コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


「水嶋さま、こちらが資料になります。よろしくお願い申し上げます」
東京中心部にある商社にて、二人の男女が商談を交わしていた。話はまとまったらしく、共に立ち上がり礼をする。背広姿の壮年の男は分厚い封筒を取引相手に手渡した。データディスクではなく、紙の文書で手渡しをするのはそれなりの理由がある。男は封筒を渡すと、女に小さく意味ありげにうなずいて見せた。

「確かにお預かりいたしました。必ず"本社"に届けますわ」
品のよいたたずまいの女が答える。まだ若い。いや、非常に若いといってよかった。ともすれば少女で通ってしまうだろう。涼やかな目元に、咲きほころんだ花を思わせる口元。日本人であれば憧れを抱かずにはいられない、ぬばたまの黒髪の持ち主であった。可憐なドレスでも身に着けていれば、まさに深窓の令嬢といった風情だった。

さらにけしからぬことに、清楚な大和撫子の顔の下にはため息の出るようなプロポーションが続いている。下卑た言葉を用いるならば、なんともいい体をしていた。飾り気のないシンプルでタイトな黒のスーツに身を包んではいるが、これぞ女性美というべき胸と腰のまろやかなカーブは隠しようもなく、みずみずしい色気を放っている。対照的にウエストは見事に引き締まっていた。このうら若き美女、もしくは美少女は、己の悩ましさにはまったく注意を払っていないようであるのがまた憎らしい。今すぐむしゃぶりつきたくなるような……

と、妄想の世界に浸りかけていた男は、心の中で大きくかぶりを振る。
そんなことはできない。少しでも変な動きをすれば、八つ裂きにされるだろう。

男にはよくわかっている。美しい黒髪の乙女の正体が何であるのかを。"任務"を無事に終え、商社マンの殻を脱ぎ捨てた男は幾分疲れたような顔をして、一礼し去っていく女の後姿を見送った。

「アレが機動課のねえ……。やれやれ、女は怖いよ」
男はせいぜい後姿だけでもごちそうになるとしましょうかね、とぼやくと、女のとろけるようなヒップラインと、そこから締まった足首へと続く極上の曲線を眺めるのだった。

* * *

深夜の高速道を滑るように進む一台の車。道路灯の光を鋭く跳ね返す艶めいた流線型のスポーツカーを駆るのは、夕に"商談"を行っていた黒いスーツの若い女だった。肩を流れ落ちるしっとりと美しい黒髪は背の半ばまで届く。見る者は誰もいないというのに、上着を押し上げる弾むように豊かな胸、ミニのタイトスカートから伸びる麗しい脚線はことさらに存在を主張していた。おとなしいスーツも彼女が身に着けると妙な色っぽさが漂う。車のシート、髪や瞳、衣装に至るまでの黒尽くめの中で、透明感のある輝きをたたえた肌が映えていた。

女は運転に集中している。いかに早く"仕事"を終えるか、それだけを考えているのだろう。黒い瞳にはなよやかな女らしさではなく、強い意志が感じられた。この若い女には、少女としての時期を脱し、女性としての完成を遂げる一歩手前の稀なる美が宿っているのだが、そのまなざしには、女が愛でられ、守られるだけの存在ではないとわかる、ある種の凄みを感じさせるものがあった。

走行中にスーツの内ポケットからの小さな振動を感じ取り、女は小さく言葉を発した。
「受信」
女の命令語に従い、専用通信機が機械音声でメールの内容を伝える。
「みずしま・ことみ 任務を通達する。情報班発 近郊に事案Aに関連したテロ組織Dの潜伏を確認 爆発物の持ち込みを確認―」
最後まで聞き終える前に、若い女――水嶋・琴美は一気にギアを上げ、加速に身を委ねた。

「位置情報を表示」
マップに示される赤い点を目指して琴美は疾走する。ハンドルを切ると深く切れ込んだ前合わせのジャケットから深い胸の谷間が覗き、つやのある黒いストッキングに包まれた太腿が踏み替えに合わせて艶かしく動く。だが琴美は自らの肢体が生み出す官能的な光景に頓着する様子はない。タイトなミニがたくし上がり、腿のランガードが見えてしまってもお構いなしだった。

