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<東京怪談ノベル(シングル)>


【三人での初任務】


「任務の説明を行う」
 暗い部屋に、低く落ち着いた男の声が響いた。夜中だというのに明かり一つ灯されていない部屋を照らすのは、窓から差し込む月光だけだ。
 男は窓に視線を向けている。水嶋・琴美はその背中、司令官を黙って見つめたまま、次の言葉を待つ。
「今回の任務は単純なものだよ。とあるテロ組織の殲滅。それだけだ」
 司令官の説明は短く、そして軽い。まるで、「そこまでおつかいに行ってもらう。それだけだ」とでもいう軽さだ。それは司令官がただ説明を億劫がっているだけなのか、それとも琴美を信頼してのことか。
 これで話は終わりだ、というように、司令官は窓の外を見つめたまま、黙ってしまった。
「わかりました。それでは行って参りますわ」
 だが、琴美は無粋な質問を発したりはしない。背中を向けたままの司令官に恭しく一礼すると、踵を返し、華麗に歩きだした。


 更衣室で一人、琴美は着替えを進める。黒のラバースーツに編み上げのロングブーツ、それに黒のプリーツスカートという出で立ちだ。戦闘服としてはかなりの軽装。しかし、琴美にとってはこれがベストの戦闘服である。
 着替えを済ませ、更衣室を出る。
「お待ちしておりました」
「出立の準備は整っております」
 完全武装の男が二人、琴美を出迎えた。今回の任務に同行する二人だ。身長が百九十はあろうかという大男と、眼鏡をかけた、体を使うよりも頭を使うことのほうが得意そうな男だ。実働役と参謀役なのかもしれない。年齢は一回り近く琴美より上に当たるが、立場としては琴美の部下である。
 この少女が、水嶋・琴美……。
 二人は、琴美の噂なら数知れず耳にしてきていたが、本人を目にするのは今回が初めてだった。 
 だが、男たちもこれまでみっちりと、訓練でしごかれ、鍛え上げられた立派な隊員だ。年下であろうと、上官である琴美には最上級の敬意を持って対する。
 それでも、二人の抱く感情は複雑だ。羨望、嫉妬、畏敬、畏怖、疑念、疑惑。様々な思いが頭によぎる。
 この少女が、あの噂の水嶋・琴美なのか? こんな子供が自分たちの上官?
噂は所詮、噂ということか? それとも、本当にこの少女が……?
 止めどない思考が頭を埋め尽くすが、一つだけ確かなことがある。
 二人は水嶋・琴美から、目が離せないでいるということだ。
 体を締め付けるほどにピッチリとしたラバースーツは、琴美の曲線美を覆い隠すどころか、一層引き立てている。
 琴美はただそこに立っているだけだ。だが、それだけのことが、どうしようもなく人を惹きつける。だが、二人が琴美から目が離せないのは、それだけが理由ではない。目を離した瞬間に喉笛を噛みきられる、そんな動物的本能が、二人を縛り付けてもいた。
 だがそれは、二人が今まで耳にしてきた琴美の噂が、あまりにも壮絶だったために、大袈裟に琴美を警戒してしまっているだけなのかもしれない。実際、琴美からは殺気の類は全く感じられなかった。
 男たちは、琴美という人物を計りかねていた。噂に聞く、悪魔でも尻尾を巻いて逃げだすような、尊敬よりも畏敬を覚える戦闘狂なのか、それとも名ばかりのただの少女なのか、或いはもっと別の顔を持つ人物なのか。
 二人は先程までとは違う視線を琴美に向ける。琴美を見極めようとするような、観察する目だ。
 少なくとも、噂と目の前の少女は、どうしてもうまく結び付かない。この少女を軽視するわけでも、噂を疑うわけでもないが、今回の任務は気を引き締めておいた方が良さそうだ、と二人は思った。

