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<東京怪談ノベル(シングル)>


『same characters』

 ヒールがアスファルトを叩き、無機質な音が規則的に骨を伝って上ってきている。角を曲がり現場の通りを見渡すと、そこには件の輸送車含め車両が三台程、煙を噴きながらひっくり返っていた。左右のテナント店舗のガラスが割れ、街灯が倒れている様を見て、彼女はさすがにパンプスでは場違いかしらと考えた。
 足先だけではない。琴美の姿はあまりにコケティッシュで、昼食時のオフィス街を歩いていたとしても目立つくらいだった。そう思うと、何故か可笑しくて仕方ない気分になった。自分が思ったよりも破滅的であった事に、どうにも喜びを隠せなかったのだ。コツコツ鳴る靴音に交じって発砲音が聞こえたりすると、彼女は口端を吊り上げるのを我慢出来なかった。
 警官達は息を呑んだ。彼らの胸中では恐怖や憧憬が混ざり合い、立ちくらみのような薄気味悪い感覚が湧き出していた。ビルの窓ガラスに反射した黄金色の夕陽は強烈な光の束となって彼女の背に降りかかり、その眩しさが今しがた通信で聞いたばかりの情報や印象を簡単に吹き飛ばしてしまった。彼らの前に現れたのは、戦うためにやってきた兵士でもなければ戦場に花を売りに来た女でもなく、通常の人間が抱く予期から遠く離れた、天使だの悪魔だの、そんな類の方がまだ近い存在のように思われた。
 琴美は歩を止めると、スカートに手をやった。脚を肩幅に開き窮屈そうに皺を作ったタイトスカートを、両手で少しずつたくし上げていった。滑らかで柔らかい黒のグラデーションの向こうに、シルク特有のしっとりとした白色が顔を出してきて、男達はただそれだけを見ていた。彼らの頭はますます混乱し、彼女がその太ももの脇からクナイを二本引き抜いた事には、誰も気が付かなかった。
「怖くなったら、すぐ逃げなさい」
 残り香と共にそんな嘲笑にも似た台詞を吐くと、彼女は急ごしらえのバリケードを越えていった。直後、それと入れ替わるようにスクーターが空から降ってきて、警察車両に命中した。金属がひしゃげ、割れる音や軋む音が同時にいくつも弾けたかと思うと、赤々とした火が吹き出て爆発が起こった。