実のところ、彼女はまだ成人にも達していない。年齢は19、少女、もしくは花の乙女と表現しても差し支えないはずの彼女がこれから向かおうとしているのは、新たに判明したテロ組織の拠点だ。なぜかと問うのは愚問でしかない。危険の極みにある、そのような所こそが彼女の仕事場であるからだ。琴美が所属するのは自衛隊特殊統合機動課。世の平和を乱し、理を狂わすあらゆる脅威に対抗するために作られた非公式特殊部隊だった。彼女は指令に従って、機動課の戦闘員として秘密裡に任務を遂行する。琴美は凶悪犯罪者のみならず、魑魅魍魎までが跋扈する怪異都市東京の美しき守護者であった。

* * *

問題のテロ団体は、無差別爆破テロを繰り返しており、近年もっとも凶悪な組織の一つに数えられていた。その活動は一言でいうならば理不尽。犯行声明もそこそこに突如破壊活動を行い、多くの無辜の市民の命を奪ってきた。もはやテロ行為自体が本来の目的になっているのではないかと思われるほどだ。その魔の手はたちまち東京にも伸びた。混迷を辿るこの街に、さらなるカオスを撒き散らそうとでもいうのだろうか。

「まさかこんなにすぐとは思いませんでしたわ」
琴美はまるで居残り勉強を命じられた女子校生のように、半ばおどけたため息をつく。彼女にとって、このようなことは茶飯事に近いものなのだ。

「着替える時間はありませんわね」
赤い点から10キロほど離れた場所に車を止め、琴美は一人ごちながらてきぱきと準備を整えていく。手に格闘技用のグローブをはめ、小型のナイフを太腿のナイフベルトに差し入れる。ナイフの隣には、くさび形の両刃の武器、くないがいつも通りに収まっていた。戦支度はものの数分で完了した。

今回位置が判明したのは、連中の武器庫にあたるものだ。速やかに潰さねばならない。琴美は自分が選ばれた理由もわかっていた。多数の特殊部隊員や処理班、警察を動因すれば大事になる。もともと暴力で意見を通そうなどというテロリスト連中に対して、数と数とでぶつかるのは最上の策とはいえない。大抵の場合、こちら側は万事慎重に過ぎ、反応の遅さにじれたテロリスト側が凶行に走って、いらぬ犠牲が生まれる。その繰り返しだった。今までのところ、日本とテロ組織側は空しいいたちごっこを続けていた。

だが、その望ましくない均衡が崩される絶好の機会が訪れた。組織の東京への本格進出である。テロリストどもは、潰しても潰しても、残党がどこかで新しい拠点を作り、人を傷つけ世を騒がせてきた。だが、怪異という常識を超えた脅威の存在するここ東京では、奴らのもくろみは思うように進まなかった。妖怪に居場所を破壊されたり、テロ行為を妨害されるのみならず、魍魎に幹部格が丸ごと喰われる事態まで発生した。怪異は一般市民とテロリストの差別など一切しなかったのだ。

情報班は、奴らの勢力が著しく衰え、新たに加わる者の量・質ともに落ちつつあることを突き止めた。組織は焦りから、今以上に幼稚な破壊活動を行うことが懸念されている。結果、機動課の下した作戦は、潜入作戦に優れた者をごく少数送り込み、連中が動きを見せる前に"人の手で"殲滅するというものだった。しぶしぶながら、行政もこれを認可した。多くの犠牲者を出し、テロ行為を飛び火させ、遠回りをした挙句の果てに、ようやくたどり着いた最善の方法であった。

(―東京は傷つきすぎましたもの。これ以上の狼藉、許すわけにはまいりませんわ)

きっと顔を上げる。静かにきらめく星々の中、琴美は誓う。

(必ずやり遂げて見せます。私ひとりで)

琴美は自らの命など、毛筋ほども心配していなかった。慢心ではなく、結果に裏打ちされた自信。荒事にはおよそ向かないビジネススーツ姿であっても、任務達成の確信は揺るがなかった。燃える使命感と離れた遠い場所で、琴美の心に棲むもう一つの意思が、戦え、滅ぼせと執拗にささやきかける。それは琴美の血に流れる、脈々と続いてきた宿命の声だ。

