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<東京怪談ノベル(シングル)>


信じてきたもの.1

 久遠の都、環境局。
 多くの人間たちが働くこの環境局で、藤田あやこの上司が辺りをちらりと見回し、近くのデスクに座っていたあやこの同僚に尋ねた。
「藤田はどうしたの?」
「藤田さんでしたら、まだ出勤していませんが……」
「……そう」
 上司は考え込むように親指の爪を噛んだ。
 あやこが無断欠勤をしてこれで5日目だ。勤勉実直なあやこが、欠勤……しかも無断で休む事などこれまで一度たりともなかった。
 これは何かある。そう思った上司は席を立ち上がり、近くにかけてあったジャケット羽織った。
「悪いけど、これから出かけるわ。後のことは宜しくね」
「あ、はい」
 部下に一言声をかけ、上司はあやこの家へと向かった。

                *****

 家の呼び鈴が鳴る。しかし応答はない。
 上司がドアノブに手をかけて回すと、扉はすんなりと開いた。
「藤田……入るわよ」
 そっと室内に入ると、部屋の中は真っ暗だった。カーテンも締め切り、淀んだ空気が立ち込めている。
 明らかに尋常とは思えないこの光景に、上司は訝しむ。
 玄関を抜け、リビングに向かうが藤田の姿はない。奥の部屋に足を踏み入れると、僅かに開いた一室に異様な気配を感じる。
 上司は躊躇う気持ちもありながら、部屋のドアに手をかけ思い切って開いた。
「藤田……!?」
 部屋の中には何本もの蝋燭と何種類もの香が焚かれ、むせ返るような息苦しさを覚える。
 あやこは部屋の中心に座り込み、肩を落としてうな垂れていた。
「藤田!」
 上司が肩を掴み、こちらを振り向かせる。
 あやこは上司の姿が目に映ると、突然正気を取り戻したように目を瞬く。
「あ……」
「何をしているの!?」
 あやこは狼狽した様子で上司から顔を背ける。
 この数日、この儀式を執り行う為の部屋に篭り神からの啓示を得ようとしていたのだ。
 家庭面経済面で成功し、新たな自己実現として事業経営をしながらも環境局の仕事に従事していたあやこは、ある時から心の中に湧いた虚無感に苛まれていた。
 敬虔なエルフのあやこは、虚無感を抱きながらもこうして神の啓示を得ようと召還していたのだが、失敗が続いている事で日頃の空虚感が更に深まった。
 それもこれも妖精代胡蝶紀の祖国、創始者にして偉大な歌姫を祀るエルフ王国で、各時代へ移民する若いエルフに伝統や宗教を教育する任務の最中で自身の信仰心に疑問が芽生えたのが原因だった。
 空位の王座。ゆえに評議会が全ての実権を握り、国民は信仰心に篤く今もなお歌姫の復活を願って止まない。
 うな垂れるあやこに、上司は深い溜息をもらす。
「藤田……。環境局では勤務外の事に関しては干渉しないことになっているけど、言わせてもらうわ。あなたのやっていることは一線を越えてる。私も女だし、不安愁訴は分かるけど……」
「……」
 憔悴しているあやこに、上司は嘆息をもらす。
「妖精代胡蝶紀で暫く休みなさい。但し復職後はこれまで以上に勤勉に働く事。分かったわね?」
 こうしてあやこは上司の計らいを受け、故郷に帰る事になった。

              *****

 静かな僧院。迷える信者が多く瞑想し歌姫の啓示を得ている。その中にあやこの姿もあった。
 次々に啓示を得た信者は僧院を後にするのに対し、故郷に戻って十日目になると言うのにあやこはまだ啓示を得られないでいた。
 この日もやはり啓示を得られず、落胆した気持ちを引き摺り家路に着く。
「帰省して十日も経つのに、私にはどうして啓示がないの……?」
 これ以上休暇を貰うわけにはいかない。
 あやこは帰国準備を始め、荷物を手に家を後にし寺院の前を通り過ぎたときだった。
 人々のざわめきが起き、人だかりが出来ている。彼らの中には突如光臨した歌姫の姿があった。
「私はお前達の篤い信仰心のもと、今こうして復活を果たした」
 そう語る歌姫に対し、周りにいた人間たちの間では喜びに沸く者もいれば疑う者も多く存在し、どよめきを産んだ。
 あやこは人ごみを掻き分け、歌姫の前に躍り出る。
「歌姫様。是非教えて頂きたい事があるのです。人生や生死の意味を教えて頂きたいのです」
 歌姫はそんなあやこをちらりと見やり、小さく微笑んだ。
「人生や生死の意味? 生を受けたものはやがて死んでいく、それは道理と言うものでしょう?」
「……」
 くすくすと笑う歌姫に、元々猜疑心の強いあやこは、求めていた答えとは違うはぐらかすような物言いに彼女の存在を疑った。
 彼女は本物の歌姫なのだろうか……?
 くるりと向きを変えたあやこは評議会が行われている場所へ移動した。
 部屋に入るなり、凄まじい激論があちらこちらから飛び交っている。
「形骸化した王位に歌姫が就けば、既得権者と争いが起こる」
「しかし、歌姫の復活は誰しも望んできたことだ」
 全く噛み合わない評議が繰り返されていた。そこへあやこの妹でもある上院議長が現れると、その場は一瞬にして静まり返った。
「あの歌姫、何ゆえ突如として降臨したのか……。何の前触れもなく降臨したことが疑わしい」
 その言葉に評議会の人間たちとあやこも深く頷いた。
「あの歌姫を調べてください。本当に本物であるのかどうか……」
 上院議長はあやこの目を見詰めると、あやこは無言のままもう一度深く頷いた。



 その頃、祭壇では歌姫が聖なる竪琴の起源を朗々と語っている姿があった。
 起源を知るものはこの国の中でもそう多くはない。
「聖なる竪琴。それは我々エルフの平和を望む思念が創り上げた。平和を願う思念が潰えない限りあれは存在し続ける。我らの心の中に」
 自信たっぷりにそれらを語り続ける歌姫が紡ぐ言葉に、傍にいた高僧はただただ驚いていた。
「歌姫様……。それは門外不出の秘伝ですぞ」
 語っている歌姫に対し、高僧がそう言うと歌姫はふんと鼻を鳴らしながら口元を歪めてほくそえむ。
 まるでこちらを見下すかのような目線を投げかける。
「だから言っているでしょう? 私は本物であると」
「……」
 戸惑いつつも訝しむ高僧に、歌姫はふふんと鼻先で笑った。
 その様子を見詰めていたあやこは、彼女が誰かの扮装かロボットではないかと勘ぐり、40世紀から持参した機械で彼女のことを調べた。
 遠くにいても調べられるこの装置の結果を見ると、彼女は本物である事が証明される。
 その結果にあやこの猜疑心は一瞬揺らぐもどうしても拭いきれない。
「……本物? 本当に?」
 目の前で尚も起源を語り続けている歌姫を、疑心暗鬼の心が拭えないまま見詰めていた。