という大変不本意そうな前置きを丁寧に差し挟んでからだが――九郎が付け加える。
「この町の、黒姫配下の連中は豆撒きで追い払える。ただ、根本的な解消になるかどうかは分からねぇけどな」
「『追い払う』? …それは、あんまり気が進まないかな…」
「そこは同意するけどよ」
 肩を竦めて、九郎はわたるの言葉に同意した。どうする、と彼は視線だけで藤に振り返る。
「とりあえず話だけはしてみよっか。豆撒きは儀式的な意味もあるから、一応撒くだけ撒く方向で。でもどうしようかな、手当たり次第ってのは効率、悪いよね」
 町は、町としては大きなものではないが、それでも人間が足で歩くには十二分に広いし、その上大豆には質量的な限度というものがある。ついでに言えば神社の予算にだって限度がある。さてどうしたものか、と考え込む藤に向けて、それなら、と口を開いたのはわたるだった。
「一番『冬』の気が大きいというか、季節の巡りの悪くなっているところを探すのなら。お手伝いできるかと思うんですけど…」
「え、マジで!? わたる君すげーありがとう! 大好き!」
「え…えっ?」
「いや、そこで助けを求める視線をこっちに向けんな。あと深く考えんな。俺も言われた」
 ちなみに九郎が言われたのは、依頼を請けてこの神社に顔を出して手伝う旨を告げた直後の最初の開口一番である。
 ――え、手伝ってくれるんだ! ありがとう九郎君! 大好き!
(挨拶か何かだろうな…)
 そうとでも思わないとやっていられない。生憎と九郎には、男に満面の笑みで「大好き!」と言われてときめくような琴線は備わっていなかった。(彼に限って言えば、仮に美女に言われたところでさして心に響きもしなかっただろうが。)
 戸惑うわたると、やや呆れた表情の九郎を余所に、すっかりテンションが上がってしまったらしい藤はわたるを引っ張る様に休憩室から飛び出していく。
「よし、じゃあ早速行こうか!」
「い、いきなりですね!?」
「おい、ちょっと待て、まだ準備が…」
 九郎が止める暇もあればこそ。藤が引っ張る様にして、小柄な少年を引きずって冬の寒空の下へと駆けだして行ってしまう。そこへ、騒ぎを聞きつけたのか、台所から桜花が顔を出す。長い付き合いの故だろう、彼女は情況をすぐに把握したらしく、鋭く叫んだ。
「神木君!」
「…何だよ」
「あの馬鹿、ジャケット着ないで出て行ったの! 追いかけて! 工藤君でもいいわ!」
「俺を遣うくらいなら自分で追いかけてくださいよ!」
 台所に居た優太の、あまりにも真っ当な反論は一言で封殺された。
「嫌」
「ちょっ、え、即答ー!?」
 ひどい、と嘆く勇太に、九郎は何も返せない。九郎は、桜花が外を出歩けない理由を知っていたのだ。――重度の憑依体質であり、殆ど病的と言えるレベルで神から幽霊から、相手を選ばずに「憑依されやすい」身体を持っている桜花は、現状、「黒姫の配下」が一山いくらで歩き回り、飛び回る表に出るだけでも身体に相当な負担がかかってしまうらしい。さっき、買い物の間ずっと蓮生の傍に居たのは、蓮生の周りが、まるで結界でも敷かれたみたいに「気が綺麗だったから」、だそうだ。
 が、そんなことを逐一説明するのも面倒であったので、九郎はうんざりしながらも椅子に放り出されたジャケットを手に取った。
「……行って来るぞ」
 声をかけると、桜花はちらりと目を伏せた。表情の変化に乏しい彼女なりに、申し訳なく思っているらしい。
「ありがとう、神木君。あとで依頼料に色をつけるように藤に言いつけておくわ」
 その言葉には、肩越しに九郎は苦笑を返した。
「まぁ、あてにはしねぇよ。気持ちだけ貰っとく」


