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<東京怪談ノベル(シングル)>


流血の祈り(前編)


 携帯電話が鳴ったので、白鳥瑞科は車を路肩に止めた。
 どうという事はない、白のスポーツカーである。車に金をかけようという気が、瑞科にはなかった。
 車など、足の代わりになりさえすれば良い。
『ちょうど仕事が終わったばかりのところ、すまないな』
 携帯電話の向こう側で、神父が言う。
『もう1つ、仕事を頼みたいのだが』
「神の裁きを受けたくてたまらない方々が、おられますのね」
 瑞科の声が、弾んだ。
「その方々は今、どちらに? わたくしは、どなた様を裁いて救って差し上げればよろしいんですの?」
『落ち着きたまえ、シスター瑞科』
 神父が、苦笑している。
『表の仕事は、そんなにストレスが溜まるのかね』
「そのようなわけでは、ありませんけれども……書類ばかり見つめていると、身体を動かしたくなるものですわ」
 白鳥瑞科。21歳。表向きの職業は、とある商社に勤めるOLである。
「それで神父様。今回わたくしは、どなた様を相手に身体を動かせばよろしいんですの?」
『正体はまだわからん。とにかく魔界物質反応が複数、その近くで検出されたのだ。今、地図を送る』
 カーナビの画面に、赤い光点がいくつか表示された。
 魔界物質。生物・非生物を問わず、魔界にのみ存在するもの。本来、この世にあってはならぬもの。
 そんなものたちの存在を示す、禍々しい真紅の光点が、いくつも固まって火の玉のようになっている。
「これは……召喚が行われておりますわね」
 白皙の美貌に、ニヤリと牝豹の笑みが浮かぶ。
「神の裁きを受けるために、わざわざ魔界からいらっしゃった方々……おもてなしを、して差し上げましょうか」
 白鳥瑞科。21歳。裏の職業は、『教会』に所属する武装審問官……戦闘シスターである。


 取り壊されたビルの、跡地である。
 人目につかぬ空き地となっており、買い手もつかぬまま放置されている。
 そこに今、薬物幻覚のような生き物たちが群れ集まっていた。
 角やクチバシを振り立てて喚く者。4本の腕で、様々な武器を揺らめかせている者。口から臓物のような触手を吐き出し、うねらせている者。翼を生やしている者もいるが、空を飛べるかどうかはわからない。
 空き地の中央に、奇怪な紋様が描かれている。様々な図形や文字を内包した、真円。
 その紋様の上に、1人の男が横たわっていた。すでに息をしていない。
 この怪物たちに殺されたのか、それとも自ら命を絶ったのか、定かではなかった。
「召喚者は言った……この世界の人間全てを殺してブチまけて雑草の肥やしに変えてしまえと!」
 怪物たちが、口々に喚く。
「この腐りきった世界を、滅ぼせと!」
「魔界よりも汚らしい、この世界を!」
「召喚者は、己の命を贄として我らを呼び出した。その願い、叶えてやらねばなるまい!」
 翼をはためかせ、触手を蠢かせ、得物を振り立てながら、魔界の生き物たちが空き地から街中へと暴れ出そうとする。
 その何匹かが突然グシャアッ! と吹っ飛んだ。醜悪な肉体が、さらにおぞましく潰れながら宙を舞う。
 白のスポーツカーが、空き地に突っ込んで来たところだった。
 車体を振り回すようなドリフト走行が、怪物たちを片っ端から薙ぎ払ってゆく。凄惨な音が響き、おぞましい肉片や体液の飛沫が汚らしく飛び散った。
「うぬっ、何奴!」
 魔界の生き物たちの中でも特に大柄な1体が、暴走するスポーツカーを全身で受け止めた。角を生やした熊かゴリラのような、毛むくじゃらの巨体。そこに白い車体がグシャッと激突し、タイヤを激しく空回りさせる。
 閃光が、怪物の巨体を走り抜けた。
 毛むくじゃらの大柄な肉体が、黒っぽい体液を噴出させながら崩れ落ちる、半ば、真っ二つになっていた。
 スポーツカーのドアも、白い車体の一部もろとも真っ二つになっていた。
 両断されたドアを優雅に押しのけながら、ドライバーが姿を現す。
 そして怪物たちの凶悪な視線に、その優美な肢体を堂々と晒した。
 艶やかな茶色の長髪が、微かな風にさらりと揺れた。
「貴方たち、召喚されてしまいましたのね……おかわいそうに」
 格好良く膨らんだ胸。しなやかに引き締まった胴と、そこから豊麗に広がった尻回り。
 喪服のような黒い女性用スーツが、その魅惑的なボディラインをぴったりと引き立てている。
 ミニのタイトスカートからは長い両脚が形良く伸び、むっちりと瑞々しい左右の太股が、黒のストッキングに包まれながらも牝豹的な色香を隠せずにいる。
 そんな美脚が、半ば両断された怪物の屍を、ロングブーツで踏み付けた。
「魔界で大人しく、陽の光を畏れていれば良いものを……」
 端麗な唇が、冷たいほどに涼やかな言葉を紡ぐ。
 丹念に手入れされた細い眉の下、鋭く澄んだ青い瞳が、異形の怪物たちに憐憫の眼差しを投げる。
「召喚されてしまったばかりに、神の裁きを受ける事になってしまいましたわね……本当に、かわいそう」
 おぞましく哀れな生き物たちに語りかけながら白鳥瑞科は、右手に持った得物を微かに揺らめかせた。
 抜き身の、日本刀である。優美な五指が、重そうな様子もなく柄を握っている。
 その刃を瑞科は、左手の鞘に1度スラリと収めた。
 そうしながら、一瞥する。邪悪な紋様の上で息絶えている、1人の男を。
 己の命を生贄として、この魔界の者どもを召喚したのであろう。
 彼がこの世に、どれほどの絶望と憎しみを抱いていたのか。それは定かではないし、知ったところで瑞科がしてやれる事などない。
「主よ、哀れなる魂に安らぎを……」
 失われてしまった男の命に、そして今から失われるであろう魔界の者どもの命に対し、瑞科は祈りを捧げた。