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<東京怪談ノベル(シングル)>


夢は鏡に封じるもの


 女はいつまでが「女の子」で、いつからが「大人の女」であるのか。白鳥瑞科は、ふと考えてみた。
 現在、21歳である。
 成人式も済ませたし、酒を飲めるようにもなった。世間の汚らしさというものも、目の当たりにしてきたつもりである。
 そんな自分の心に、このような部分が残っていたというのが、まず新鮮な驚きではあった。ある意味、屈辱的でもあった。
「この、わたくしが……これではまるで、夢見る乙女……ですわね……」
 呆然と、そんな呟きを漏らしてしまう。
 鏡の中で瑞科は今、純白だった。
 優美な両肩の丸みに、綺麗な鎖骨の凹み、それに深く柔らかな胸の谷間のほんの一部までが、いくらか大胆に露出している。何かしら首飾りの類があった方が、もしかしたら映えるかも知れない。いや、このまま何もない方が良いか。
 しなやかで力強い左右の細腕は、レースの長手袋に包まれ、力強さだけが上手い具合に隠されていた。
 美しく引き締まりくびれた胴体には、純白のビスチェがしっかりと巻き付いて、豊麗な胸の膨らみをハート形に包み支えている。
 腰から下では、幾層ものスカートが、まるで花びらの如くふんわりと広がっている。これでは満足に蹴りを放つ事も出来ませんわ、などと瑞科は一瞬だけ思ってしまった。
 そんな戦闘に不自由な己の姿に、しかし瑞科は今、夢見心地で見入っている。
 艶やかな茶色の髪と、清楚な純白のベールに囲まれた美貌が、今は陶然と蕩けたような表情を浮かべている。
 割とオーソドックスな、Aラインのウェディングドレスであった。
 都内の、とあるブライダルショップの店舗内。
 ウェディングドレスの試着体験イベントに、瑞科はふらふらと引き寄せられていた。敵の罠であれば、命を落としているところである。
「まったく、休日だからと言って……気が緩み過ぎですわよ、白鳥瑞科」
 ぶつぶつと己を叱りつけながら、瑞科は鏡の前で身を翻してみた。茶色の髪と白のベールが一緒くたにフワリと舞い、露出した背中の美しいラインが見え隠れする。
「不覚ですわ。こんなものに憧れる心が、残っていたなんて……」
 頭では、わかっているのだ。結婚など、華やかなのは最初のうちだけであると。
 結婚に憧れる女の子というのは、すなわち結婚式とウェディングドレスに憧れているだけであると。
 己もまた、そんな愚かしい「女の子」という生き物であるという事実を、瑞科は鏡の中の自分に思い知らされていた。
「こういうものに憧れて、安易に結婚を決意してしまう……それが愚かな選択であるという事くらい、理解しておりますわ」
 自分がそんな選択をする心配はない、と瑞科は安心する事にした。
 何しろ、相手がいないのだから。


 ウェディングドレス姿の瑞科が、店員に手を引かれて試着室を出ると、店舗内に賞賛と感嘆のどよめきが満ちた。
 携帯電話やスマートフォンで、断りもなく撮影を始める者たちまでいた。
「ふう……くだらない時間を過ごしてしまいましたわ」
 ブライダルショップを出て帰り道を急ぎながら、瑞科は苦笑した。
 先程までウェディングドレスを着ていた身体に、今は無地のブラウスと、両脚の形良さをスラリと引き立ててくれるパンツを着用している。
 動きを妨げない、地味な装いである。これなら蹴りも跳躍も自由自在だ。敵の不意打ちに充分、対応出来る。
 不自由極まるドレス姿の自分に、しかし瑞科は間違いなく、心奪われていた。鏡の前で、陶然としていた。
「そんな愚かな白鳥瑞科は、鏡に封印……という事で」
「あの」
 独り言を漏らす瑞科に、声をかける者がいた。
 女性が1人、控え目な足取りで追い付いて来たところである。
 瑞科の知り合い、ではない。全くの初対面である。
 ただ先程、瑞科に向かってスマートフォンをかざしていた客たちの中に、この女性は確かにいた。
「勝手に撮っちゃって、ごめんなさい……あんまり綺麗でしたから」
 20代後半、であろうか。美人でも不美人でもない、どこにでもいそうな目立たぬ感じの女性である。
「それで、あのう……ブログにアップしてもいいですか? 美し過ぎる花嫁さんって事で」
「偽物の花嫁さん、ですけれどもね」
 瑞科は微笑み、どうでも良い質問をしてみた。
「結婚に、憧れていらっしゃる?」
「そろそろ微妙なお年頃ですから」
 女性も微笑んだ。
 これほど寂しげな、暗い笑顔を、瑞科は見た事がなかった。
「でもね、私……結婚に憧れる資格なんて、ないんです」
「それは……」
 何かあったんですの? という質問を、瑞科は飲み込んだ。軽々しく立ち入って良い話ではないような気がした。
「ねえ、男と女って……愛さえあれば、何でも乗り越えて行けると思いますか?」
 瑞科よりも年上の女性が、さらに返答に困るような質問をしてくる。
 聖職者として、偉そうに説法でも聞かせてやるべきなのであろうか。
 瑞科がそんな事を思っている間に、女性はハッと我に返ったようだった。
「やだ、あたしったら初対面の人に……何、言ってんだろ……ごめんなさい、本当に」
「い、いえ……」
 女性に深々と頭を下げられ、瑞科はどうして良いかわからなくなった。
 わかる事が、2つある。
 この女性が、何やら結婚に関する悩みと苦しみを抱えている事。
 それに対して、瑞科は何もしてやれないという事。
「それじゃ、ブログに使わせてもらいますね。良かったら見に来て下さい」
 サイト名を一方的に告げた後、女性はもう1度だけ頭を下げ、立ち去った。
 曖昧な笑顔で見送ってから、瑞科は溜め息をついた。
「戦闘シスターは……戦闘以外はまるで駄目ですのね」
 悩み苦しんでいる人を、自分はどうやら戦闘という手段でしか救ってやれそうにない。
 瑞科はふと、魔界の生き物たちを召喚するために命を捨てた男の事を思い出した。
 自分の得意な戦闘という手段をもってしても、彼を救ってやる事は出来なかった……などと思ってしまうのは、自惚れであろうか。
 神ならぬ身である。全ての人々を、救済出来るわけではない。
 それは、この仕事を始める時に、神父に言われた事である。
「自分に出来る事を、するしかない……月並みですけれど結局、そこに落ち着いてしまいますのね」
 瑞科は天を仰ぎ、ふっ……と笑って見せた。
「主よ、救済はお任せいたしますわ……わたくしはただ、戦うのみ」