***




そういう訳で冬の町を九郎は追いかけはじめた訳だが、藤は存外、足が速かった。
「…っ、クソ、割に合わない仕事にも、程が、あるだろッ!」
息を切らしながら九郎がようやっと藤に追いついたのは、石段を駆け下り、商店街を抜け、小さな児童公園に入ったところであった。その児童公園には、―― というか、「ここにも」と言うべきか。桜の木が一本立っている。境内に並んでいたそれよりは幾らか歳を経たものらしく、どっしりとした幹と立派な枝ぶりの 一本であった。
そこに、藤と、藤に引き摺られるような恰好で連れて行かれたわたるが並んで立っている。わたるの方は幹に触れて、目を伏せ、何事か集中している様にも見えた。
「おい、秋野…!」
「あれ、九郎君どうしたの?」
「どうしたの、じゃねぇだろ、冷静に考えたら何で俺がこんなことしなきゃならねーんだ」
考えれば考えるほど馬鹿馬鹿しい気分になりながらも、手に持っていた上着を渡すことを忘れない辺り、九郎もなかなか律儀な性格をしている。受け取った藤は虚を突かれたように目を丸くしてから、
「あれ? 俺のジャケット…え、九郎君ってば、わざわざ追いかけてくれたの? もしかして俺のこと好きなの? 困ったなぁ、ごめん、俺、桜花ちゃんと結婚する予定なんだ」
どうしよう。この男、もしかして想像の斜め上を行く馬鹿なんじゃないだろうか。
出会ってまだ数時間にも関わらずかなり深刻に九郎が悩み始めた時だった。わたるが声をあげる。
「――え、それは…困ったなぁ」
「どうした」
もたもたとジャケットを着こんでいる藤をあえて無視して、九郎が向き直る。
「この桜の樹と話をしたんですけど、『黒姫』さんでしたっけ、冬の女神様…」
「クロちゃんの居場所、分かったの?」
ジャケットに袖を通しながら、藤。わたるは首を横に振った。
「…さっきまでここに居たらしいんですけど、急にどこかに飛んで行ったって」
「ありゃ。入れ違いかぁ…ってか、クロちゃん、ここに居たんだね」
名残を惜しんでいる訳でも無かろうが、藤もわたるを真似たように桜に手を触れる。
一方でこの町に春を呼び入れたいのだ、というわたるの目的を早々に理解したらしい桜は存外にお喋りで、様々な情報をわたるに伝えてくれていた。
「何かを探していたみたいだ、って…。え? 手紙…?」
「手紙? 黒姫が?」
冬の神様が、手紙を探している。
どうにも話が繋がらずに、九郎は眉根を寄せる。
「…商店街の方へ行ったらしいです。探してみましょうか」
わたるの言葉に、少年二人はそれぞれ頷くしかない。

商店街へ向かう道すがらも、あちらこちらに吹き溜まりのように集まった「モノ」達を、交渉し説得し宥めすかすのは忘れない。その甲斐あってか、商店街を 抜けて年若いケヤキの植えられた並木道に出る頃には、分厚いジャケットを着こんでいると汗ばむほどの温度にはなっていた。それでも風は冷え冷えとしてい て、マフラーを取ったわたるが小さくくしゃみをする。気遣うような気配を足元の小さな緑の蔦草が伝えてきたので、彼は笑みを向けて、その場に膝をついた。 春であればピンクの花をつけるその草は、けれどもあいにくの寒さに縮こまっている。不自然に長い冬は、季節の巡りを歪め、それが辺りの空気を重たく、陰鬱 にしていた。
「邪気がたまってきてるね。さすがにそろそろ、クロちゃんをとっちめないと」
憤然と腰に手を当てて藤が告げ、こう付け加える。その横で、九郎がひとつ息を吐いて、タッパーに最後に残っていた一掴みの大豆を手にした。ぱらぱらと、撒かれた大豆に中てられて、辺りの邪気が祓われ、散っていく。
それに呼応するように、辺りの空気はまた少し、寒さを緩めたように感じられた。
「わたる君、どう? なんか分かった?」
「やっぱりここに来てたみたいです。…探し物が見つからないって、焦ってたみたいだって」
わたるが声を聴いていたのは、足元の小さな雑草である。囁くような声に耳を澄ませてみると、
「…え、神社に行ったの?」
――最後に付け加えられた黒姫の次の行き先に、今度は三人、顔を見合わせあうしかなかった。