ハイヒールのまま、ぐっと身をかがめる。夜風がさっと琴美の黒髪をなぶった。
その一瞬後には、彼女の姿はその場所にはない。先ほどまで走っていた高速道と並ぶ、建設中の高架橋。橋はまだかけられておらず、モニュメントのように立ち並ぶその土台の最上部に彼女は立っていた。体の動きに少し遅れて、真っ直ぐな黒髪が落ち、はらりと背を覆う。常人をはるかに越える跳躍力。高所でもけして崩れぬバランス感覚。恐れを知らない豪胆な精神。そのすべてがうら若き娘の身に宿っているとは信じがたいことであった。この夜の闇にあってなお黒い、シルエットの乙女が躍る。驚くべき跳躍力で、次の土台へ、また次の土台へと飛び移る。

それは日本びいきの外国人が知ったなら、間違いなく驚愕し、次に感動し、熱狂するであろう。水嶋・琴美こそ現代に生きるニンジャ、闇に潜み、血に溺れながら歴史を影で支えてきた血脈の後胤なのだ。圧倒的な戦闘能力をその身に秘める、美しき殲滅兵器。

たちまち土台を渡り終え、目標から5キロ地点の地上に降り立つ。まるで小鳥が舞い降りたかのように、重力を感じさせない軽業で琴美は着地した。奴らの居場所は頭に叩き込んだ。あとは任務を遂行するだけ。大きく息を吸い、一度吐き出し、無造作にハイヒールを脱いで手に持ち替える。琴美は夜の東京を、驚異的なスピードで駆けていった。

* * *

5キロを全力疾走しても、琴美には呼吸の乱れ一つない。さすがは現代のくのいちといったところだ。しかし人間離れした高速の疾走に、琴美本人以外がついていけなかった。長い黒髪は乱れてまとわりつき、スーツのジャケットは主人が生み出す風圧にたまらずはだけて、ようやく肩に引っかかっている。スカートに至っては、申し訳程度に腰を隠す袋状の布と化していた。飛ぶように駆け続けて来たのだから当然のことなのだが。

「もう……いやですこと」
顔にかかった髪を除け、繊細なレースで飾られたキャミソールをジャケットで覆い隠し、ボタンをきっちりとかける。そして最後に黒いタイトミニのすそをつかむと、ぎゅっと乱暴に押し下げる。ハンドルを握っていた時には着衣の乱れなど気にしなかったというのに、琴美は我に返ったかのように恥じらいの表情を浮かべ、もじもじと暗闇の中で身なりを整えた。だがそれが済むや、任務を負う者としての厳しい表情に変わる。琴美は身を低くするとハイヒールを片手に持ったまま、木立に身を潜めつつ目的地の廃工場にじりじりと近寄っていった。昨年の魍魎事件で廃業となった、23区を外れた山間部の部品工場の跡地。いい場所に居城を築いたものだ。

(二人いますわね)

テロリストというよりは、不良少年と呼んだほうがよほどふさわしいような若い男が二人、申し訳程度の武装をして正門付近を守っている。頭に乗せただけのヘルメット、武器はライフルと、警官から奪った警棒だろうか。一人はしゃがみこみ、携帯端末をいじくりまわしている。組織の質が落ちていることがありありと分かった。夜の闇にまぎれて、これだけの情報が見て取れれば申し分ない。

(なんと、浅はかなのでしょう)
これで拠点を防衛できると思っているとは。琴美の顔に、冷たい笑みが浮かぶ。つまらぬ雑魚を倒さなければならないという自嘲、心身共に脆弱な敵への侮蔑。そして血が教える、戦場の高ぶり。それらがない交ぜとなって、琴美の中で大きく膨らみ、恍惚感にも似た闘争心を高めていく。

「作戦を開始いたします」
小さくつぶやき、琴美は大きく腕を振りかぶった。その手には黒いエナメルのハイヒールが片方握られている。風切りの音を残して飛んだハイヒールは、チンピラ門番たちの背後の廃資材に当たって硬い音を立てた。

