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<東京怪談ウェブゲーム 界鏡現象〜異界〜>


sinfonia.18 ■ 決意をその胸に






 勇太の治療は、実に凄まじい勢いであったと言える。
 もともと人間の肉体を改造する事に近い研究を行なっていたこの研究所では、現代の医学とは違った観点から肉体を復元する方法を得ている。

 ――それが、馨が宗の指示の下に作り上げた、この人体組織の活性化を促すカプセルである。

 黄緑がかった液体の中から、酸素マスクをつけた勇太が水音を耳にしながら目を開ける。水の中にいるかの様な、目に対する違和感を感じないその光景は、勇太にとって実に不思議な感覚であった。

 余談ではあるが、この時の勇太の服装は男物の水着一丁である。さすがにパンツ姿を披露するよりは幾分マシである。とは言え、バミューダタイプの水着なのでトランクスとさほど見た目に差異はないのだが、これは価値観の問題であろう。

 閑話休題。

 勇太が現在浸かっているこの液体は、実の所大量のナノマシンが溶け込んでいる。人体は、血小板が活性化される事によって傷口という名の穴を埋め、様々な過程を経て組織増殖に至るのだが、この組織増殖への過程を液体が代行する事により、組織増殖を促す効果を持つものだ。

 つまる所、純粋な液体ではなく、液体として存在している機械の集合体であると言える。

 腹部への深い傷が、たかが一週間程度でほぼ完治状態にまで回復出来たのは、偏にこの液体のおかげという訳である。

《治療は一段落ね。排水するわ》

 液体を振動させる事で伝わってきた、馨の声。勇太がゆっくりと頷くと、頭の上まで満たされていた液体が徐々に足元に排水され、身体に重力がかかる。マスクを外し、本来ならよじ登って出る所をテレポートして飛び出る勇太に、相変わらずの能力の無駄遣いとも言える行動に苦笑しながら、凛がタオルを手渡した。

「もう傷に問題はないわ。身体的にも後遺症は残らないでしょうね」

 白衣を身に纏った馨がタッチパッドに映った勇太の身体データを見つめながらそう告げる。

「武彦、話して良いわよ」
「……あぁ」
「ん?」

 馨と武彦の会話を聞いて、勇太と凛は小首を傾げるのであった。





◆◇◆◇◆◇





「――……嘘、だろ……?」

 思わず口を突いて出た、勇太の愕然とした言葉。
 勇太の目の前にあるのは、動画投稿サイトに送られた、東京の主要部各所を襲う魑魅魍魎達と、それに対抗して戦うIO2の姿であった。

 動画に映っている映像は、もはや勇太の知る日本の姿ではない。ビルは焼け焦げ、整備されたはずの道路は盛り上がり、亀裂を走らせている。車が焦げた跡や、その映像はまさに映画の中のCGでも目の当たりにしているかの様な印象であった。

「この数日、虚無の境界が次々に東京の主要部を襲っている。現在IO2が対応に追われてるが、盟主――巫浄 霧絵の姿はおろか、幹部と呼ばれるファングやエヴァ・ペルマネントも姿を見せていない」
「そ、それってつまり――」
「――あぁ、完全に後手に回ってる状況だ」

 簡素な丸椅子に座った勇太と、そんな勇太の肩にそっと手を添えている凛。向き合って座っている武彦。そんな三人の様子を、ポケットに手を組みながら、女性らしい細い煙草を咥え、白衣のポケットに手を突っ込んだまま壁に背を預けている馨が見つめていた。

 ――この数日、現在の状況のシャットダウンは、馨の提案であった。

 勇太が昔の武彦と似ている。そんな事を感じた馨だからこそ、それが必要だと判断し、武彦に持ちかけたのだ。武彦もまた、馨の判断に同意し、凛へも情報を遮断する事にしていた。凛は真面目だが、まだ表情を繕えるほどに世間に染まっていない。恐らくこの状況を勇太に隠すとなれば、少なからず表情や態度に影響が出るだろう。そう考えた武彦であった。

「……虚無……ッ」

 ギリッと歯噛みする勇太。そんな勇太の肩に添えられた凛の手も、僅かに震えてさえいる様だ。

「勇太。おそらくIO2は虚無の境界には勝てない」
「――ッ! ど、どういう事だよ、草間さん!?」

 不意な武彦からの断言に、勇太は狼狽しながらも尋ね返した。

「IO2に所属している連中は、世界的規模で指名手配されている“能力者”――つまりはお前と同じ様に、人にはない能力を持った連中だ。いくらIO2とは言っても、ジーンキャリアである鬼鮫や俺の様に、能力者と対峙してまともに戦える人間は少ない」
「そ、そんなのおかしいよ! だって、IO2は能力者に対する警察みたいなもんだろ!?」
「そういう組織だから、よ」

 武彦の代わりに答えたのは、先程まで静観を続けていた馨であった。壁から身体を離し、馨はまっすぐ勇太を見つめた。

「勇太クン。キミはまだ、どれだけ自分という存在が『危険』なのか、実感していない様ね」
「危険……?」

 馨を制止しようと振り返った武彦に、馨は手をあげて勇太を見つめたままそれを遮った。

「“能力者”の中でも、IO2ではレベル別に分けられる事が多いのよ。レベル1はまだ覚醒したばかり、レベル2は、能力を使役する事に慣れた者。レベル3は、それを使って自己の利益を得ようとした者。レベル4は、能力を使って他人を傷つけた者よ。レベル5は能力による殺人を犯した者を分類するわ」

