コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


ティル・ナ・ノーグであなたを待つ




「花の旬は儚くて、命短し恋せよ乙女!」

亜麻色の髪をたなびかせながら、綾鷹・郁(あやたか・かおる)は右手を高く掲げた。

「郁は忙しいけん、今回だって、とっととワクチン配達やっちゃるもん!」
「と、いうことだ。心して任務に当たるよう」

環境局員の言葉に、影沼・ヒミコ(かげぬま・ひみこ)はゆっくりと頷く。

「責務を果たせるよう、善処します」
「それじゃ綾鷹くん、よろしく頼むよ。

新人とは言え、影沼くんはウチの有望株だ。
一流TCとして、後輩をしっかり教育してやってくれ」

「了解ですとも!」

初めての新人教育だ。不安がまったくないと言えば嘘になる。
でも、今はそれ以上に胸が高鳴って仕方がなかった。

「ってことで、よろしくね、ヒミコ。なんでも聞いてちょうだい」
「はい、郁さん」

後輩から尊敬の念と共に囁かれた我が名が、どうもくすぐったくてたまらなかった。



今回の指令は、被災地へのワクチン配達だ。
一刻も早く物資を届け、現地で蔓延している流行病から人々を救わねばならない。
崇高なる使命を帯びた航空事象艇は2人を乗せ、目的地へと邁進していた。

「――じゃあ、もしもこうなった場合はどうすればいいと思う?」

機関室での新人研修もまた、滞りなく進んでいた。

「その場合は、こう…ですよね」
「さすが特待生、優秀だね」
「…郁さんが分かりやすく教えてくださるお陰です」

ヒミコは気恥ずかしそうに頬を赤らめる。
しかし、本当に覚えの良い子だ。
ヒミコは聡明で、しかも柔軟だった。
そんなヒミコと同乗できたことに、郁もまた不思議な誇らしさを覚えていた。




そのときだった。

突然、航空事象艇が大きく上下に揺れ動いた。



「きゃっ!」

あまりの激しい揺れに、2人の手が互いに縋り合う。
少女たちは寄り添い合ったまま、ほとんど同時に振り返った。
視界に飛び込んできたのは、激しく噴き出す黒い煙。

「なっ!」

このままではマズい。爆発してしまう!

「ヒミコ、下がって! 今、脱出用の避難経路を――」

しかし、意外にもヒミコは落ち着き払っていた。



刹那の後、発現した事象をどう書き表すべきだろう?