「だっ、誰だ!」
慌てて一人がライフルを構え、進み出る。

(ふうん。どこから飛んできたのか理解してのことかしら。前に出てくるなんて意外ですこと)

(―でも。その動きはいけませんわね)

黒いしなやかな影が躍りかかり、男のあごをつかむ。言葉を発する前に、喉に細刃のナイフを叩き込んだ。目の前で、文字通り瞬く間に起きた異常事に理解が追いつかず、携帯端末に夢中だったもう一人のチンピラが立ち上がろうとしたその時。ひゅっと音がして、何かが顔に当たった。男の片方の視界が真っ暗になる。

信じられなかった。自分の目に何かが突き刺さっているのだ。角膜が裂ける激しい痛みに絶叫しようとしたが、苦痛を叫びで表現することはできなかった。黒きくのいち、死の天使が目にも留まらぬ速さで駆け寄り、男の喉を貫いていたからであった。二人は悲鳴ひとつ上げることができぬまま、急所を穿たれて窒息する。うち一人の目には、もう片方のハイヒールの踵が埋まっていた。

「やはり車を遠くに置いてきて正解でしたわ。物音にしか警戒していなかったんですのね」
男たちの喉から細いナイフを抜き取る。皮膚にはごく小さな穴が開いているだけで、出血はさほど多くない。ブレードの汚れを拭き取ると、琴美はもはや用を成さない門番に背を向け、正門から堂々と敵地に侵入していった。

* * *

建物の入り口から離れ、侵入経路を探る。裏口か、窓か。琴美はざっと敷地内を見回す。工場の大きな建物がひとつ、資材置き場と倉庫らしきものがふたつ。立ち止まり、しばし耳を澄ます。琴美の超人的な能力は脚力に留まらない。人間の話す声。足音。武器の立てる金属音。それらを聞き分け、彼女は今後の作戦行動を確定させる。倉庫に人間はいない。工場内には男ばかりが十数人。無人と断定した倉庫に駆け寄り、薄く開いた扉に身を滑り込ませた。そこにあったのは無数の箱。

なんたる不注意、なんたる下策。武器庫をこのように放っておくとは。琴美は敵のあまりの程度の低さに、いらだちさえ感じ始めていた。このような相手はテロリストと呼ぶことすらおこがましい。爆弾の力を借りて暴れる悪童でしかない。

(なんてくだらない相手でしょう! 早く片付けて、熱いシャワーを浴びて休みたいものですわ)

憮然とした表情で、取って返す。2階相当の窓ガラスが抜けているのを認めると、くのいちの乙女は重力などものともせず、工場に潜入を成功させた。眼下にはテロリストとは名ばかりの男どもが、予想通りの数だけいた。琴美は窓から天井を支える鉄骨に音もなく飛び移り、敵陣をじっくりと観察する。

(さすがに全員は見えませんわね)

工場内は放置された背の高い加工機械によって、いくつかの部屋のように仕切られていた。そのところどころに数人ずつが固まっている。武装は門番のチンピラよりはましなようだ。電気が通っていないのか、警戒してのことなのかはわからないが、天井照明は点いていない。照明のあるなしは琴美にはさほど関係のないことだ。わずかな月明かりと、ところどころに置かれているLEDランタンがあれば光源は十分だった。

(どれ。上から見つめていても始まりませんし、やってしまいましょうか)

琴美は入り口近くの、一応監視役を務めているらしい四人を最初のターゲットと定める。ごろつきたちはくだらない話に花を咲かせていた。突如、笑う一人の男の胸から、光るものが生え出る。じわりと血の染みが広がると、男はかかかっ、と言うようなうめきを残して動かなくなった。

「なっ……何だっ!?」

どよめく三人のテロリストが見たのは、およそこの場にいることのふさわしくない存在だった。装飾のない、黒いタイトなビジネススーツ。味気ない服装の上からでもわかるグラマラスな肢体。長くつややかな黒髪に縁取られた黒い瞳の美しい乙女が、倒れた仲間の背後から現れ、こちらを見据えている。