 それに押し出されるように、琴美が駆けた。とんでもない加速だった。どのような走り方をしているのか、足音はもう消えていた。長い髪が後ろへ流れて風に乗り、彼女は動きづらいスーツ姿だというのを全く感じさせる事なく、戦闘に突入した。
 咄嗟にアサルトライフルの弾丸がそれを追った。だが捉えきる前に琴美は僅か二車線分の通りを横切って、割れたガラス窓から飲食店に飛び込んで身を隠した。流れる視野で確認出来たのは、動きやすい濃緑のジャケットとパンツに身を包んだ、すらりとした短髪の男が一人だった。彼はライフルを片腕で扱い、道の真ん中を堂々と歩いていた。明かな違和感が、思考の表面上にしこりのように残った。しかし敵が近付いてくる音がはっきり聞こえると、彼女はその噛み合わない考えを瞬間的に打ち捨てて、表へ飛び出した。
 地面すれすれを滑空するような移動。アスファルトを這うその影を跳弾の火花が追ったが、追いつく事は決して出来なかった。琴美は瞬きする間に下から銃を蹴り飛ばし、その勢いのまま肘で当て身を食らわせていた。男の肺から空気が全て押し出され、身体が折れたところを顔面に膝が飛んだ。肉と骨が潰れる感触。だが満足はしなかった。そのまま左肩にクナイを突き刺し、もう一方の腕を捕り関節を極めた。
「質問に答えられるかしら?」
 尋ねて二秒、反応のない男の腕を彼女は容赦なく破壊した。それでも男は声を一切漏らさなかった。直後に向こうから銃声が鳴り、瞬時に離れた琴美の代わりに彼は蜂の巣になった。
 輸送車の影や脇の建物から出てきた連中の人数は、報告通りだった。彼らは皆同じ格好で、ひどく似た顔をしていていた。いや、厳密に言えばそれぞれは違った。しかしその違いを確かめようとして見れば見る程、彼らの差異は混ざり合う液体のように失せていってしまうのだった。まるで誰が書いてもAはAであるのと同じように、屈強、精悍、どこか色気があると、形容を尽くす内に表現の幅が狭まっていき、最後には皆つまらない一つの記号性に収束してしまうように。
 彼らは誰も傷付いた仲間に目を向けなかった。琴美だけが、全身に風穴を開けられた男に注目していた。それはまだ立っていたのである。どころか、使い物にならないはずの両腕を筋肉の力だけで無理矢理いびつに動かそうとしていた。
「この方達、やっぱりまともな人間じゃないみたいですわ」
 そう通信機に言ったのを皮切りに、再び引き金が引かれた。琴美は電柱や車両という障害物や、突っ立ったままの男の間をかいくぐりながら確実に接近を繰り返した。そしてクナイによる第一撃で武器を持つ腕を潰し、次に打撃やサブミッションで脚を狙った。それはどこで致命傷を得られるかまだ判断出来ないからという、至極機械的な判断によるものだった。
 一人制圧する毎に弾避けが増えたし、彼らは身体能力こそとんでもなかったが、戦闘技術に関しては高いレベルになかったため、琴美の相手にはならなかった。唯一肝を冷やしたと言えるのは、残弾が尽きたために最初から徒手空拳で挑んできた最後の男だった。彼は味方の影に位置を取った琴美に向かって、折り取った交通標識を投げつけてきた上に、格闘戦でも外れた拳でコンクリートの壁をえぐる強力な力を見せつけた。
 とは言え、誰も彼女を傷つける事は出来なかった。服に埃すら付かなかったし、ストッキングのバックシームもぴったり合ったままだった。奇妙に痙攣しながら突っ伏している男達の中心で、完璧な姿のまま佇む美女というのは、まるで虚構の像だった。しかし何故か、彼女はその空虚な画にこそ自分が馴染んでいくのを自覚していた。そして今この時、まるでひっくり返った玩具のようにもがいている彼ら、恐らく何者かにより消費されただけの、この同一記号に過ぎない彼らに対して、はっきりとしたシンパシーを感じていたのだった。
「あ、あ」
 静けさにそんな声が聞こえた。いや、それは声というよりも喉奥で空気が反響したといったような音だった。振り向くと、最初の男が足を引きずりながらこちらに向かっていた。表情はない。しかし琴美が傷つけた腕や撃たれた部位の機能が多少回復しているように思われた。彼は緩慢な動作で夕焼けを歩いている。
 琴美は走り、軽やかに跳んでその側頭部を蹴り倒した。それからもう一度四肢を動かなくした後で、馬乗りに跨った。左手を伸ばし、そのひんやりとした掌で彼の首筋を撫でる彼女の瞳は、キラキラと光っているように見えた。
「一体どこを壊せば動かなくなるのかしら……?」
 顎を掴んで徐々に力を入れていくと、男が口を開けてパクパクさせた。彼女には分かった。彼は助けを請うているのだ。その顔付きからは相変わらず何も読み取れなかったが、そうに違いなかった。
「駄目よ。逃げられないわ」
 琴美は唇を唾液で湿らすと、手に持った刃を振り下ろし、刺したり切ったりした。男は何も感じていないようだった。そこにはただ黄金色と影だけがあった。しばらくすると彼女は股間に熱を感じ始めていた。それは急激に、燃えるように、熱くなった。

「とてもじゃないけど、警察の手には負えませんわ。うちの処理班をよこしてください。これで終わりとはとても思えませんから、データ収集は余所に触られる前に徹底的にやって頂かないと」
「当の犯人達は消えてしまったと?」
「制圧後、突然発火したのかと思うくらい身体の温度が上がって、蒸発するように消えましたわ。衣服以外の人体にあたるものは跡形もなく。臭いや血液等はなし。彼らが生身の人間であったのは確かですけれど、この事や異常な力を考えると、何か特殊な技術が肉体に施されていたのは間違いありませんわ」
「そもそも事件の発端からしておかしかったわね。そんなとんでもない力を持った連中が、わざわざ目立つためだけのような計画を……」
「デモンストレーション」
「犯行声明が本当に出ていないのなら、そうも考えられる。……分かったわ、104が到着して引き継ぎが完了次第、あがってちょうだい。ご苦労様。代わりに明日はゆっくり休んで」
 課長との通信が終わり、琴美は息を吐いた。処理班はすぐに到着した。彼女は口を開けるのもおっくうという調子でいくつか言葉を交わして、あのメタリックブルーのスポーツカーの元へ向かった。シートに座り街並みを眺めていると、彼らの生について思索が至ったが、彼女はすぐに頭を振ってそれを追い出してしまった。どうせ生など考えるに値しない。そんな事は誰だって知っている。くだらない観念よりも、こうして火照る血肉に身を任せれば簡単だ。
 琴美はキーを回し、アクセルを踏んだ。そうして彼女は、再びこの世界へと溶けていった。