 馨は紫煙を吐き、改めて勇太を見つめた。

「そして、工藤 勇太クン。キミみたいに、『人を殺す事も容易い程の能力の所持者』は、レベル6。つまり、IO2で言う所、『人間性問わず、存在を凍結すべき対象』と判断される事が常になる」
「……レベル……6……?」
「IO2の見解では、虚無の境界に所属されているとされる能力者は、最低でもレベル5。それ以上に分類される者の方が多いわ。だからこそ、IO2は虚無の境界を決して軽視していない」

 少しの沈黙。そして馨が再び口を開いた。

「――さて、そこで質問よ。キミはIO2のバスターズが束になってかかってきたからって、勝てないって思うかしら?」

 馨の言葉に、勇太は思わず目をむいた。
 実際、勇太がその能力を使えばIO2のバスターズがいくらいようと、能力でいくらでも対応出来ると言っても過言ではない。それは自己を美化した評価ではなく、純粋な経験や、勇太の柔軟性の高い能力の所以でもあるが、恐らくは問題なく戦えるだろう。

 そこに行き着いた所で、勇太はようやく気がついた。

「……虚無の境界に勝てない理由……」
「そうだ。それこそが、俺が言った言葉の意味だ」

 答えが行き着いた勇太を見て、武彦がそう補足した。

「……虚無の境界は動き出した。俺達が嫌だと言っても、アイツらは待っちゃくれない。勇太、いいか? これから東京に戻って戦うってのは、そういう事だ。今までにないリスクの高い戦いになるだろう。それは間違いない」

 だからこそ、武彦は問いかけるのだ。

「――勇太、戦う覚悟はあるか?」





◆◇◆◇





 ――感情が堰を切って流れだしてしまったのは、どうしようもない誤算であった。

 一週間前、勇太の前で涙を流しながら泣いてしまった百合は、いたたまれない気持ちを抱きながら、この一週間で様々な情報を収集し、人間に戻る事に対して、改めて気持ちを整理しようと、ある場所を訪れたりと多忙な日々を過ごしていた。

 そんな百合も、ある一点について未だに悩みを抱えていた。

 ――今戻る事を選んでしまって良いのだろうか。
 そんな迷いであった。

 これから勇太は、虚無の境界との戦いに身を投じる事となるだろう。そうなれば、霊鬼兵に近い自分の、人間ではないが故のメリットは何処かで役に立つかもしれない。

 しかし、身体はそこまで猶予を持っていない。それは馨から改めて告げられた現実であった。

 戦いの場に向かう、あの何処か抜けた少年。そんな少年を見送るだけで、もしもあの少年が死んでしまう事になったら――。

 そんなネガティブな想像が、百合の思考にまとわりつくのであった。

 命なんて捨てても構わない。
 死んでしまえば、どれだけ楽になれるだろうか。

 そんな事を何度も考えてきた自分だというのに、今では「死にたくない」という気持ちが強い。

 それはきっと、未来が見てみたいと思える様になった百合の心境の変化故だろう。
 本人はその自覚もないが、それでも「生きて、人間として自由になりたい」という自分の望みを、百合は捨てるつもりがない。

「……私は……――」

 吹き抜ける風の中で呟いたその言葉。



 ――百合の表情からは迷いが消え、穏やかな笑みすら浮かんでいた。




◇◆◇◆◇◆






「――戦うよ」

 立ち上がった少年は、小さく笑うかの様にそう告げた。その後姿を見つめていた凛は、その気軽そうにすら見える答えに思わず唖然とした。

「守りたい人が、俺にはたくさんいるんだ」

 少年は続ける。

「どんなに辛い事があってもさ、きっときっと前を向いて歩いていれば先に進める。その為に戦わなくちゃいけないっていうなら、俺は大事な人たちを守る為に戦う」

 ――どれだけの苦悩が、困難が襲ってきても、彼はそうやって立ち上がるのだ。

 何もヒーローではない。彼自身、そんな事は望んでいないのだろう。
 凛は思う。

(……強い)

 それはただの能力の強さや、腕っ節の話などではない。
 その瞳に宿す力強い意志。人間として、何よりも尊い強さだ。

 絶望しては困難に立ち向かい、傷ついてもただじゃ転んだりしない。
 それはどこか泥臭い様にも見えるが、とても凛には眩しく映るのであった。

「草間さん。俺はみんなを守りたいし、そんな真似をしてる虚無の境界を許したくない。俺が戦って守れるものがあるなら、俺はそれだけで前に進めるから」

 ――どうしてこんなにも、眩しいのだろうか。
 凛はその後姿を見つめながら、胸元に下げていた自分の手をキュっと握り締めた。

「行こう、草間さん。東京へ」
「……ったく、青臭い事言いやがって……」
「な……ッ! せっかくカッコ良い事言って――!」
「――だが、な」

 武彦は立ち上がり、少年に向かって微笑んだ。

「その青臭い考え、俺は嫌いじゃねぇんだよ」

 いつかこの二人と同じ場所に立ってみせる。
 今はただ追いかけ、見失わない様に必死である事しか出来ていない自分でも、いつかは。

 そう願う凛に、少年は振り返った。

「凛、行こう」
「……えぇ、勇太」

 凛はその伸ばされた手を取り、微笑んで答えた。



 ――三人は再び、東京へと舞い戻るのであった。








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