■ 
 本音を言ってしまえば、今回の任務も自分一人で十分だ、と琴美は思っていた。目の前の二人は、無能というわけではなさそうではある。
 体の軸、筋肉の付き方、視線、そして第六感とも言える、二人から感じるオーラ。それらは、充分に鍛え上げられ、彼らがいくつもの死線を越えてきたことが、琴美には分かる。
 とは言っても、この二人を連れて行ったところで、足手まといになりかねない、というのも事実だ。死線の一つや二つを越えたところで、琴美と渡り合えるものではない。だが、司令官の指示である以上、連れて行かないわけにもいかない。
「それでは、参りましょうか」
 琴美はそんな心の声は一切表情に出さず、歩きだした。男たちも、大人しく後を着いてくる。
 任務は優雅にテキパキと。やることは変わらない。琴美は振り返ることなく、先へと歩くのだった。


 移動にはヘリコプターが用意されていた。すでに琴美たちは空の上だ。
 ヘリの操縦員も兼ねての、この二人の同行だったのかもしれませんわね。
 琴美は隣で今回の任務の詳細を説明する、眼鏡の男の話を聞きながら、そんなことを思った。
「それで、これが今回の殲滅対象の潜伏する建物の見取り図なのですが」
 眼鏡の男は予想通り、参謀役といったところなのだろう。
 琴美は見取り図に視線を落としながら、あることを思った。もしかしたら、司令官は任務の説明が面倒くさくて、この男にその役目を放り投げたのではないだろうか。
 いやいや、まさか、とも思うが、絶対にありえない、と言えないのがあの司令官だ。そうだとしたら、この部隊は今後大丈夫なのだろうか、と思わず溜息が出た。
「どうかしましたか? 何か説明に不備があったでしょうか?」
 琴美が溜息をつくのを見て、眼鏡の男が尋ねる。
「いえ、何でもありませんわ。説明もとても丁寧で、司令官よりもわかりやすかったくらいですわよ」
「いえ、そんなことはないです」
 男は謙遜するが、これがただの社交辞令でなく、本当なのだから困ったものだ。
「見えてきました」
 ここまで黙ったまま、ヘリの操縦をしていた大男が口を開いた。琴美は視線を上げ、前方に目を凝らす。
「あれがそうですのね」
 山の中に突如現れた建物。人里離れた場所だ。それだけでも、人の目から隠れることが出来るだろうが、更に建物が目立たないように、木々などで巧妙にカモフラージュされている。
「テロ組織の構成人数は約二十。全員が銃機器の武装をしていると見て、間違いないでしょうね」
 眼鏡の男が説明を続ける。
「……わかりましたわ」
 琴美は二度、三度とゆっくり頷いた。それは男の言葉を噛みしめているようでもあり、男の言葉など聞き流して別のことを考えているようでもあった。
「それにしても、対象の数が二十に対し、こちらが三人というのは、大胆な作戦ですね」
 それは男の本音でもあり、皮肉でもあった。普通に考えて、この采配はあり得ないものだ。数の力というのは、想像以上に大きい。例えば、こちらが相手の培、つまり四十の数で攻め込めば、それだけで相手に精神的なダメージを与えることが出来る。
 だというのに、今回の作戦はたったの三人だ。隠密作戦なら、数が多すぎるのも問題になるが、今回は殲滅作戦だ。
 さて、この少女はなんと返事をしてくるのだろうか、と男は琴美の言葉を待つ。琴美が噂通りの実力の持ち主なら、おそらく二十という数は問題にならないだろうが、と。
「そうですわね。確かに今回の作戦はなかなか大胆なものだと、わたくしも思いますわ」
 男は琴美の返事に、少なからず驚く。自分の意見にここまではっきりと賛同してくるとは思っていなかった。
「とりあえず、対象物から、百メートル手前に着地しましょう。そこに開けた場所があるはずでしたわよね」
「は、はい」
 男は広げていた地図を確認し、頷く。
「その後の行動は、そこで指示を出しますわ。とりあえず、空のお散歩はこの辺で終了と致しましょう」
 琴美は、これから適地に向かうとは思えない、気楽な調子で言った。
 任務はまだ、始まってもいない。
 三人で組む初任務。その幕が開くときは、もうそこまで迫ってきている。