「お、女だ! おんな! すげえエロっ……え?」
心のままに下劣な感想を叫んだ男は、我が身に起きた出来事を理解できぬまま崩れ落ちる。一歩大きく進み出た、乙女の手刀が鳩尾を突いたのだ。小さな手で作られた手刀は、男の胸下にずぶりと深く潜り込む。倒れた口からは、血の泡と吐瀉物がごぼごぼと溢れた。すばやく引き抜いた琴美の手も、服も、飛沫の一つもかかってはいない。

「てめっ……!」
男がピストルを構える。琴美は体をひねると、長い足で回し蹴りを叩き込んだ。首筋に命中し、ごきりという音が響く。発砲する間も与えられなかった男は意識を失って吹き飛んだ。もう一人の男にぶつかり、二人揃ってどうと倒れる。

仲間の体当たりを受けて倒れたテロリストだけが、まだ息があった。琴美は靴を失い、黒いストッキングだけになった足でひたひたと男に歩み寄った。怯えた表情で自分を見上げる男をどう始末しようか考える。ふと、男の表情がだらしなく緩み、下品な、それでいて嬉しそうな笑いに変化した。直後、細身のナイフが男の額に突き立つ。

「いやらしい。 あちらでゆっくり反省なさいませ」

最後に目に映ったのが、最高のスタイルを持つ女のスカートの中から覗く黒いストッキングと、セクシーなショーツのコンビネーションであったのは、唯一の幸福、唯一の情けであったろうか。どんな男も決して目にすることを許されなかった天上の光景を見ながら、男は絶命した。

「おい、どうした……!? 何だてめえは!」
「この女がやったのか? け、警察かっ!?」
「ウヒョーッ! すげえいい女だ、やろうぜ! やろうぜ!」
さすがにこれだけの音がすれば、どんな間抜けでも気づくだろう。天井照明がかっと灯され、豊かな曲線を持つ姿が明るみにさらされる。ばたばたと残りのテロリストたちが駆けつけてきた。一様に銃を構えており、予想外の敵の正体に驚きを隠せないようだ。女と侮り、琴美の豊満な肉体にばかり気を取られている輩もいるようだったが。

男たちに囲まれ、銃口を向けられても動じることなく、澄んだ、よく響く声で琴美は言う。
「自衛隊です。あなた方が行っているのは、許されざる破壊活動ですわ。投降を勧告いたします。今従っていただければ、命の保障だけはいたしましょう。さもなければこの場で、私が皆さんの無力化を実行いたします」

「なぁに言ってんだ、リクスーの色っぺぇねえちゃんがよ!」
「ヒャハハハ! 面接会場はこちらだぜぇ! まずは脱いでもらおうかァ」
「こっちは何人殺ったって同じなんだよォ」

組織員たちは安っぽい脅しの言葉を放つだけで、降伏する様子は一切見られない。ライフルを構えた大柄な男が30センチほど手前まで詰め寄ると、やれるものならやってみろとでも言わんばかりにあごをしゃくり、いやらしい目つきで琴美の胸元を睨め回し始めた。

「あなた方のお気持ちはよくわかりましたわ」
言うや琴美の右手が上がり、鞭のようなしなりをもって振り下ろされた。

「ひぎゃああああああ!」
ライフルの男が、〆られる豚のような悲鳴を上げた。琴美の平手は男の左耳をとらえ、鼓膜を打ち抜いたのであった。頭の中を抉られるような痛みに、頼りの銃を投げ捨ててのた打ち回る。一撃で大の男を打ちのめした琴美が色気だけの女などではなく、大いなる脅威であることをようやく認識した男たちは、罵声と共に一斉に発砲を開始した。

