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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


〜探し続ける「蜘蛛の糸」〜


 来生一義(きすぎ・かずよし)は、その場から一歩も動けなかった。
 身体が硬直して、神経までもが凍りついたかのように、前にも後ろにも進むことができなかった。
 目の前には、どす黒い塊へと変貌し、崩れていく弟がいる。
 ぐずぐずと耳をふさぎたくなるような音をさせて、ぶよぶよしたゲル状のただの「モノ」に成り下がっていく。
 なのに、一義にはどうすることもできなかった。
 止めることも、逃げることも、声をかけることすらできず、ただただその場に立ち尽くしている。
 身体はそうやって、たったひとつの動作だけを取り続けていたが、感情は一義の内側でめまぐるしく色を変えていた。
 恐怖、焦燥、悲しみ、痛み、そして何より、大きな愛情――多くのマイナスの感情を、たったひとつの多大なるプラスの感情が必死で上から爆発を押さえつけている。
 そのとき、傍から見れば無策に呆然とつっ立っているように見えるだろう一義の背後から、唐突にのんびりとした声が襲って来た。
「これで俺の任務もしまいや」
 金縛りが解け、一義はバッと振り返った。
 そこには、いつの間に現れたのか、のほほんとした気配をまとった来生億人(きすぎ・おくと)がにやにや笑い、ドアに寄りかかって立っていた。
「お前…!」
「あと5分ちょいくらい、やなぁ」
 一義の肩越しに部屋の奥に目をやって、億人はうんうんとしたり顔でうなずく。
 ぎり、と歯噛みしながら、一義は億人の両肩をつかんだ。
「任務とはどういうことだ?!」
 億人はにやにや笑いを消そうともせず、一義の質問を無視して言った。
「俺もそろそろ地獄に戻らなアカンし。こいつの身体に使とった最後の欠片、返してもらうで」
 億人はいとも簡単に一義の手を振り払うと、もうほとんど原形を留めていないその生物に無造作に片手を伸ばした。
 それを見て、とっさに一義が億人と生物の間に身体を割り込ませ、生物を守るような形で億人の前に立ちふさがった。
 一瞬、不思議そうな顔になった億人が一義を見ると、一義は何をする気だと言わんばかりの怒りに満ちた目で億人を見返していた。
「へぇ…びっくりや」
 わざとあきれた様子を見せ、億人が一歩退いた。
 その口元には嘲笑が漂っている。
「さっきアレを触って、兄さん自身の手のひらでアレの正体を「感じた」ときは、悲鳴あげよったくせになぁ」
 先ほどの場面を見られていたことをあっさりと打ち明けられ、一義の目がますます赤い炎に染まる。
 怒りと苦々しさと羞恥にいろどられたその目は、自分でもどうしたらいいのか、迷いに迷っているふうに見えた。
 それでも一義は憤怒に駆られず、冷静さを装う。
 こんなやつに、あからさまな弱みを見せたくなかったのだ。
「お前の言う『欠片』を返したら、弟はどうなるんだ?」
 腹の底に力を入れ、落ち着いた声を出す。
 億人は頭の後ろで指を組むと、さらに小さく縮んでいくゲル状の生物を見やった。
「擬態の核になる欠片を取ってしもたら、本能で生きとるだけのただの細胞の塊やな。簡単に言うたらアメーバみたいなもんや。こいつが人間によく似た姿や感情、知能を持っとったのも、魂や頭脳の代わりの欠片があったからやし」
 淡々と億人は説明した。
 そこには何の感情の片鱗も見えなかった。
 すべてはこの男によって仕組まれたのだと、一義はずっと思っていたが、このとき、それをはっきりと確信した。
 自分も弟も、父ですらも、この男の手のひらで踊らされていた。
 いろいろな葛藤があったにせよ、父は自らその悪魔の誘いに乗った。
 だから、正直なところ、誰の共感も得られはしないだろう。
 だが、自分たち兄弟はどうか。
 重ねてきた日々、思い出、感情――それが偽りだったとは、一義にはどうしても思えなかった。
 唇をかみしめてうつむく一義に、億人の飄々とした声がかけられた。
「なぁ、それより逃げんでええんか? こいつが最後に忠告してくれたんやろ?」
 笑いながら億人が顎で指し示す先を見て、思わず一義は飛びすさった。
 かろうじて悲鳴は堪えたが、恐怖が背筋を逆なでするのは甘受せざるを得なかった。
 唯一残った本能で相手を喰らおうと、知らないうちにその生物が足元に忍び寄っていたのだ。
 一義は喉元にせり上がって来る、生理的嫌悪感からのどうしようもない吐き気に耐えながら、その生物をじっと凝視した。
 その姿から、弟の面影はとっくに消え去っていた。
 心理的にも肉体的にも少しずつ追いつめられながら、それでも一義は必死で解決策を模索した。
 額の脂汗が、玉となって畳に落ちた。
 脳裏に、日記帳の記録と先刻の億人の台詞が次々と浮かんでくる。
 その中に、ほんの少しでもかまわないから、弟を助ける手立てになるものがないかと、ひたすらに頭を働かせ続けた。
(どんな手を使っても、お前だけは守ってみせる。私はその為に戻ってきたんだからな)

〜END〜



〜ライターより〜

 いつもご依頼、誠にありがとうございます!
 ライターの藤沢麗です。
 
 そろそろ終着駅が近いとのこと…大変さみしくはありますが、
 それ以上にこのお話のラストがどうなるのかが気になります。
 どうか幸せに…とは思っていましたが、
 それも難しいのですね…。
 続きを首を長くしてお待ちしております。
 
 それではまた未来のお話を綴る機会がありましたら、
 とても光栄です!
 この度はご依頼、
 本当にありがとうございました!