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<東京怪談ノベル(シングル)>


石の眠り


 西暦1999年に人類は滅ぶ。そう言われていた時期もあったが結局、人類は滅びなかった。
 2012年に滅ぶ。そう言われてもいたが、やはり滅びなかった。
 そんな事の繰り返しが、数百年続いた。
「あと1万年くらいは大丈夫……やと思うとったけどなぁ」
 呟きながらセレシュ・ウィーラーは、ひび割れた道路をとぼとぼと歩いていた。
 白いロングコートか医療用白衣か、判然としないものをまとった細い身体。
 いくらかウェーブのかかった、長い金髪。眼鏡で知的に彩られた美貌。
 その姿だけならば、人間の女性そのものである。
 が、この汚染された空気の中を、のんびりと歩いていられる人間などいない。
 セレシュは深呼吸をした。人間の肺をたちどころに腐らせてしまう空気を目一杯、吸って吐いた。
 そうしながら、周囲を見回す。
 あちこちで、暗緑色のビルが傾いていた。
 崩壊しかけたまま、苔類や蔓植物に覆われたビル群。
 崩れ落ちる寸前ながら、植物に支えられて辛うじて形をとどめているように見える。
 人間を含め、動物類はほぼ全滅である。
 だが植物は元気なものだった。汚染された空気の中でたくましく繁茂し、文明の痕跡を覆い隠しつつある。
 もう何百年か何千年か経てば、この辺りも緑の森に変わるであろう。
「滅びる時は、あっちゅう間やな……」
 ほとんど自滅に近い形で、人類は滅びた。
 セレシュと親しかった人間たちは皆、滅びの時を迎える前に、寿命を迎えた。
 いろいろな笑顔が、脳裏に浮かんでは消えてゆく。
 思い浮かべながら、セレシュは立ち止まった。
 元々、公園であったのだろうと思われる場所である。
 池に水はなく、噴水も当然、止まって久しい。
 各所でコンクリートがひび割れ、その亀裂から様々な植物が溢れ出し、生い茂っている。
 1ヵ所だけ、公園としての原形を残している場所があった。
 台座の上に飾られた、等身大の石像。
 名作「アポロンとダフネ」を思わせる、石の美少女である。
 文明の痕跡を覆い尽くさんばかりに生い茂る植物たちが、その石像だけを明らかに避けていた。
 綺麗な顎に片手を当てながら、セレシュは見上げた。
 太陽神アポロンの求愛を懸命に拒んで逃げ回る乙女ダフネの如く、何かから必死に逃げようとしている美少女。柔らかく捻れた腰の辺りが、特に官能的・躍動的である。
 今にも動き出しそうな、実に見事な石像だ。
「人間はおらんでも芸術は永遠……ちゅうわけやなぁ」
 感慨深げに呟き、1人うんうんと頷いてみながら、しかしセレシュは何か引っかかるものを感じた。
 この石像は、人間に手による芸術作品ではないような気がする。
 自分は、この石の美少女を、どこかで見たような気がする。
 眼鏡の下で、セレシュは目を凝らしてみた。
 石像の表面に、うっすらと見て取れる、微かな光の筋。
 何かの魔術的な紋様、ではないのか。
「おお……」
 セレシュは、ぽんと手を叩いた。
 この美少女が、何から逃げようとして石に変わってしまったのか、ようやく思い出した。
 あの時、カエルの炒め物や豚の脳味噌の茶碗蒸しなどを御馳走してくれた探偵も、今はもうこの世にいない。
「あんなもん食わされる羽目になったの、アンタのせいやでえ……ちっと目ぇ覚まさんかい」
『…………誰……?』
 石像が、眠たげに応えた。
『……ああ、どっかで聞いた声だと思ったら……石像に話しかけてるから、てっきり酔っ払いか何かかと思ったわ』
「酔っ払いなんか、もう1人もこの世におらへんよ。それにしても久しぶりやなあ」
『……別に、会いたくなかったわ』
 かつて性悪な夢魔の少女であった石像が、冷たく素っ気なく、それでも会話には応じた。
「無愛想やなあ。けど随分と性格、丸うなったみたいやね」
 セレシュは微笑みかけた。まさか、こんな相手に懐かしさを感じる日が来るとは思わなかった。
「あれから、さぞかし……いろいろ、あったんやろ?」
『あんたみたいな疫病神に出くわした……それ以上の事件はなかったけどね』
 面倒臭そうに、しかし夢魔は会話を続けてくれた。
『おかげさまでね、いろんなとこに売られて大事に扱ってもらったわ。けどね、あたしを落札した金持ちは……どいつもこいつも、ろくな死に方しなかった。女に金注ぎ込んで会社潰したり、豪遊してる最中に刺し殺されたり。借金で夜逃げして、逃げきれなくて一家心中しちゃったりね……そういう連中を見てるのは、まあまあ楽しかったわ』
「まるで呪われた石像やな、自分」
『言っとくけど、あたしは何にもしてないわよ? 何にも出来なくしてくれたのは、あんただから。死んじゃった連中は、ただの自業自得……まあ確かに、不幸を呼ぶ呪いの像とか言われて騒がれた事はあったけど』
 女に貢いで破産。豪遊の最中に刺殺。借金で一家心中。そんな事件は、もう2度と起こらない。
 人間そのものが、いないのだから。
『それで結局、誰も買ってくれなくなって、この公園に寄付されたわけ。酔っ払いくらいしか、話しかけてくる奴もいなくなって』
「寂しかったんやろ?」
『別に……』
 石像でなければ、この少女はプイと横を向いていたところであろう。
 セレシュは微笑みかけた。
「今なら元に戻したってもええで。人間に悪さしようにも……人間、1人もおらんなってもうたしな」
『……人間いないのに元に戻ったって、しょうがないでしょ』
 冷たく素っ気ない少女の声が、少しだけ震えた。
『夢を見る生き物がいない世界で……夢魔に、何をしろってのよ……』
「……せやな」
 セレシュは、そう応えるしかなかった。
『このまま放っといてよね。誰も夢を見ない世界の夢魔なんて……石のまんま、眠ってるしかないんだから』
「もう何万年か経てば……夢を見るよな生きもんが、どっかから進化して来るかも知れへんで?」
 セレシュのそんな言葉に、夢魔の少女は、もう何も応えてはくれなかった。
 石像となり続ける運命を選んだ美少女に、セレシュはゆらりと背を向け、歩き出した。
 歩きながら、思い出してみる。
 かつて何人もの勇者が、自分に戦いを挑んできた。
 全員ほぼ例外無く、鏡の楯を装備していた。石化の魔眼への対策、のつもりだったのだろう。
「アホばっかしやったなあ……」
 セレシュは苦笑した。
 鏡を見ただけで自身が石になる事など、有り得ない。何度か試してみたが、鏡が石化しただけだった。
 自分自身を石に変え、永遠に眠り続ける。
 そんな事が出来れば、苦労はないのだ。