=================

 その時だ。
 空気が一度、まるで呼吸をするように、ふわりと温かく緩んだ。
 今までとは規模が違う。町全体を覆う気配が変わったことに、町の人々でさえも気づいたかもしれない。

=================


――石段を上る頃には、誰の眼にも神社の「異変」は明らかだった。この寒空、鉛色の曇天の下で、そこだけ季節の巡りを取り戻したかのように桜が咲き乱れているのだ。
中でも息を飲んだのは藤だった。彼は、そこに「あり得るはずの無い」一本の桜の大樹を見とめ、足を止める。
「…どうしたんです? 早く行かないと」
振り返ったわたるの前で、藤は笑っていいのか、どうしていいのか分からないような表情で、呟いていた。
「……『さくら』のご神木だ。もう、死んでるはずなのに…」
「え?」
「……。何でもない。蓮生君が『手がある』って言ってたの、こういうことかぁ」
息をついてから、今度は笑う。
石段を上りきると、すっかり気温も春のものであった。上着を脱ぎながら、九郎はぐるりと境内を見渡す。――世界は一面の桜吹雪だ。
安堵なのか、それとも別種の悔悟なのか。眉根を寄せてじっとその風景に見入る九郎の服の裾を、くい、とわたるが引いた。
「多分、あっちです。『黒姫』が居るの」
「……。ご神木の方か」
「みたい、ですね」
鎮守の杜には、ご神木の名に恥じない程度の大樹がそびえたっていた。既に藤はそちらに駆けだしており、後を追いかけるようにわたるも続く。
彼らには分からないであろう嘆息を落として、九郎もその後を追った。

桜の大樹の傍には、既に先客が居た。蓮生と、彼の近くに侍る様にして、霞のような影がある。――木々に宿る神という縁を持つ故だろう。九郎と、わたるにもその姿はぼんやりとではあるが認識できた。藤色の和装の女と、今頭上で咲き乱れている桜そのものの様な薄紅の和装の男性の姿。
「姫ちゃんに……さくら! 起きて大丈夫なのか!?」
藤の呼びかけに二人がそれぞれ応じたことで分かる。――あの二人は、どうやらこの神社の祭神であるらしい。
<平気みたい。蓮生君のお陰>
笑みを向けられた蓮生はと言うと、軽く頷いただけだ、
「俺は大したことはしていない。…それに、あまり長くは持たないからな」
と、わたるは二人のやり取りを余所に顔を上げた。そこは鎮守の杜で、神に縁の深い草花や木々が、数は減じても多く存在している。それらの声が、彼の耳には届いていた。
「…そうか、黒姫は、ここに居るの?」
わたるの言葉に、場の全員の視線が集まる。一瞬ではあるがしん、と場が静まり返った。誰も彼もが辺りを見わたし、気配を探る。
最初に口火を切ったのは、さすがにこの町の守護神と言うべきか、さくらであった。
<黒姫。…そんなところで隠れてないで、出ておいでよ>
その言葉に。
――応じた音があった。鈴の音。ちりん、と、何だかそれは猫の首輪につけられた鈴のような、酷く可愛らしい音。
藤があれ、と首を捻り、ふじひめとさくらが口元を緩めた。
「残念、見つかっちゃったね、クロちゃん」
がさりと茂みをかきわけて出てきたのは、黒いワンピースに黒髪の少女。髪につけたアクセサリが、動くたびにチリチリと涼しい鈴の音をたてる。
黒姫か? と身構えた九郎とわたる、蓮生を余所に、藤がぎょっとしたように彼女の名を呼んだ。
「ええええ!? チカちゃん!? な、何でこんなトコにチカちゃんが居るんだよ!」
<…千影だけではない。私も居るぞ。一応>
更に、その少女の肩には小さな影がちょこん、と腰を下ろしていた。すらりと長い手足、身体のバランスはどう見ても成人女性の姿であるが、その姿はせいぜいが着せ替え人形くらいのサイズだ。灰色の髪のその女を見て、藤が二度目の驚きの声をあげた。
「ええええ!? クロちゃんどうしたのそのサイズ!?」
<五月蠅い。無茶をして町に居座ったから、力が弱まったんだ>
お人形のような人影は、ふい、と千影の肩でそっぽを向いてしまう。そんな黒姫に、薄紅の人影がそっと近づき、膝をつく。狐面で顔は隠れて見えないが、恐らく小さな千影に視線を合わせたのであろう。
物怖じというものを知らない千影は、視線を合わされて嬉しそうに、
「あのね、さくらちゃん。クロちゃん、さくらちゃんの『手紙』を探していたんだって。見つからないから、とうとうさくらちゃんが死んだんじゃないかって、泣きべそかいてたの」
<な、泣いていない! 私は泣いてないぞ、千影! 語弊がある!>
「? でもクロちゃん、心で泣いてたよね。チカが、さくらちゃんはまだ元気にしてるよって教えてあげたら、すごーく喜んでたし」
さしもの冬の女神も、無邪気の塊のような少女の物言いには勝てなかったらしい。項垂れながら、彼女はぼそりと小さく答えた。いわく。



