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<東京怪談ノベル(シングル)>


嵐の空白


 納得がゆかぬまま綾鷹郁は、個人用クロノサーフ(航空事象艇)を駆っていた。
 自分たちダウナーレイスは、対外戦争に繋がりかねない空間的版図拡張を否定し、時間移民政策を推し進めている。そのはずだった。
「なのに、肥沃な土地を探してこいってのは一体どうゆう事よ」
 クロノサーフのハンドルレバーを握ったまま、郁は憤慨していた。
 久遠の都政府で、もしかしたら政策の方針転換が検討されているのかも知れない。
 郁たち末端のティークリッパー(航空事象艇乗員)は、ただそれに振り回されるだけである。
「何かキナ臭さがぷんぷんしてて実に香ばしいってゆうか……おっと」
 郁は、クロノサーフの速度を落とした。
 緑の平原が、眼下に広がっていた。
 所々に生い茂る森が、空から見るとブロッコリーかカリフラワーのようである。
 そんな緑豊かな土地の上空を、郁のクロノサーフは飛翔していた。
 挨拶でもするかのように、鳥の群れが並行して飛ぶ。
 地上では、鹿とカンガルーの中間とでも表現すべき動物たちが、楽しげに草原を跳ね駆けている。
 肥沃な土地を見つけてくる、という任務は、とりあえず遂行出来たと言っていいだろう。
 郁は、とりあえず母艦に報告を入れた。
「艦長、有望な土地を発見しました」
 報告しながら、郁は思う。
 有望な土地とは、どういう意味か。
 久遠の都政府は、この緑豊かな土地を、ダウナーレイスの版図に加えてしまうつもりなのか。そして移民や開発を行い、森や草原を損なうのか。
 これまで禁忌とされていた、空間的版図拡張を始めてしまうのか。


「……あれ?」
 郁は、いつの間にか母艦の艦橋にいた。
「あたしの、クロノサーフは……? 今、乗ってたはずなんだけど」
「何を寝ぼけている」
 艦長が、何やら不機嫌である。
「これを見ろ、綾鷹……これが有望な土地か?」
 艦橋のモニターに映っているのは、郁が発見した緑の平原……ではなかった。
 泥水の海である。
 カリフラワーのようであった森は、ことごとく折れ、あるいは掘り返されて無惨に根を晒し、泥濘に埋もれている。
 鹿とカンガルーの中間のような獣たちが、泥にまみれた屍となって、あちこちに浮かんでいた。
 まるで、嵐の跡である。
「ち、ちょっと待ってよ……これって」
 わけがわからぬまま、郁は弁明を試みた。
 無理だった。何が起こったのか、郁自身にもわかっていないのだ。
「……す、すみません艦長」
 とりあえず、謝るしかなかった。


「腑に落ちないわね……」
 トマトを齧りながら、鍵屋智子は呟いた。
 母艦内部の、農園である。
 今日、智子はこのトマトを収穫するつもりであった。
 齧ってみると、瑞々しい味わいが口中で弾ける。
 だがそれは、収穫に最適な日から、少なくとも24時間を経てしまった味でもあった。
 人間やダウナーレイスなど、知的生命体はいくらでも騙す事が出来る。
 だが、植物を騙す事など出来はしない。


「郁さん。私、隠し事は嫌いなの」
 母艦内の医務室で、智子は郁を問い詰めていた。
「な、何よ。あたし別に隠し事なんか……」
「検診の結果……私や貴女を含めてこの艦のクルー全員、丸1日眠っていた事がわかったわ。なのに、誰もそれを覚えていない」
 智子の鋭利な眼差しが、郁を射貫く。
「空白の1日、というわけ……この間に、何が起こったのかしらね」
「あ、あたしが何かやったって言うの?」
「貴女のクロノサーフ……集済記録に、改竄の跡があったわ」
「改竄? 何を、どんなふうに……」
「だから、それを貴女の口から聞きたいのよ」
 智子は、怒りを抑えている様子であった。
「クロノサーフの記録にアクセス出来るのはティークリッパーだけ、言い逃れは出来ないわよ。記録の改竄は重罪……何か事情があるなら言ってみなさい。裁判で、私が証言してあげるわ」


「って、アンタも同罪じゃき!」
 母艦の電算室で、今度は郁の方が智子に詰め寄っていた。
 艦内時計にも、改竄の跡が認められたのだ。
 あれから丸1日経っているはずなのに、それが無かった事にされている。
 クロノサーフのコンピューターにアクセス出来るのが各ティークリッパーだけであるように、母艦の電算室で作業が出来るのは鍵屋智子ただ1人なのだ。
「嘘……そんな……」
 智子は唖然としている。郁は、怒り狂っている。
「何ぞ小細工しとる奴がおるぞね! 出て来さらしや!」
「小細工だけで済ませてやっておる……その間に、立ち去れば良いものを」
 声がした。どこかで聞いた事のある声だ。
 姿は見えない。が、その圧倒的な存在は感じられる。
 智子が、息を呑みながら声を漏らした。
「インキョ人……」
 郁も、思い出した。
 最初に緑の平原を発見した時、このインキョ人たちに拿捕されたのだ。
 平原も森も、彼らの土地であった。ダウナーレイスは侵入者、というわけだ。
「我らはな、おぬしらダウナーレイスを高く評価しておったのだ。侵略戦争となり得る空間的拡張を良しとしないところをな……それが何故、肥沃な土地など探し求める」
 拿捕された時にも、同じ事を言われたものだ。
「我らの土地は確かに肥沃だが、見ての通り時折、嵐も吹く。嵐は土地を、さらに豊かなものにしてくれる……そして、おぬしらのような侵入者を追い払ってもくれる」
 その嵐で、ダウナーレイスの母艦は動きを止めてしまった。
 そしてその間、インキョ人の脅迫・命令を受けた郁と智子によって様々な記録が改竄され、肥沃な土地など発見されていない事になった。母艦乗員の記憶も、抹消された。
 インキョ人という種族は古来、そのようにして侵入者を退け、自分たちの土地を守り抜いてきたのだ。
「我らの隠れ里の存在を、世に知らしめるわけにはゆかぬ。記録の改竄と隠蔽を、おぬしら最初からやり直せ」
「わ、わかったよぉ……」
 他人の土地を奪うための下調べをしていた、という負い目がある。
 郁は涙目になりながら、インキョ人の命令に従うしかなかった。