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<東京怪談ノベル(シングル)>


漆黒の修道女 前編

せわしなくデスクワークをこなす同僚たち。
スーツをがっちりと着こなして、ファイルを詰め込んだビジネスバックを片手に駆け出していく営業マンの群れ。
それらを何気なく見ながら、与えられた仕事を片付けていた白鳥瑞科は己の通信端末が明滅していることに気づき―口の端を小さく上げた。

表は総合商社として名の知れた企業。ひとたび裏を返せば、もう一つの顔を持つ。
闇の中に潜み、巣くう魔性、異形の者―魑魅魍魎。それらに狂信的に崇め奉る集団が罪なき人々に手を伸ばす。
彼らから古来より人々を守り、対抗するべく作られた世界的な秘密組織―『教会』。
近未来的なビルの地下数千メートルにある中世の―ゴシック様式の礼拝堂に白鳥瑞科は『教会』からの召還を受けて、ここへ降りてきた。

「武装審問官・白鳥瑞科、参上しました」
「楽にしたまえ、白鳥審問官」

襟を首下までかっちりと止めた常服(カソック)に左目にモノクルを着けた壮年の神父がステンドグラスの前に作られた祭壇に背を向け、瑞科と向き合う。
温厚で人のよさそうな顔立ちだが、身のこなしに隙はなく、研ぎ澄まされた刃のごとく鋭い眼光を持つ彼こそ『教会』の司令であり、瑞科たち武装審問官を束ねる長である。
その一言で武装審問官はあらゆる任務を命じられる最高責任者だ。

「先日、ある審問官が回収してきた悪魔信仰の狂信者が持っていたアミュレットを調査し、終了後は廃棄を命じる」
「珍しいですね、司令。武装審問官に調査とは」
「件のアミュレットには強力な呪術が施されていて、下級調査官ではあまりに危険すぎる。ここで随一の実力を持つ君に一任する」

難解な任務かと思ったのだが、単純な調査任務に瑞科は少々気が抜けたが背筋を伸ばし、司令に敬礼すると席を辞す。
そのまま何事もなく調査任務を済ませ、まとめ上げた報告書を提出すると本日の業務は呆気なく終わりを告げた―はずだった。

「緊急命令。緊急命令」

前触れもなく無線回線から飛び込んできた指令に瑞科は愛車であるフェラーリのアクセルを緩め、ギアに右手を添える。
緊迫感に満ちながらも冷静さを失わない通信機からの声に耳を澄ます。

「D6078912地区Bブロックにて低級悪魔が多数出現。手配中の狂信的悪魔崇教団の可能性が大。市民への被害が及ぶ前に殲滅せよ」
「了解しましたわ。至急現場に向かいます」

おっとりとしながらも鋭さをにじませて応じつつ、瑞科はハンドルを大きく切り、巧みにギアを操ると漆黒の車体を滑らせるようにUターンさせる。

「長い夜になりそうですわね」

クスリと笑みをこぼし、瑞科はハンドルを強く握りこんだ。


静寂に包まれ、変わることのない穏やかな夜は突如現れた異形の生き物によって狂乱の宴と化していた。
硬質な輝きを放つ巨大な翼を広げて飛び回るガーゴイルが群れをなして夜空を飛び回り、アスファルトで固められた街路地には醜悪な姿のゴブリンやオークたちが手にした棍棒を振り回し、街路樹をへし折り、道路や塀を粉砕する。
派手な音を立てて電線を巻き込みながら、力任せになぎ倒された街灯が地面に激突すると同時に火花が散った。
深夜という時間帯と住宅街からわずかに離れた場所であったのが幸いしていたが、この魔物の群れが今日と変わらぬ平穏な明日を夢見る人々を恐怖に叩き込むには十分すぎる距離。
遠目に見える街の明かりに興奮し、オークたちが雄叫びをあげて突撃を開始した瞬間。
閃光に等しいサーチライトが前方から激しく輝き、侵攻しかけた魔物たちの目を眩ませる。
アスファルトとタイヤがこすれあう音が響くとともにサーチライトが消え、闇夜に映える漆黒のボディに銀のラインをあしらったフェラーリがその行く手を阻む。
突如現れた乱入者に空を駆っていたガーゴイルは手近な街灯の上に止まり、オークとゴブリンの混成部隊は警戒感を露わに己が獲物を構えた。

「あらあら、ずいぶんと乱暴な御一行様ですこと」

場違いなおっとりとした声が響いた瞬間、先頭に立っていたオークの首に音もなく短剣が突き刺さる。
ただそれだけの一撃は呆気なくオークの命を消し、その巨体があっさりと後方へとひっくり返った。
唖然とする魔物たちの耳に高らかな靴音が届く。
明滅を繰り返す街灯の明かりに照らされて、薄闇から現れたのはうら若き乙女。
豊かな胸を強固な革のコルセットで固め、光沢のあるラバー素材の布地でつくられたフィットタイプの服はボディラインを描きだす。
肩から羽織った純白のケープと薄手のヴェールが神秘的に揺らめき、腰下まで深く入ったスリットからは太ももまで包んだソーニックスとひざ丈まで編み込まれたブーツを覗かせ、女の肢体の良さを際立たせる。