郁の目の前で、ヒミコの体は突然、奇妙な靄に包まれた。
発育途中の伸びやかな躰がふわりと浮き上がる。

「――はっ!」

そして、一閃。
ヒミコが再び地に降り立った頃には、かの暴走は既に終焉を迎えていた。
一連の光景を前にして、郁はぱちくりと瞬きをひとつ。

「凄いよ、ヒミコ! 今の、一体どうやったの?!」

ヒミコはバツが悪そうな顔で苦笑した。

「昔からなんです。でもおかしいですよね、こんな力」

私はただ、普通の女の子でいたいだけなのに。
絞り出すように呟く彼女の横顔に、郁は息を呑むほどの苦悩を見た。





航空事象艇にも夜は訪れる。
再三の確認の末、郁はようやく自室へ戻ろうとしていた。

「……? 誰か、いるの?」

やがて暗闇のナカへ浮かび上がったのは、顔とも言えぬ朧げな顔立ち。

「ちょっと、誰なん! どっから入ったんよ!」
『我は<虚無の盟主>』

稲妻に似た声で影は唸った。

『あの娘を引き渡せ。我が求めし娘の名は、影沼ヒミコ』
「ヒミコをどうする気?」
『理の輪へ戻すのだ』

低い声音で郁が凄んでみせても、盟主は意にも介さぬ様子でいる。

『あの娘はその昔、虚無に属せし神の夫婦が、人間の真似事の末に生んだ子だ』
「……ヒミコが、神の子?」

郁は不意に、昼間の光景を思い出す。

『あの娘は既に、全能の頭角を顕しつつある。
 故に、我はあの娘の素質を見極めにきたのだ。
 神となるなら我が虚無の下へ。だが、半端な未熟者であったなら…』

郁のこめかみを生ぬるい汗が伝い落ちていく。

『虚無の掟に則り、抹殺するまでのこと』
「そんな!」
『掟は倫理に叶うのだ、小娘。未熟な全能者など危険因子以外の何者でもあるまい』
「でも……」

郁は唇を強く噛み締めた。やり場のない憤りが熱く体中を駆け巡る。

「仮に全てが真実でも。彼女の行く道は、彼女自身が決めるべきと違う?!」

そのとき。
郁は開け放したままの扉の向こうで、足早に走り去っていく足音を聞いた。

――ヒミコだ。

郁は咄嗟に足音を追いかけた。





辿り着いたのは医務室だった。
中へ踏み込んだ郁が見たのは、能力を駆使し、ワクチンを増産するヒミコの姿。

「虚無の盟主。私は一介の人間として、この能力を人助けのために使います」

神の子と呼ばれた少女は、ほとんど睨むような眼差しで盟主を見た。

「私は神を名乗れるほど、おこがましくはなれません」
『くだらんな。人助けのためだけに、か』

嘲笑と侮蔑を込め、盟主は暗く笑う。

『とはいえ…人間である限り、お前にも欲はあるのだろう? 例えば……』

影はゆったりとヒミコへ覆い被さると、何かを彼女の耳元へと囁いた。
それはまさしく神の導べ、悪魔の囁きだった。

ヒミコの瞳は瞬く間に濁り、そして、今度は盛大な光と共に開眼した――。





郁が目を醒ましてみると、辺りには美しい花園が広がっていた。

「私が全能の力で造り出した世界です」

ヒミコが花を踏みながら、一歩、こちらへ近付いてくる。

「ここには今、私と郁さんしかいません」
「どうしてこんな、誘拐みたいなことを?」
「私、郁さんのことがずっと憧れでした。……好きなんです」

ヒミコは力を使い、郁を柔らかく引き寄せた。

「この力を使って、私は、あなたとずっと一緒に――」
「そんなこと言われたって、全然嬉しくないよ」

遮るように吐き出された郁の言葉に、ヒミコは愕然と目を見開いた。
郁は目の前の少女に問いかける。

「ヒミコ。あなたにとって私は、ただのお人形さんでしかないの?」

どこまでも凛々しい、誰にも穢されることのない瞳。
親愛と青春の苦悩に満ちた、青々しいその色…。



次の瞬間、永遠の花園は音を立てて崩壊した。







盟主は再びヒミコに意思を尋ねた。
神の子として生きるか、それとも…。
彼女は縋るような声で、絞り出すように言った。

「それでも、私は此処にいたい。自由に生きたいの」

すると盟主は、これが最後だと釘を刺し、彼女にとある条件を示した。
それは『力の行使を、この先一生我慢できるのであれば許す』といったものだった。






2人が目的地に降り立ったのは、その翌日のことだった。
ワクチンの箱を両手いっぱいに抱えて、郁とヒミコは被災地の土を踏んだ。

しかし……。


「助けてくれーっ!」

皮肉にも2人を出迎えたのは、逃げ惑う住民たちの哀れな悲鳴だった。
遂に火山が噴火の時を迎えたのだ。

世紀末を想像させる喧騒の中、若干十代の少女たちは立ち尽くしていた。

「そんな…」

郁は茫然と呟く。

「あたしたちにはもう、何もできないっていうの?」




「――いいえ。やってみせます」

ヒミコは郁の手を掴んだまま、強い眼差しで真正面を見据えた。

「私は……っ、神の子ですから!」

そして彼女は、その身に宿りし全能の力を解放した。
ヒミコの力は爆発的に広がり、そして…全てが平穏を取り戻したのだった。








神の子として生きる。
その決意は即ち、2人の別れを指し示していた。

「郁さん。そんなに泣かないで」

郁の目尻に浮かぶ涙を、ヒミコは小指で優しく掬い取ってやる。

「きっとまた逢えますよ。だって、私は万能なんですから」
「うん。あたし、信じてる」

2人の少女はどちらからともなく腕を伸ばすと、互いの体をきつく抱き合った。

「ヒミコ。あたし、ヒミコが好きだよ」

ヒミコもまた微笑みながら、一筋の涙を零したのだった。