琴美は目を細め、まるで弾丸の行く先がわかっているかのようにすっと一度身を引くと、次に大きく跳躍した。彼女が立っていたはずの場所を通り過ぎ、銃弾は空しく古びた工場の壁に刺さる。宙で回転し、体勢を整えながら、琴美はすらりと両の手でナイフとくないを抜き放った。体操選手のような伸身に、長い手足がぐっと伸ばされ、スーツが豊かな胸と腰によって張り詰める。グラマラスな美女が描く大胆な構図によこしまな喜びを感じる暇もなく、ひとり。ふたり。銃を叩き落とされ、次々と急所を貫かれ、言葉もなく倒れていく。発砲をあきらめ、つかみかかってきた者もいたが、大気の精のごとく軽やかな身のこなしで舞うように戦う琴美に指一本触れることは叶わなかった。距離を取ればナイフが急所を目がけて飛んで来る。近づけば鋭い手刀と見かけ以上に重い蹴りが叩き込まれる。目の前にいるというのに、まるで手が届かない。暴力を振りかざし、手当たり次第に人々を傷つけてきた不浄の罪人たちは、触れることのけして叶わぬ美しき女神によって裁きを下された。

「武器庫に陣取って、爆破するとでも脅せば、時間稼ぎぐらいできましたのにね。本当にあなた方は愚かでしたわ。哀れに思えてしまうほどに」

すべてが終わった。
琴美の顔や体に傷は一切ついていない。返り血すら見とめられず、服にもほころび一つなかった。激しく飛び、走り、蹴った、黒いストッキングのつま先だけが破れている。無敗の戦士にして麗しの乙女。正義を愛する心優しき者にして冷酷に任務をこなす女ニンジャ。二つの顔を持つ娘。琴美が少しうつむくと、黒髪がさらりと流れて落ちた。静寂の中、無言のままジャケットの襟元を正す。

上着の内ポケットに無造作に手を入れ、カバーボタンをはずす。コマンド・ワードだけで制御し、めったに手に取ることのない携帯端末を直接操作して、琴美は電話をかけた。
「水嶋・琴美です。現時刻を以って作戦の終了、任務の達成を報告します。組織員は全員沈黙。投降の意思を見せることはありませんでした。敷地内に相当量の爆発物を確認。一部はすでに持ち出された可能性があります。処理班の派遣をお願いします」
淡々と報告し、端末をまたポケットにしまう。無感動を装って、つい先ほどまで戦場だった場所を見回す。点々と転がる、テロリストたちの躯。

(なんてあっけないのかしら。こんな弱い連中が、多くの罪無き人たちを傷つけてきたなんて)

琴美に匹敵する戦闘力を持つ者など、この世にそういるはずがない。当たり前の結果ではあるのだが、彼女の心にはもやもやとする説明しがたい感情がくすぶっていた。年頃の娘らしく桃色の唇を少し尖らし、わざと子供っぽいふくれっ面を作ってみせる。自身を日常に連れ戻すための小さな努力だ。だが偽りの表情はすぐに消える。ハイヒールを探して履こうかと考えたが、やめた。ぺたぺたと歩き、外に出る。なぜかその姿はひどく頼りなげに見えた。とても先ほどまでの彼女と同一人物とは思えない。

工作車輌の到着を待ちながら、琴美は己の心に渦巻く感情を整理していた。任務の後はよくこんな気持ちになる。なぜ。敵が弱くてつまらなかったはずなのに。市民の安全を脅かすテロリストを排除できて満足しているはずなのに。任務の達成と、無敗記録の更新に勝ち誇っていいはずなのに。

琴美は知性と経験によって育てた理性と、血によって刻まれた熱情の間で悶えていた。己の身をただひたすらに戦う装置に変える。刃が肉体に飲み込まれる、拳を急所にねじ込む、生まれながらに備わった圧倒的な力で敵を屠る感触。あの感覚が忘れられない。もっと戦いたかった、次の戦いはどんな味がするのだろう。血脈に息づく戦闘本能が、戦いの高揚感をむさぼり、琴美の心をうずかせるのだった。その考えを振り払うために、琴美は一つの言葉を口にする。

「悪が何度東京に生まれようとも、その度に消し去ってみせましょう。この私が」

ーだって私は、そのためにいるんですもの。

---
仕事柄多くのオリジナルキャラクターに出会って参りましたが、琴美は本当にセクシーで魅力的なキャラクターですね。超人的な設定ながら、不思議な「生っぽさ」を感じさせます。
こちらの裁量にお任せいただける点が多かったので、思い切り書かせていただきました。ありがとうございます。