「こんばんは、魔物の皆さん。でも、残念ですが」

暖色の光に照らされた乙女―瑞科はにこりとほほ笑むと、肘まで包み込んだ白のロンググローブの上から嵌められた手首の革グローブに包まれた華奢な手で長い黒髪を掻き揚げる。

「すぐにお別れですわ」

柔らかに微笑みながら、冷やかに放たれた一言に魔物たちが殺気立つよりも先に瑞科がふわりと掻き消える。
カッという地面を蹴る音が聞こえた瞬間、銀の一閃がオークの一団の中で閃く。
何が起こったのか分からず戸惑うオークたち。だが、次の瞬間、その喉元が深く切り裂かれ、大きく目を見開いて一瞬にして絶命した。
あっけなく倒された仲間に殺気立ち、雄叫びを上げるオークやゴブリンが瑞科に襲いかかる。

「あら、いけませんことよ?この程度で冷静さを失うなんて……さすがは低級の魔物さんたちですわね」

嫣然と微笑む瑞科の手に握られた剣が優雅に空を切り、殺到するオークたちを瞬殺した。
醜悪ではあるが、頑強な肉体を誇るオークが紙切れのように易々と切り裂かれ、わずかな間にちょっとした山となるのを目の当たりにし、徒党を組んでいたゴブリンたちの間で動揺が走っていくのが見て取れた。
当然と言えば当然だろう。
オークと同種の魔物とはいえ、能力的には圧倒的に劣るゴブリンが唯一勝る点は奴らよりもややましな知性の高さ。
舞扇を振るがごとく剣を振り、次々と仲間を倒していく人間の―しかも身体能力的に劣るはずのスレンダーな女にただの一撃で倒されるなどありえないことを本能的に察知し、すでに及び腰を通り越して逃げ帰る輩までいる。
格の違いを見せつけられて、なおも戦いを挑むのは無謀。
砂上の楼閣のように瓦解していくゴブリンたちに瑞科は困ったように微笑み、左手をゆらりと天へ向ける。

「逃がしませんことよ」

普通の男ならあっけなくとろけてしまいそうなおっとりとした声音はゴブリンたちには死の宣告。
瑞科の左手に黒い輝きが収束し、青白い雷を帯びたサッカーボールほどの球体が作り出された瞬間、まるでおもちゃのダーツを放つようにそれはゴブリンたちと中空で成り行きを見守っていたガーゴイルの上で炸裂した。
黒く薄いヴェールが半円状のドームを形成し、その中に飲まれたゴブリンとガーゴイルがぐしゃりと音を立てて地表へと叩き付けられる。
わずかなうめき声をあげ、地面にその身をめり込ませていく魔物の姿に難を逃れたガーゴイルたちは巣をつつかれた蜂のように慌てふためき、大恐慌に陥りながら我先と逃亡を始めた。

「まったく見苦しいですわね」

徒党を組んで暴れている時は威勢がいいというに、こうも一方的に不利になると一転して逃亡を図るのは、さすが魔物というべきか。
けれども、逃がしてしまえば、次の侵攻を生み出してしまう。
理不尽で身勝手な怒りを暴力に変えて、罪なき人々に襲い掛かることを許すわけにいかなかった。
額に張り付いた髪を掻き揚げ、瑞科は行く手を阻むオークの残党を冷やかに見下すと左手をきつく握りしめる。
火花を散らし、グローブの周りに小さな雷撃が飛び交った瞬間、その手がオークに向かって放たれる。
そこから放たれたのは数百は超えるオークの背丈を軽く上回る長さの雷撃の槍。
射抜かれたオークたちは断末魔の残す間もなく、全身を炭化させ、消し炭となって崩れ落ちた。
それらを横目で見ながら、瑞科は一か所を目指して飛び去ろうとするガーゴイルたちに追いかける。

―このままでは倒せませんわね

どうしようかしらと思考を巡らせた瑞科の目に飛び込んできたのは細いビル街のはざまの路地に殺到するガーゴイルたちの姿。
ガーゴイルは教会や礼拝堂、城壁などの守護像が何らかの理由で魔力を持った魔物。
だが、『教会』の報告によると、ガーゴイルは自らを生み出し、使役させた術者に従う特性を持ち、己の命に危機が迫ると本能的にその術者のもとに逃げ帰るとある。
それが確かなら、と思い至った瞬間、瑞科は小さく口元をゆがめ、逃げ惑うガーゴイルたちを追いかけた。

中編へつづく