<……長年の文通相手だ。心配くらいはする>



そのやり取りに。
九郎が苦りきったため息をつき、わたるは安堵の笑みを浮かべた。蓮生は既に事情をさくらから聞いていたので驚いている様子もないが、それでも微かに笑みを浮かべて、二人――もとい、二柱のやり取りを見守っている。

「…文通って。散々騒がせて、節分まで遠ざけておいて、そこまでしておいて、原因はそれかよ…」
「あはは…。神様のわがまま、ってところなのかなぁ。もっと困った理由じゃなくて良かったかもしれないけど…」
「…さくらがクロちゃんと文通してたなんて俺知らなかったぞ」




人間達が三者三様に徒労感に襲われていると、そこへふわりと柔らかな香りが漂った。最初に反応したのはふじひめにさくら、そして黒姫という神様達である。彼らの大好物のお酒の匂いだったのだ。
「おーい、みんな、そろそろお花見始めるよー! 料理は早いものがちだからね!」
勇太の呼ぶ声に、その場の人間達も顔を見合わせあう。
<黒姫ー、早くいらっしゃーい。あんまり人様に迷惑をかけちゃ駄目よぉ>
次いで。名指しで呼ばれた黒姫が、千影の肩の上で苦い顔をした。
<……姉上を呼んだのか、人間>
<あらぁ、藤を睨んじゃ駄目よぉ、黒姫。藤はあなたがおいたをしているから、困って私を呼んだのよぉ。ちゃーんと反省するのよぉ?>
項垂れる黒姫に、千影がにゃ、と無邪気に微笑みかけた。
「大丈夫だよ、クロちゃん。ちゃーんと『ごめんなさい』すればいいんだよ。そしたら一緒に、ししゃも食べよーね」
花見のメニューに果たしてししゃもがあったかどうかは定かではないが、千影の励ましとも言えないような激励に、黒姫は力なく笑みを浮かべる。
<…そうだな。さくらも無事だったんだし、花は綺麗だし。…姉上に頭を下げて、少しだけ、場に入れてもらうとするか…>



既に時刻は夕刻になっていた。薄暗く群青色に染まる空気に、しかし昼まで漂っていた凍てつくような寒気はもう混じっていない。混ざるのは、はらはらと落ちる薄紅の花弁だけだ。
それから、賑やかな気配だけ。
神社の境内から漏れ聞こえる喧騒は華やかな春の気配を帯びて、空気を塗り替えていくようだった。


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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 2895 / 神木・九郎  / 17歳】
【 3626 / 冷泉院・蓮生 / 13歳】
【 1122 / 工藤・勇太  / 17歳】
【 3689 / 千影  / 14歳】
【 7969 / 常葉・わたる  / 13歳】


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■         ライター通信          ■
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納品が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。
少しでも楽しんでいただければ幸いです。